倉敷ホーリネスチャーチ

聖書のみ言葉、キリスト教のメッセージ、また旅情報など、テケテケが伝えしています(日本ホーリネス教団)。

[あなたは与える人ですか]キリスト教礼拝メッセージ要約

2008年11月30日 | メッセージ
2008年11月30日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[あなたは与える人ですか] メッセージ要約をアップいたします。~オープンチャーチ~
聖書:使徒行伝3章1~10節
抜粋:3:6 ペテロが言った、「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。

<要約>
教会で何をしているのか、地元倉敷の方々に知って頂くために企画されました「オープンチャーチ」第四回目、最終回が本日開催され多くの恵の中終了しました。ご参加くださいました皆様ありがとうございました。

場所は、エルサレム神殿の美しの門。神殿には外門と内門があり、外門と内門の間には庭があり、誰でも入る事が出来ました。しかし内門から先は健康な男性のみ入る事ができ、礼拝を捧げていたようです。
内門付近に置かれた男性がいました。彼は生まれてからずっと足が利かず、施しを受けるため置かれていました。まるで物のように、自分の意志とは関係なく置かれていたのです。そこにペテロとヨハネが通り、彼をじっと凝視し声をかけました。ナザレ人イエスキリストに名によって歩きなさい。と・・・
ここでのポイントを3つに分けて見てまいります。

(1)失われたものは何だったのでしょう?
自由を失い奪われた彼。その中に閉じこめられてしまったのです。足の自由を失った彼だけではなく、今を生きる私たちも失ったものが多くあります。思い煩い、人原関係で閉じこめられてはいませんか?
(2)彼は何のために置かれたのでしょう?
施しを受けるために誰かに連れて来られ置かれた彼ですが、一度でいいから施す側になりたい! と思っていたかも知れません。その時、ペテロとヨハネが通り、主イエスの名により回復したのです。
(3)神に対する礼拝の回復
回復した彼は神を讃美しながら真っ先に宮へ入って行きます。もはや彼を閉じこめるものは取り去られました。彼を見た人々は変えられた彼を見て驚き怪しみ、彼のところに駆け集まって来ました。

私たちも生まれた時から家庭に置かれている者です。ある人は裕福な家庭に、ある人はそうでない家庭に置かれています。生い立ちを変える事はできませんが、生き方を変える事はできるのです。もし思い煩いに支配されている人がいるならば、ぜひ主イエスと触れ、御言葉を受け入れてみてください。きっと受けるばかりの今から解放される事と思います。
11月30日、アドベント(待降節)に入りました。ご一緒に本当のクリスマスをキリスト教会で過ごしてみませんか?


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[あなたは祝福の人ですか]キリスト教礼拝メッセージ要約

2008年11月23日 | メッセージ
2008年11月23日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[あなたは祝福の人ですか] メッセージ要約をアップいたします。~オープンチャーチ~
聖書:ルカによる福音書19章1~10節
抜粋:19:10 人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである。

<要約>
教会で何をしているのか、地元倉敷の方々に知って頂くために企画されました「オープンチャーチ」第三回目が本日開催されました。このオープンチャーチは、11月すべての日曜日に開催されますのでぜひお越しになってみてください。

この箇所には、ザアカイという取税人が登場します。このザアカイは、税金取りの頭で、人々から集めた税金で金持ち、そして背が低いという特徴を持つ人で、人々から軽蔑されていた人でした。ザアカイは主イエスが来られた事を知り、どんな人か見たいと思って来ましたが、人々にさえぎられ見る事ができません。群衆もザアカイが来た事を知っていたでしょうが、通路を開ける事などしません。ザアカイは何とか主イエスを見たい一心で、木に登りました。どんな方法でも主イエスを何とか見たいと思った行動でした。
主イエスは木に登ったザアカイを見上げ、そして見つめて「ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから」と声をかけられます。群衆はザアカイを軽蔑の目で見ましたが、主イエスは理解する目で見られたのです。
ザアカイはお金持ちでしたが、誰からも愛されず人々から軽蔑されていました。自分を理解してくれる人なんかいない。でもこの主イエスだけは自分を理解してくださると信じ、受け入れました。ザアカイに変化が起こります。徴収した税金で富んだものを貧しい者に施す事、そして不正な取り立てをしていた者には四倍にして返す事を宣言するのです。金額の大小が問題ではなく、祝福の基であるアブラハムの子に変えられたのです。

祝福は与えられた恵みを、ただ貯め込む事ではなく、その溢れるほどの恵みを人々に与える事なのです。主イエスは、あなたを特別な想いで理解してくださっています。すべてを理解し、主を呼び求める者に祝福を与え続けてくださっているのです。主イエスから受けた溢れんばかりの祝福で、人々に接し、その愛を与える事が出来るなら何と幸いでしょう。


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[あなたを愛しておられるかた]キリスト教礼拝メッセージ要約

2008年11月16日 | メッセージ
2008年11月16日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[あなたを愛しておられるかた] メッセージ要約をアップいたします。~オープンチャーチ~
聖書:ヨハネによる福音書3章1~16節
抜粋:3:16 神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。

<要約>
教会で何をしているのか、地元倉敷の方々に知って頂くために企画されました「オープンチャーチ」第二回目が本日開催されました。このオープンチャーチは、11月すべての日曜日に開催されますのでぜひお越しになってみてください。

本日の中心聖句は、分厚い聖書を集約していると言っても良いほどの箇所です。この機会にぜひヨハネによる福音書3章16節を覚え自分のものとされますようお薦めいたします。

聖書の箇所より以下3つのポイントで見てまいります。

(1)あなたを愛しておられるかたは、あなたを創られたかた
(2)あなたを愛しておられるかたは、イエスキリストをこの世におくられ十字架にかけられたかた
(3)あなたを愛しておられるかたは、イエスキリストを信じる者に、永遠の命を与えられるかた

(1)説教の前に、「君は愛されるため生まれた」という曲を賛美しました。では誰に愛されるため生まれたのでしょう?もちろん望まれた子供であれば、溢れんばかりの愛情を親から受けるでしょう。しかしそのような人ばかりではありません。ではその人は愛されていないのでしょうか?
断じて違います。あなたをいつも愛おしく思っている方がおられます。その方は人を比較したりせず、絶対的な見方であなたを愛しておられます。その方こそ、父なる創造主なる神なのです。

(2)その父なる神は、主イエスキリストをこの世におくられました。そして私たちの罪の贖いとして神の御子を十字架にかけられたのです。我が子を十字架にかけてさえ愛して救いたいもの、それが私たちなのです。

(3)なぜ主イエスキリストが十字架にかかられたのか? 頑なな私たちの身代わりとしてかかられた事を認め、信じるなら幸いです。今もなお罪を犯し続ける私たち。そんな私たちのために、主イエスキリストは天の御国に住まいさえもご用意してくださっているのです。

あなたを愛しておられるかた・・・それは自らの御子を十字架にかけてまで私たちを愛し続けてくださっている、創造主なる神なのです。一人ぼっちだと思っている方も、大勢の中にいるけれど疎外感を持つ方も、比較する事なく神は一方的に愛しておられるのです。あなたは「愛されるため生まれた」のです。決して一人ではない事に気付く事ができるなら幸いです。

この「オープンチャーチ」期間中は、聖書が特に解りやすくメッセージされます。ぜひこの機会に開かれた教会へ足を運んでみてください。主イエスキリストがあなたに平安を与えてくださると思います。


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[あなたの渇きを癒すかた]キリスト教礼拝メッセージ要約

2008年11月09日 | メッセージ
2008年11月9日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[あなたの渇きを癒すかた] メッセージ要約をアップいたします。~オープンチャーチ~
聖書:ヨハネによる福音書4章1~14節
抜粋:4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。

<要約>
教会で何をしているのか、地元倉敷の方々に知って頂くために企画されました「オープンチャーチ」が本日開催されました。このオープンチャーチは、11月すべての日曜日に開催される予定です。
災害の少ない岡山、神に祈る事など自分には関係ないと思っている人が多いように思います。しかしそんな人も実は自分の飢え渇きに気付かず生きていると思います。この機会に一人でも多くの方が、本当の神に触れる事が出来ますよう祈ります。
聖書の箇所より以下3つのポイントで見てまいります。

(1)あなたを大切にして下さるイエス様
(2)あなたと対話して下さるイエス様
(3)私たちの心を開いて下さるイエス様

(1)主イエスはユダヤからガラリヤに行かれるためサマリヤを通道を選ばれました。当時ユダヤとサマリヤは交流がなく、サマリヤの地へ入らず遠回りするのが一般的でしたが、主イエスはサマリヤにどうしても行く用事があったのです。サマリヤに到着し、井戸のそばで主が一人の女性を座って待っておられました。
(2)暑い盛りの昼、人目を忍んで水を汲みに一人の女性が井戸に来ます。そして主イエスのほうから歩み寄られ、一対一の対話が始まります。女性は人に後ろ指を指されるような哀れな女でした。そのような人のために主イエスはわざわざサマリヤを通る道を選ばれたのです。
(3)主イエスと対話し、心を開いた事で女性は癒され、生き方が180度変えられました。誰にも話したくない、そして触れられたくない所を主イエスキリストが癒されたのです。

他人の目を気にし、気丈に振る舞うプライド高き私たち。頑張り続ける私たち。自分の事を知らない私たち。忙しさに振り回され、まさに心が亡い状態の中、心が渇いている事さえ気付かずにいる私たち。
そしていくら成功しても多くの物を得ても満足できない。次から次へと欲求ばかりが膨らむ毎日。一瞬満足してもすぐ心が渇く私たち・・・
一番触れて欲しくない、あなたの心の奥底の思いを、ぜひ主イエスキリストに心開いてみてください。きっとこのサマリヤの女性のように、日々の飢え渇きから解放される事でしょう。

この「オープンチャーチ」期間中は、聖書が特に解りやすくメッセージされます。ぜひこの機会に開かれた教会へ足を運んでみてください。主イエスキリストがあなたに平安を与えてくださると思います。


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[旅人としての人生]キリスト教礼拝メッセージ要約

2008年11月02日 | メッセージ
2008年11月2日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[旅人としての人生] メッセージ要約をアップいたします。
聖書:ヨブ記19章25~27節
抜粋:19:25 わたしは知る、/わたしをあがなう者は生きておられる、/後の日に彼は必ず地の上に立たれる。

<要約>
本日は召天者記念礼拝でヨブ記からメッセージが語られました。

私たちは誕生から、ある意味旅人としての生き方が始まります。そして旅には疲れを癒す宿が必要です。良い宿にとまる事で明日への力が与えられるのです。その良い宿、それは教会だと私は思います。

聖書に登場するヨブという人は、家族、財産、名誉すべてにおいて恵まれた人でした。しかしある日その全ての恵みがなくなりました。家族は亡くなり、財産は奪われ、ヨブ自信の健康も奪われてしまいました。そこにヨブの友人が見舞いに来るのですが、「正しい人を装っているが、実は悪を行っていたからこんな事になったのだ」など、なぐさめどころかヨブに辛い言葉をかけるのです。
しかしヨブはその苦難の中で、19:25「わたしは知る」と語ります。
何を知ったのでしょうか?
ヨブが知ったのは、私を贖(あがな)う方が生きておられる事を知ったのです。贖うとは、買い取るとか、所有するとかの意味で、ヨブを買い取ってくださった方がおられる事を知ったのです。

後にヨブは肉を離れ神を見ます。自分の味方、贖い主として神を見たのです。神を自分の味方とするか、敵とするかで人生は180度違ってきます。罪だらけの私たちですから、神を味方にする事など自力では出来ません。しかし主イエスキリストを救い主と信じる信仰により、神から義とされ、味方とされているのです。何という幸いでしょうか。

若い日に主を知る事はとても良い事です。しかし信仰生活が長いから神が味方をされるなどではなく、私の罪を買い取ってくださった方を知る事、信じる事が大切なのです。
私たちが受けるべき罰をも主イエスキリストが受けられ、私たちを罪の奴隷から解放してくださった事を信じる事ができれば何と幸いでしょうね。
今からも続く旅人としての人生。神を味方として歩める事ができますように・・・


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