倉敷ホーリネスチャーチ

聖書のみ言葉、キリスト教のメッセージ、また旅情報など、テケテケが伝えしています(日本ホーリネス教団)。

[私たちの国籍は天にある]キリスト教礼拝メッセージ要約

2010年05月30日 | メッセージ
2010年5月30日、倉敷ホーリネスチャーチの礼拝メッセージ『私たちの国籍は天にある』のメッセージ要約をアップいたします。
聖書:ピリピ人への手紙3章17~21節
抜粋:20:しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。

<要約>
主の御名を賛美します。

2010年5月18日~19日、大阪で西日本婦人大会が開催されました。工藤師が『人生の秋に生きる』というタイトルでメッセージをとりつがれ、多いに恵まれた集会となりました。向きを変えて出発せよ。今までは獲得型で私物化の人生だったものを燃焼型へ転換せよというものでした。ロウソクが自らを灯してまわりに光を放つように、これからは世に返上する生き方へ変えよう。という内容でした。
がむしゃらに働き、俺が俺がと突っ走った人生。一呼吸おいてまわりに自分のタラントを返上する生き方が出来ますように。年を重ねると不安が大きくなりがちですが、その中で返上する事、今をすべて主に委ねる事ができるなら幸いです。

この箇所より以下2つのポイントで見てまいります。

(1)3:17わたしにならう者になってほしい
わたしとはパウロの事ですが、20節には『わたしたち』と記しています。これはパウロの他、テモテ、エパフロデト、ルカ、シラスの事です。パウロはキリストに習う者は一人ではなく、共に歩んでいる者を手本として習って欲しいと伝えています。クリスチャンなのに、敵対している者が多くいました。自分勝手な思いがキリストを支配し、自己中心となっているのです。まさに主の十字架に敵対しています。パウロはこの手紙を獄中で記していますが、その中にありながら全てに感謝しています。主の十字架を負うとは、神の御心を負う事、神の御心を生きる事なのです。

(2)3:20私たちの国籍は天にある
ピリピの人たちにとって、ローマの市民権を取る事は大変名誉な事でした。取得するには、21年間も兵に服さなくてはなりません。現在、国籍を証明する事ができる物といえは、パスポートです。これを持つ者は日本国民で、これを助けるようにと記されています。日本にいる私たちは当然、日本国の国籍を持っていますが、クリスチャンの私たちはもっと偉大な国籍、すなわち天に持っています。紙でできた証明書など必要なく、ただ神の御心に生きる者の心を知られる神が無条件に天の国民としてくださるのです。

死にまで勝利された方、その方こそ主なるキリストです。もはや主を信じる者は死をも超越し、本来の国に住まいが用意されているのです。これ以上の幸いが他にあるでしょうか?
信じる私たちの不安は、すべて取り去られています。わたしたちの国籍は天にある。
信じ、主の弟子として今週も歩む事ができれば幸いです。


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[枯れた骨も生きる]キリスト教礼拝メッセージ要約(ペンテコステ)

2010年05月23日 | メッセージ
2010年5月23日、倉敷ホーリネスチャーチのペンテコステ礼拝メッセージ『枯れた骨も生きる』のメッセージ要約をアップいたします。
聖書:エゼキエル書37章1~10節
抜粋:5:主なる神はこれらの骨にこう言われる、見よ、わたしはあなたがたのうちに息を入れて、あなたがたを生かす。

<要約>
主の御名を賛美します。

ペンテコステおめでとうございます。今日は私の所属する日本ホーリネス教団の創立記念日でもあります。
教会の誕生ですが、私たちも体をいただき、新たに生まれ変わった日。それが今日、ペンテコステです。
ここで多くの骨が出てきますが、それはイスラエル全家の骨で、戦場で滅び積まれたものでした。そしてその骨は枯れていました。(37:1)
かつて栄えた人々ですが、今は枯れ果てています。イスラエル民族に向け書かれたものですが、今を生きる私たち、あなたに向けて記されています。そしてその枯れた骨は、あなた自身なのです。まず、しっかりと受けとめる事が大切です。

神様の御手により造られた私たちですが、神様の目から見た私たちはどう写っているのでしょうか。神様はエゼキエルに「これらの骨は、生き返ることができるのか?」と問われました。そして「主の言葉を聞け」と伝えます。
骨に向かって主の言葉を聞けと言われても、骨が聞くことが出来るのでしょうか?
しかし神様は人知で及びもしない事をなされます。息をかけると再び生きたのです。

私たちは主なる神様の言葉を聞くために教会へ集っています。息(聖霊)が私たちを生かしてくださっているのです。息を受けて生き返る。そこで主なる神様を悟る事ができるのです。
何となく義務感で毎週教会へ集う事は辛い事となります。しかし本当の神様を知る(ヤーダー)からこそ、毎週集っているのではないでしょうか。
神様が私の主である事を知り信じる事が出来れば幸いと思います。私たちはまさに羊。羊は牧者がいないと生きて行けません。しかし安心してください。主なる神様は、私たちの上におられ、共におられ、内におられます。リードしてくださり、フォローしてくださっているのです。

私たちは自力で生きているのではなく、生かされています。神様が私の主である事を悟り、共に生きる事ができますように。
今週も主とともに、素晴らしい日をお過ごしください。


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[この一事を努める]キリスト教礼拝メッセージ要約

2010年05月16日 | メッセージ
2010年5月16日、倉敷ホーリネスチャーチの礼拝メッセージ『この一事を努める』のメッセージ要約をアップいたします。
聖書:ピリピ人への手紙3章12~16節
抜粋:13:兄弟たちよ。わたしはすでに捕えたとは思っていない。ただこの一事を努めている。

<要約>
主の御名を賛美します。

ピリピ人への手紙の講解説教も8回目を迎えました。いよいよ次週は教会の誕生日、ペンテコステを迎えます。教会が今何を神様から委ねられているのか、目標は何なのか今一度祈り考えてみてはと思います。
この箇所を以下の2点から見てまいります。

(1)ゴールを目指して
目標に向け走り続けるパウロですが、私たちは前に進もうと思っても過去を思い出し後悔する事が多いのではないでしょうか。ゴールに向かう障害となっています。過去に執着し続けると前に進めなくなってしまうのです。過去をリセットし、神様の前にそのままを出し解放される事が大切です。思い煩う事は心がバラバラになる事です。キリスト・イエスにあって過去のしがらみから解放され、神様がゴールにご用意してくださっている勝利を得るため、前に前に進んでまいりましょう。

(2)全き人として
全き人(まったきひと)とは、一人前の人の事です。マタイによる福音書の山上の説教に、天の父が完全であったように、あなたがたも完全でありなさい。と主は語られました。「とんでもない、そんなこと出来ない!」と思われる方もおられるでしょうね。自力で頑張り会得しようとすると絶対に不可能ですが、人生の主導権をキリスト・イエスに渡す事により全き人として創り変えられるのです。今からも罪を犯し続ける私たちですが、キリストの十字架により、罪に定められる事はありません。いつも主の前に出て行く事が大切なのです。

ゴールに向かう事に障害となる事、思いを取り去り今のままを神様の前に出し、応答する事ができますように。罪を犯し続ける私たちですが、キリスト・イエスにあって全き人に変えられますように。一人ひとりに聖化があり、与えられている一事を努める事ができますように。
今週も主にあり、素晴らしい日をお過ごしください。


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[キリストを信じる幸い]キリスト教礼拝メッセージ要約

2010年05月09日 | メッセージ
2010年5月9日、倉敷ホーリネスチャーチの礼拝メッセージ『キリストを信じる幸い』のメッセージ要約をアップいたします。
聖書:ピリピ人への手紙3章1~11節
抜粋:8:わたしは、更に進んで、わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに、いっさいのものを損と思っている。キリストのゆえに、わたしはすべてを失ったが、それらのものを、ふん土のように思っている。

<要約>
主の御名を賛美します。

一日一生と言う言葉がありますが、囚われのパウロにとってまさにその境遇でした。しかしパウロは自分の力で生きる考えから神により生かされ、主の召しのために生きる事に変えられました。この箇所はそのパウロから締めくくりとしてピリピの人々に向け記されています。

3:1「最後に」。これで手紙を終わりにする予定でしたが、それから次の4章にまで続いています。伝えたい事が湧き出てきたのでしょう。手紙のキーワードは『主にあって喜びなさい』。
喜ぶべき出来事が来ても来なくても、主にあって喜んで欲しいと記しています。全てを喜ぶとともに、気をつけなくてはならない事があります。それはキリスト・イエスを誇りとし、肉(人)を頼みとしない生き方をするようにと記します。心を柔らかく広げる事が大切です。記しているパウロ自身もかつては心が頑なでしたが、主により変えられました。

(1)キリストを知る前のパウロ
3:5~肉を頼みとし、イスラエル民族のエリートだったパウロ(サウロ)。ヘブル人中のヘブル人で厳格なパリサイ人でした。自分に自信を持ち、キリスト者を迫害し続ける事が義と信じるパウロ(サウロ)でした。

(2)キリストを信じた後のパウロ
3:7~『しかし』のキーワードでパウロの人生が変わります。キリスト者を迫害するパウロ(サウロ)に主が臨まれ、「サウロよサウロ、なぜ私を迫害するのか?」と語られました。サウロは「あなたはどなたですか?」と問います。すると「私はあなたが迫害しているイエスである」と答えられました。その後は、あまりにも有名な箇所で、サウロの目からうろこのようなものが落ち、考え方、人生が180度変えられたのです。
そして価値の大転換が起こります。今までの自分、エリート中のエリートなど、ふん土のように思うようになりました。主イエス・キリストを知った今、他は色あせて見えたのです。

主は今も私たちに、一対一で接してくださっています。キリストを信じる信仰の義をぜひ受けとめてください。自分の努力でその義を得る事は出来ませんので、ただただ一方的な恵みを受けてください。恵みを受けたなら、「はい」と素直に従う事ができれば幸いです。
キリストを信じる信仰が与えられ、明日の事など思い煩わず一日一日を主にあってまじめに生きる事が出来ますように。


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[福音に仕える者]キリスト教礼拝メッセージ要約

2010年05月02日 | メッセージ
2010年5月2日、倉敷ホーリネスチャーチの礼拝メッセージ『福音に仕える者』のメッセージ要約をアップいたします。
聖書:ピリピ人への手紙2章19~30節
抜粋:22:しかし、テモテの錬達ぶりは、あなたがたの知っているとおりである。すなわち、子が父に対するようにして、わたしと一緒に福音に仕えてきたのである。

<要約>
主の御名を賛美します。

ピリピ人への手紙の講解説教6回目となりました。
この箇所から、神は福音に仕える者をあらかじめご用意されている事がわかります。

(1)練達の人テモテ
練達とは、筋金入りで、物事にビクともしない意味があるようです。テモテはまさにそのような人物でした。
2:20~テモテは第二伝道旅行からパウロとともにし、ピリピの教会を親身に思っている人でした。テモテの登場は使徒行伝16:1に記されていますが、第一次伝道旅行で出会いました。弟子達の中でも評判の良い人でした。出会った頃のテモテは若干20才で、祖母ロイスも母ユニケもクリスチャンでした。
テモテは特別な弟子で、パウロの代理人としても問題ない人で、パウロが記した13書簡中6書簡をともに書いています。そしてエペソ教会の初代の監督に就任しています。パウロは主イエスにあって、心からテモテを信頼していたのです。

(2)奉仕の人エパフロデト
2:30~同労者であり戦友、そして大事な人であり奉仕の人。それがエパフロデトでした。ピリピ教会の代表者として何度も何度も牢獄のパウロに捧げ物を届けています。ピリピ教会の祈り、思いがよく伺えます。しかしある時、エパフロデトは重病になってしまいます。しかしエパフロデトは奉仕(サービス、礼拝)を捧げ、自分の命を顧みず仕え続けたのでした。

練達の人テモテ、奉仕の人エパフロデトがキリストに仕えたように、今もキリストのご計画により仕える者がご用意されています。それは、あなたかも知れません。
今週も主にあり、素晴らしい日をおすごしください。


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