所在地 出石城と町並み 兵庫県豊岡市出石町
但馬(兵庫県)の山峡に静まる盆地の出石は、「但馬の小京都」とよばれ、
城主は小出氏が九代、松平氏一代、仙石氏七代と続き、明治の版籍奉還まで二百七十年間、
五万八千石の本城として、また但馬第一の雄藩として威容を誇りました.
最上壇の稲荷郭には城の鎮守稲荷神社を祠り本丸、二の丸には広大な御殿を建て
渡り廊下で連結させていたようです。
平山城に分類され梯郭式といわれるように有子山の麓に上から稲荷郭、本丸、二の丸、
二の丸下の櫓、三の丸と梯子を立てかけたように城を築いています。
この社殿は感応殿といいます
出石藩主仙石氏の祖権兵衛秀久公を祀っています。公は美濃の人で、豊臣秀吉に仕えて功がありました。
その豪勇のほどは大盗賊石川五右衛門を捉えた豪傑として伝説化されています。仙石氏は、
公のあと子の忠政が信州上田に移り玄孫政明が宝永三年(1706)に出石に移封されて五万八千石を領し以来、
廃藩まで七代百六十三年間続きました。明治に入って旧家臣らによって本丸跡に公をまつる感応殿が建立され
今日に至っています。
仙石(権兵衛)秀久を祖とする仙石政明が信濃上田より入国して広めた皿蕎麦に
舌づつみを打ち、城下を散策することができます。
辰鼓楼は、江戸時代、毎朝辰の刻(8時)を告げる太鼓を打ち鳴らし藩士登城知らせていました。
このことから名付けられたそうです。辰鼓楼は、見張りやぐらのあった場所に建っています。
明治以降は大時計が付けられ、現在も3代目の時計が時を刻み、太鼓を打ち鳴らしています。
石垣の上に流れるような弧を描き立つ辰鼓楼は、今やすっかり出石町のシンボルになっています。
但馬の小京都・出石町。「古事記」「日本書紀」にも名前の見える歴史の古い町で、
室町時代には山名氏が本拠を構えて5万8000石の城下町として栄えた。1604年に築かれたもので、
37も立ち並ぶ朱色の鳥居とお城のコントラストが美しい「出石城跡」の他、宗鏡寺、桂小五郎潜居跡、
家老屋敷などの見所が多い。出石名物「皿そば」の名店も立ち並んでいます。
次回をお楽しみに では またね