hasyan の 旅の散歩道

元気な間に余暇を通じてドライブなどで得た、行き先々の身近な風景・
神社仏閣・史跡・花の写真などをお伝えします。

須磨綱敷天満宮の梅の開花  2013.02.25

2013年02月27日 17時08分40秒 | 季節のたより


  所在地    須磨綱敷天満宮   神戸市須磨区天神町2-1-11

 全国一万社ある天満宮の二十五霊社のひとつとして歴史が古く、由緒ある天神さま。春の頃には、きれいない梅が咲き、合格祈願、学業成就を願う人々で賑わい七五三の頃には、ご家族連れで境内は一段とにぎわいます。

 須磨綱敷天満宮は、この近辺では、梅の早咲きで有名ですがどのくらい咲いているかな?

 綱敷天満宮には30種、約120本の梅が植えられています。

 綱敷天満宮の 三重塔と梅の花

 5歳の菅原道真「天神さま」で、菅原道真は清公(きよきみ)公、是善(これよし)公と続く文章博士(もんじょうはかせ)の家系に生まれました。母は、少納言伴(大伴)氏の出身です。道真の幼名は、「阿呼(あこ)」。
5才の時、庭に咲く紅梅を見てその花びらで自分の頬を飾りたいと、『美しや紅の色なる梅の花あこが顔にもつけたくぞある』と歌い、11歳(斉衡2年/855年)には、初めて漢詩を詠み、神童と称されました

 境内には、店が数店出ていました

 影向「ようごうの松」は、菅原道真が大宰府に下る途中、風波を避けて一時、須磨に上陸されました。地元の漁師たちはこの松の木の下に魚網の大綱を巻き、円座を作り休息いただいたと伝わります。

 「菅原道真の出生年は丑年である」「大宰府への左遷時牛が道真を泣いて見送った」「道真は牛に乗り大宰府へ下った」「牛が刺客から道真を守った」「道真の墓所(太宰府天満宮)の位置は牛が決めた」など菅原道真と牛にまつわる言伝えや縁起が数多くあります。これにより牛は天満宮では、牛は祭神の使者とされ、縁起がいいとされてます。

 本殿の右にある、梅林は まだまだ蕾で一週間ほど先かな?

 その昔、菅原道真公が九州に渡るおり、須磨の浦に立ち寄り、須磨の漁師が造った大綱の円座で休憩したと言われ、それにちなみ、菅原道真公の死後この地に創建されました。

 一部では、身頃を向かえ梅の香りが漂います。

 私は、この色の花の梅が好きだな~

 ちょっと早かったかな~今年は、梅の花の身頃が少し遅いようですが、楽しませてもらいました。
次回をお楽しみに  では またね  
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兵庫県公館のチューリップが咲いています  2013.02.09

2013年02月23日 09時12分29秒 | 季節のたより


 所在地   兵庫県公館      神戸市中央区下山手通4丁目4-1

 兵庫県公館は、JR元町駅の山側にあり、神戸市立生田中学校の西側を進んで上って行くと突き当りです。明治35年に兵庫県庁舎として建設され、今もその伝統を受け継いでいる歴史的文化遺産です。賓客の接遇や兵庫県の重要な会議、式典にも利用されるなど、「美しい兵庫」のシンボルを象徴しています。壮大な外観に感動しながらさっそく入ります。

 こちらのチューリップは、「冬咲チューリップ」と呼ばれ、一足早い春を楽しむことができます。阪神・淡路大震災10周年を機に、平成17年から(財)淡路島くにうみ協会で実施されております。

 露地植えで冬に咲くチューリップとして開発されたとのことです。20℃以上の高温処理をした後、5℃で低温処理を行い、人工的に夏と冬を作りだすことで、球根が秋を春と感じ、冬に花を咲かせるのだそうです

 兵庫県公館で冬咲きチューリップのプランター100ポット(約1500本)が公開されます。赤色のチューリップが華やかに出迎えてくれます。

 チューリップ・ルピナス・パンジー他の花が咲き誇り一足早い春が感じられます。

 チューリップは春咲きの花として知られるのですが、この庭園では、一歩先に春を感じてもらおうと冬咲き用の花を栽培しているということです。

 庭には自由には入れるし、見頃は1月後半の予定です。※花の状況により開催日が変更する場合があります(今年は開花が見ごろが遅いようです)。休館日も庭園は開放されますよ。

 兵庫県公館の庭園を、約1500本の冬咲きチューリップが春色に彩ります。

 ここに来て、春を先取りしたようなちょっと得した気分ですね。少しはパワーがもらえるかな?

 花の少ない冬に貴重な花ですが、ゆっくり楽しませていただきました。

 兵庫県公館の右側を回るとモニュメントがありちょっと休憩して帰ります。
次回をお楽しみに  では またね
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西宮市・日野神社  2013.02.09

2013年02月22日 08時44分24秒 | 神社・寺院

  所在地   日野神社       兵庫県西宮市日野町2-51

 武庫川河川敷から阪急神戸線沿いに、阪急西宮北口駅へ線路の北側に「日野神社」の鳥居が見えました。

 参道を歩いていくと「瓦林城址」の石碑があり、何でも足利尊氏の家臣、瓦林氏の居城があったとか。お城の鎮守(守り神様)としてこの神社が建てられたとの事です。瓦林城の所在地は、瓦林政頼の墓がある極楽寺(西宮市瓦林町)の位置にあったという説もありますが、地理的に見ても日野神社の方が、お城跡らしい感じがしますね。

 遠くからも鬱蒼としたこの神社の森がよく目立ちますが、クスノキ・クロガネモチ・アラカシを主体としたこの森は、兵庫県指定の天然記念物になっています。

 この森でひときわ大きいこのクスは樹高20m、幹回り4.2mで、兵庫県の天然記念物に指定されています。これは、「天皇陛下御在位60年記念植樹」です。

 天照皇大神を主神とし、豊受大神と春日大神をおまつりいたしております。瓦林城落城(元亀元年 四百二十余年昔)の後は生き残った子孫や村人たちによって守られてきましたが、古いご社殿は慶長年間(約三百九十年程昔)に武庫川の決潰によって押し流されてしまいました。そこで瓦林城主の子孫である瓦林忠左衛門が懸命になって浄財を集め、寛永元年(今から三百七十余年昔)にようやく社殿が再建されましたが、また 阪神淡路大震災で社殿が倒れて、氏子さんたちの頑張りによって再建されました。

 新しい社殿の前に年代物の「狛犬」が2体

 境内には、「出雲大社遙拝所」が北西向きにたっており、また東向きに「皇陵遙拝所」、南東向きに「神武天皇遙拝」がたっています。

 この石垣には、吉村五郎右衛門 嘉永元年(1848年)戌申年と刻まれていますが、この年は、坂本龍馬が嘉永元年(1848年)に日根野弁治の道場に入門して小栗流を学び、非常に熱心に稽古し、5年の修業を経た嘉永6年(1853年)に「小栗流和兵法事目録」を得ました。

 鳥居の端には、年代の石灯篭が、

 この森は「日野神社社叢」として天然記念物に指定されており、照葉樹林の面影を残す数少ない森です。
 次回をお楽しみに  では またね
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武庫川河川敷の菜の花  2013.02.09

2013年02月21日 17時10分55秒 | 季節のたより


 所在地  武庫川河川敷の菜の花     兵庫県西宮市松並町・武庫川河川敷

 JR東海道本線・甲子園口駅を降りて、山側に出て東へ歩いていきます。菜の花は綺麗に咲いているかな?

 河川敷に出ると、日差しもよく暖かい日和です。多くの人がジョギング・ウォーキングなど楽しんでいますね~

 河川敷を上流へ歩いていきます。

 菜の花が見ごろを迎えて、辺りには甘い香りが漂い春の季節がやってきました。

 背景に武庫川の河川敷長閑な香りがするひと時が、

 ここの葉の花は、ちょっと背丈が低いです。

 春の日差しを受けて伸び伸びと咲いていい風景です。

 菜の花をアップで

 向こうに見える橋は、「上武庫橋」です

 菜の花を見ながらのジョギングのようで、私も菜の花を見ながら、阪急西宮北口駅方面へ
次回をお楽しみに  では またね
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旧小河家別邸  2013.02.03

2013年02月06日 08時51分47秒 | 歴史・遺跡・伝説


  所在地  旧小河家別邸   兵庫県三木市本町3丁目6―24

 「あかし道」から少し外れて、「交わし道」へ「交わし道」とは江戸時代に参勤交代の大名が通る本街道の混雑を避けるために造られた道です。道筋には金物卸問屋や鍛冶屋職が軒を並べ、大工道具を製造する多くの人が生活していました。

 その一画に、旧小河家別邸があります。明治時代後期に、小河秀太郎氏が別邸として建築したもので、敷地は南北に細長く、弓形に曲がる北面道路と南側の露地に面して広大な屋敷が広がっています。 

 屋敷は、北面中央に「表門」を構え、表門から西側に「番人小屋」を配置し、北西隅から西面境界に沿って南北に、「納戸」及び「女中部屋」等の付属的な建物を構え、敷地の南半に主屋群を建てています。

 地域の政治家、実業家として活躍した小河秀太郎が、明治の末期に別荘として造営したものです。庭は、池泉回遊式 建物は、和風建築として高く評価されています。正門入口を入り左には「番人部屋」物置・倉庫「女中部屋」と続きます。

 庭園は、緩やかな斜面を利用して主屋及び離れ座敷を中心に、前庭・主庭・中庭・裏庭・側庭の5つからなっています。主庭は、池泉回遊式で池を中心に回ることができ、移り変わる景観を楽しむことができる構成となっています。

 それぞれの庭が建造物と一体となって優れた伝統的庭園を構成しており、近代庭園の高い技術を兼ね備えています。

 主屋には、昭和4年(1929年)に来訪された朝香宮鳩彦王(あさかのみややすひこおう)の宿泊所となった、上段の間や貴人用浴室、便所などを設ける等、明治時代の國包(現在、加古川市)建具工や大工の水準の高さを示す造作となっています。

 これが貴人用浴室で隣に脱衣室、その隣に便所などを設けるなどしています。

 旧小河家別邸は、明治から大正にかけて初代郡会議員、三木町長などを歴任し、また三木銀行の設立に貢献して、地域の政治家、実業家として活躍した小河秀太郎が明治の末期に別荘として造営したものです。2,204.95㎡の広大な敷地に、庭と建物が上手く調和し、庭は高い技術と意匠を備えた池泉回遊式庭園として、また建物は当時の技術や材料の粋を集めた近代和風建築として、何れも高く評価されています。見ごたえありますね。

 庭の風景を見ながら一休み、近代播磨地方の実業家・政治家の住宅庭園として、小河氏庭園が持つ造園史上の意義は深く、同時代に属する類型の中でも、特に意匠又は構造面の特徴となる造形をよく遺していると考えられます。素晴らしいです。

 ちょっと台所を覗いてきました。一段低いところにあり「かまど」があり、見覚えのあるような台所用品が

 台所に井戸があり釣る瓶も このころは水道がなかったのかな?

 現在、毎週日曜日に一般公開をしています。是非、この機会に当別邸にお越しいただき、建物と庭の魅力を存分に楽しんでください。これからの季節は草木が芽生え草花が咲き綺麗でしょう。
 次回をお楽しみに では またね
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三木市・大宮八幡宮  2013.02.03

2013年02月05日 08時46分21秒 | 神社・寺院

 所在地  大宮八幡宮    兵庫県三木市本町2丁目19―1

 「あかし道」から続く大宮八幡宮参道、大宮八幡宮の創建は不詳ですが背後の山頂付近に磐座があることから古代自然崇拝的な信仰から発生したと推定されています。

 大宮八幡宮で行われる秋祭りの醍醐味は、宮入には大宮八幡宮参道の85段もある石段を登ります。急勾配の石段を登るため1t以上もある屋台には綱引きのような縄がくくりつけられ、この縄を氏子が境内から引っ張ります。一度見たいものですね。

 境内は広いですね。大宮八幡宮は孝徳天皇の御代(645~54年)には既に祠が鎮座し祝田社と称していたとされ、天永2年(1111)に現在地に遷座し改めて社殿を造営しています。

 境内右側にあるのが祝門です。

 祓殿(はらえでん、心身を清浄にするためのお祓いを行う建物)がありました。

 本殿です。孝徳天皇の御代(645~54年)には既に祠が鎮座し祝田社と称していたとされ、天永2年(1111)に現在地に遷座し改めて社殿を造営しています。鎌倉時代後期以降、播磨国の守護となった赤松氏の氏神となり、室町時代以降は赤松氏の一族で三木城の城主となった別所氏が庇護し社運も隆盛します。天正6年(1578)、羽柴秀吉による播磨侵攻により三木城が落城し、その兵火により多くの社殿、社宝、記録などが焼失した。

 当宮本殿は、慶長八年(西暦一六〇三年)姫路城主池田三左衛門輝政の命によって建てられました。建築当初は桧皮葺屋根であったが、昭和六十一年銅板葺屋根に修繕した。建築様式は、五間社、切妻造りで前面に二つの千鳥破風を備え、中央には唐破風向拝を備えています。

 大宮天満宮です。

 古い年代もののようですが、神殿を新築したときに壊さずに移動させた旧割拝殿、能舞台かな? 沢山の絵馬があります。

 掲げられている絵馬の左にあるのは、何でしょうね?

 鬼追いのとき月輪寺の本堂での法要で始まり、法要ののち、赤鬼、黒鬼、小鬼が法螺貝(ホラ貝)を吹き鳴らす山伏に先導され大宮八幡宮の本殿へと向かいます。また 大宮八幡宮の屋台は布団屋台(ふとんやたい)と呼ばれ、水引き、高欄掛け、欄間の彫刻など豪華絢爛、華麗な屋台でるので、この広い境内がいるのでしょうね。
 次回をお楽しみに では またね
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旧玉置家住宅  2013.02.3

2013年02月04日 08時51分10秒 | 歴史・遺跡・伝説


  所在地  旧玉置住宅    兵庫県三木市本町2丁目2-17

 江戸後期の建築様式を伝える国登録有形文化財の建物です。文政9年(1826年)に、上州館林藩の財政建て直し策を図るため、切手会所(今の銀行)として建てられ、古くから湯の山街道,ひめじ道,あかし道が分岐する市街地の中心に位置しています。

 明治8年(1875)に玉置家に所有が移ると離れ座敷や渡り廊下などが増改築され現在の形になりました。主屋は木造2階建、切妻、本瓦葺、平入、塗屋造、正面外壁は黒漆喰で仕上げられ、両端には防火施設として袖壁、開口部は虫子窓になっています。

 部屋に上がらしてもらい、廊下に進むと奥には蔵かな?

 この部屋は、何に使用されていたのかな?

 「早坂好恵」ともう一人の色紙が読めない~ ここ旧玉置住宅に来たんですね。

 ここは台所、奥には井戸が、その隣には「流し」が、右側に「かまど」がありましたが、少し離れたところに設置してあります。当時は多くのお客様を、お招きしもてなしたのでしょうね。

 台所から戸をあけて、外に出ると中庭があり、渡り廊下が傾斜して建てられ建物も右側が低くなっています。玉置氏が所有して以後に建築された離れ座敷から渡り廊下には、当時の匠技(たくみわざ)が施されています。なぜでしょうね?

 土蔵扉の琴柱(ことじ)家紋は、切手会所を建てた時の、館林藩の役人が使用していた琴柱家紋が土蔵扉に使われています。琴柱は琴の絃を支えて音を調整する道具です。

 この先には、「北蔵ギャラリー」がありますので覗いて見ます。

 「北蔵ギャラリー」に入ると、左に「二枚胴具足」が

 これは、当時の旧玉置家住宅に残る民具が展示されています

 江戸期の証として「棟札」が、文政9年に切手会所として建てられたことを示す「棟札」が出てきました。この「棟札」には工事の由緒、建築の年月日、施主やその建築物の責任者の名前が記されています。この「棟札」により母屋部分が江戸期の建物であることができます。

 この展示には、襖は下地となる木でつくられた骨の上に、幾重にも重ねられた和紙の層を貼り、最後に襖紙(表紙)を貼ってできています。この和紙の層を下張りといいます。昔は和紙が大変貴重で、不用になった台帳、手紙、日記などが再利用され下張りに使われていました。それが、襖という形で引き継がれ、現代ではその当時の背景を知ることができる貴重な歴史史料の一つとなります。

 ここ店奥(母屋)、中の間、神の間、奥の間にかけて町屋の深い奥行きの様子がうかがえます。

 主屋は木造2階建、切妻、本瓦葺、平入、塗屋造、正面外壁は黒漆喰で仕上げられ、両端には防火施設として袖壁、開口部は虫子窓になっています。屋根は緩やかなむくり屋根で、下屋庇もむくりが付いています。三木城下の中心地,旧街道と美嚢川に挟まれた南北に長い敷地の南寄り街道沿いに南面して建つ。表屋造風のつくりです。時間がありましたら見に行ってください。
 次回をお楽しみに  では またね
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小野市・大龍寺  2013.02.03

2013年02月03日 15時03分10秒 | 神社・寺院


  所在地  大龍寺   兵庫県小野市西脇町20

 小野市の加西市との境の町、西脇町にある大龍寺にやってきました。

 駐車場も広く、私の車が1台、大龍寺にあるクスノキを見に来ました。石段を登る形になるが、見上げると、立派なクスノキが目に飛び込んできます。

 石階段の途中に、比較的、小さい石棺の底石に、六体の地蔵立像を半肉彫りしています。案内板には南北朝時代とありますが、

 階段を上がると門の両側に、本堂を改築したときの瓦かな? 立派な瓦ですね~ ツツジの季節には、大龍寺の山門が、ツツジの天国への階段みたいでイイ感じ見られるでしょうね。

 門をくぐると、左側に鐘楼が、

 右側には、立派なクスノキが目に入り、ひろがりのあるタイプではないが、根上がった状態で、主幹が二段の太さになっていて、まだ若木のようだが、これからますます大きくなるんでしょうね。

 左側が本堂です。この屋根の上に「シャチホコ」の瓦が乗っていたのかな?

 大龍寺銅製韋駄天立像が現在の本堂に向かって左前方の小堂内に安置されていますがが、元は本堂玄関前に置かれていて、この像は飛雲の台座に立つ韋駄天像で、身には甲ちゅうをおび、頭には甲をかぶり、左手を腰にあて、右手は体の前で剣を支えている。その表現は、細部にわたって極微精緻の限りをつくしており、甲ちゅうと剣の柄は、覗いてみると見事です。像の形式や手法などから中国の宋時代の作品と推定されます。

 少し離れたところの大龍寺本堂の南にある石碑で表面には「肥後橘守盛町宗兵衛橘惟次碑」、裏面には「嘉永二龍次巳酉三月寿建之」と刻まれています。当碑は小野市の伝統産業の一つである握鋏を、小野で初めて製造した盛町宗兵衛を記念して、嘉永2年(1849)に建立されたものです。この碑の脇には、盛町宗兵衛の顕彰碑もあり、その功績が刻まれています。

 近くには、日切大師堂があり、日を限って1週間とか1ヶ月とか祈願すれば諸病の平癒すると伝えられる有難い大師を祀るお堂があります。

 この大龍寺は、春または秋に来ると綺麗のかな?
次回をお楽しみに では またね
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夕日が沈む明石海峡大橋  2013.01.31

2013年02月01日 10時06分51秒 | 公園・名所・名勝


  所在地  明石海峡大橋     神戸市垂水区海岸通11

 午前中は青空でいい天気でしたが、午後から中国東部で深刻化している大気汚染が、西日本にも影響を及ぼしているのか?、ちょっと靄がかかっているようですが、思いつきで}「三井アウトレットパーク マリンピア神戸」の西へ明石海峡大橋を臨む夕日を撮りに来ました。

 「三井アウトレットパーク マリンピア神戸」は、「南欧の港町」をテーマにした都市型の本格アウトレットモールです。明石海峡大橋を臨む絶好のロケーションで、リゾートの雰囲気を味わいながら、ブランドショッピングと各国の多彩な料理が楽しめます。

 夕日に照らされる海岸が美しいです。

 日が傾いてくると、明石海峡大橋を臨む絶好のロケーションで夕日の撮影をしょうと、多くのカメラマンが集まり始めました。

 明石海峡大橋は、兵庫県神戸市と淡路島の間の明石海峡に架かる、橋長3,911m、中央支間長1,991mの世界最大の吊橋です。 雄大な橋に向かって沈む夕日は素晴らしいものです。

 大阪湾と瀬戸内海を繋ぐ明石海峡は、海峡の幅が約4km、最大水深は約110m、海峡を流れる潮流の速さは最大で毎秒4.5m(約9ノット)に達します。

 明石海峡は古くからの好漁場であるとともに、海上交通安全法によって国際航路に指定されており、1日に1,400隻以上の船舶が航行する、海上交通の要衝となっています。

 明石海峡大橋に沈む夕日は素晴らしいです。これから日に日に右側の位置に沈んでいきます。

 今日は、波風のない穏やかな気候で寒くはないです。船の上に夕日がかぶさるように

 いよいよ夕日が沈んで見えなくなります。

 夕日が沈み海岸の周辺も静けさが戻り波の音が聞こえてきます。

 日が陰り灯が燈る中「陽気な南欧の港町」がテーマの街並みから、瀬戸内海や明石海峡大橋の雄大な景観が一望でき、リゾート型アウトレットモールです。週末には家族で楽しめるイベントが開催され、ひと際華やかな雰囲気に包まれます。

 ファッション、スポーツ&アウトドアブランドが充実。明石海峡大橋を目の前にした絶好のロケーションに、イタリアン、中華、インド・韓国料理など神戸らしい異国情緒溢れるレストランが並ぶ中を見ながら帰路に着きました。
 次回をお楽しみに  では またね
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