倉敷ホーリネスチャーチ

聖書のみ言葉、キリスト教のメッセージ、また旅情報など、テケテケが伝えしています(日本ホーリネス教団)。

[神を見た者]キリスト教礼拝メッセージ要約

2007年12月31日 | メッセージ
12月30日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[神を見た者]メッセージ要約をアップいたします。
聖書:ヨハネによる福音書1章14~17節
抜粋:1:18 神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである。

<要約>
 2007年最後の主日礼拝となりました。
今年は皆様にとりましてどんな年でしたか?

この福音書の始まりは『神の言』。そして言は、肉体となり私たちに宿りました。
『宿る』とは、住む事です。が、土台を固定した現在の住居のようでなく、移動出来るテント(天幕)のようなものでした。この世では、地に固定される事なく自由に住み、最後は天に住むのです。

主イエスキリストが神の国をのべられていたのはAD30年頃ですが、主イエスキリストが神の御子である事をパリサイ人たちは決して認める事がありませんでした。目で見る事が出来るものや事しか信じる事ができなかったのです。
ひょっとすると、私たちも同じではないでしょうか?

現在を生きる私たちは、決して肉体の目で神を見る事はできません。しかし、信仰の目で神を見る事はいつでも出来るのです。同じように神の声を肉体の耳で聞く事はできませんが、信仰の耳で聞く事はいつでも出来ます。心を開き、素直になり、聞く耳をもって聖書を通し神を見、また声を聞いてみてください。

 悩みの時、感謝の時、平安な時。祈り、神と会話してみてください。父なる神はきっとあなたに優しくささやかれると思います。


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クリスマスのイベント・礼拝終了しました~(倉敷)

2007年12月25日 | イベント
メリークリスマス!

皆様、クリスマスどのように過ごされていますか?
倉敷ホーリネスチャーチのクリスマス関連イベント、今年も盛りだくさんで、すべて恵みの内にありました。

初っぱなは、12月16日(日)午後4時30分からの倉敷駅前キャロル。前ブログにも記しましたが、子ども達によるハンドベル演奏~ワーシップ2曲~練習してきたゴスペルと続き、足を止めて聞いてくださった方々より、拍手を頂き感激の内終了しました。ご指導くださいました明石の田中先生、ありがとうございました。



12月23日(日)は、クリスマス礼拝と祝会がもたれました。
礼拝中、洗礼入会式が行われ、新しい姉妹が与えられ感謝の時でした。午後からはクリスマス祝会となり、本当に多くの方々の参加がありました。子ども達による楽器の演奏&賛美、岡野師による恒例となりましたマジック、そして聖書クイズなど・・・
聖書クイズでは、全問正解まであと1問でしたが、不覚にも5000人の給食であつめたカゴ数で失敗してしまいました。正解は12カゴですが、私は4000人の給食の7カゴと答えてしまったのです・・・トホホ
↓クリスマス礼拝

↓クリスマス祝会


そして昨日の12月24日は、午後7時30分より『キャンドル・ライト・サービス』が厳かに始まり、聖書の朗読そして賛美と恵まれた時をもてました。感謝!
↓キャンドル・ライト・サービス



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[喜び歌え]クリスマスキリスト教礼拝メッセージ要約

2007年12月24日 | メッセージ
12月23日、倉敷ホーリネスチャーチの主日メッセージ要約『喜び歌え』をアップ致しましたので[メッセージ]よりご確認ください。
素晴らしいクリスマスをお過ごし下さい!
聖書:ゼカリヤ書2章10~13節
抜粋:2:10 主は言われる、シオンの娘よ、喜び歌え。わたしが来て、あなたの中に住むからである。

<要約>
 皆様、クリスマスおめでとうございます。
私達クリスチャンは、毎週主イエスキリストを礼拝していますので、毎週毎日がクリスマスですが、特にこの日は救い主が誕生された特別の日でもあります。
そして本日、新たに主を自分の救い主と信じ、受洗の恵みにあずかった姉妹が与えられました。クリスマスを過ごすにあたり、一人でも多くの方が救われ、滅びの道から逃れられますように祈ります。

 聖書はBC500年頃の出来事です。クリスマス礼拝の説教ではマタイやルカに記されている主イエスキリスト御生誕がよく引用されますが、今回はBC500年頃に書かれた旧約聖書からです。主イエスキリストの誕生そして救いを預言しています。主が私の中に住まわれるのだ、だから喜び歌えと伝えているのです。

 私達は例外なく、自分ではどうする事もできない罪人です。いくら努力して取り去ろうとしてもなされる事はありません。自分でどうする事も出来ない事、罪に押しつぶされそうな自分をどう救えば良いのでしょう。
まずは自分の罪を知る事が第一歩ですが、それ以上に神様の存在を認め、神を恐れる事が大切です。人間はとても弱いもので、上手く仕事や生活が回っている時は、自分の努力や環境がそうさせてくれていると錯覚してしまいます。これこそが最も大きな罪、自己中心的な考えと言えるでしょう。自分の力で生きているのではなく、とても大きな力で生かされている事に気づく事ができれば何と幸いな事でしょう。

 クリスマスを迎えるにあたり、こんな自己中心的な私達のために主イエスキリストがお生まれくださり、さらに私達の罪を取り去るために十字架にかかられた事を今信じる事ができる人は幸いです。
素晴らしいクリスマスをお過ごしください。


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クリスマス・ゴスペル・キャロル無事終了(倉敷)

2007年12月19日 | イベント
ハレルヤ!

12月16日(日)午後4時40分より、倉敷ホーリネスチャーチの面々でJR倉敷駅前キャロルが無事終了しました。ゴスペルの指導をして頂いた『T先生』、本当にありがとうございました。
写真は、キャロルを行った場所を駅構内方向よりケータイで撮影したものですが、正面にあの『倉敷チボリ公園』が見えます。



16日の教会は大変忙しく、午前の第一礼拝終了後いつものように愛餐会(食事)、その後CSクリスマス、片付け終了後移動して準備となりました。
午後4時過ぎにキャロルの場所へ到着し、ボツボツと準備を開始。メンバーも追って集まり、開演?10分前にはスタンバイ終了。時間が少しあったので、ラストに歌う『アメージンググレース』をアカペラで練習。「おっ、何だかいい感じじゃない!」と指揮しながら思う私。
指揮の練習を特別習った訳でもないのですが、何となくディレクターとして指揮をする事に・・・

そしていよいよ開始の4時40分。演奏と賛美は以下の通りです。
①子ども達によるハンドベル演奏(1)
②子ども達によるハンドベル演奏(2)
③君は愛されるため生まれた
④もろびとこぞりて&荒野のはてにメドレー
⑤"Lord, I Lift Your Name On High"(ゴスペル)
⑥"Amazing Grace"(ゴスペル)

子ども達によるハンドベルの演奏が始まりました。とても可愛くまわりから写真のフラッシュが!!!
そしていよいよ私たちの賛美タイム。
アンプを通してボーカルカットの奏楽にあわせて賛美開始。1曲目と2曲目はCDから強制的にボーカルと間奏部分をカットしたオリジナル版を流し賛美。結構のってる~
そしてラスト2曲は、T先生から本格的に習ったゴスペル2曲。歌詞の意味を確かめながら、そして強弱をつけ歌いました。
・・・終了後、拍手を頂き感謝でした。用意したキャンドル入りのトラクトも全て配り終えました。

当日賛美している写真は後日アップする予定ですが、キリストの音楽に触れた人が次の日曜日、本当のクリスマスを体験しに教会へ来る事ができますように・・・
『メリークリスマス』と意味を知らずに話している方々に、本当の意味をお伝えする事が出来ますように・・・
全ての人が、良きクリスマスを迎える事が出来ますように・・・


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[義の太陽が昇る]キリスト教礼拝メッセージ要約

2007年12月17日 | メッセージ
12月16日、アドベント第二節を迎えた倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[義の太陽が昇る]メッセージ要約をアップいたします。
聖書:マラキ書4章1~6節
抜粋:4:2 しかしわが名を恐れるあなたがたには、義の太陽がのぼり、その翼には、いやす力を備えている。あなたがたは牛舎から出る子牛のように外に出て、とびはねる。

<要約>
 クリスマスを待ち望む期間(待降節)『アドベント第三節』に入りました。
今日は午後から子どものクリスマス会、そしてゴスペルの成果発表として倉敷駅前でキャロルを実施しました。用意しましたトラクトもすべて完配、そして拍手まで頂く事が出来ました。

 場面はバビロン捕囚から帰ってきた後のBC420年頃の事です。旧約時代最後の預言で、これ以降約400年間、預言が起こっていません。沈黙の時代だったとも言えるでしょう。
 マラキは預言で、神の裁きの日、その時について神に悪を行う者は、わらのようになり全て焼き尽くされる、しかし神を恐れ従う者には、義の太陽が昇り、癒され飛び跳ねると語ります。既にご承知の通り「義」とは神に対しての正義、正しさです。
 後に記された新約聖書ローマ人への手紙1:17に「信仰による義人は生きる」とあるように、このマラキ書は主イエスキリストにより、義とされる事が預言されているのです。私たちがわらのように焼き尽くされる事のないように、主イエスキリストを使わされた事、これがクリスマスです。
 主イエスキリストこそ、私たちの義なる太陽なのです。

 もし今、悩み苦しみもがいている人がいるならば、ぜひ教会の扉を叩いてください。なぜキリストが生まれそして十字架にかかられたのか自ら知る事が出来るなら、小さな悩みなど一気に吹きさる事となるでしょう。少しだけの勇気をもって、あなたをいつも見られている神の前に出てみられてはいかがでしょうか。

 御言葉に触れ、本当のクリスマスをお過ごしください。


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[聞くべき御言葉]キリスト教礼拝メッセージ要約

2007年12月10日 | メッセージ
12月9日、アドベント第二節を迎えた倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[聞くべき御言葉]メッセージ要約をアップいたします。
聖書:列王記上22章6~17節
抜粋:22:17 彼は言った、「わたしはイスラエルが皆、牧者のない羊のように、山に散っているのを見ました。すると主は『これらの者は飼主がいない。彼らをそれぞれ安らかに、その家に帰らせよ』と言われました」。

<要約>
 クリスマスを待ち望む期間(待降節)『アドベント第二節』に入りました。
時は、サウル-ダビデ-ソロモンと王が受け継ぎそして分裂した後、BC860年頃の出来事です。分裂した王国は、北王国と南王国に別れ、北がアハブ、南はヨシャパテが王として君臨しています。アハブの妻イゼベルはバアル崇拝者で、北王国はそのバアルを拝む事となってしまいます。
 アハブとヨシャパテは以前取られてしまった地、ラモテ・キルアデを取り戻そうと相談します。アハブは400名もの預言者にどうするのが良いか聞くと、「戦いに行きなさい」と答えが返ってきます。ヨシャパテはアハブに他に預言者はいないのかと問うと、ミカヤがいる事が解りました。しかしアハブはこのミカヤが好きではありません、自分にとって都合の良い答えを言わないからです。
 ミカヤは呼びに行った者より、アハブを喜ばせる答えを言いなさい!と言われ、他の預言者と同じように、「戦いに行きなさい」と、心ない事を答えます。アハブはミカヤに、「どうしたら真実のみを私に告げるでしょうか?」とミカヤに問います。ミカヤは「民は牧者のない羊のように、山に散らされる」と預言を答えます。

 後の章に結果が記されていますが、結局戦いに行き、アハブは兵士を装って隠れていましたが、そこへどこから飛んできたか解らぬ矢がアハブを射抜き、果ててしまいます。ミカヤの預言の通りになったのです。

 クリスマスを前に、主イエスキリストが私たちに語られた御言葉の一つひとつを、聞く耳をもって受け入れる事が出来る人は幸いです。主を信じる者は、キリストを愛しています。キリストはそれ以上に私たちを愛し、滅びの道から逃れさせてくださった事に感謝します。
キリストの愛は、クリスチャンだけに注がれるものでなく、全ての人に平等に注がれています。聞き流さず、無視せず受け入れる事が出来ますように。
御言葉を信じ、自分の力で生きていると思う錯覚からさめ、生かされている自分に気付く事が出来ますように。

 御言葉に触れ、本当のクリスマスをお過ごしください。


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2007クリスマスキャロルのお知らせ(12/16 倉敷)

2007年12月03日 | イベント
2007年度、倉敷ホーリネスチャーチのクリスマスキャロルのお知らせです!

開催日時:2007年12月16日(日) ①16:30頃~ ②17:06頃~
開催場所:JR山陽本線倉敷駅チボリ側出口(地図あり)
曲目:
 ①子ども達によるハンドベル演奏(1)
 ②子ども達によるハンドベル演奏(2)
 ③君は愛されるため生まれた
 ④もろびとこぞりて&荒野のはてにメドレー
 ⑤"Lord, I Lift Your Name On High"(ゴスペル)
 ⑥"Amazing Grace"(ゴスペル)

ぜひゴスペル練習の成果を見に来てくださいね~

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[慰めがやってくる]キリスト教礼拝メッセージ要約

2007年12月03日 | メッセージ
12月2日、アドベントを迎えた倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[慰めがやってくる]メッセージ要約をアップいたします。
聖書:イザヤ書52章1~10節
抜粋:52:9 エルサレムの荒れすたれた所よ、声を放って共に歌え。主はその民を慰め、エルサレムをあがなわれたからだ。

<要約>
 いよいよ待ちに待ったアドベントに入りました。

クリスマスまであと少しですね。私たちクリスチャンも12月25日がクリスマス! と普通に話していますが、クリスマスとはキリスト+ミサ(礼拝)が本来の意味です。私たちは毎週、毎日がクリスマスなのです。ハレルヤ!
 52:2に「さめよ」と記されています。新共同訳では「ふるい立て」と訳され、目をさまして神様の救いを見るのだ! いつまでも沈んでいてはならない! との意味です。
では、何に沈んでいるのでしょう?
 書かれた当時のシオン(エルサレム)は戦いに負け、沈みきっていました。人との戦いでなく、自分達が信じる神の戦いと位置づけられていたため、「もはや、これまで!」と皆沈みきっていたのです。しかしそんな時イザヤは、私たちの神は今も一緒にいてくださっている。目を覚まして神を見上げるのだ! と人々に語るのです。
 今は負けたかも知れないけれど、どんな時でも神は働いておられるのです。また52:1に「美しい衣を着よ」とありますが、これは後に王となられるキリストを預言しています。いつもキリストと共にいる事を記しています。すなわちバプテスマ(洗礼)を受けよと語っているのです。
絶望の中にいても主なる神は決してあなたがたを離れる事はない。だから目を覚まして主イエスキリストを信じ、共に生きなさいと語るのです。どんなに辛い中にいても、決して神から見捨てられる事がないばかりか、慰めを与えてくださるのです。
 私たちの罪のためにお生まれくださった主イエスキリストを信じる事ができる者は幸いです。「別に私は罪を犯していない!」と思われる人もいるでしょうが、人間にとって最大の罪とは、「神の存在は何となく認めているが、信じない事」です。
自分の環境や経験から判断してしまう罪人の私たちです。主イエスキリストはそんな頑なな心を砕き、慰めを与えるために生まれて来られたのです。

 クリスマスを前に、主イエスキリストを信じる事ができる者は幸いです。


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