hasyan の 旅の散歩道

元気な間に余暇を通じてドライブなどで得た、行き先々の身近な風景・
神社仏閣・史跡・花の写真などをお伝えします。

六甲山でヘリコプターによる防火訓練  2013.06.25

2013年06月29日 20時15分23秒 | 船舶・鉄道・その他の撮影地


  所在地   記念碑台    神戸市灘区六甲山町北六甲123

 記念碑台で阪急六甲行きのバスを待っていると、ヘリコプターによる防火訓練でヘリコプターが飛来です。

 記念碑台の駐車場でホバリングするとのことです。メインローターによる風に気を付けてくださいといわれました。

 駐車場でのホバリングでもの凄い風が吹きます。

 このヘリコプターは、 川崎式BK-117型C-2 KOBE-Ⅱ
BK-117C-2の主な緒元
全長 13.03m
全幅 11m
全高 3.96m
エンジン出力 692shp×2
巡航速度 約250Km/h
航続距離 約700Km

 2mぐらいのところでホバリングしながらバケットの取り付けです。

 バケットを取り付けて飛び立ちました。

 近くの池で水を汲み実際は火災現場に行くんでしょうね。珍しいものを見学させてもらいました。
 次回をお楽しみに  では またね
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六甲山カンツリーハウスの薔薇  2013.06.26

2013年06月28日 20時04分14秒 | 季節のたより


  所在地   六甲カンツリーハウス     神戸市灘区六甲山町北六甲4512―98

 六甲山上エリア北側に位置する六甲山カンツリーハウスは、夏は高原レジャースポット、冬はスキー場として運営しています。今日は中央入口から薔薇を見に

 ここは、池あり丘ありの広大な敷地を持つ六甲山カンツリーハウスには、全27ホールのパターゴルフ場、ゴーカート、親水広場「せせらぎの丘」での水遊び、魚釣り池、ペダルボート池、愛犬と一緒に遊べるドックランなど、自然を生かした遊びを楽しめます。

 自然の丘陵を利用した約3,000m2の広さの散策型ローズガーデン。一般的なフォーマルガーデンとは違い、自然との調和を大切にした珍しいデザインです。

 春と秋には約2000本のバラが花を咲かせるバラ園「ローズウォーク」で楽しみたいと思います。

 90種類の色とりどりのバラが楽しめ、自然と気取らずに気軽にバラと親しんでもらうことができます。

 六甲山の平均気温は市街地よりも低いので通常の開花時期と異なり、少し遅くなりますが、それだけ美しい薔薇を後まで楽しませてくれます。

 ローズウオーク園内は、見頃で鮮やかなバラの色彩と、自然の美しい造形をお楽しみ心も癒されます。

 六甲山では、目印にもなるアンテナ塔があちらに見えます。

 六甲山カンツリーハウスと六甲ガーデンテラスを結ぶペアリフトです。ゆっくりと空中散歩をお楽しむことが出来、東口に着きます。  【料金】 片道(1人)100円

 六甲山上で、愛犬と一緒にアウトドアを楽しむことも出来、園内ショップで 六甲山麓の牧場のミルクをたっぷり使った。ソフトクリーム。濃厚なミルクの風味をぜひご賞味くださいね。六甲山麓オリジナルミルクソフトクリーム 300円です。
次回をお楽しみに  では またね

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玉雲寺  2013.06.24

2013年06月26日 20時26分12秒 | 神社・寺院


  所在地  玉雲寺   京都府船井郡京丹波町市森滝見9

 霊樹山 玉雲寺は船井郡三十三カ所観音霊場の第4番札所で、別名を滝見寺といい、町指定の名勝琴滝の近くにあります。再興される以前の境内は現在地よりももっと琴滝の傍にあったということです

 梵清禅師が応永二十三年(1416年)当時の城主であった須知出羽守慶吉の懇情により開山した禅寺です。天正七年(1579年)戦国武将・明智光秀による市森城攻略の時、兵火で焼失してしまいます。現在の寺は、光秀が開祖の遺徳をしのび天正八年(1580年)に再建したものです。

 山裾に石垣と楼門・鐘楼などが見えます。園部町の徳雲寺・龍穏寺は、園部藩にある曹洞宗の本寺ですが、玉雲寺は徳雲寺・龍穏寺の本寺に当たる船井郡の曹洞宗で最も寺格の高い名刹です(玉雲寺のある市森は、江戸時代は亀山藩領でした)。参道の石段付近は、秋の紅葉が綺麗でしょうね。

 古色を帯びた楼門では朽ちかけた十六羅漢が時の重みをにじませています。

 玉雲寺は、かつては滝つぼのすぐ脇に建っていたという禅寺です。室町中期に名僧によって創建され、末寺127ヶ寺を数えたといいます。戦国時代に明智光秀の丹波攻略で焼かれたこの寺は、今では紅葉に彩られたひなびた風情が漂います。その光秀によって再建されたという本堂には釈迦如来が祀られています。また、本堂の裏手にある蔵のような開山堂には、珍しい椅子に座った聖徳太子の像が祭られているようです。

 立派な「楼門」と「鐘楼」ですが、本堂は明智光秀の丹波攻めの際に兵火で焼失したそうなのですが、楼門と鐘楼は1416年に建てられたままなのかな~ それとも、光秀が開祖の遺徳をしのび天正八年(1580年)に再建したものでしょうか。

 これが、お寺の全景です。玉雲寺の前を通り過ぎてしばらく行き、渓流沿いの山道を突き当たったところには名勝琴滝があるようですが、次回には琴滝へ行ってみたいものです。
 次回をお楽しみに  では またね
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紫陽花の観音寺  2013.06.24

2013年06月24日 20時30分50秒 | 季節のたより


  所在地  観音寺    京都府福知山市観音寺1067

 京都 福知山の観音寺は、関西花の寺 霊場第1番のお寺で、アジサイで有名なお寺で、この奥に駐車場がありますが、満車状態で臨時駐車場に駐車です。

 門をくぐり参道を行くと一軒の露天が、参道付近から今が見頃とアジサイが咲いています。

 室町時代の作とされる豪壮な金剛力士像が控える仁王門が建っています。約100種類1万株ものアジサイが境内を埋め尽くす「あじさい寺」、補陀洛山・觀音寺。関西一円に点在しています。

 仁王門前を彩る紫陽花は、昨日までの雨に少し濡れているのか、小振りでも生き生きとして綺麗です。

 仁王門から入った所の石灯籠の連なる参道に咲く紫陽花が、ここ観音寺でも好きなところです。

 境内には、こんな立派な羽を持った鶏さんが、遣唐使が持ち帰ったという土佐鶏の原種の小国鶏(ショウコク)だそうで、庭先に数羽放たれていました。

 伽藍の横のメインとなる紫陽花は、今年は小振りですが、先日の雨で美しいですよ。

 裏山の斜面全体に植えられた紫陽花は圧巻で、紫陽花の壁を見上げるような光景です。

 裏山の七観音巡りの散策路は、この斜面に分け入るルートで、周囲は完全に紫陽花に囲まれ、上から眺める景色もいいですね。

 裏山を登ると展望台がありますが、今の時期は期待はずれ、下に降りて進むと池が、

 ここにも綺麗な紫陽花が沢山咲いています。

 本堂方面へ行くと、「閼伽水」が、弘法大師、お手掘りの井戸で祈祷後、お土砂と共にこの水を頂くと楽になると言い伝えられられている霊水です。「祠の前にある木蓋をあけると霊水が」

 境内で「モリアオガエル」の卵を見つけたよ。「池の樹上の、泡の中に産み落とされた卵は、泡のなかで卵からオタマジャクシに孵(約7~10日)り水面へ落ち水中生活が始まる珍しい産卵方法です。」

 約100種類1万株もの紫陽花が境内を埋め尽くすし、梅雨の晴れ間の美しさです。

 観音寺は「関西花の寺二十五ヵ所」の第一番札所である古刹で、開基は養老4(720)年、法道仙人によるとされています。応和元(961)年に空也上人が七堂伽藍を建立。鎌倉時代には、北条時頼など時の為政者たちの庇護のもと、丹波の中心寺院として発展しました。最盛期には二十五以上の寺坊を擁していましたが、天正4(1576)年、明智光秀の焼き討ちによって堂宇を焼失。現在、小さな谷川が流れる山裾の境内には、本堂や鐘楼、庫裡などが並び、参道には総門(仁王門)があります。

 本堂のそばには鐘楼があり、そこに御神木がありました。

 観音様の霊力で眼病が治り、再び光明を得たお礼にと七色に変化する光の花の紫陽花を数本植樹されたのが
紫陽花寺のはじまりです。

 土壁を背景に紫陽花の花が綺麗ですね。

 沢山の色の紫陽花が美しいです

  紫陽花はそぼ降る雨に少し濡れているか、紫陽花の花に露の雫で濡れているか、ぐらいの方が風情がありますよね。

 石灯籠と紫陽花を見ながら歩いて散策するといいですね

 所狭しと紫陽花が咲き、観音寺は1300年もの間多くの善男善女によって拝まれてきた霊仏観世音菩薩様がお祀りしてあるお寺で、前回は、大分前にお参りしたお寺です。

 ここは、一面、白い紫陽花が咲いています。観音寺境内一面に咲き誇り癒され帰る準備も

 帰る参道に古木の脇に咲く紫陽花を見つけました。
次回をお楽しみに  では またね
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名和神社  2013.06.17

2013年06月21日 07時45分44秒 | 神社・寺院


  所在地   名和神社   鳥取県西伯郡大山町名和556

 この名和神社は名和駅の南南東約450mに鎮座しています。県内最大級の規模を誇る神社で、山陰有数の“桜の名所”でも有名な神社です。

 一の鳥居をくぐると綺麗に整備された平坦な参道が続き、両脇にはずっと桜の木が植えられています。参道途中の注連柱の右側には太鼓倉があり、境内はすっきりと綺麗に整備されています。

 新緑の綺麗な境内を通り注連柱の奥に神門が見えます。

 神門のそばには、山桜があるので春には桃色の花弁が美しいでしょうね。

 拝殿です。後醍醐天皇を隠岐の島から迎え、一族郎党を率いて船上山に立てこもり、王事に奮戦した南朝の忠臣・名和長年公をはじめ、一族郎党42人の英魂をまつった元別格官幣社です。現在の名和神社は明治16年に旧社(今の氏殿神社)をそのままに新しく建てたもので、神社の規模としては鳥取県内でも最大級を誇ります。

 由緒
承応・明暦の頃(1652年 - 1658年)、名和長年の威徳を慕う地元の人々によって、名和邸跡とされる場所に小祠が建立されたことに始まる。延宝5年(1677年)、鳥取藩主となった池田光仲が長年を崇敬し、名和邸跡の東方の日吉坂の山王権現の社地に新たに社殿を造営して遷座しました。

 本殿です。御祭神の「名和長年公」は、海運業を営んでいた名和氏の当主で、
後醍醐天皇の隠岐脱出を助けた南朝の忠臣として伝えられています。

 後醍醐天皇を擁護して足利尊氏と戦い、京都で討死にした名和長年一族42人を祭る神社で、桜の名所として名高い。神社から10分余り歩くと、長年と2人の息子の墓所と伝えられる三人五輪塔があり、少し戻って南に向かえば長年が開いた長綱寺「ちょうこうじ」があり、裏山には名和一族郎党の墓が300基並んでいるようです。

 緑豊かな境内には、御本殿裏手の杜へ玉垣が続きます。苔むした境内を見ていると心が和らぎます。

 本殿の裏手を周り拝殿に来ました。現在の社殿は昭和十年に完成。建築界の重鎮伊藤忠太の指導のもと、明治神宮を造営した角南隆(すなみたかし)が手がけた。本殿から日本海を望むと、海を越え一直線上に後醍醐天皇隠岐行在所がある。また、境内は名和公の米倉があった所で、合戦の折りこれを焼き払ったため、神社の裏から今でも焼き米が出てくるようです。

 この石灯篭は、慶応4戌辰年2月23日と刻まれています。※慶応4年9月8日より明治に改元しましたが、「慶応4年をもって明治元年とする」としているため旧暦1月1日に遡って適用されています。

 名和神社から直線で2kmほどのところに美保湾の御来屋漁港にあります。「後醍醐天皇の御腰掛の岩」…後醍醐天皇が隠岐から脱出の際、体を休めるため腰かけられたと伝わる岩が祀られています。
 次回をお楽しみに  では またね
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新緑の伯耆大山(伯耆富士)  2013.06.17

2013年06月20日 08時02分40秒 | 公園・名所・名勝


  所在地    大山牧場(みるくの里)     鳥取県西伯郡伯耆町小林2

 中国自動車道から米子道へ入り蒜山高原SAに到着です。向こうの見えるのが伯耆大山で大山(だいせん)は、鳥取県のおもに大山町にある標高1,729mの火山。独立峰でもある。鳥取県西部の旧国名・伯耆国の名称を冠して伯耆大山(ほうきだいせん)、また角盤山(かくばんざん)とも呼ばれています。今回は、溝口ICを降りて伯耆富士を見に

 米子道、溝口インター近くにある溝口展望台駐車場で、段々に水田が広がり、伯耆大山ともいわれる大山の姿が美しい。移りゆく季節とともに大山も水田も表情を変えることでしょう。

 溝口展望駐車場には、鬼のトイレと公衆電話があるよ~今、田植えの時期も終わりかけ、長閑な田園風景です。

 県道45(伯耆街道)から県道52走ると伯耆富士がだんだん近づいてきます。

 初夏にはいろんな花が咲き、その花の背景に伯耆富士を撮ってみました。

 伯耆富士を前方にみる一本の道、枯れかけた木が素朴な感じ

 大山GCから望む伯耆富士です。

 ここからは、米子の市街地から境の市街地が展望でき素晴らしい景色が望めます。

 この先、道を曲がると大山牧場の「みるくの里」へ

 大山の自然美が満喫できる大パノラマの「大山まきば・みるくの里」に来ました。
大自然の中で、牛の乳搾り、アイス作りが体験できる。牛乳、乳製品をふんだんに使い、まきばの素材を生かしたメニューのレストラン。大山のおいしい牛乳、乳製品、また、牛乳を使ったお菓子のお土産が買える売店などが、

 ここは、ホルスタイン(乳牛)が牧草をついばむ長閑な風景に彩られた「大山放牧場」。標高600mからの日本海、また大山の勇姿を見渡すこともできる“ふれあい牧場”として、観光客に多大な人気を集めています。みるくの里特製ソフトクリームは大評判ですが、次回の楽しみに

 新緑の草原を散歩しながら雄大な大山(伯耆富士)を見るのもいいものです。
 次回をお楽しみに  では またね
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名勝・鹿ヶ壺  2013.06.16

2013年06月19日 08時35分17秒 | 滝・渓谷・山


  所在地   鹿ヶ壺       姫路市安富町関775

 姫路の北にある、「やすとみグリーンステーション鹿ヶ壺」へ、林田川の鹿ヶ壺は、霊峰・雪彦山 兵庫県立自然公園内にあります。鹿ヶ壺の滝の流れは20度から90度の階段状の急斜面になっており、水が上流から運んだ石や砂とともに流れ落ち、階段面において石や砂が水とともに旋回し、数十万年の長い年月をかけて河床の岩盤をえぐり、数十個の甌穴を作ります。

 「やすとみグリーンステーション鹿ヶ壺」にある「鹿ヶ壺山荘」の駐車場からキャンプ場の脇を通り遊歩道を歩くとハイキングコースで、最初に「名勝・鹿ヶ壺」の「尻壺」が、落差 7mです。

 「尻壺」は、水辺の近くまで行くことが出来、水遊びをすることも可能かな?

 石階段を登っていくと、「五郎在壺」「鳥ノシコミ」続き、やがて「雑桶壺」へ

 このような階段を登っていきます。

 途中には、花が咲き心を和ませてくれます。

 「五郎田壺」から「駒ノ立洞」へ

 「底無」の深さが6mほどあるようです。

 「鹿ヶ壺」「鹿の尾」手前がしっぽ、流れ込みのあたりが頭で鹿の姿形をしているということらしいですが、ちょっと判りにくいですね

 }「鹿ヶ壺」の上には、沢から堰堤を越えていく道と千畳平方面へ山に上がっていく道に分かれています。

 鹿ヶ壺と千畳の滝、三ヶ谷の滝、千畳平などを含めた雪彦山南西麓のハイキングコースが整備されています。

 姫路市の最北端、宍粟市に接する安富町関地区を流れる林田川支流の坪ヶ谷に位置する。 白亜紀の生野層群下部累層流紋岩質溶結凝灰岩で形成された岩山の急斜面を流れる多段の滝で、全体の垂直落差は70m以上に及ぶ。 水流は岩肌に沿って蛇行し、落下する角度を幾度も変えながら落ちて、曲がり角や階段面において渦流となり、これが長い年月をかけて岩肌を侵食し数十個もの甌穴を現出させた。 大きな甌穴(滝壺)については、最上段の鹿ヶ壺から最下段の尻壺まで、古来より愛称が付けられています。

 沢山の滝と数十個の甌穴を作りだされる「鹿ヶ壺」は、この季節は気持ちがいいです。

 この周辺には、ユニークな等身大のカガシが作られていて、そのカガシは、一般のカガシでなくユーモアのあるものが沢山あり楽しませてくれます。
 次回をお楽しみに  では またね
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安富町あじさい公園  2013.03.16

2013年06月18日 20時09分44秒 | 季節のたより


   所在地   安富町あじさい公園    姫路市安富町安志

 安志加茂神社と隣接する形で位置するあじさい公園。このあじさい公園には1万株ものあじさいが植えられており遊歩道沿いの山の斜面と谷間であじさいの姿を楽しむことが出来る。また隣接する安志加茂神社の境内にもあじさいの里といったあじさい園があるのでそちらの方も合わせて立ち寄って見るのもいかがでしょうか。

 日本の初夏といえば梅雨。梅雨といえばあじさい。あじさいは七変化といわれるように咲いている土地の状態等によってだんだん色が変化していくため「移り気」の例えとしても使われることがあります。

 今年は、紫陽花の見ごろが例年より遅く、雨が少ないので何時もより花が小ぶりのようです。

  安富町あじさい公園の中には東屋もあり、ゆっくりと紫陽花を観賞することも出来ます。

 昨日、雨が降り紫陽花も生き生きとして綺麗に咲いています。

 まだまだ、紫陽花の見頃は、これからですね~

 紫色やピンクの紫陽花の姿はまさに梅雨時期の風物詩ですね。

 紫陽花の花には,色々ありますが、色素が酸性の土壌では青色が強くでて、中性、アルカリ性 の土壌では赤色が強くでることに起因していると考えられています。それにしても、いろんな色があり楽しませてくれます。

 町のシンボル花、あじさいの普及のために安志加茂神社境内と隣接するあじさい公園にたくさんのあじさいが植えられており、6月中旬から美しい花が咲き、梅雨空を華やかにします。
 次回をお楽しみに  では またね
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安富町・安志加茂神社  2013.06.16

2013年06月17日 17時09分18秒 | 神社・寺院


  所在地    安志加茂神社    姫路市安富町安志407

 駐車場に車を止めて歩くと、遠くからも大きい朱の鳥居が見えます。京都の上賀茂神社に似ているな~と思いながら近づくと摂社の稲荷神社の鳥居のようです。

 参道は広く巨杉が林立しています。

 参道の途中の右側に小さな朱の鳥居があります。稲荷神社の鳥居のようです。安志加茂神社境内には安志稲荷神社、神明社、小笠原神社、金刀比羅社、新池の中には弁天社が祀られています。

 稲荷神社は、朱塗りの立派なお社ですが、狛きつねが見当たりません、よくよく見ると本殿の上のほうにありました。白いきつねが一対ちょっと見落としやすいです。

 そこから安志加茂神社へ秋には奉納祭が執り行われ、獅子舞奉納を皮切りに屋台練り、奉納相撲が行われているようです。

 これが拝殿です。安志加茂神社は京都加茂別雷神社(上加茂神社)の分霊を奉祀し、播磨国安志庄の荘園鎮守・総社として建立された神社です。

 これが本殿です。
    由 緒
創立年代不詳、寿永三年(1184年)源頼朝が京都の賀茂別雷神社(上賀茂神社)に神領を寄進したという記録があり、この中に播磨国安志荘のことが記載されています。これによると、当社は賀茂別雷神社の分霊を奉祀し、安志庄の庄園鎮守として崇敬されていたと言う由緒ある神社です。後に小笠原家が安志藩主に改封されて以降、年々藩主から幣帛が奉納され、篤い崇敬を受けてきました。

 御祭神は別雷神(わけいかづちのかみ)でその神名が示すとおり、氏子には雷が落ちないと信じられています。落雷は境内の神木が受けるといわれ、拝殿前の巨大杉は御神木です。

 参道から拝殿まで実に見事な杉などの巨樹に囲まれていて正に神聖なる空間があります。この神社は毎年参道に大干支を飾っていますが、3月までだそうです。台座のみがありました。

 境内の「あじさいの里」には、約10000株のあじさいが植栽されています。

 新池に写る弁天宮と朱塗りの渡り橋/弁財天の裏山にあじさい園・安富あじさいの里があります。
 次回をお楽しみに  では またね
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安富町・安志姫神社  2013.06.16

2013年06月16日 17時38分54秒 | 神社・寺院


  所在地   安志姫神社        姫路市安富町三森13

 国道29号「安志南」交差点を右折し夢前町方面に少し行ったところにある。三森(みつもり)の集落に祭られているのが、安志の里を守る姫神様です。神社の右側の道を入ると駐車場に

 鳥居をくぐって上に続く長い石段をあがり、周囲は深い森に覆われた参道を進むとすぐに社殿が見えてきます。本殿へ続く階段はすっかりこけむしています。

 右側は末社で左側が拝殿です。安志姫神社は、大和の穴師坐兵主神社から成務天皇の御宇甲申年(4世紀)当所に勧請し祭祀安師の里(後の安志郷安志荘)と呼ばれた安富町域の土産神安師比売神を祭神としました。と伝えられ、安富町関を除く十ニケ村を氏子とする古い社である。

 農村舞台のような施設もあり背後は竹林で建物は古く壊れそうです。

 拝殿には「安志姫の命」と掲げられています。安志姫というのはこの地の産土としての女神であり、また産鉄神としての性格を併せ持った神なのだそうです。伊和大神が結婚を迫ったのですが安志姫は断固これを拒否、伊和大神は激怒しこの地を流れる川の上流で川を石で堰き止めてしまいこの地に水を流れにくくしたと、この川は、神の名を採って安師川(今の林田川)といい、これまで酒加の里、後に山守の里といったのを川の名によって安師の里と改名したと述べています。 『播磨風土記』に説かれています。

 結婚を断られたくらいで、ずいぶんひどい仕打ちですね、この伊和大神という人は、佐用郡(さようぐん)でも佐用都姫(さよつひめ)神に稲作りの競争で負けて追い出されているし、どうも女性運はなかったようですね。 境内にある石灯籠が多くあります。

 安志姫というのは、姫神様の中ではかなりの美人だったようですよ。どのような美人かな
 次回をお楽しみに  では またね
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摩耶山史跡公園  2013.06.08

2013年06月10日 19時18分46秒 | 歴史・遺跡・伝説


  所在地    摩耶山史跡公園     神戸市灘区原田  摩耶山登山道(上野道)

 
神戸市灘区箕岡通4丁目2番地にある、摩耶ケーブル下駅から、新しくなる摩耶ケーブルにご期待して乗車です。3代目車両は、車体デザインと愛称は震災以降引退までの2代目車両のものが踏襲されている。ただし、完全新造ではなく台枠やブレーキハンドルは2代目の廃車発生品を流用している。照明などのサービス電源は初代はポール、2代目はパンタグラフで外部から集電していたが、3代目車両は車両に搭載した蓄電池となった。このために架線が撤去され、車内からの展望が向上した。また、車内の照明灯は「LED」になったほか、乗降扉も自動ドアとなっています。

 「ケーブル虹の駅」から「摩耶山登山道(上野道)」を通り、旧天上寺へ参道を歩きます。

 摩耶ケーブルの中間にある駅「虹の駅」から摩耶山山頂方面への登山道を約20~30分登ると、旧天上寺跡の山門(仁王門)に着きます。

 ここから約190段の長~い石段を登りつめると旧天上寺の本堂のあった広場に着きます

 若いグループの人たちとすれ違いました。この急な石段を上がっていると、左手側に「旧摩耶の大杉」の案内表示が目に入ってきます。それに誘導され、わき道に入っていくと、すぐに巨大な杉の木の雄姿が目に飛び込んできますよ。

 脇にあった説明板では「幹周り8mもある六甲山随一の大木であった」と記されています。更に「約200年前に摩耶山一帯で起きた大水害で奇跡的に生き残ったため、その生命力に驚いた当時の人々が、この木に神霊が宿っているに違いないとして"大杉大明神"の名を付け、あがめた。」と説明されています。その「摩耶の大杉」も残念ながら昭和51年の旧天上寺の大火災の後、火を被ったことが原因で徐々に樹勢が衰え枯死してしまったらしい。まことに残念なことですね。 

 更に、急な石段を登って行くと、今は神戸市の史蹟公園となっている旧境内地に到着です。

 本堂や多宝塔が並んだ寺域も、今は雑草の中に礎石が残るだけです。旧天上寺は、昭和51年1月30日、賽銭泥棒の放火による大火で14の堂塔がすべて焼け落ちたという。その中で唯一残された建物がこの山門らしい。山門から続く石の階段には「具足講」など信仰者の講の名が刻まれた石柱が並んでいる。歴史を感じる光景である。

 石畳の参道が、

 当時を偲ぶように石の祠が、

 ここは本堂跡です。摩耶山・天上寺は観音霊場、安産祈願の寺として信仰を集めたお寺で、1976年(昭和51年)1月焼失しました。その場所が現在の摩耶山史跡公園になります。山門(仁王門)は原形をとどめていますが、その他の主要建造物は残っていません。史跡公園には焼けこげた木立が残っており大火を物語っています。

 消失した多宝塔は、天保2年(1831)建立。一辺4.15mで、初重一手先、二重繁垂木、中央間桟唐戸、脇間連子窓、ギボシ勾欄付き縁を廻らす。上重は四手先、扇垂木、銅板張り饅頭、屋根は銅板葺き。内部は四天柱を立て、来迎壁を造る。須弥壇上に本尊大日如来・四天王を安置されていたようです。

 天上寺本堂のあった広場からさらに登山道を約15分登ると旧天上寺跡「奥の院跡」があり、奥の院のすぐ上が摩耶山の山頂になります。

 旧天上寺がある、摩耶山史跡公園から美しい神戸市街地が展望でき、奥之院跡には、「本堂の背後約330mのこの地にあった奥之院は、行者堂ともよばれる修験道者の行場の一つであった。内部には、不動明王と弘法大師像とが安置されていた。」との説明板があります。その先には、摩耶山山頂から東へ徒歩5分の所に神戸1000万ドルの夜景で有名な「掬星台」があり、神戸~阪神・大阪湾の大パノラマを眺めることができます。
 次回をお楽しみに  では またね















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鳥取砂丘  2013.06.01

2013年06月05日 22時07分04秒 | 公園・名所・名勝


  所在地  鳥取砂丘     鳥取県鳥取市福部町湯山2164

 今日の目的は、「福部のラッキョウ」を買いに来ました。ちょっと寄り道して久々に鳥取砂丘へ。

 今の時期は、鳥取砂丘には、「ハマヒルガオ」が見頃を向かえています。

 「ハマヒルガオ」は砂質海岸に生育する多年生草本であり、砂の中からつぼみが出ているのがわかります。砂丘のあちこちで見頃を迎えていまよ。

 遊覧馬車に乗って砂丘遊覧を約15分ほど楽しむことが出来ます。

 鳥取砂丘(とっとりさきゅう)は、鳥取県鳥取市の日本海海岸に広がる広大な砂礫地で、代表的な海岸砂丘。日本三大砂丘の1つである[1]。山陰海岸国立公園の特別保護地区に指定されており、南北2.4km、東西16kmに広がる日本最大の観光砂丘である(内陸にある砂丘を含めると青森県の猿ヶ森砂丘が最大になります)。

 鳥取といえば鳥取砂丘。鳥取に来たら一度は立ち寄りたい鳥取砂丘。山陰海岸ジオパークの鳥取砂丘エリアに位置しています。

 目の前には雄大な鳥取砂丘です。馬の背まで約15分がかかり、砂丘はちょっと歩きにくいですが馬の背まで行かれると雄大な日本海を眺めることも出来ます。

 そんな広大で起伏に富んだ鳥取砂丘では、初心者の方がパラグライダーやサンドボードを体験したり、ラクダや馬車に乗ったり、馬の背や砂丘オアシス、すり鉢を散策したり、砂の美術館の砂像を見ることも出来ます。

 雄大な鳥取砂丘へ久々に来てよかったです。
次回をお楽しみに では またね








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津山市・城東むかし町家(梶村邸)  2013.05.26

2013年06月01日 13時19分02秒 | 歴史・遺跡・伝説


  所在地   城東むかし町家(梶村邸)   岡山県津山市東新町40

 今から310年前の元禄時代(江戸時代)に建てられた町家です。この梶村家は、茂藤籐右衛門(しげとうとうえもん)が、1767年(明治4年)に津山藩から「札元」(今の銀行)を命じられ「藩札」の発行をしていました。

 入口を入った右に、津山松平藩主所乗物(大名かご)がありました。この乗物は、対馬藩主が参勤交代の道中に用いたもので、江戸市中では、将軍や御三家などしか使用できない最高級の仕様です。参勤交代の道中では、普段より格の高いものを使用する例もあったようです。

 奥の「かまど」には、「せいろ」が乗っかっています。だけどちょっと近年修復されたようですね。

 井戸と昔の消防ポンプがありました。

 中庭に入り、そこには大正期に建てられたという座敷が、

 蔵が2戸並んでいて、向こうは昭和初期の西蔵で、こっち側は大正期の東蔵です。古い方の蔵は展示室になっています。

 「郷土の誇り久米土人形展」が城東むかし町家の旧梶村家住宅東蔵で開かれています。また、「全国各地の雛展」も同時開催で珍しい格好をした土雛が沢山あり可愛いしぐさの素朴なお雛様に思わず心を微笑みます。

 東蔵の展示場には、棟方志功の足跡は津山にとって貴重な財産であり歴史です。津山を愛してくれていた棟方志功の作品を中心に展示を行っています。

 郷土の誇り久米土人形。江戸期の昔から津山市久米宮尾の里で五代目の作者岸川武士妻、留代さんに依って作り続けられて来ました。特に天神は面長で気品のある顔立ちは日本一の美男子天神様と人気がありました。(津山郷土玩具愛好会)

戦後間もない昭和20年代、棟方志功が津山や岡山県北をたびたび訪れていたことはあまり知られていません。 

 前方のくぐり戸を抜けて旧土蔵跡に

 このお茶室は、明治時代に、梶村平五郎という人は県会議員でしたが、短歌が大変得意で、この茶室で短歌の勉強をしていたそうです。明治42年には「歌会始」に入選しています。またこの茶室は「千草の舎」(ちぐさのや)と言われています

 中庭には、町屋敷のなまこ壁の蔵、泉水のある庭、茶屋風の風流な屋敷など、見どころががいっぱいです。

 なんだか落ち着くような座敷です。天井には屋久杉が使用されているそうですね。

 今から310年前の元禄時代(江戸時代)に建てられた町家です。この梶村家は、茂藤籐右衛門(しげとうとうえもん)が、1767年(明治4年)に津山藩から「札元」(今の銀行)を命じられ「藩札」の発行をしていました。

 建具もちょっと違うね

 ちょっと「窓ガラス」を覗いて見ると、ゆがんで見えます。これは手作りガラスで今では大変めずらしいものです。出雲街道を歩いていると、この様なガラスがありますので探してみてはいかがですか。

 津山の代表的商家だった、梶村家の住居は一般公開して無料で見ることが出来ます。増改築を繰り返したことから江戸後期~昭和初期の建物があり、さまざまな時代の商家の暮らしぶりが偲ばれますので一度入られてはいかがですか。
 次回をお楽しみに  では またね






















 
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