広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

神田土崎線の記録2

2019-11-13 00:19:24 | 秋田市営バス
廃止された神田土崎線の道をたどる前回の続き
外旭川から将軍野へ、狭い一方通行路を抜けて来た下り便は、自衛隊通りを越えて、土崎へ入る。
引き続き、新国道の2本北隣(奥羽本線寄り)の狭い一方通行を進む。「ゾーン30」規制区間になり、路面にカラー標示などが施されている。
奥に秋田港のポートタワーセリオンが見える
将軍野南三丁目から300メートルで「港東一丁目」。
ここにも酒屋

これまでと同じく、沿道には古くからありそうな家が並ぶが、左に秋田市土崎南児童センター(の側面)があって、その先に、
笹薮? 林? の中にバス停
ここから土崎港東から土崎港中央に変わる。右側の団地風のものは住友ベークライト秋田寮。
唐突にうっそうと茂る林が出てきて、秋田城跡歴史資料館前(関連記事)にちょっと似た雰囲気。あちらは高清水の自然の丘だけど、こちらは見性寺というお寺の土地。平地だし、林の厚さはさほどでもないようだけど、お寺の建物が道路からほぼ一切見えず、ぐるりと木々に覆われているようだ。
反対側から。林が途切れた先の建物が児童センター
港東一丁目から320メートルのこのバス停の名は、
「土崎南小学校前」
小学校“前”というけれど、小学校は?

児童センターがある場所が、秋田市立土崎南小学校の敷地の隅。
児童センターと民家で隠れていてよく見えないが、その向こうがグラウンドで、さらに向こうが校舎。校舎は1本新国道寄りの道路、つまりかつての路面電車の通り(ここは併用軌道だったらしい)に面している。(関連記事
位置的には「土崎南小学校“裏”」では? いや、そうとも言えない。
現在の土崎南小の校舎は1985年にできた。古い地形図を見ると、それ以前の校舎はバス通り・今のグラウンド側に建っていたのが確認できる。
そして、土崎南小学校は1961年開校。それ以前は、この場所に市立土崎中学校があって、その校舎を転用。土崎中は土崎駅の裏の現在地に、秋田市立学校初の鉄筋コンクリート造校舎として移転。
さらに以前には、1901年にできた秋田県初の火力発電所があった(いつまで稼働していたのかは不明)。
ということは、1954年運行開始の神田線では、当初は「土崎中学校前」というバス停だったのかもしれないし、旧校舎の位置を踏まえれば土崎南小学校“前”で当然だったことになる。

バス路線に戻る。
見性寺のお隣もお寺で、そこに次のバス停。南小前から140メートル。
電話ボックスとともに
以前、表示板のナールの文字デザインを取り上げた「嶺梅院前」。お寺の名が「嶺梅院」。
進行方向逆側から。山門に向かって左がバス停
上の写真では奥からバスが来て、横断歩道手前にバス停。
山門前が丁字路交差点で、北(写真左)から同じくらいの幅の道がぶつかる。一方通行はここで終わり、他の2方向は対面通行。
北方向へ曲がると、ナイス土崎店裏、土崎幼稚園角を経て、秋田北税務署前・オーバーパス下の交差点。土崎駅へ行くのなら、ここを曲がったほうが近いけれど、神田線は直進する。(現行の土崎駅~厚生医療センターの路線は、幼稚園~オーバーパスの部分は、この狭い道を通っている。)

1988年のポケット時刻表では、このバス停は「嶺梅院前」ではなかった。
「組合病院入口」という名称だった。
(個人的には当時はほとんど来なかったので知らないが)ナイス土崎店の場所には、秋田組合総合病院があった。2000年に現在の飯島へ移転し、2014年に秋田厚生医療センターに改称。
ということは、「嶺梅院前」に変わったのは2000年だろうか。
市営バスでナールの表示板を作っていたのは、1999年の泉地区の住居表示実施の頃だから、同時期ととらえることができ、つじつまが合う。その数年後にはパソコンシールに変わる。

組合病院の玄関がどこだったのか知らないけれど、バス停から組合病院までは、おそらく200メートルほど。次の次の土崎小学校前のほうが近そうな気もしたけれど、わずかにこちらのほうが近く、「組合病院入口」でも間違いではなかったのだろう。
対面通行になっても相変わらず狭い道

嶺梅院前から240メートルで、小さな十字路に出る。
バスは直進できなそうなさらに狭い道で、左右の道はちょっと広い。ここを右折して北進。
ここで、久々(下りでは1.3キロ)に上下が合流。曲がるとすぐに、
「港中央四丁目」。路面の赤い線が下り経路、奥の↓が上りバス停
狭い道のわりには、両側の路側帯に点字ブロックがある。組合病院のほかいくつかの医療機関があったからか。
土崎南小学区では「ゾーン30」だったが、ここは土崎小学区に入ったようで「思いやりゾーン30」。
港中央四丁目は上り側にもあるが、50メートルくらい離れた、合流/分岐する交差点を越えた先。
上り側。下りはカーブミラーの所から出てきて↓がバス停
表示板は下りは引き続きナール、上りは久々に移管直後の「JTCウインR」。

250メートルほど進むと、商店街、ナイス・幼稚園、税務署・オーバーパスの各方面の道と交わる、五叉路(交差点名なし)。
下りは右から左へ抜ける
五差路を直進。ナイス・幼稚園の道(上の写真で奥右のポストの所)を通る、土崎駅-秋田厚生医療センターの路線も通る道なので、ここからは現在もバスが通る。

すぐに左が市立土崎小学校。港中央四丁目から290メートルで、
「土崎小学校前」上り
上下が向かい合うが、下りがJTCウインR、上りがナール。
土崎小は、道路沿いに南(五叉路側)からグラウンド→校舎・門と面しているが、バス停があるのは、グラウンドの校舎寄り。「前」といえば前だけど、ちょっと微妙な位置。
神田土崎線は、土崎小、土崎南小、外旭川小(神田)、保戸野小(すわ町)と4つの市立小学校と秋田大学附属学校のそばを通っていた。

土崎小の前を過ぎて、土崎小学校前から220メートルで、
「港中央六丁目」下り。時刻表は神田土崎線、厚生医療センター始発とも、土崎駅行きだから1つの欄にまとまっている。次が終点のここから乗る人はいないでしょうけど
向かい合う上下ともナール。
200メートル直進すれば県道161号に突き当り、右折して50メートルで土崎駅前のロータリーに到着。


新国道を通るため省略してしまった上りを簡単に。
港中央四丁目から間に信号を1つはさんで220メートルで、新国道に出る交差点。
新国道を1.2キロ東進して、護国神社裏参道バス停の「高清水公園」交差点で左折、190メートル北進して右折して、合流。
高清水公園交差点。奥から来て右方向へ曲がっていた。向かいの角にあった野菜の苗をいっぱい並べていた店? が更地になった

以上、廃止時点での神田土崎線の経路の記録。
市営バス末期を中心とした、昔の神田土崎線についてはいずれまた。※ここまでの記事の補足をまとめた続きはこちら

※考えてみれば、これまでの「将軍野○n丁目」「港○n丁目」の各バス停は、昭和40年代の住居表示でできた町名だから、神田線運行開始当初は違うバス停名だったのだろう。あるいはバス停そのものがなかったものもあるかもしれない。

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6 コメント

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Unknown (FMEN)
2019-11-14 22:58:10
林を抜けると新国道、中央高校というのもあちら側ににてる気がします。
酒屋以外にも古い牛乳屋やとんかつ屋や旅館があり、旧土崎の商店街の一種だったのかも。
返信する
笹に囲まれたバス停 (taic02)
2019-11-14 23:46:45
高清水の方は坂道ですが、ちょっと似てますね。
五叉路から西側の本当の商店街も、今は寂れてしまいました。港と鉄道工場は今もあるものの、昔はもっと人が多く、にぎやかだったのでしょう。
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Unknown (ぬーぼー)
2020-02-21 09:08:15
>菜の苗をいっぱい並べていた店? が更地になった
前に見たらいつの間にか解体されていて寂しくなりました…。幼稚園の帰りにここのお店でお菓子を買ってもらった記憶があります。98~00年辺りでした。
商店だったかな…?
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高清水公園交差点角 (taic02)
2020-02-21 20:38:01
新国道を車やバスで通るだけの者にも、なんとなく印象にあった店でした。角地で目立つこともあるでしょう。

なんでも屋さんというか、多様な食品類を扱う個人商店といった感じだったのでしょうか。
ストリートビューを見ると、2012年時点で店は営業しておらず、その前に家庭菜園のようにプランター類が並んでいました。苗屋さんでなく、お店をやめた跡で、家庭菜園をしていたのかもしれません。
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土崎の五差路のコンビニ跡 (網地 耕部、)
2020-06-18 22:21:26
上から11枚目の画像の五差路の四ツ屋方面に向かう途中の右側をよく見ると、今はバイク屋さんになっていますが、ここは嘗ては元ディリーストアの居抜き店舗で豆の木調剤薬局と言う薬局になっていましたが、数年前に閉鎖され、暫くは空き店舗になっていました。薬局時代は入口上の看板がコンビニ時代の名残を物語っていますが、閉鎖後に撤去されて、現在は一切観る事が出来ないようです。時代はこんなに進むものなんですね。
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デイリー・薬局・バイク店 (taic02)
2020-06-19 00:27:08
ほとんど通らない通りですが、「豆の木~」の名は記憶にあります。ストリートビューで見ると、2015~2017年頃に薬局をやめたようですね。
バイク店になっても、建物自体は外壁などは手付かずで、看板の形の痕跡だけはかろうじて残っているようにも見えます。いずれ、言われなければデイリーだったとは想像もできませんね。
民家のようなコンビニだったようですが、店が代わっても建物自体は残り続けるのも、ある意味しぶといです。
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