「たぬきせんべい」の山ある記

ニフティの「山のフォーラム」が消滅したのでブログを始めてみました

【奥日光】ドビン沢遭難記

2003-08-16 23:49:48 | 
(注)このブログのスタートは2005年4月8日ですが、それ以前に@nifty「山のフォーラム」に投稿したレポを日付を遡って転載しました。

ドビン沢はネットの遡行記録ではあまり面白味のある沢ではなさそうでしたが、WEB化前のフォーラムでスキー滑降の記録を見て、温泉ヶ岳への変わった登路にもなるので入ってみたくなりました。ところが、気の緩みから左足の踵を骨折してしまい、関係者にご迷惑をかけてしまいました。

【日 程】2003年8月16日(土)日帰り
【山 域】奥日光
【沢 名】ドビン沢
【メンバ】単独
【天 候】曇りのち雨
【参 考】25,000図「男体山」
【コース】湯元(9:00)→小峠(9:40)→二俣(10:40)→(事故)→小峠(14:30)

湯元でバスを降り、温泉神社を経由して金精道路を渡り、刈込湖へのハイキングコースを行き、小峠の少し先の適当なところで左へ薮を分けて下った。ドビン沢は広々とした平坦地の中に穏やかに流れている。雨の後なので、たぶん普段より水量は多めなのだろう。樹林が比較的まばらな草地となっている。

両岸が狭まってきて水流に沿うようになったところで、赤テープを一つだけ見る。平凡な流れを進むと二俣になる。右を選んで少し行くとすぐにまた二俣。水量の多い左へ。まもなく両岸狭まった中に3mほどの小滝が現れる。水は滝の幅いっぱいに流れている。右岸は柱状節理のようになっていて簡単に巻ける。

そのすぐ先に右から水流が落ちている滝がある。下のほうはナメ状で段もあってすっきりしないが合計すれば20m近くありそう。一段登って右から落ちている上段に取り付く。しっかり見えたホールドの岩を右手で掴んで力を込めたとたん、大きく剥がれて落ちかかる。全く想像してなかったので虚をつかれた。その瞬間、支えは両手と右足だったが、右手のホールドが剥がれたうえに大岩が右足の上に落ちかかる。避けるために飛び降りざるを得なかった。

落ちた瞬間は左足に衝撃としびれる様な感じを受け、「やってしまった」と思う。それでも祈るような気持ちで、左足に体重をかけてみると激痛があり、観念する。しかし、動かさなければ痛みはない。骨折だったらもっと痛むのではないだろうか?

幸いここに来るまでまで困難なところは無かったので戻ることはできそう。左足の膝から下は使わないようにして下り始める。時間はかかったが先ほど巻いた滝も何とか通過できた。沢の中なので携帯電話は通じないが早い時間なので明るいうちにハイキングコースまでは戻れるだろう。あるいは金精道路まで戻れるかもしれない。

下りの斜度がきついところはいろいろ工夫して下るが、斜度が緩くなっても、片足が使えないといかに不自由なものかを思い知らされる。両手と右足を使い左足は引きずるようにして進むが膝を支えに使わないと進めない。沢を渡るところでは左膝を水中の石について濡れを最小限にする。

もどかしい速度だが、時間はある、着実に進めば明るいうちに戻れると自分を励ます。やがて空模様が怪しくなり小雨になる。しかし動いていて寒くも無いので雨具も着けない。膝はだんだん擦れて痛くなり、タオルを裂いて両膝に巻いてカバーする。

薮を潜り這い上がってハイキングコースに出てほっとする。しかしハイキングコースもやはり這っていくしかなく、逆に砂利道で膝が痛くて却ってつらい。小峠を過ぎたあたりで休んでいる時、ハイカーに追い越される。すでに携帯が通じるのは確認しているので、助けを求める事もしなかった。

しかし、小峠から金精道路まで半分くらい進んだところで、4人のハイカーの方に這っているのを見られ、声をかけられる。このあたりでは金精道路まで出て、救急車を呼ぼうと思っていたが、心配してくださるのでここで119番に電話した。日光消防署の救急車は一時間ぐらいかかるとのことだった。4人の方にはお礼を言って、先に行って貰う。

救急車が来るまでに少しでも進もうかと思ったが、電話してしまうと、もう気力も失せて、濡れた衣類を時間をかけてすっかり着替え、雨具をつけて一息ついたころ、救助の方の呼ぶ声が聞こえた。

担架は山用の折り畳みのできる柔らかいもので、両側に人がついて左右の帯紐を肩にかけて進む。ハイキングコースであっても幅が狭いため、救助の方はかなり苦労しているのがわかる。こちらも初めは良かったが両側から紐で絞られるようになり、締め付けられて両腕がしびれてくるほどだった。

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ホールドを確認しなかったのは、気の緩みとしか言えません。特に単独行ですから慎重にも慎重にならなければいけなかったのに。怪我をした場所は滝場が始まったばかりで幸運だったといえます。骨折のほうは状態が良く、ギブスで固定するだけで痛みもほとんどありませんでした。しかし、松葉杖を使うことになり、仕事のほうで迷惑をかけることになってしまい、これが辛い。痛恨の山行となりました。