硝子戸の外へ。

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施設内での高齢者虐待問題を考える。

2017-03-22 20:38:40 | 日記
介護施設の職員による高齢者への虐待が過去最多という記事を読んで個人的な意見を一石。

そもそも高齢者介護という仕事は、身内が引き受けていた仕事でした。それを社会保障という形にして社会が引き受ける事で、新たな雇用を生み出し、女性の社会進出を促すことになりましたが、もともとが家事であったので、基本、医療行為を除く直接身体に関わる事や、生活に関わる事に関しての特殊な技能や知識は必要ありませんでした。しかし、それでは職業として成り立ちにくいので、国家資格として、介護福祉士を導入する事になりましたが、公的な効力を有していない空虚な資格でしかありませんでした。

虐待を無くすことは、個人の考え方による所が大きく、内戦やテロやいじめをなくす事と同じ構造を持っているので、学術以前の問題であり、無くすためには、他者を無条件に受容しなければなりませんが、それには精神的成長が必要であり、それは個人の気持ちに根差しているものなので、嫉妬や執着、虚栄心の強い人が多ければ多いほど、虐待を無くすことは出来ません。
それがどれほど困難であるか。現在、地球上で起こっている内戦やテロ、社会的格差の問題を見れば大変困難な問題であることが分かります。

社会制度の中なのだから、法的に抑制すればなくなるのではないかと思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、それならば、介護という仕事に従事する者すべてが公的に設けられた知識や技能に留意し、自身の血肉にして行けることをを前提にしなければなりません。また、雇用側もしっかりした対価を得るためのハードルを設けて、他者を愛する事の出来る人達ばかりを雇用できればよいけれども、それでは、雇用を減少させることになり、皮肉なことに、政府が掲げた介護離職0とう目標に対して逆行させる事になります。

虐待問題を減少させるには、政府は資本の大きな所ばかりに対価が流れないような法改正をし、事業主は、利益の公平分配を心掛け、高齢者から何かを学びたい、社会的弱者に手を差し伸べる事を苦としない人、弱者が連帯し共存してゆく為に力を合わせられる人のみを意図的に雇用できる構造にしないと効果的な歯止めはかけられないと思うのです。