倉敷ホーリネスチャーチ

聖書のみ言葉、キリスト教のメッセージ、また旅情報など、テケテケが伝えしています(日本ホーリネス教団)。

【聖書】エレミヤ書31章27~34節 【説教】「新しい契約の約束」 2020/2/23 説教:小林光生師 要約:大元鉄也兄

2020年02月23日 | メッセージ
【聖書】エレミヤ書31章27~34節
【説教】「新しい契約の約束」

33: しかし、それらの日の後にわたしがイスラエルの家に立てる契約はこれである。すなわちわたしは、わたしの律法を彼らのうちに置き、その心にしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となると主は言われる。

主の御名を讃美します。

 新型コロナウィルスが猛威を振るう中の主日を迎えました。病床の方々が一日も早く主により癒される事を望み祈ります。
さて場面はイスラエル王国が滅びた時、エレミヤに臨んだ主の言葉です。二つの視点で見てまいります。

(1)遠くから現れる主
バビロンに捕囚の民たちは、主は遠くにおられるとそう思っていました。しかし実際は民の近くにおられ、後に民を開放され恵みをもって臨まれました。

(2)新しい契約
聖書は民を妻と表現しています。その妻が夫である神を背信してしまいました。愛する夫に対し、何かをしてあげたいとの思いを忘れていました。しかし主は言われます。「私は彼らの神となり、彼らは私の民となる」

神は私たちの心の中に記されます。「あなたは私の民だ」と。神は私の不義を赦し、罪さえも思われないと言われます。そして今、キリストを信じる者たちを主なる神は愛し、新しい契約をかわしてくださるのです。

今週も主にあり、素晴らしい日をお過ごしください。

テケテケ
※要約はメッセンジャーが語った事を筆者が感じ受け取った事を記しています。
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【聖書】詩篇126篇1~6節 【説教】「涙と共に種をまく人は」 2020/2/16 説教:小林和子師 要約:大元鉄也

2020年02月16日 | メッセージ
【聖書】詩篇126篇1~6節
【説教】「涙と共に種をまく人は」

5: 涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。

主の御名を讃美します。

 今週も引き続き都もうでの歌からです。バビロンからシオンへ礼拝に向かうために歌われた讃美です。
ここから3つの視点で見てまいります。

(1)シオン回復のニュース(Good news)
バビロンに捕囚になっていた人々は3回に分けて解放されました。主がシオンの囚われ人を連れて帰られました。主がシオンを回復して下さったのでした。そして回復したシオンに帰った人々は運命を変えられました。

(2)主は大いなる事をなされた
主はケネブの川のように回復してくださる。ケネブの川は日本の川のようにいつも水が流れているのではなく、普段は枯れた川です。しかし一旦雨が降り続くと川は溢れまわりは海のように変貌しました。しかし雨が止みしばらくすると川の周りは緑で覆われました。主の御業により草木は生き生きとされるのです。

(3)涙と共に種をまく人は
画家ミレーの作品に種まく人が描かれています。代表作品しか目に浮かびませんが6つも存在しているそうです。種のまき方はさまざまありますが、誰かが種をまかなければ実がなる事はありません。
バビロンに捕囚から帰った人々は荒らされた地を見て愕然とした事でしょう。しかし主により回復した人々は畑を耕し、新たな種をまき刈り取りを迎えたのです。

 私たちクリスチャンは、一人でも多く主を知って頂きたい思いで色んな種をまいてきました。ある人は辛抱強くトラクトを配り、ある人は今の伝道のメールを使ったりホームページを更新したり、SNSで情報をアップしたりしています。しかしすぐに結果が出る事はまずないでしょう。しかし辛抱強く主の福音を宣べ伝える時、主の時にその種は実となり受け入れられる事でしょう。私たち一人ひとりが主の御言葉をトラクトのように種まく者とならせてくださいますように。

今週も主にあり、素晴らしい日をお過ごしください。

テケテケ
※要約はメッセンジャーが語った事を筆者が感じ受け取った事を記しています。
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【聖書】詩篇121篇1~8節 【説教】「どんな時も守ってくださる神」 2020/2/9 説教:小林和子師 要約:大元鉄也兄

2020年02月09日 | メッセージ
【聖書】詩篇121篇1~8節
【説教】「どんな時も守ってくださる神」
説教:小林和子師 要約:大元鉄也兄

8:主は今からとこしえに至るまで、あなたの出ると入るとを守られるであろう。

主の御名を讃美します。

 本日の聖書箇所は詩篇の都もうでの歌です。一年に一度一家で都エルサレムに祈りを捧げに何日もかけて歩いて行くのです。その時に質問と回答を歌としてうたい歩いていたようです。

(1)山に向かって目をあげる。
これは信仰の目をあげる事も意味しているようです。子供の足の速さで歩き以下のような歌がうたわれました。
Q)わが助けは、どこから来るであろうか?
A)わが助けは、天と地を造られた主から来る。
このように質問と回答を繰り返し進んで行ったようです。

(2)助けられる方とは?
その方は私の足を守られる。気を付けて見てくださり、弱さから守ってくださる方。その方はまどろも(うとうとする)事のないお方で、太陽神、月神などの偶像から守られる神なのです。

(3)どんな時も守ってくださる神
8節にあるように、あなたの出ると入るを守られる神です。この世の出発と帰りを守られるだけではなく、罪からの脱出(出エジプト)、天国の道も導いてくださるのです。天国に入るのにお金も知識も必要ありません。が、ただ一つ、救い主主イエスキリストを信じ証した人のみが入る事ができるのです。

今週も主にあり、素晴らしい日をお過ごしください。

テケテケ
※要約はメッセンジャーが語った事を筆者が感じ受け取った事を記しています。
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【聖書】ルカによる福音書10章25~37節 【説教】「だれが隣人となったか」 20202/2 説教:小林光生師 要約:大元鉄也兄

2020年02月02日 | メッセージ
【聖書】ルカによる福音書10章25~37節
【説教】「だれが隣人となったか」

36:「この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか」。

主の御名を讃美します。

 ルカによる福音書で有名な箇所です。ある人がエルサレムからエリコに向かう途中、強盗に襲われ半殺しにされた場面です。今にも死にそうな人をまず祭司が見ました。助けるのかと思っていましたが、その人を避け向こう側を通り過ぎました。次にレビ人が通りました。レビ人は聖書を教える見た目神に近い人でしたが、見て見ぬふりをして通り過ぎました。次にサマリヤの人が通り、気の毒に思い、自分の家畜に乗せ、近くの宿屋に連れていき、2デナリ(二日分の日当)を渡し手当をお願いしました。そして帰りに寄るので足らなかったらその時払いますと。
 さて、だれが隣人となりましたか?
皆さん、3番目のサマリヤ人です。そう答えると思います。それは正解ですが、もっと深くこの場面を見てみますと、何点か腑に落ちないところがあります。
(1)なぜ自分の家畜に乗せて家に連れて帰らなかったのか?
(2)なぜ宿屋に置いて商売に出かけたのか?
本当の良き隣人なら、(1)も(2)もしたのではないか?
体が何体もあればできた事でしょうが、へたに素人が手当てをして傷を悪化させるより委ねたのが良い場合があります。また一緒に連れて行ったら思うような商売が出来なかった事でしょう。このサマリヤ人はここで出来る最善の行動をしたのです。

 たとえで出てきた良き隣人とは主イエスキリストの事とわかっていると思います。主の目には半殺しにされた人がどう映ったのでしょうか? 気の毒に思いとありますが、こんな軽い思いではなく、内臓が痛むほどのコンパッション(強い同情)を受けたのです。

 昨年来日された266代ローマ法王フランシスコは、教会のあるべき姿を語られました。それは和解と赦しの教会であってほしい。そして野戦病院となって欲しいと。

 神は必要な時に、必要な勇気と力をお与えになられます。自分では対処できない事でも、それを解決してくれる人を介してなされるのです。もし今あなたの隣人が弱り果ててしまっていたら、主のお言葉のように、良きサマリヤ人、隣人とあなたがなる事ができますよう祈ります。

今週も主にあり、素晴らしい日をお過ごしください。

テケテケ
※要約はメッセンジャーが語った事を筆者が感じ受け取った事を記しています。
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