倉敷ホーリネスチャーチ

聖書のみ言葉、キリスト教のメッセージ、また旅情報など、テケテケが伝えしています(日本ホーリネス教団)。

【聖書】ヨハネの黙示録13章1~4節 【説教】「反キリストの出現」 2022/1/30 倉敷ホーリネスチャーチ

2022年01月30日 | メッセージ
【聖書】ヨハネの黙示録13章1~4節
【説教】「反キリストの出現」

中心聖句
4: また、龍がその権威を獣に与えたので、人々は龍を拝み、さらに、その獣を拝んで言った、「だれが、この獣に匹敵し得ようか。だれが、これと戦うことができようか」

要約
主の御名を讃美いたします。 
 本日も黙示録からメッセージを受けています。第二部でいよいよ赤い竜すなわち「訴える者としてのサタン」との戦いが始まります。

 本日の黙示録13章では、そのサタンの子分ともいえる二匹の獣(けもの)が登場します。最初の獣は、 権力、武力によって教会を迫害する「反キリスト」です。ある説教者は、「この獣は徳川時代にも、第二次世界大戦の時にもいたのだ。当時のニセ政者は自らを神とし礼拝を強制し、それに反対する者は迫害された」と述べていて、この獣はいやしの力ももっています。「龍は自分の力と位と大いなる権威とを、この獣に与えた。 その頭の一つが、死ぬほどの傷を受けたのですが、その致命的な傷もなおってしまいました。そこで、全地の人々は驚きおそれて、その獣に従い・・」13章2,3節

 もう一匹の獣はニセキリストとも表現できます。小羊のような獣が出てきますが、「それには小羊のような角が二つあって、龍のように物を言いました。そして、先の獣の持つすべての権力をその前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷がいやされた先の獣を拝ませた。」13章11,12

 後の獣には数字がついており、「666」です。これは皇帝ネロであるとも解釈されていますが、7に1つ足らない獣としての人間を指しているとも考えられています。この「666」は、一つ足らない私自身だと思っています。

 この二匹の獣との戦いで勝ち抜くために必要なのは、「忍耐」です。「ここに、聖徒たちの忍耐と信仰とがある」13章10節 
この忍耐は「がまんしなさい」ではなくて、主イエス・キリストにある勝利につながっていることを覚えたいものです。

 次の?章ではまたもや、天上における賛美が響き渡っています。

「彼らは、御座の前、四つの生き物と長老たちとの前で、新しい歌を歌った。」14章3節 
この「新しい歌」とは「ニュー・ソング」というより上から与えられる歌なのです。

 新型コロナウイルスのオミクロン株が猛威をふるっています。教会も対面礼拝が今出来ない状態です。しかし、必ず収束します。その時まで忍耐をもって望んでいきましょう。

テケテケ

※要約はメッセンジャーの説教メモを記しています。
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【聖書】ヨハネの黙示録11章15~19節 【説教】「第7のラッパの響き」 2022/1/23 倉敷ホーリネスチャーチ

2022年01月23日 | メッセージ
【聖書】ヨハネの黙示録11章15~19節
【説教】「第7のラッパの響き」

15: 第七の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、大きな声々が天に起って言った、「この世の国は、われらの主とそのキリストとの国となった。主は世々限りなく支配なさるであろう」。

主の御名を讃美いたします。 
 黙示録から共にメッセージを受けてきましたが、今日から第2部の始まりです。11章15節で第7のラッパが吹き鳴らされて、第2部の預言が始まっているのです。

 1部では、① アジアにある7つの教会に対するメッセージ、② 7つの巻物の封印が解かれ、③ 6つ目までのラッパが吹き鳴らされています。私たち人間に対する神の審判が書かれていました。
 この箇所からは、キリストと反キリストとの戦いが記されいて、最後に勝利を取ってくださるという預言です。そして黙示録の最後の21章、22章の新天新地とつながっているのです。
 第2部でいよいよサタンとの戦いが始まるのですが、勝利の賛美から始まっています。そして、神のみまえで座についている二十四人の長老は、ひれ伏し、神を拝して言いました、「今いまし、昔いませる、全能者にして主なる神よ。 大いなる御力をふるって支配なさったことを、 感謝します。」11章16、17節 私たちも戦いのなかでまず主イエス・キリストにある勝利の賛美をもって始めたいものです。
 この第2部に登場するのは、悪の三位一体ともいえるもので、サタン、偽キリスト、偽預言者であり、 恐ろしいトリオということができます。その最初に登場するのが赤い龍であり、サタンです。また、もう一つのしるしが天に現れました。見よ。大きな、赤い龍(共同訳では竜)がいた。それに七つの頭と十の角とがあり、その頭に七つの冠をかぶっていた。12章3節
 7つの頭(頭脳や知恵)を持ち、10の角(力)を持ち、7つの冠(支配権・栄光)をもっているのです。
 12章では、この龍とメシアを生んだ女との戦いが記されていますが、その戦いでの勝利が記されています。さて勝利の秘訣とは?

テケテケ

※要約はメッセンジャーの説教メモを記しています。
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【聖書】ヨハネの黙示録9章1~6節 【説教】「口には蜜のよう、口には苦い」 

2022年01月16日 | メッセージ
【聖書】ヨハネの黙示録9章1~6節
【説教】「口には蜜のよう、口には苦い」

中心聖句
1: 第五の御使が、ラッパを吹き鳴らした。するとわたしは、一つの星が天から地に落ちて来るのを見た。この星に、底知れぬ所の穴を開くかぎが与えられた。

要約
主の御名を讃美いたします。 
 ヨハネの黙示録で患難時代とも表現される所からメッセージさせて頂いています。9章では第5番、6番目のラッパが響き、神のさばきが預言されています。

 第5番目のさばきのラッパにより「いなご」が登場します。しかもこのいなごは「さそり」が持つような力を持っています。このいなごはギリシャ語で「アポルオン」と言い、日本語での名前を考えてみたら、「破壊王」でした。

 第6番目のさばきのラッパにより、人間が三分の一滅ぼされるという悲劇とも思われることが預言されています。

 その中で 「自分の手で造ったものについて、悔い改めようとせず、また悪霊のたぐいや、金、銀、銅、石、木で造られていて、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を礼拝して、やめようともしなかった。」9章20節
悔い改めることができることは大きな恵みであることがわかります。

 10章では、この黙示録を記したヨハネの不思議な体験が書かれています。一つは、「七つの雷の語ったことを封印せよ。それを書きとめるな」と言うのを聞いた。10章7節
 黙示録とは、神が将来について「書きとめる」書ですが、ヨハネは聞いたが「書きとめるな」と言われたのです。

 二つは、神の約束のことばとも言える巻物を食べるという経験です。わたしの口には蜜のように甘かったが、それを食べたら、腹が苦くなった。」という経験をしたのです。これは、どのような意味かをずっと思い巡らしました。ヒントとなるのが、主イエスの生涯ではないかと思いました。

 宣教のはじめで洗礼を受けられたときに「これは、わたしの愛する子」と天から声をかけられました。しかし、十字架においては「わが神、わが神どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれたのです。私たちの罪のために身代わりとなり、神に見捨てられてくださったのです。 苦き杯を「主イエスよ、あなたと共に受けさせてください」と祈る者とさせて頂きたいものです。

テケテケ

※要約はメッセンジャーの説教メモを記しています。
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【聖書】ヨハネの黙示録8章1~7節 【説教】「天上における静けさとラッパの音」 2022/1/9 倉敷ホーリネスチャーチ

2022年01月09日 | メッセージ
【聖書】ヨハネの黙示録8章1~7節
【説教】「天上における静けさとラッパの音」

7:第一の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、血のまじった雹と火とがあらわれて、地上に降ってきた。そして、地の三分の一が焼け、木の三分の一が焼け、また、すべての青草も焼けてしまった。

主の御名を讃美いたします。 
 ヨハネの黙示録では、これから起こることについて書かれています。それが記されている巻物の封印が第六番目まで解かれました。今日は第七の封印が解かれる場面です。その前に8章の最初に半時間ほどの静寂が訪れるのでした。

 黙示録には数多くの、天上での賛美と祈りが記されているのですが、この場面では、天上の静けさと祈りがささげられているのが記されています。私たちの生活でも、静まりと祈りの時が必要とされていますが、この静けさが破られるのです。第七の封印が解かれると同時に、ラッパが鳴り響きます。このラッパの響きは、第七の巻物の内容と重なるものだとも言えるのです。

 何か重大なものが発表される時にラッパは用いられています。この黙示録でも7つのラッパが吹き鳴らされています。最初のラッパが吹き鳴らされて、木々や海や水、また星までが三分の一が駄目になってしまっています。

 11節に出てくる水の三分の一を駄目にする「ニガヨモギ」はロシア語でチェルノブイリであり、ウクライナのかつての原発の名であると新聞でも報道されました。この原発事後が、この黙示録の成就であるとは言ってはいけないと思いますが、神からの大きな警告のラッパの響きではないかと思うのです。

 わたしたちは、ここで木々、水、昼の光などの三分の一が駄目になっても、三分の二が残されていることを覚えたい。そうして、このような厳しい状態の中でも、聖なるものたちの祈りが神の前に立ち上っていることをしっかりと心にとめたいものです。

テケテケ

※要約はメッセンジャーの説教メモを記しています。
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【聖書】ヨハネの黙示録3章18~22節 【説教】「戸をたたかれる主イエス」 2022/1/2 倉敷ホーリネスチャーチ

2022年01月02日 | メッセージ
【聖書】ヨハネの黙示録3章18~22節
【説教】「戸をたたかれる主イエス」

中心聖句
20:見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。

要約
主の御名を讃美いたします。 
 2022年、明けましておめでとうございます。

 コロナとの戦いの中でこのような挨拶をするのに少し違和感があります。「めでたい」は「愛(め)でる」にも通じることばであるようなので、コロナ禍でも「素直に、おめでとう」と言いたいものです。そして何より、主イエスにあるものは「主の約束のことば」があるのです。

 今年の聖句として与えられたものは黙示録3章20節「 見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。」で、これは黙示録における主イエスの言葉なのです。

 昨年、この黙示録を教会学校でも学びました。この黙示録を記したヨハネが主イエスの弟子の時代に「雷の子」と呼ばれていましたが、そのヨハネが愛の手紙を書くようになり、またこの黙示録を記すようになったことが話されました。

 黙示録の中で、色々と栄光の主イエスのことばが書かれていますが、この「戸の外に立って、戸をたたかれる」は今の私たちにも迫ってくるではないでしょうか。このドアを開けるのは、主イエスではなくて主イエスの声を聞く私たちであることを覚えて行きたいと思います。

 黙示録1章3節で「この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、その中に書かれていることを守る者たちとは、さいわいである。時が近づいているからである。」とあります。

 個人の生活で、また礼拝で聖書が朗読され、それに応答することを求めていきたい2022年です。毎日、新しいニュースが報道される中、コロナ対策でもそれに応答することが必要です。しかし、まず羊飼いである主イエスの声を聞いて新しい年をスタートしたいと思います。

テケテケ

※要約はメッセンジャーの説教メモを記しています。

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明けましておめでとうございます!

2022年01月01日 | その他
2022年、明けましておめでとうございます!
新しい年も主にあり、素晴らしい年となりますよう、お祈りします。
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