hasyan の 旅の散歩道

元気な間に余暇を通じてドライブなどで得た、行き先々の身近な風景・
神社仏閣・史跡・花の写真などをお伝えします。

出石城と町並みを歩く 2009.12.28

2009年12月29日 14時49分44秒 | 公園・名所・名勝

  所在地  出石城と町並み   兵庫県豊岡市出石町

 但馬(兵庫県)の山峡に静まる盆地の出石は、「但馬の小京都」とよばれ、
 城主は小出氏が九代、松平氏一代、仙石氏七代と続き、明治の版籍奉還まで二百七十年間、
五万八千石の本城として、また但馬第一の雄藩として威容を誇りました.

最上壇の稲荷郭には城の鎮守稲荷神社を祠り本丸、二の丸には広大な御殿を建て
渡り廊下で連結させていたようです。

平山城に分類され梯郭式といわれるように有子山の麓に上から稲荷郭、本丸、二の丸、
二の丸下の櫓、三の丸と梯子を立てかけたように城を築いています。

この社殿は感応殿といいます
出石藩主仙石氏の祖権兵衛秀久公を祀っています。公は美濃の人で、豊臣秀吉に仕えて功がありました。
 その豪勇のほどは大盗賊石川五右衛門を捉えた豪傑として伝説化されています。仙石氏は、
公のあと子の忠政が信州上田に移り玄孫政明が宝永三年(1706)に出石に移封されて五万八千石を領し以来、
廃藩まで七代百六十三年間続きました。明治に入って旧家臣らによって本丸跡に公をまつる感応殿が建立され
今日に至っています。

 仙石(権兵衛)秀久を祖とする仙石政明が信濃上田より入国して広めた皿蕎麦に
  舌づつみを打ち、城下を散策することができます。

辰鼓楼は、江戸時代、毎朝辰の刻(8時)を告げる太鼓を打ち鳴らし藩士登城知らせていました。
  このことから名付けられたそうです。辰鼓楼は、見張りやぐらのあった場所に建っています。
  明治以降は大時計が付けられ、現在も3代目の時計が時を刻み、太鼓を打ち鳴らしています。
  石垣の上に流れるような弧を描き立つ辰鼓楼は、今やすっかり出石町のシンボルになっています。

 但馬の小京都・出石町。「古事記」「日本書紀」にも名前の見える歴史の古い町で、
室町時代には山名氏が本拠を構えて5万8000石の城下町として栄えた。1604年に築かれたもので、
37も立ち並ぶ朱色の鳥居とお城のコントラストが美しい「出石城跡」の他、宗鏡寺、桂小五郎潜居跡、
家老屋敷などの見所が多い。出石名物「皿そば」の名店も立ち並んでいます。
次回をお楽しみに   では またね


 



たくみ工芸(柳行李)  2009.12.28

2009年12月28日 20時45分09秒 | 歴史・遺跡・伝説

 所在地  たくみ工芸   兵庫県豊岡市出石町魚屋99

出石の町を散歩していると、ふと目に付いたお店が、柳行李(やなぎごおり)を製造販売している
 お店がありました。

 店先には、柳行李(やなぎごおり)が、置かれてありました。
「どうぞ、中に入って見てください」と張り紙が張られていました。入ってみるかな~

 たくみ工芸の作業場を覗かせてもらいました。
 昔は、出石でも多くの人が、柳行李の製造に携わっていましたが、今は、「たくみ工房」1軒だそうです。
 柳行李に携わっていた多くの人は、今では、出石のそば屋に転職されたようですよ、

 多くの家では、柳行李は昔から衣装などを入れて押入れに収納具などに使われ
 旅行など旅に、移動にトランクとしても使用されていました。
 豊岡の代表的な伝統工芸品ですので、残したい物ですね。

 店に入り品物を見ると、何だか懐かしい思いがします。また 現在の感覚を取り入れている
  作品もあるようです。1200年以上の歴史と伝統を誇る豊岡の工芸品、杞柳製品を販売しています。
柳行李をはじめ、一つひとつ職人の手作業によって作られた伝統工芸品を守っていただきたい物ですね。
次回をお楽しみに  では またね



  




伊丹・昆陽池公園  2009.12.21

2009年12月22日 22時23分08秒 | 公園・名所・名勝

  所在地  昆陽池  兵庫県伊丹市昆陽池3丁目

731年(天平3年)、行基の指導により農業用のため池として昆陽池が作られました。
1968年(昭和43年)に伊丹市が公園化されました。

 緑に囲まれた水辺で人が憩う、街の中のオアシスとして親しまれています。
あなたも、昆陽池公園を訪れ、野鳥や水鳥たちとの楽しいひと時を過ごしてみませんか。

 水鳥が、水辺で楽しく泳いでいます?

 大阪(伊丹)空港が、近いので「昆陽池」の上空には、飛行機が旋回しています。

 野鳥の観察は、野鳥観察橋がおすすめです。

  昆陽池では、ヌートリアは市民にも人気があります。おとなしく、何の害もないヌートリアを
 昆陽池では、植物を食べたり、巣を作ったところの地面が時々崩落することがありますようです、
 そこは人が立ち入らない場所のようで、またヌートリアは臆病なため、人への危害もありません。
 昆陽池にヌートリアがいても、あまり問題ではないようです。鼠の親分のようです。

 「白鳥」も優雅に泳いでいます。あまり 脅かさないように見ましょうね。

 今年は、まだ 水鳥の数がすくないのかな~

 ワー沢山の水鳥が寄ってきました。ここに居ると時間の経つのが忘れますよ。

 公園の一画で消防自動車のハシゴ車が来年の出初式の予行演習かな、それとも
  年末の火災予防運動の演習かな、

 この人、何処かで見たような、頭に「フクロウ」を載せて歩く人、ア-ァそうだ、
  テレビで見たことがありますよ。

 ワァー 放水が始まりました。綺麗ですが、風の向きで飛沫で濡れてしまいます。
   退散です。
次回をお楽しみに   では  またね



美湯 松帆の郷  2009.12.18

2009年12月19日 17時29分53秒 | 温泉

 所在地  美湯 松帆の里  兵庫県淡路市淡路町岩屋3870-77

 岩屋港から徒歩で約20~30分ぐらいかな。 歩いて行くのにいい距離があるかも
 バスで一直線に行くのは勿体ないですね。¥300
 途中にある【道の駅あわじ】から眺める,下から見る明石海峡大橋も また いいですよ


 松帆の郷から「明石海峡大橋」を望むと何と素晴らしいんでしょうか
 たこフェリー片道 ¥380×2  温泉 ¥700で合計¥1460ですが、 一般
「たこで湯ったり 温泉きっぷ」 たこフェリー往復・松帆の郷温泉で ¥980  割引キップ

 淡路島最北端の温泉、松帆の湯は単純弱放射能泉(単純ラドン温泉)で神経痛、
  筋肉痛、関節痛、冷え性、慢性皮膚病などに効能があるとされています。
  明石海峡と明石海峡大橋を一望できる天然温泉展望露天風呂が最高です!

 風呂上りには、レストランで食事を取りながら 1杯飲むのもいいでしょう
次回をお楽しみに   では  またね







明石・たこフェリーの乗船  2009.12.18

2009年12月19日 12時40分19秒 | 公園・名所・名勝

  所在地  たこフェリー   兵庫県明石市中崎2丁目7-1

明石海峡を渡る国道28号線をつなぐのが明石港と淡路島の岩屋港で、フェリーなど
就航しているのが、明石たこフェリーです。
たこフェリーは、兵庫県明石港と淡路島の岩屋港を結んでいるとても景色の美しい旅客フェリーです
瀬戸内海の風光明媚な眺めや明石海峡大橋をくぐり抜けるダイナミックさを楽しませてくれます。

淡路・明石連絡フェリーも連絡船も衰退の一途をたどっています特にフェリーは、
 海峡大橋の料金値下げの影響をもろにかぶって船内を見ると、がらんとしていましたよ。

 それでも、「たこフェリー」は明石の港を出港です。
港の外は波が荒れて波立っています。フェリーは揺れるかな~

 神戸・舞子から淡路島・岩屋に伸びる明石海峡大橋が遠方に見えます。

 潮の流れが速く明石港に向かう「たこフェリー」が流され明石・大蔵海岸方面に見えます。

 「明石海峡大橋」
全長3,911m、中央支間1,991mで世界最長の吊り橋である。明石海峡大橋の主塔の高さは
海面上298.3mであり、国内では東京タワー(333.0m)に次ぐ構造物である。1998年(平成10年)4月5日に
供用が開始された。建設費は約5,000億円。もうすぐで「吊り橋」の下をくぐります。

 「明石海峡大橋」の真下にやって来ました。、
明石海峡大橋の桁の内部には大口径の水道管、高圧送電線、大容量の通信用ケーブルなどが
収納されている。これまで淡路島は慢性的な水不足に悩まされていたが、水道管が設けられ水の
安定供給が実現した。

 「明石海峡大橋」をくぐり抜け、もう少しすると岩屋港へ

 「たこフェリー」のデッキから覗いて見れば

 風は少しありますが、フェリーの揺れも収まり遠方には「明石海峡大橋」が去って行きます。

 デッキに立てば、潮風に吹かれて気持ちが良いものです。このひと時を
 所要時間 20分を「たこフェリー」で過ごすのもいいものですよ、

 「明石海峡大橋」が、あんな遠くに見えるようになって来ました。

やっと淡路島の岩屋港に着きました。小さな海外かな?

 少し歩いたところには、「道の駅あわじ」があります。ここから見る
  天気の良い日は、「明石海峡大橋」の素晴らしい展望を見せてくれます。
次回をお楽しみに    では またね





大阪・四条畷神社  2009.12.16

2009年12月18日 20時52分38秒 | 神社・寺院

  所在地  四条畷神社  大阪府四条畷市南野2丁目18-1

 四条畷神社の入口です。
この石段を上がったところに、神社の境内があります。創建は、明治23年ということで、
かなり、新しい神社です。

四条畷は、生駒山脈の麓に位置する大阪北東部の町で、
南北朝時代には、四条畷の戦いが繰り広げられ、また、楠木正成の長男で”小楠公”と
称された楠木正行(くすのきまさつら)が、若くして討死した町でもあります。

 飯盛山麓に創建した神社。楠木正行を主祭神として、その弟・楠正時など一族の将士24名を祀る。
大楠公・正成を父に持ち、自らも小楠公(しょうなんこう)と呼び親しまれた正行は、1348(正平3)年、
南朝方として四条畷の戦いで敗れ、23歳で討ち死にしました。

 拝殿から本殿を望む
四條畷の決戦に際し、小楠公は、吉野の如意輪堂に行き、一族143名の名を留め鏃を用いて板壁に
辞世の句を記したといいます。
    「帰らじと かねて思えば梓弓 無き数に入る名をぞ留むる」
当社祭神・楠木正行公は、湊川神社に祀られている楠木正成公の嫡男。父・楠木正成公を大楠公とよび、
正行公は小楠公。ゆえに、当社の通称は、「小楠公さん」と呼ばれています。

 境内正面に拝殿があり、拝殿の左手には、
   当社祭神・楠木正行公の母・久子を祀った御妣(みおや)神社がある。

 境内にあるこの楠木父子の「桜井の別れ」の石像は島本町の桜井駅跡にある銅像と非常によく似たものがあるようです。
大楠公は湊川への出陣において、死を覚悟し、桜井宿において、当時11歳だった小楠公に、
「父の教えを守って正統の天皇に仕える様」訓され、別れを告げた。『桜井の別れ』があります。

 楠公慰霊塔は、大きな楠の根元のところに作られている石塔がありました。
豊中市の杉野製作所の杉野社長が買収したある山林に人知れずあったものだそうです。

 当社境内から西へ約1Km、参道突き当たりには、小楠公御墓所があります。

 御墓所の中は、とてもひっそりとして、垣の中に、大きな墓碑が建つています。
周囲には、小楠公の墓を作った時に植えた若木が、御墓所を覆い尽すほどに大きく枝を広げています。
次回をお楽しみに   では またね



 








大東市・野崎観音(慈眼寺)  2009.12.16

2009年12月17日 21時05分23秒 | 神社・寺院

 所在地  野崎観音(慈眼寺)  大阪府大東市野崎2丁目7-1

ここは、「野崎の観音さん」として、ひろく親しまれる寺で、長い石段の上に本堂があります。
 本尊の十一面観音は縁結び・子授け・安産に霊験あらたかといわれます。

 長い石段(117段)が続きます。

 お参りの階段は、結構きついです。「門」ここまで来ると、一息着きますね、

 この階段を上がると本堂です。
野崎観音は、福聚山慈眼寺といい曹洞宗のお寺です。天平勝宝年間(749~757)来朝した。
 婆羅門僧正(インド僧)が「野崎の地は釈迦が始めて仏法を説いた鹿野苑(ハラノ)に良く似ている」と
 行基菩薩に申されました。それを聞いた行基は、白樺で観音像のお姿(十一面観音)を刻み
 この地に安置されましたのが、この寺の始まりです。

 「本堂」の正面には、本尊の十一面世音菩薩が渦巻波間に躍動する龍の背に立っています。

 「本堂」の前の上には、額に観音様が?

 野崎観音の本堂には「腹帯の狛犬」が左右にぶら下げられています。

 本堂から下を見ると山門が見えます。ちょっと変わっているかな

  野崎観音慈眼寺の十六羅漢像は、約300年ほど前の作と伝えられ、江戸時代の戯れ歌にも
「のざきかんのん十六らかん、うちの親父は働かん」と唄い親しまれ、庶民の信仰を集めてきました。
先住十九世一峰和尚の代に山崩れの被害に遭い羅漢堂を消失し一時的にお茶所(休息所)に
仮安置しています。

 「33ヵ所観音堂」
西国札所一番那智山から、三十三番谷汲山までの観音様をおまつりしてあります。
このお堂にお参りになれば、三十三霊場を一度に拝むことができます。

 「鐘楼」
梵鐘は、1708年鋳造のもので、(枚方住田中河内大目藤原家成)の銘があり、
「野崎の鐘のつきっ放し」といわれいつでもついて構わないのですが、連打は厳禁になっています。

 「お染・久松の塚」
没落した武家の出である久松は大阪の油屋に丁稚奉公となる。そこで娘のお染と恋仲になりました。
しかし手代に罪を着せられ、お染が責任を取り野崎村に返され、無理やり娘のお光と結婚されそうになるが、
弁償をした後、お染・久松それそれ大阪へと逃亡し、やがて心中事件へとなる。
 事件は近松により
浄瑠璃・歌舞伎などへ、と広く知られ、ここには2人の塚がある。何故なのかは知りませんが、
墓は野中寺にあるようです。
次回をお楽しみに     では  またね


神戸ルミナリエの夜景 2009.12.03

2009年12月10日 14時19分25秒 | 公園・名所・名勝

 所在地  神戸ルミナリエ  神戸市中央区東遊園地

 神戸南京町を抜けて北へJR元町駅の南側から「イベント」の一方通行を東へ進み
 300mほど先を南へ「朝日ビル」右に行くと「神戸大丸前」を左にと誘導され「イベント」開場へ

 「神戸ルミナリエ」は、阪神・淡路大震災犠牲者の鎮魂の意を込めると共に、都市の復興・
再生への夢と希望を託し、大震災の起こった1995年12月に初めて開催され、震災で打ちひしがれた
神戸の街と市民に大きな感動と勇気、希望を与えました。今年で第15回を迎えます。

 今年も神戸の冬を彩る”神戸ルミナリエ”が12/3~12/14の期間開催されます。 
  荘厳な光の芸術を楽しみに神戸に来てはいかがでしょう。

 「光の回廊」が続く中を進んで行くます。

 ルミナリエを見ながら、歩いていると「東遊園地」に到着です。
 後を振り向くと「光の回廊」が長く続いています。いい光景ですね。

 メイン開場には、「光の壁」があり、イルミネーションの王冠のようです。

 「光の壁」の中に入ると また 光景が違って見えますよ

 多くの観光客が、こられを見ながら感激のようです、写真撮影もいいものです

 広場を独特の幾何学模様で構成されたイルミネーションで飾り、昼間とは異なる風景を
  現出させてその景観を楽しむことが出来ます。

 現在では、クリスマス時期のイベントとして定着しており、全国各地からルミナリエを
  観覧目的とした観光バスが出るなど沢山の観光客が来られます。

 東遊園地には、沢山の屋台も出ていい雰囲気です。

 「ルミナリエ」の時期、東遊園地の北側にある。神戸市役所の24階の展望台(ロビー)を
 夜間無料開放していますので、上から市街地や「ルミナリエ」を見ることができます。
次回をお楽しみに  では  またね
 

 






神戸・南京町の夜景 2009.12.03

2009年12月09日 23時28分59秒 | 公園・名所・名勝

 所在地 神戸南京町   神戸市中央区栄町通1丁目

ハーバーランドのモザイクから神戸元町商店街を通り東へ、JR元町駅標識を南に下がると
 神戸南京町の西の「西安門」に到着です。

 あちらこちらからの、店から中華の美味しい匂いがしてきます。

 夜になると、長安門やあづまやがライトアップされ、町中のランターンに灯がともります。
  暖かな光は異国情緒たっぷり。広場で練習する龍や獅子に出会えるかもしれませんよ。

 夕方、少し雨があり石畳が濡れて情緒が偲ばれます。ここで「ラーメン」「豚まん」食べたいね

 春節祭(旧暦の元日前後:1月中旬~2月中旬あたり)中秋節(旧暦の十五夜、
  8月15日前後:9月中旬~10月中旬あたり)南京町ランターンフェア(ルミナリエ開催の前日から)
  この3つが年中行事があるようです。「市民トイレ」もあるのでゆっくりと楽しまれますよ。

 神戸南京町を散歩しなが東の「長安門」に到着です。ここから、今度は「ルミナリエ」に行きます。
次回をお楽しみに  では またね






ハーバーランドの夜景  2009.12.03

2009年12月07日 09時32分25秒 | 公園・名所・名勝

 所在地 ハーバーランド 神戸市中央区東川崎町1丁目

JR神戸駅からハーバーランド・モザイクへ行く途中の「神戸ガス燈通り」のイルミネーションです。 綺麗だね

 モザイク・ガーデンの夜の光景です。イルミネーションも綺麗だね

 2009X´mas イルミネーションがモザイクのデッキにブルーのクリスマスツリーが、
ニューバージョンで登場。高さ6m、約1万個のLEDをあしらい、神戸港の夜景をバックに青く輝く
姿はとても幻想的です。背景にはポートタワーが輝いています。

 ここの「神戸クレープ」美味しいんだよ。

 雨上がりで人影もまばらです、「ルミナリエ」に行ってしまったかな?

 モザイクからは、ポートタワー・ホテル・オークラ神戸・メリケンパークの夜景が綺麗です。

 オリエンタルホテルと中突堤旅客ターミナルの前に浮かぶ船舶です。
   「ぱしふぃっくびいなす」26.594トンが停泊中です。

 神戸ポートタワーは世界最初のパイプ構造の観光タワーで、その形は世界でも例のない
ユニークなものです。高さ- 108m(354フィート)で夜間はイルミネーションで美しいです。
次回をお楽しみに 南京町へ行きます  では またね
 



京都・禅林寺(永観堂)の紅葉 2009.11.30

2009年12月06日 16時50分24秒 | 神社・寺院

 所在地  永観堂  京都府京都市右京区永観堂町48

 永観堂(えいかんどう)。
「もみじの永観堂」で知られるように、京都・東山随一の紅葉名所です。とくに紅葉の時期は
 全国から多くの観光客が訪れ賑わいます。東山が錦に染まる晩秋の頃は、
 たいへん美しい景観で圧倒されるようです。  「総門」入ったところです。

 中門をくぐり進んで行くと左に「浴場」があります。
 浴室・温室(うんしつ)が本来の寺院での名称であったが、移り変わりの中で浴室と変わりました。
 今で云うサウナのような浴室でした。ちなみに、平包(ひらづつみ)と称されたものが平安期に
 すでに包みの文化として存在していましたが、温室の渡来により座板の熱を和らげるために敷いた
 布を風呂敷と称したと云います。付近の紅葉も綺麗です。

 境内には約3000本の楓(カエデ)が植えられ、特に放生池周辺の楓が美しい。

 ~おく山の岩がき紅葉散りぬべし、
         照る日の光、見る時なくて~
この歌は、平安時代初期に、永観堂(禅林寺)を創建された弘法大師の弟子真紹僧都
(しんじょう 797-873)の徳を慕って、自分の別荘を寄進した藤原関雄の詠んだ歌です。
永観堂は仁寿三年(853)の草創以来今日まで、幾多の文化人達の筆や口にもてはやされ、親しまれて、
“モミジの永観堂”として千百有余年のかがやかしい歴史を持った京都有数の古刹です。

 多宝堂
大玄関から外へ出て、急な石段を上った山腹に立つ多宝堂。永観堂の堂宇(どうう)と京都の街並みを
一望でき、素晴らしい景観に出会える。すぐ近くには大きな桜があり、春には多宝塔と桜が並ぶ姿も
 美しい景色ですが、今、秋には紅葉がとても美しいです。

 釈迦堂から御影堂を通り阿弥陀堂へと拝観です。
貞観5年(863年)に創建。当初は真言密教の道場であったが、平安時代に永観が浄土念仏を唱えて
専修念仏道場となり、永観堂の名がつきました。現在は浄土宗西山禅林寺派の総本山。

 回廊沿いに紅葉が多数有あり、目を楽しませてくれます。

 回廊を進んで行くと、臥龍廊(がりゅうろう)
山の斜面に沿って諸堂をつなぐ階段になった長い廊下。ここから眺める紅葉の枝葉も美しい。
臥龍廊とは屋根の反りが龍の背中に似ていることから名付けられた。この臥龍廊の下に「三鈷(さんこ)の
松」呼ばれる大きな松の木がある。葉先が3つに分かれており、この松の葉を持っていると、
「智慧」「慈悲」「まごころ」の3つの福を授かるといわれています。

 屋根にかかる、紅葉は瓦を背景に美しい姿を見せています。

 正式な寺名は禅林寺ですが皆さん親しみを込めて永観堂と呼んでいます。回廊を歩いて行くと
 変化にとんだ景色が見られ癒されますね。

 御影堂を出て石段を下る頃には、一段と日が傾いてきました。

 「阿弥陀堂」です
永観堂を探索するには、時間も足らなくなってきました。それにしても紅葉が綺麗ですね。

 極楽橋を渡り、紅葉が盛んなところに「せせらぎ」がありますね

 「やすらぎ観音」付近で見かけた風景です。

 前方には、永観堂みかえり茶屋が、美しい永観堂の日本庭園の真ん中に位置し、
艶やかに彩る紅葉(もみじ)を眺め、池から流れる小川のせせらぎを感じながら、ご休憩いただける
 お茶処があります。

 日没で拝観の終わりの時間になりました。それにしても紅葉のいいところですね
 出口を出ると夜間照明の永観堂を拝観するために、多くの人が待ちわびていました。
 ライトアップされた永観堂も綺麗でしょうね
次回をお楽しみに  では またね









 



京都・南禅寺の紅葉 2009.11.30

2009年12月05日 23時05分54秒 | 神社・寺院

  所在地 南禅寺  京都府京都市左京区南禅寺福地町

 南禅寺に行く途中には、「インクライン」があります。船を載せる台車もありますよ。
 「インクライン」は、船が上がれない急な坂を貨車を使って引っ張り上げるための線路の跡であるようで。
 今は使われなくなった線路と記念に残された台車と船が、明治時代に京都を水上輸送都市にしようとしました。
 技術者達の夢の名残を、ひっそりと伝えているようですね。

 三門は寺院を代表する正門であり禅宗七堂伽藍(勅使門、山門、仏殿、法堂、方丈、鐘楼、経堂、
 浴室)の一つです。また山門とも書き、仏道修行のさとりの内容を示す空門、無相門、無作門をも意味
 しています。南禅寺の三門は別名「天下竜門」とも呼ばれ、上層の楼を五鳳楼と呼び、日本三大門の
 一つに数えられます。

 現在の三門は藤堂高虎が寛永5年(1628)に、大阪夏の陣に倒れた将士の菩提を弔うために
 再建したものであり、禅宗様式独特の圧倒的な量感と列柱群が力強さを示しています。また、歌舞伎
 「楼門五三桐」の石川五右衛門の伝説で有名です。

 山門をくぐりますと、そこは、綺麗な紅葉です着物姿のお嬢さんが、
 京都では多く見られますが、京都ならでわの風物詩でしょうか、

 南禅寺の境内の紅葉です綺麗です。

 赤煉瓦のアーチを思わせる水道橋は、南禅寺の古めかしさになじんで、今では一種の美を湛えている。

 お寺には異質のレンガ造りの水道橋が、異様に感じますが、お寺の風景にとてもなじんでいて、
 これまたビックリしましたよ、

  京都を水上輸送都市にするという壮大な計画は、以後に発展した電車や自動車の普及で夢のままに
 終わることになる。それでも琵琶湖疎水は、今なお京都の人々に豊かな水の恵みをもたらし続けています。

 その水道橋の上まで行き、水道橋を流れる疎水を見ることができた。その疎水の水の勢いよく
 琵琶湖方面から山科のあたりを通って、蹴上に流れていきます。「アオサギ」が居るよ。

 水道橋の上からの紅葉を見ると素晴らしいですね。

 水道橋を離れ境内を歩いてみました。
 南禅寺は、今から710年あまり昔の正応4年(1291)亀山法皇が無関普門禅師(大明国師)を
 開山に迎えて開創されました。

 南禅寺、紅葉の綺麗なところが沢山あります。これからもう少し進みます。
次回をお楽しみに  では またね






京都・粟田神社の紅葉  2009.11.30

2009年12月04日 22時02分14秒 | 神社・寺院

 所在地 粟田神社  京都府京都市東山粟田口鍛冶町一番地

 粟田神社は旧粟田口村の産土神。社伝によると貞観18年(876)
従五位上出羽守藤原興世が
勅を奉じて勧請したことに始まりです。その後、天台座主東洋坊忠尋大僧正が永久年間(1113~18)に
 再建するが応仁の乱で焼失。明応9年(1500)に吉和兼倶が再興されました。

 鳥居をくぐり参道を進むと「イチョウ」が黄葉して綺麗です。

 さらに参道を進んで行くと紅葉だ見られます。

 「御神馬(ごしんめ)」
 神様の乗られるお馬で、躍動感あふれる立派な姿です。明治の末にご奉納されましたが、
 阿芸の巌島さんと金毘羅さんと当社の三体ご奉納されたようですが、残っているのは当社だけのようです。

 石段を上がった境内からは叡山より愛宕山まで北山を望めます。
 境内の紅葉も綺麗です。

 「粟田神社」は、平安時代の貞観18(876)年に国家と民の安全を祈願するために全国の諸神へ
 勅使が遣わされました。その際従五位上出羽守藤原興世は祇園社(現 八坂神社)にて七日七晩祈願
 されました。その満願の夜、興世の枕元に老翁のお姿の大己貴命が神託を告げられました。
 興世は神意なりと朝廷に秦上し、勅命により社を建てて御神霊をお祀りされましたのが当社の始まりと
 されています。また一説には、五代孝昭天皇の分かれである粟田氏が此地を治めていた時に氏神として
 当社を創建したとも云われています。ここは、観光客は少ないですね。これから、南禅寺方面へ
次回をお楽しみに  では  またね








京都・知恩院の紅葉  2009.11.30

2009年12月04日 19時59分58秒 | 神社・寺院

 所在地 知恩院  京都府京都市東山区林下町400

 京都東山・華頂山の麓に大小百六棟に及ぶ壮大な伽藍を構えた総本山知恩院です。
 知恩院へ来て、まず対面するのが高さ24メートル、幅50メートル、木造の門としては日本最大級。
 堂々とした勇姿の三門(国宝)です。

 「おとこ坂」の頂上から振り返ると、高さ24mの三門が下に見える、急勾配の石段を上ってきました。

 坂を登ると視界が開け、東山連山を背にした広い境内。中央が本堂の御影堂で、
 御影堂に向って西側に阿弥陀堂、右側に経堂、南側に宝仏殿が建ち並び、ぐるりと見渡せる。
 御影堂 (本堂)の背後には方丈、小方丈があり、その奥には徳川家康、秀忠、家光の三代の霊を
 祀っている権現堂があります。
 御影堂 法然上人の御影を祀る知恩院の本堂。寛永16年(1639)徳川家光公により建てられた。

 御影堂の前を進むと池の側には紅葉の進んだところが、

 御影堂を背景に綺麗な紅葉が写し出されます。

 寶仏殿の横から上って行くと「大鐘楼」があります。その付近も紅葉が盛んで
 綺麗ですよ。

 高さ3.3メートル、口径2.7メートル、重さ約70トン。知恩院の釣鐘は、京都方広寺、
 奈良東大寺と並ぶ大鐘として知られています。この大鐘は、寛永13年(1636)、知恩院第32世雄誉霊巌上人の
 ときに鋳造されたものです。この大鐘が鳴らされるのは法然上人の御忌大会(4月)と大晦日の除夜の鐘、
 成人式(1月)の折だけですが、とりわけ除夜の鐘は親綱1人・子綱16人の17人で撞き、
 京都の冬の風物詩となっています

 「大鐘楼」の脇から円山公園へ行く道が、そこにも紅葉の綺麗な公園があります。

 少し離れたところには綺麗な紅葉があります。

 東屋の様な休憩所かあり、ちょっと休憩するかな

 この辺の紅葉は、今が見ごろかな~

 ここは、知恩院の北門付近で 知恩院黒門と言われています。
  その名のとおり黒い門で、伏見城から移築されたものである。低くがっしりした構えで、
  この一角は寺というより城郭の風情があります。黒門の内部も、立派な石垣を組んだ城の枡形のような
  構造になっている。このことから、徳川氏は知恩院を京都における軍事拠点のひとつとして想定し、
  城郭としての整備を進めていたのではないかと考えられている
  知恩院を後に進んで行きます。
次回をお楽しみに  では またね
 

京都・円山公園の紅葉  2009.11.30

2009年12月04日 15時04分46秒 | 公園・名所・名勝

 所在地 円山公園  京都府京都市東山区円山町

 高台寺から「円山公園」へ食事の時間になり途中で購入の「おにぎり2個とヨーグルト」を
 食べながらホット一息です。
公園の池には「アオサギ」がいる長閑なひと時です。

 丸山公園は、桜が名所ですが、紅葉も綺麗なところですよ。

 枝垂桜の前には池があり、鯉が泳いでいました。
公園には、京都と縁が深い坂本竜馬と中岡慎太郎の銅像があります
 2010年の大河ドラマ「龍馬伝」。物語の主人公・坂本龍馬を福山雅治さんが演じることになりましたね。
 京都でも少しは話題になるかな?

 紅葉が盛んで気持ちがいいですね、日和も良くのんびりと出来ます。

 カエデの紅葉だけでなく、「ドウダンツツジ」が真赤に色づいています。

 水辺に生える草かな?その上には紅葉が、公園の中心から離れると人出はまばらで静かです。

 藤棚のした、静かな雰囲気です。

 こんな写真もちょっと撮ってみました。いい感じです

 公園には、綺麗なところがたくさんありますね。春の枝垂れ桜を撮りたいね。

 公園の静かなところで食事と一休みでき サァ~出発です。
次回をお楽しみに   では またね