hasyan の 旅の散歩道

元気な間に余暇を通じてドライブなどで得た、行き先々の身近な風景・
神社仏閣・史跡・花の写真などをお伝えします。

安楽田の荒田神社  2014.08.27

2014年08月28日 16時35分50秒 | 神社・寺院


  所在地   荒田神社   兵庫県多可郡多可町中区安楽田982

 国道427の安楽田に入り細い脇道を山方面に走ると鳥居が見え駐車場がありませんが脇に車を止めて歩きます。

 石段を数段上がり、鳥居をくぐります。鳥居は元禄6年(1694)建立のようです。

 参道を歩いて行くと前には柵が、これは、鹿やイノシシが田畑・住宅地に来ないようにしています。柵をあけて入り錠をしていきます。

 先には随身門が延享3年(1746)建立されています。

 長い参道は苔むして滑りそうです。鳥居から随身門を経て社殿に至る参道は広大で大乗寺跡などもあるようです。

 ようやく拝殿に創建は不明で、慶長年中(1596-1615)安楽田東端道路の北側に建立されていたが、寛文8年(1668)9月の荒田町大火により神社初め・別当大乗寺等が燃失した。此の頃:北方の貝野村は人家も少なく荒田町に合併されていたので、貝野村の大歳神社域を拡張して寛文11年に合祀されました。

 拝殿でのお参りは、履物を脱いで入りお参り周囲には沢山の絵馬が掲げています。

 祭神・少名彦命 五百箇盤石命(すくなひこのみこと いほかいわれいしの  みこと)小名彦命外2柱末社 荒田大明神懸社荒田神社同伝で延喜式神社六座の一つに数えられています。延喜式神名長(905)には、”荒田神社”天平神護元年(765)とあり、加美町(現:多可郡加美区)の二宮荒田神社と本家争いをしたとされています。

 本殿の周辺には、末社が沢山あり、この神社では江戸時代から獅子神楽が伝わっています。にぎやかな音が響くのは、毎年荒田神社に奉納される神楽の舞が行われる秋祭りがあり、竹の「ササラ」や木の「バチ」が打つ拍子と、笛の音に合わせて古式ゆかしく舞い踊る獅子の姿は、独特の雰囲気を醸し出して、現在では安楽田神楽保存会が中心になって誇りある伝統芸能を守っているようです。
 次回をお楽しみに  では またね
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廃線鍛冶屋線の市原駅記念館  2014.08.27

2014年08月27日 19時22分06秒 | 船舶・鉄道・その他の撮影地


  所在地   市原駅記念館    兵庫県西脇市市原町233―3

 ここ廃線鍛冶屋線の市原駅記念館には、一度来たかな~、久々に覗いてみます。

 大正10年建造の洋館風駅舎で、貴重な資料や記録を展示しています。これは、キップ売場です。

 当時の市原駅を復元した鉄道の資料館です。写真や駅員の制服、行き先明示板など鉄道に関する資料を展示・公開しており、鍛冶屋線の歴史をたどることができます。

 鍛冶屋線に関する部品、資料などが展示されていますが、昔の懐かしいものが沢山あります。

 平成2年3月31日をもって、鍛冶屋線(野村~鍛冶屋間13.2キロメートル)が60有余年の歴史を閉じたんですね。

 廃止後保存されたときはペパーミントグリーンに白帯の加古川線色だったようですが、塗装劣化が進んだことから2010年にメルヘン調の塗装となったんでしょうね。

 キハ30-70、キハ30-72の2両を常時、屋外展示しています。

 廃止後保存されたときのペパーミントグリーンに白帯の加古川線色を地域住民の参加により展示車両のペイントが見違えるほど立派なペイント列車が出来上がりました。この車両が加古川線を走ることが出来ると良いのにね。
 次回をお楽しみに  では またね
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大野大歳神社前のホテイアオイ  2014.08.23

2014年08月23日 13時54分10秒 | 季節のたより


  所在地   大歳神社   神戸市西区平野町大野131

 国道175号線沿いの、平野八幡神社の真ん前にある、池の畔に小さい祠と赤鳥居が目に、これが大野大年神社で、創建は「寛文十二年(1672)六月十日、弘化四年(1847)十二月十三日に社殿を再建す」と
『神社明細書』に記されています。

 バスに乗っていると国道175号線沿いからもホテイアオイを少し見ることも出来ますが、

 近場で見るのも綺麗かな~と思い覗いてみました。ちょっと「アオコ」が

 ホテイアオイは、ウォーターヒアシンスとも云われ、花は紫色の美しいものですが、一日で咲き終り繁殖力が強いので、河川や池で広まってしまっているところもあるようです。

 池、一面に群生していると、この花は綺麗ですね。

 花が美しい水草なので、日本には明治時代に観賞用に持ち込まれました。水槽での栽培にも用いられメダカの飼育などの場合、夏の日陰を作るのによく、またその根がメダカの産卵用に使えるので便利です。

 この近辺には、ホテイアオイが群生しているところが、見つかりませんが、探して見たいものです。綺麗な花ですからね。
 次回をお楽しみに では またね
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びわこ箱館山ゆり園  2014.08.05

2014年08月06日 20時03分51秒 | 公園・名所・名勝


  所在地  びわこ箱館山ゆり園        滋賀県高島市今津町日置前

 青春キップを利用して湖西線の近江今津へ、びわこ箱館山ゆり園」は、箱館山スキー場のびわ湖側の丘に位置し、今年で開園6周年を迎えます。ゴンドラで標高627mまであがると、敷地面積約50,400㎡に約50種35万球、250万輪のゆりが咲き誇って居ることを聞いて、

 8人乗りロープウェイで標高627メートルまで上がると、ちょっとひんやりとする高さです。

 赤・白・ピンク・黄色・オレンジなど色とりどりの「ユリ」が咲き誇っています。

 一本の苗に多くのユリの花が

 今は、遅咲きのユリの花が見頃を向かえています。

 「天空ゆりトレイン」が、園内の専用の道をゆっくりと移動で、いろいろのユリの花を見ながら景色を楽しませてくれます。

 朝は、曇りがちでしたが、青空が見える天気に、青空に冴えるユリの花

 ユリの花の香りが、そこら一杯に漂います。

 スキー場の斜面を利用して、約250万輪の色とりどりのユリが咲き誇り素晴らしい景色ですね。

 リフトで更に高いところにある、見晴台から見る風景も素晴らしいです。

 見晴台からは、琵琶湖を望む風景はユリの花とマッチして展望は素晴らしいです。

 園内には「コキア」が植えられ、ふわふわ モコモコ 可愛く愛らしくちょっとした風景です。
 次回をお楽しみに  では またね
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史跡高松城址(玉藻公園)  2014.07.31

2014年08月02日 14時12分15秒 | 歴史・遺跡・伝説


  所在地   高松城址(玉藻公園)   香川県高松市玉藻町2―1

 予讃線終点高松駅から400mほど先に、史跡 高松城跡(玉藻公園)があります。高松城は別名「玉藻城」ともいい、天正15年(1587年)豊臣秀吉から讃岐に封ぜられた生駒親正が翌16年(1588年)に工を起し、約3年の歳月を費やし天正18年(1590年)に完成したが、その縄張り、つまり設計は当時有名な築城家、黒田孝高(如水)がしたとされています。

 高松城は、豊臣秀吉の四国制圧の後、1587年(天正15年)讃岐1国の領主となった生駒親正によって、「野原」と呼ばれた港町に築かれた。現在見られる遺構は、江戸初期に徳川光圀の兄で常陸国から12万石で高松に移封された松平頼重によって改修されたものです。

 この月見櫓は、ここを出入りする船を監視したとされ、総塗篭造りの三層三階・入母屋造・本瓦葺で、初層は千鳥破風、二層は唐破風と屋根の形を対象させて、また各層の白壁に上下二本の黒塗長押を巡らして変化を持たしています。

 披雲閣(ひうんかく)は、藩の政庁および藩主の住居として建てられた建物で、中には142畳敷の大書院をはじめ、槙の間、松の間、そてつの間など雅致を生かした各部屋があり、波の間には、昭和天皇・皇后両陛下が2度宿泊されました。

 「大岩成樹」の「ど根性松」1994~のこんな説明札が、披雲閣庭園に、「景石の上に落下した松樹の種子が岩の亀裂に根を下ろし成長しています。樹齢はおよそ19年、果たして成木と成りえるか? そっと見守りたい」どのぐらい成長するかな?

 披雲閣庭園内には、幾つもの井戸がありますが、海が近いのに塩分が含まれていないのかな?

 造られた枯山水の庭は、庭園内には空川が北東から南西に流れ、三つの築山がつらなり、松を中心にウバメガシ、サツキ、梅、そてつ などが茂っています。木々の緑が櫓の白壁に映え、大石灯ろうが木々の間から見える風情は昔の大名の優美な生活を偲ばせます。

 松平藩時代には、この地に披雲閣と呼ばれる広大な建物(現在の披雲閣の約二倍)があり、藩の政庁および藩主の住居として使われていましたが、明治5年(1872年)に老朽化のため取り壊されました。その後、松平家第12代当主で貴族院議長も勤められた松平頼壽(よりなか)氏により、3年の歳月と当時のお金で15万余円の巨費を投じて現在の披雲閣が大正6年(1917年)に完成しました。建坪は約2000平方メートル(600坪余)でしたが、一部取り壊しや移築により、現在は約1887平方メートル(570坪余)です。

 この高松城は全国にも珍しい水際城(一般には水城)の跡である。昔から「讃州さぬきは高松様の城が見えます波の上」と謡われていました。城跡は、天守閣跡や石垣、堀などが遺存し国の史跡指定となっています。

 天守閣跡から望む、鞘橋(さやばし)は、天守閣跡と二の丸を結んでいる唯一つの連絡橋で、当初は欄干橋でしたが、松平氏の時代にこのような橋に作り替えられました。素晴らしい風景です。

 瀬戸内海の海水を掘に引き込んだ城は日本三大水城として知られ、園内には重要文化財に指定されている艮櫓、月見櫓、水手御門、渡櫓が残っているほか、枯山水の庭園があり、とても素晴らしい
 次回をお楽しみに  では またね
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