hasyan の 旅の散歩道

元気な間に余暇を通じてドライブなどで得た、行き先々の身近な風景・
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朝来市・佐中の千年家  2014.04.22

2014年04月22日 20時17分29秒 | 歴史・遺跡・伝説


  所在地    佐中の千年家      兵庫県朝来市佐嚢1283

 朝来市佐中に通称「千年家」があります。姫路から国道312号線を和田山方面へ北上か、播但自動車道を利用の場合は朝来ICで降り、国道429を一宮方面へ、しばらくで「スカイビラさのう・さのうほたるの里」を右折れして佐中川沿いに「長寿の水」を過ぎ走ると「佐中千年家」がありました。

 到着後、周囲をちょっと歩き、朝来市佐中にある通称「千年家」ですが、明治・大正時代に日本財界で活躍した「原六郎(進藤俊三郎)」の生まれ育った住宅だそうです。

 奥に見える、草葺屋根の古い家は、足利時代の1460~1480年頃に建築された重厚なもので、通称、佐中の千年家とも呼ばれています。

 土塀と石垣は、乱尺積みの石垣で、江戸時代もしくはもっと古いもののようです。

 外観を見ると、今にも崩壊するような、それがこの地域にマッチングする、素晴らしい風景です。

 この進藤邸は明治維新で活躍した原六郎(明治・大正時代の日本財界に君臨した渋沢・安田・大倉・古河等と共に「日本財界5人男」といわれた実業界の大物と呼ばれていました。)の生家であり、最近は桜のカメラスポットして多くの方が訪れているようです。

 何だか、タイムスリップしたようで、心がジーンとしてきました。

 桜の見頃は、過ぎていますが、風が吹くと花びらが舞い池に落ちるのが何ともいえない光景です。

 池の水面には、おびただしい花びらの数々と苔むした「千年家」や桜の木がありいいものです。

 佐中千年家の由来は、伝説によると千年家の祖は近江の国(滋賀県)三上山に棲息する大ムカデ退治関八州を平定し京を攻めんとした平新皇将門を討伐した鎭西将軍藤原秀郷公です。その末裔の9代進藤権之進(1135年)を始祖として現在第27代の当主の正雄に至り、 850年間連綿としてその家系が継承され初代権之進より7代目に当たる小源太敦景が初めて佐中に住み(応年3年 1424年)その後第13代吉左衛門正国によって建築されたのが当千年家です。(1460~1480頃)

 今回は、天気がうす曇で桜がちょっと散りすぎのようですのでが、撮影ポイントとしては、素晴らしいところです。もう一度、佐中の千年家の写真を撮りたいね~
 次回をお楽しみに  では またね  

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1 コメント

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平将門 (世良 康雄)
2015-07-31 23:36:11
世良本家伯母に、MRA特高と731部隊PX作戦医師同意見で病人扱いされ、祖母白川家や祖父一時養子入り田路家等本家周辺に電話を禁止されていますが、田路先祖平将門妙見信仰等独自に知りたく思っています。
平将門討伐藤原秀郷末裔は、田路家菩提寺の朝来市に居住ですか?田路と結婚は?御形神社進藤宮司は藤原秀郷末裔ですか?原六郎家系とは良好関係ですか?

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