倉敷ホーリネスチャーチ

聖書のみ言葉、キリスト教のメッセージ、また旅情報など、テケテケが伝えしています(日本ホーリネス教団)。

[キリストはあなたを離さない]キリスト教礼拝メッセージ要約

2009年06月28日 | メッセージ
2009年6月28日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[キリストはあなたを離さない]のメッセージ要約をアップいたします。
聖書:ローマ人への手紙8章31~39節
抜粋:39:高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。

<要約>
ローマ人への手紙の中心とも言われる箇所で、5月24日に続き同じ箇所よりメッセージがなされました。
この世に生きている限り、自分に危険をもたらすものは数多く存在します。そして私たちを罪に定めようとする働きが取り囲んでいます。しかし、その環境下にあっても神様は私たちと共にいて下さっています。

(1)御子をも惜しまないで、渡された神様
私たちの罪のあがないとして、ご自身の御子を十字架にかけられたほど私たちを愛される神様。私たちの味方でないわけがありません。肉の思いでユダにうらぎられた主イエス。渡される=うらぎる者と同じ表現ですが、実際はまったく違うものです。
神がわたされる時は、私たちの味方として。肉が(ユダが)わたす(裏切る)時は、私たちの敵としてです。

(2)訴えられる者、罪に定められる者と共にいます神様
ある目の見えない子供が白い杖をついて歩いていました。それを見た別の母親が子供に「ちゃんと親の言う事を守らないと、それとご飯をそまつにしたら、あんなに目が見えなくなるのよ。」と語っています。目が見えないのは、自分の行いが悪かったか、先祖が悪を働いたか、そんな見方で人を罪に定めています。恐ろしいほどの思想、宗教感だと危惧しています。それにつけ込んで壺を売ったり、書を強引に販売したり。不安をあおり巧みに勧めます。そして恐怖を乗り切るため、金で解決しようと買ってしまう人もいます。

金や壺などでは決して解決出来ないのです。しかし私たちのため大祭司たる主イエスキリストがおられ、どんな罪が襲って来ようが全ての罪を買い取ってくださっています。
神様があなたの味方であるなら、誰があなたの敵になるでしょうか。キリストを信じ共に歩むなら何も心配する事などないのです。
あなたのために十字架にかかられた主。その主があなたの全てを解決してくださっています。そしてもはや罪に定められる事はないのです。神の愛から離れず、神があなたの味方である事を祈ります。


キリスト教情報・テケテケのキリスト教サイトへ
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

[神のみ業の伸展18]キリスト教礼拝メッセージ要約

2009年06月21日 | メッセージ
2009年6月21日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[神のみ業の伸展] ~救いはあなたと家族に~ のメッセージ要約をアップいたします。
聖書:使途行伝16章6~15節
抜粋:31:ふたりが言った、「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」。

<要約>
神のみ業の伸展も今回で18回目となりました。場面は、先週と同じ第二回伝道旅行中です。ピリピの教会はたった一人ルデヤを用い、ひと家族によりスタートしました。その後パウロとシラスは悪霊にとりつかれた女を主イエスキリストの御名により悪霊を追い出します。そのために二人はムチ打たれ、牢へ入れられる事となります。悪霊にとりつかれた女により多くの金を稼いでいた役人が二人を捉え獄に入れたためです。
今日の箇所を2つに分けて見てまいります。

(1)神に祈りとさんびを捧げるパウロとシラス
獄中でパウロとシラスは神に祈りとさんびを歌い続けていました。獄の中がこの二人にとって天の礼拝を捧げる場となっていました。絶対絶命のその時でした。
ところが・・・神が介入されました。突然大地震が起こり牢獄の土台が揺れ動き、つながれた鎖が外れ、門も開いてしまいます。牢の責任者の獄吏は、暗闇の中でこの光景を確認し、もはや全員逃げ去ったと思い込み、自害しようと考えます。そこでパウロは「自害してはいけない。われわれは皆ひとり残らず、ここにいる」と大声で伝えます。パウロとシラスだけがいるのではなく、全員がここにいると伝えるのです。なぜ逃げ去らなかったのか獄吏には信じられなかった事でしょう。

(2)福音を伝えるパウロとシラス
獄吏はこの出来事に神が介入されている事を確信したのかもしれません。パウロとシラスに「先生がた、わたしは救われるために、何をすべきでしょうか」と尋ねます。パウロとシラスは一言「主イエスを信じなさい。」と伝えます。主イエスを信じる。これは教会の土台であり、信仰の土台です。獄吏と家族はパウロとシラスが語る神の言を聞き、全員一人残らずバプテスマを受け、心から喜び主を讃美したのです。

救いのベースは個人ですが、家族全員が救われる事により、そのベースは確固たるものと成長し揺るがないものとなります。「主イエスを信じる」。言葉や頭の中ではそう思っていてもつい「これをして下さい。」などと祈りが出て来ます。もし完全に信じているなら、そして主に丸投げ出来ているなら、その祈りが必要なのでしょうか? 心をすべてご存じですからもはや何の意味もないほど不必要な事だと思います。
主のご計画を信じ、今与えられているところで地の塩世の光として生きる事が出来るなら幸いだと思います。丸投げ人生を送り続ける事ができますよう祈ります。


キリスト教情報・テケテケのキリスト教サイトへ
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

[神のみ業の伸展17]キリスト教礼拝メッセージ要約

2009年06月14日 | メッセージ
2009年6月14日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[神のみ業の伸展] ~ヨーロッパ宣教への道~ のメッセージ要約をアップいたします。
聖書:使途行伝16章6~15節
抜粋:10:パウロがこの幻を見た時、これは彼らに福音を伝えるために、神がわたしたちをお招きになったのだと確信して、わたしたちは、ただちにマケドニヤに渡って行くことにした。

<要約>
神のみ業の伸展も今回で17回目となりました。場面は、第二回伝道旅行中。6節に「彼ら」と記されていますが、それはパウロとシラスそしてテモテです。
5節までにテモテがどんな人物だったか記されています。とても評判の良い人物だったようです。今日の箇所を2つの視点から見てまいります。

(1)聖霊の導きに従うパウロたち
伝道旅行に出発しましたが、聖霊により伝道が禁じられ、それをイエスの御霊がゆるされませんでした。神が伝道をストップされたのです。御霊により伝道旅行に出発した彼らになぜ神はストップをかけられたのでしょう。彼らはビテニヤに向かう道を変え、トロアスに下って行きました。不安の中にいたパウロが幻を見ます。それはマケドニヤの人が「わたしたちを助けて下さい」というものでした。不安になった時、それは神の御計画の始まりでもあるのです。神がパウロたちをお招きになっていると確信した瞬間でもありました。10節の途中からメンバーの表現が「彼ら」から「わたしたち」に変わっています。ここで使徒行伝の筆者ルカが合流しマケドニヤへと向かいます。普段なら何日もかかるトロアスからサモトラケ、ネオポリスそしてピリピへ向かいますが、何と2日で到着してしまいます。神の追い風が吹いていたのです。

(2)ピリピ教会の設立
御霊により伝道をストップされていましたが、今度は一転、神は追い風を与えられました。動き続けやり続ける事は案外簡単ですが、「待て」とストップさせられた時、何も自ら行動せず、神の御心に従う事が大切です。本当に自分を試される瞬間と感じます。
ピリピへ到着しましたが、教会がありません。男性の信徒が10名もいなかったからです。パウロたちは祈り場でルデヤというユダヤ教から改宗した婦人に出会います。主はルデヤの心を開き、彼女ばかりか家族全員がバプテスマ(洗礼)を受けるように計画されました。まるで磁石に鉄が引き寄せられるようでした。こうしてピリピ教会が設立され、最初のクリスチャン、ルデヤが誕生しました。

今日礼拝中のワーシップで「あなたが言うなら」を賛美しました。その歌詞に、「行け」と「待て」が出てきます。自分の勝手で物事を判断せず、神のご計画に柔軟な心で謙遜に待つ。そして神に丸投げし頑張らない。そんな従順で神に素直なクリスチャンである事ができるなら幸いです。今週も主にあって素晴らしい一週間をお過ごしください。


キリスト教情報・テケテケのキリスト教サイトへ
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

[天から遣わされたイエス]キリスト教礼拝メッセージ要約

2009年06月07日 | メッセージ
2009年6月7日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[天から遣わされたイエス]のメッセージ要約をアップいたします。
聖書:ルカによる福音書16章19~31節
抜粋:31:アブラハムは言った、『もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう』。

<要約>
本日は召天者記念礼拝でした。倉敷に教会が与えられまだ歴史が浅く天に召された方は2名です。クリスチャンではないご家族の方も多く礼拝に出席されました。

聖書に、現世を生きる対照的な二人が登場します。一人は大金持ちで高級な衣装を着、毎日贅沢に遊び暮らす人。もう一人はラザロという貧しく病気の人。(ラザロとは「神が助けられる」と言う意味)
大金持ちの人は手入れが良く出来た大邸宅に住んでいました。そして食事では今のナプキンの代わりとしてパンで手を拭き、それをラザロに与えていました。大邸宅に入る資格もないラザロを家に入れ、食物を与えていた大金持ちの人でした。しかし聖書は何を与えたかではなく、何を受けたかが記されています。
大金持ちの人は、巨万の富、大邸宅、誉れなど。
ラザロは、貧しさ、病気、不安、飢えなど。

時が流れ、この二人は死んでしまいました。金持ちの人は葬られ、ラザロは御使いに連れて行かれます。死を境に二人の立場は逆転します。
そして死を境に神がラザロを助けられました。神を必要とする生き方を大金持ちの人はしなかったのです。自分の力、環境で何事も出来、神を必要としなかったのです。
一方ラザロは、自分の力ではどうする事も出来ず、神にすがるしかありませんでした。

死後、苦しみの中にいる大金持ちの人が、今を生きる家族が同じようにならないよう、ラザロを遣わして欲しいと頼みますが、聞き入れられません。ラザロを遣わされる事はありませんでしたが、私たちが同じような事とならないよう、主イエスキリストを遣わされました。信じる私たちのそばには、ラザロいえ、救い主イエスキリストがおられます。

大金持ちではないにしても、自分の力で生きようとしている人、神など必要ないなどと勘違いしている人がもしいるなら、この大金持ちの人が陥ってしまった過ちの道を進む事がないよう、心を開き、今人生を180度変える事が出来ますように。


キリスト教情報・テケテケのキリスト教サイトへ
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする