hasyan の 旅の散歩道

元気な間に余暇を通じてドライブなどで得た、行き先々の身近な風景・
神社仏閣・史跡・花の写真などをお伝えします。

宮本武蔵修練の地・園光寺  2013.11.29

2013年11月30日 16時40分03秒 | 神社・寺院

  所在地   園光寺    兵庫県たつの市龍野町下川原101

 龍野の街を歩いていると、沢山のお寺がありますが、ここ園光寺の立派な門構えで思わず中に入りたくなりました。

 宮本武蔵修練の地と言われる竜野では、武蔵は竜野圓光寺に滞在し、住職の多田氏や落合某に圓明流を伝授したという話しです。宮本武蔵のゆかりの地は全国いろいろありますが、ここ龍野は武蔵が逗留し、武芸を指南した場所だそうです。この圓光寺の境内には「宮本武蔵修練の地」の石碑があります。

 開基は多田祐全、摂津多田(現在の川西市)の生まれ、多田(源)満仲の子孫、源家菩提の為、出家して天台宗の学僧となる。後に蓮如上人の教化を受け浄土真宗に帰依し蓮如上人の直弟子となる。文明十六年(一四八四年)蓮如上人の命により、播磨の国英賀に来たり、英賀城三木家の帰依を受け道場を開く。その道場を後の人は「文明道場」と呼ぶ。文明道場は後に圓光寺と号し、天正六年(一五七八年)豊臣秀吉の命により龍野に境内を賜る。江戸時代に御坊に列せられ龍野(玉川)御坊と称し、播磨六坊の一つとして現在に至っている。また、宮本武蔵修練の地とされ、圓光寺で圓光流の兵法を学び、二刀方式を加え圓明一刀流を編み出したとされています。

 これは鐘楼です。吉岡一門との決闘を終えて圓光寺に帰った武蔵は慶長十年(一六〇五年)奥座敷で瞑想しながら初めての兵法書『兵道鏡』を書き上げて武蔵流兵法を確立し、早速、地侍の落合忠右衛門に「圓明一流の兵法」の印可状を与えています。ここにも宮本武蔵の痕跡があるんですね。
 次回をお楽しみに  では またね
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宮本武蔵誕生の地・石海神社  2013.11.29

2013年11月29日 20時14分56秒 | 神社・寺院


  所在地   石海神社   兵庫県揖保郡太子町宮元168

 宮本武蔵公園入り口付近に車を止めましたが、ちょっと道幅が狭いので道に迷いました。

 宮本武蔵の生誕地には「播州高砂」、「播州太子」、「作州大原」の3つの説が有力な生誕地説となっています。
1762年(宝暦12年)に平野庸脩によって書かれた地誌「播磨鑑(はりまかがみ)」に「宮本武蔵揖東郡鵤ノ庄宮本村ノ産ナリ」と記していることから、太子町宮本説も有力視されています。碑の近くには、武蔵が産湯を使ったという井戸がありますよ。

 宮本武蔵公園 案内板より
天下の剣豪と言われた宮本武蔵の自筆の書「五輪書」の序文に、『時寛永20年10月上旬のころ、生国播磨の武士新免武蔵守、藤原の玄信、年つもって60』とあり、また、平野庸修が宝暦年間に書いた播磨鑑には、『宮本武蔵、揖東郡鵤ノ荘宮本村ノ産也』とある。これらの記述から宮本は武蔵生誕の地と考えられるが、安永年間と明治20年の大火で村の大半が羅災し、系図や古文書が焼失したのは残念である

 左にある。この椋の木は、樹齢数百年(推定500年程度)と伝えられます。今から250年程前の宝暦年間と明治20年の2回の大火で村の大半が焼失しました。その後、長い年月を経て少しずつ新しい芽が吹き出し、現在では根っこに負けない位の立派な枝振りを見せています。宮本武蔵の実情を知るのは、この椋の大木のようです。

 石海神社にお参りです。戦国時代末期の剣豪宮本武蔵は、生涯不敗と言われるほどの剣の達人で、諸国を放浪し多くの伝説を残すほどでありながら、武蔵の誕生については未だ特定されていません。宮本武蔵の生誕地には「播州高砂」、「播州太子」、「作州大原」の3つの説が有力な生誕地説となっています。

 石海神社(せっかいじんじゃ)では、日本書紀の編集者であった舎人親王 (とねりしんのう676-735年)を祭神とする 舎人親王御夫婦二柱をお祀りしています。

 公園の中に、こんな建て看板が、[この「へんてこりんな顔」なあに?]立っていました。
内容:昔は、この石うす等の加工石が人々の暮らしを支える大切な生活の基だったんだ‥‥‥‥何かを感じてもらえれば嬉しいと思います。‥‥‥ 寒くなってきましたので帰ります。
 次回をお楽しみに  では またね
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京都・醍醐寺の紅葉  2013.11.21

2013年11月25日 16時52分25秒 | 神社・寺院


  所在地   醍醐寺    京都市伏見区醍醐東大路町22

 醍醐寺は京都市南部にある緑の多いお寺です。醍醐の花見で有名ですが、初夏は青カエデやサツキ、秋は紅葉も美しい場所にあるお寺です。醍醐寺にはモミジ・イチョウ・コナラ・リョウブなどの落葉広葉樹も多く、これらの樹々が11月には色づき始め、見事な紅葉を見せてくれます。

 醍醐寺の「三宝院」には、豊臣秀吉が自ら基本設計をしたと伝わる回遊式庭園があり、特別史跡、特別名勝に指定されていますが、特に三宝院の紅葉は非常に美しく、私たちの目を楽しませてくれます。だけど庭園の撮影は禁止になっています。残念ですね。

 「三宝院」の回遊式庭園からのぞく見事に紅葉された木が綺麗です。

 唐門は、朝廷からの使者を迎える時だけに扉を開いたとされる門(勅使門)が唐門です。創建時は、門全体が黒の漆塗で菊と桐の四つの大きな紋には金箔が施されています。 醍醐三宝院の唐門は平唐門で、三間一戸の檜皮葺、幅6.3メートル、高さ5.9メートルの大きさで、豪快に五七の桐と菊の紋が浮き彫りにされています。

 春には、参道の両側に満開に咲きこぼれる桜は、訪れた多くの人を満足させます。秀吉もきっと満足したことでしよう。今の時期は、桜の紅葉などが広い境内に見所も豊富で国宝に指定された建築物が立ち並んでいます。

 金堂は、醍醐天皇の御願により延長4年(926)に創建された建物。当時は釈迦堂といわれていましたが、永仁、文明年間に二度焼失しました。現在の金堂は豊臣秀吉の命によって紀州(和歌山県)湯浅から移築が計画され、秀頼の時代、慶長5年(1600)に完成しました。この金堂が、醍醐寺の中心のお堂であり、安置されている薬師如来坐像が醍醐寺の本尊です。

 五重塔は、醍醐天皇のご冥福を祈るために、第一皇子・朱雀天皇が承平6年(936)に着工し、第二皇子・村上天皇の天暦5年(951)に完成しました。初層の内部には両界曼荼羅や真言八祖が描かれており、日本密教絵画の源流をなすものといわれています。高さは約38メートルで屋根の上の相輪は約13メートルあり、相輪が塔の三分の一を占め、安定感を与えています。京都府下で最も古い木造建築物となっています。

 醍醐山の山麓から山頂にかけて広大な敷地内に金堂、五重塔、薬師堂などが立ち並ぶ。春の桜で有名な醍醐寺にはモミジ・イチョウ・コナラ・リョウブなどの落葉広葉樹も多く、秋には見事に紅葉が見ることが出来ます。

 ここの紅葉が綺麗です。旧伝法学院は、仏道修行に志すものの錬成道場で、醍醐天皇一千年御忌を記念し、1930年(昭和5年)に造築しました。

 鐘楼は国宝金堂の前と大講堂の横にあり、除夜の鐘は1月1日午前0時からつくことができます。この近くにあるイチョウが黄葉すると落ち葉がジュウタンのように引き詰められ素晴らしく綺麗ですよ。

 鐘楼とモミジの紅葉がいいですね。

 日が少しずつ傾き、モミジの紅葉がより色が増してくるようです。

 逆光のモミジは、また 素晴らしく見えます。

 弁天池に弁天堂と紅葉された木々が水面に映り素晴らしい光景で最高です。七福神の一つ弁財天を祀る弁天堂は、醍醐天皇一千年忌を記念し、1930年(昭和5年)篤信家の寄進により造築です。

 弁天堂に橋から見ると、紅葉やイチョウが色づく季節には、朱塗りの弁天堂が水面とよく合う紅葉の名所となっています。

 池に垂れ下がるように紅葉された木々が美しいですね。 

 醍醐山全山を寺域とする京都市内最大の寺院で、真言宗醍醐派の総本山。伽藍は山上の上[かみ]醍醐と山下の下[しも]醍醐に分かれ、80余りの堂塔が立つ。貞観16年(874)に修験道中興の祖でもある聖宝・理源大師[しょうぼう・りげんだいし]が開き、豊臣秀吉が再興した。国宝、重要文化財を含む10万点以上の文化財を所蔵し、世界文化遺産にも登録されている。慶長3年(1598)の「醍醐の花見」は有名だが、その年の秋に、秀吉はここ醍醐寺で「モミジ狩り」を約束し、楽しみにしていたが果たせなかった。醍醐寺の紅葉は、秀吉が後世の人々に残した形見かもしれない

 醍醐寺の紅葉もいい天気に恵まれ、これまでの最高の紅葉日和でした。
 次回をお楽しみに  では またね









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京都・祇園白川の秋の町並み  2013.11.21

2013年11月24日 19時28分57秒 | 公園・名所・名勝


  所在地  祇園白川      京都市東山区祇園白川

 東山のふもとから祇園を流れ鴨川へと注ぐ白川へ、四条大橋を渡り四条通りから花見小路通りを抜けて祇園白川へ行きます。

 白川巽橋付近は祇園白川の中心部です。この付近には歴史的建造物が立ち並び、街並みが保護されています。

 新橋、白川周辺は祇園の中で最も情緒がある所ですので、祇園に来ることがありましたら、絶対見てほしいとこですね。

 祇園白川のシンボル的な存在の巽橋近くにある辰巳大明神は、元来はその名が示すように、辰巳の方角(南東)を守る神社でしたが、いつしか芸妓さんや舞妓さんをはじめとする祇園芸能関係者から、芸事の上達を祈る「祇園のお稲荷さん」と呼ばれ親しまれるようになりました。

 実は白川南通は桜の名所でもあり、春の桜が満開の頃に訪れれば、この区民誇りの木のシダレザクラを筆頭に、息を呑むような美しさに心を奪われてしまうはずですが、次回は春の桜が咲くころに来たいものです。

 白川南通には、こちらは祇園とは切っても切れない縁のある歌人、吉井勇の「かにかくに祇園はこひし寝るときも枕の下を水のながるる」という有名な一首を刻んだ「かにかくに」の歌碑があります。

 祇園白川は伝統的建造物群保存地区として守られ、昔の情緒を残した美しい町家がみられるエリアです。石畳とその脇になびく枝垂れ柳、そして道路に面した犬矢来(いぬやらい)が、更に京都らしい風情を私達に感じさせてくれることでしょう。

 白川通は石畳が敷かれた趣を感じられる通りで、桜の時期には白川に映る夜桜のお花見スポットとしても人気があり、初夏の時期は緑の柳が風流です。また 秋には、桜などが紅葉して周辺などの風景に多くの観光客が感動させられています。

 祇園は日本を代表する芸能の街ですが、祇園の中ほどに白川の清流が流れています。白川沿いには季節の花や木々が咲いています。川沿いの京町家からは洒落た三味線の音が聞こえたりします。祇園白川付近は人気のスポットで、連日カメラを手にした人達が「舞妓はん」「芸妓はん」への追っかけが出るほどです。

 京都の花街・祇園白川において、舞妓さんの黒紋付の正装姿にお目にかかりました。

 白川南通なら、祇園の雰囲気と風情をたっぷりと楽しめ、白川は美しい町家の傍を静かにさらさらと流れていきます。町家と見事に調和した風景に多くの観光客が感動させられています。

 祇園白川は、縄手通の東側、新橋通と白川に面する辺り。お茶屋の立ち並ぶ美しいこの周辺地区の町並みが見られます。
  次回をお楽しみに  では またね
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黒田官兵衛ゆかりの兵主神社  2013.11.16

2013年11月22日 21時17分06秒 | 神社・寺院


  所在地   兵主神社    兵庫県西脇市黒田庄岡372―2

 創建 由緒
宝亀5年(774)1月播磨掾を拝した岡本修理太夫は大和国岡本邑より当地に赴任し延暦元年(782)正月当社付近の森地四町余を開き神社の造営いに着手し同3年(784)甲子6月14日兵主神社を勧請したものだそうです。
大己貴命(おおなむち)を祀り。兵主神は日本古来の神ではなく、外来のものとする説もあるようです。

 道路を一つ隔てたところに鐘楼があります。

 手を清めてお参りです。

 山門の両脇には、仁王像ではなく、弓の矢を持った武将が祀られています。武将の紋所は、五三の桐です。

 戦国時代、豊臣秀吉が三木城攻略に際し臣下の黒田官兵衛が戦勝祈願に灯明田を献納し、その奉納金で拝殿が改築されたとも伝えられています。県の重要文化財である拝殿の長床は、桃山時代の建築様式を伝える貴重なものです。この茅葺の拝殿は天正十九年(1591)建立で、その当時の姿のまま今に至るそうです。

 西脇市の兵主神社では、大己貴命(おおなむちのみこと)、八千戈命(やちほこのかみ)、葦原醜男(あしはらのしこお)、大物主命(おおものぬしのみこと)、清之湯山主三名狭漏彦八島篠命(すがのゆやまぬしみなさろひこやしましののみこと)、を祀っています。兵主神社は、武器を作る鍛冶屋さんをお祀りしているようなので、庶民の祀る神社と比べると、なんとなく武家的なイメージがあるようです。

 拝殿は、全国的にも貴重な桃山時代の建築様式を伝える茅葺入母屋造の長床式で、県の重要文化財にも指定されています。本殿は、正徳4年(1714〉本殿再建で、本殿脇障子裏面に銘があり 大坂安土町3丁目 社堂彫物工 中川利兵衛藤原親家工之とあります。

 桃山時代の建築様式を伝える貴重なものです。社紋は、豊臣氏の拝殿奉納により五・七の桐。毎年10月には秋祭りが行われます。これは、五穀豊穣を願う伝統ある行事で、神輿と大名行列を模した神幸行列「レッケイ」は近在にも珍しく、多数の見物客でにぎわいます。

 兵主神社と呼ばれる兵庫(つらものぐら)の鎮守の神社は、日本に19社あるそうです。一番大きいのは滋賀県野洲市にある「兵主大社」のようです。
 次回をお楽しみに  では またね













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すみよし桃源郷の秋  2013.11.16

2013年11月21日 08時55分01秒 | 季節のたより


  所在地  住吉市民農園(すみよし桃源郷)   兵庫県西脇市住吉町1020

 国道175を北上して西脇市に入り黒田庄の寺内北交差点を右に権道36を走り、加古川の支流細谷川の最上流地域に、左側に大通寺と住吉市民農園「すみよし桃源郷」があります。ちょっと拝見すると寺らしくないですね。境内には触れると幸福を得られるという「力石」があります。

 住吉市民農園「すみよし桃源郷」内にある大通寺、開山600余年の像高142cm、寄木造の薬師如来坐像で半尺六部仏と呼ばれ、昔、付近の住吉神社境内にあったものをお堂ごと移築したと伝えられています。 

 園内の紅葉があまりにも綺麗ですので許可をもらい入らせていただきました。

 今日は、土曜日ですが、カフェ「あんずの里」の人が居りましたので、聞きますと毎月1回(第3日曜日)開催され、地元住吉の皆さまがカフェあんずの里を運営しておられます。 ワンコインランチ(500円)がオススメのようです。

  町民一丸となって市民農園の運営に取組んでおり、農園利用者も予約受付中! 農園の管理棟に隣接して、「スイレン池」などがあり、秋の紅葉の時期も素晴らしいですね。

 県立自然公園の西光寺山のふもと、一級河川畑谷川の源に広がる自然環境豊かな山間の水田を利用した市民農園です。きれいな水と空気によって育まれたお米は良質で、とってもおいしいと好評ようです。長閑な庭園でここで一日ゆっくりと過ごすことができますね。

 四季折々、自然に恵まれた庭園にはスイレン・モリアオガエルなどが、秋には、こんなに綺麗な紅葉が見ることが出来ます。

 スイレンが咲く頃には、また 綺麗な景色が見られるんでしょうね、その光景が頭に浮かびます。

 庭園に入れたのが幸運でした。それにしても毎月1回(第3日曜日)にしか開園していないとは残念です。機会がありましたら また お邪魔したいです。
 次回をお楽しみに  では またね
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黒田官兵衛ゆかりの荘厳寺  2013.11.16

2013年11月20日 19時06分40秒 | 神社・寺院


  所在地  荘厳寺       兵庫県西脇市黒田庄町黒田1589

 国道175号を北上して、西脇から黒田庄に入り田高交差点を右折、直進して右に特養老人ホームを廻り込む形で右に曲がると荘厳寺の入口があります。

 境内には広い駐車場がありますが、来年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」に合わせ、主人公の黒田官兵衛生誕地をPRしている西脇市黒田庄町で明日の17日、「黒田の里 官兵衛まつり」が同町黒田の荘厳寺で開かれる。関西学院大のサークル・都市研究会の学生らが企画・立案に参加した前夜祭も16日、同寺で催されるようで、駐車場が使用できませんでした。

 ここ荘厳寺には、秀吉の軍師・黒田官兵衛は一説によると、ここ黒田庄出身ともいわれていますが、いずれにしても播磨の出身といわれています、戦国の知将黒田官兵衛及び黒田氏に係る資料ですが、黒田氏の発生から滅亡までの歴史が記された「黒田家略系図」が所蔵されています。荘厳寺に伝わる黒田家の系図には官兵衛の名前が記されているらしいです。

 苔むしたこの杉林の参道を、とても美しい石垣を見ながらゆっくり登っていきます。

 境内から多宝塔への参道は、白壁横の階段を上がり杉木が林立する中を5分程上がった場所に本堂があります。静かな山あいの中にあり紅葉の落ち葉は地面いっぱいに輝いている中を歩きます。

 本堂手前には、鐘楼が慶安二(1649)年と書かれた札があり361年も昔の鐘ですね。

 階段を上がると本堂が、白雉年間(650~)、法道仙人の開基。慶長年間(1596~)の盛時には10か寺の塔頭を構えました。重要な古建築を保全するため「平成の大修復」なのか、現在、本堂が修復修理事業が行われていますので残念です。

 本堂のある境内には1190年頃に佐々木高綱の造営と伝えられる二重塔(多宝塔)があり、優美な姿をたたえています。 秋には見事な紅葉に包まれ、多宝塔は建久年間(1190~)に造立、正徳元年(1711)に再建されました。檜皮葺きの屋根に、円筒形の2層目が特徴的です。

 当山のご本尊は十一面観世音菩薩です。この観音さまは、抜苦与楽(苦を抜き、楽を与えること)、一切の苦しみから私たちを救ってくださる慈悲深い菩薩です。

 針葉樹を背に真っ赤に紅葉したカエデが素晴らしく 燃えているかの様な赤色に目を奪われるような参道を下っていきます。静かで写真愛好家なども訪れるいいところですよ。
 次回をお楽しみに  では またね
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宮本武蔵誕生の地  2013.11.11

2013年11月16日 16時35分52秒 | 公園・名所・名勝


  所在地   宮本武蔵誕生の地   岡山県美作市宮本

 久々にこの地に来ました。駐車場に車を止めて探索してみます。武蔵資料館、武蔵の生家、墓その他武蔵にゆかりの深い史跡があります。

 武蔵は天正12年(1584年)生まれ。父・平田無二(無二斎)、祖父を平田将監といい、両人とも十手術の達人という武術家の家に生まれ育ちました。生家はもともと、約60m四方の大きな構(かまえ)の中に立つ大きな茅葺の家でした。神社のそばにあったことから“宮本の構(みやもとのかまえ)”と呼ばれていました。建物は昭和時代に火災により焼失、昭和17年に現在の瓦屋となりました。大黒柱の位置は昔と変わらないと伝えられています。昭和34年には宅跡が「岡山県史跡」に指定されました。

 讃甘神社のすぐ側を宮本川が流れています、そこには水車が武蔵の少年時代も水車があったのでしょうか?

 讃甘神社(さのもじんじゃ) 宮本武蔵生家跡に隣接していて、武蔵の幼年時代を語るゆかりの神社として知られる。現在の社殿は、津山藩主・森長継が元禄8年(1695)に改築したものです。

 武蔵の里は、紅葉で綺麗ですよ

 お宿の玄関先には、今盛りの紅葉が見られ心が休まります。

 武蔵の里”に「武蔵資料館」があります。そこには、彫刻界の巨匠「富永直樹」先生の作品で、庭園には日本の刀を振りかざしたポーズの“青年期宮本武蔵像”もあります。

 緑豊かな庭園の紅葉を眺めながら散歩するのもいいでしょう。

 敷地内では池を中心に回遊式の日本庭園が広がり東屋などが設置され水面に浮かぶ背景が美しいです。

 四季折々の風情を見せる回遊式日本庭園が迎える武蔵の里五輪坊は宿泊・食事ができる施設がありす。

 武蔵の生家跡の隣の水車小屋から望む景色もいいですよ

 ここ「平尾家」は、武蔵の姉おぎんの嫁ぎ先で、「元屋敷」という地名で町内で最も大きい茅葺きの屋根です。慶長5年武蔵が武者修行に出立した時、家の道具・系図・すやり・十手をおぎん夫婦に渡しました。その後元和9年おぎんの次男九郎兵衛景貞がここに居住し、武蔵家を相続したと伝えられています。庭の池水はその時つくられたもので辺には樹齢400年のタラヨウと樹齢300年のウヅキの古木があり、屋敷の入口の栗の巨木といいさすがに宮本武蔵にゆかりの深い平尾家らしい趣があります。

 「平尾家」から釜坂峠へ行く道の途中に武蔵神社が

 郷土の生んだ剣聖・宮本武蔵を祀る神社として昭和46年4月奉賛会が中心となり建立しました。文武にたけた武蔵にあやかりたいと受験合格やスポーツ必勝の祈願にたくさんの人が訪れています

 ここが武蔵の墓で、 武蔵の養子・宮本伊織の手により熊本から分骨したものとされる。平田無二斉夫婦のものとされる墓の隣に建立されました。
 次回をお楽しみに  では またね










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八塔寺ふるさと村  2013.11.11

2013年11月15日 22時18分17秒 | 公園・名所・名勝


  所在地  八塔寺ふるさと村      岡山県備前市吉永町加賀美   

 八塔寺地区は,岡山県東部の備前市(旧吉永郡)にあり,岡山市と兵庫県姫路市のほぼ中間地点,兵庫県との県境に位置しています。この道(県道368 )を上がっていきます。

 八塔寺地区に、近づくにつれて茅葺の家が見かけるように

 突然視界が開け、山頂部にかやぶきの農家が点在するのどかな風景が広がります。標高400mの高原に開ける「八塔寺の村」。高野山に並ぶほど仏教が栄えたこの村も、今では戸数約13戸、ふるさと村のシンボル的存在の”カヤ葺き民家”と寺院からその歴史がほのかにうかがえます。しばらくで民俗資料館に到着です。

 茅葺の民家を移築した建物は、江戸時代の典型的な農家の面影を残しています。馬鍬などの農具類等を展示し、とおい昔日を偲ぶことができます。

 昔は、このような生活をしていたんですね。中には子供の頃、見かけた生活用品も~

 どかな景色の中を、のんびり散策すれば、遠い昔にかえったようななつかしい思い出がいっぱいで、タイムスリップしたようです。

 八塔寺公園は、田畑の中の小径や水車小屋・東屋・休憩所、小川など展望など、のどかな田園風景が広がっています。

 緑の山々をバックにコトコトとなつかしい昔ながらの水車小屋や小川のせせらぎ。四季を通じて訪れる人の心を和ませてくれます。

 あちらこちらに、のどかな里山風景が広がっており、ちょっと覗いて見ると新鮮さが感じます。

 棚田や山並みが、素朴な山村らしい景観を見せる八塔寺ふるさと村は、都会の疲れがすっかり姿を消してしまう。また、ここは映画「黒い雨」や、テレビドラマ「八つ墓村」「火垂るの墓」のロケ地になったことでも有名です。

 茅葺の家が点在する中、緑の豊かなふるさと村一帯は、コナラなどをまじえるアカマツ林が大半を占め、シラカシなどの常緑広葉樹林やモミの天然林、樹齢600年以上といわれるシイの古木が残されています。

 今も残る石仏などから当時がしのばれます。現在は茅葺き民家が点在し、田畑の中を細々と走る小径、水車小屋、小川のせせらぎなど、のどかな里山風景が広がっており、遠い昔を思い浮かべる山村の風景です。
 次回をお楽しみに  では またね










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梅小路蒸気機関車館  2013.11.09

2013年11月14日 19時20分14秒 | 公園・名所・名勝


  所在地    梅小路蒸気機関車館    京都市下京区観喜寺町

 梅小路蒸気機関車館の資料展示館として使用している旧二条駅舎は、1904(明治37)年、当時の私鉄、京都鉄道株式会社によって建設され、現役時代は日本最古の木造駅舎と言われていました。1996(平成8)年に嵯峨野線が高架化されると駅舎の役目を終え、1997(平成9)年に梅小路蒸気機関車館に移築、復元されました。

 ここは、昔の乗車券の発売窓口のごく一般的なものを再現したものです。内部は歴史的な資料を展示しています。

 お召列車で天皇、皇后両陛下が、ご使用されたものと同じ椅子かな?

 お召列車は天皇、皇后両陛下のご乗用として臨時に運転される列車で、ご乗用の客車「御料車(ごりょうしゃ)」がつながれました。お召列車の蒸気機関車はきれいに磨かれ、ここに展示してあるような装飾品で飾られました。

 C11形蒸気機関車の実物展示カットモデルの操車室内です。C11型蒸気機関車は1932年(昭和7年)から1947年(昭和22年)迄生産されました。子供たちが楽しく遊んでいます。

 オハフ50―68が、オハ50形式と同じく、昭和52年から488両が製作された、本州向け緩急普通車。トイレ、車掌室が後位、業務用室が前位に設けられています。今は、客車休憩所になっています。

 遠方に「はるか」が、関西国際空港の開港と同時にデビュー。ロゴにも日本の伝統美を表現し「はるか」なる印象をあらわしました。

 中でも人気なのが、本物の蒸気機関車がけん引する客車に乗ることがでます。料金は、¥200で、発車前の汽笛は近くで聞くと、お腹にドドドッとくるくらい大きな音で懐かしいです、沢山の人が乗車するのを待っています。

 実際の蒸気機関車(D51200)のけん引する客車に乗れて楽しめます。大人気の「SLスチーム号」。館内展示運転線の往復1kmを約10分間にわたり、蒸気機関車の旅の気分を満喫できますよ。

 当時は北海道と南九州でしか見られなくなったC551があるなんて、懐かしいですね、梅小路に存在することが、

 この「デゴイチ」は、1936年から1945年の間に1,115両が製造された大型の貨物用機関車です。D50形を改良したもので完成度の高い、日本を代表する機関車です。両数の多いこともあって、「デゴイチ」の愛称は機関車の代名詞にもなりました。D51形200号機は、米原や岐阜などに所属していたもので走行距離は255万キロになります。200号機がSLスチーム号として運行しています。

 子供の頃、大阪から東京までC62でけん引していた「つばめ」国鉄時代、神戸市の鷹取工場の転車台(ターンテーブル)で蒸気機関車が回転する姿を見かけたものです。

 転車台と放射状に伸びる引き込み線。蒸気機関車は車庫から引き込み線で転車台まで移動し、蒸気機関車の向きを変え、本線へと移動します。

 梅小路蒸気機関車館の扇形車庫は、1914(大正3)年に建設された現存する最古の鉄筋コンクリート造りの扇形車庫です。内部は、機関車駐留場、整備などを行う器械場や職場等に分かれており、20線の引き込み線を持っており、現在でも車庫内では蒸気機関車の保守や修繕などを行われています。

 蒸気機関車の運転台を見るのも懐かしいものです、

 沢山の蒸気機関車の形式称号が

 梅小路蒸気機関車館に来るのが初めてで懐かしい思い出です。
 次回をお楽しみに  では またね 
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梅小路公園・緑の館  2013.11.09

2013年11月13日 13時37分38秒 | 公園・名所・名勝


  所在地   梅小路公園・緑の館    京都市下京区観喜寺町56

 「庭園の上部に屋根をかけた空間」をイメージしてつくられた緑の館。平安遷都1200年を記念してつくられた朱雀の庭と一体となり、お客様をお迎えします。 館内は、限りなく庭園の自然と溶け合う空間。2階が朱雀の庭・いのちの森への入り口となっています。  入園料 ¥200

 、伝統と新しさを感じさせる池泉回遊式の庭園「朱雀の庭」があります。朱雀の庭は平成7年 (1995年) 4月から開園され、 松林、紅葉谷、野筋と遣水、水鏡、緑の館などを楽しむことができます。中でも黒御影石が使われた池は「水鏡」とも言われ、この庭の魅力です。

 目の前に朱雀の庭の風景が広がり美しい庭園です。

 岩場と渓流、紅葉からなる渓谷をイメージしたものでしょうね。

 この石碑は、平清盛の邸宅である西八条第で八条亭とも呼ばれ、平安京左京一坊の八条大路(現在の八条通)以北、大宮大路(現在の大宮通)以西に位置します。6町以上を占めていましたが、広大な邸が存在していたのではなく、町単位で殿舎が独立していたようです。『平家物語』によると、清盛が蓬を愛し庭に植えていたことから「蓬壺」ともいわれていました。出家後の清盛は、摂津福原(神戸市兵庫区)にいることが多かったので、清盛の妻・時子が女主としてここを守りました。

 渓谷を深く分け入ったような 紅葉渓(もみじだに)があり、 楓林橋を渡れば『 いのちの森 』、いま注目のビオ・トープ(昆虫、動物を育む自然環境)が保たれています。

 朱雀の庭は長年にわたって京都が培ってきた造園技術を駆使し、さらには日本庭園で使われないような洋花を積極的にとり入れるなど、伝統と創生が見事に調和したデザインの池泉回遊式庭園(9,000平方メートル)です。現代の感覚にもマッチする新しい試みを随所に取り入れたこの庭園は、建都1200年を記念する新しい市民の憩いの場となりました。

 池の水面に写る草木が美しく見え素晴らしいですね

 小川がせせらぐ中、小さな滝があり感じがいいです

 日本風の出口が、ちょっと趣が違い穏やかに感じます。

 いい感じに紅葉が始まりかけています。これからですね。
 次回をお楽しみに  では またね
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サントリービール京都工場見学  2013.11.09

2013年11月12日 20時37分36秒 | 美味しい食物・食事処


  所在地   サントリービール京都工場   京都府長岡京市調子3丁目1-1

 今日は、初めてのサントリー京都ビール工場の見学です。サントリー京都ビール工場は、1969年にサントリービール第2の生産拠点として、歴史ある京都・長岡京市に開設いたしました。

 事前にインターネットまたはお電話にてお申し込みで、当月を含む3ヶ月分のご予約を承っております。
60分(ビール製造工程見学+試飲)一人で三杯飲むことが出来ます。

 工場見学する間、窓越に美しい庭が見え目の保養になります。

 今の時期、庭には「ジュウガツサクラ」が見頃を迎えております。

 可愛い子だね、この人が案内してくれるようですね。

 ガラス張りの綺麗な建物、エスカレーターを上がって2階に着くと、まずは、製麦の行程や原料についての説明があり、ホップの臭いをかがせてもらったり、大きなタンクがいっぱいある仕込み工程のタンクを覗いてみたり

 ここで、スクリーンを使って発酵の仕方や携わる技術者の方々の仕事について説明が

 この工程は貯酒することで、香りや旨みがまろやかになっていくようです。

 移動する通路に、こんな照明が

 ろ過工程では、成熟を終えたビールからオリや役目を終えた酵母を完全に取り去る行程です。ビールをつくる全工程でこうした徹底した衛生管理が熱処理をしない「生ビール」を生み出します。

 生ビールとは、熱処理されていないビールのことで、缶ビールであっても熱処理されてないものは
生ビールですね

 発酵、貯酒、ろ過の工程を経て缶詰めラインへ。

 見学工程を終わり、外を覗くと敷地内にはビールのタンクとかがいっぱい

 構内をバスで移動です。途中には、出来立てで出荷待ちのビールが詰まれた倉庫を通り抜け試飲へ

 試飲場では、無料で試飲できる製品は、ザ・プレミアムモルツ、モルツ、オールフリー、ソフトドリンク類。1人3杯までビールを飲むことが出来ます(おつまみ付)。やっぱりここで飲むビールは美味しいです。
 次回をお楽しみに  では またね
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有馬温泉街  2013.11.06

2013年11月09日 22時22分01秒 | 温泉


  所在地  有馬温泉街   神戸市北区有馬町790

 神戸電鉄・有馬温泉駅です。大阪から車で30分、神戸の中心街から20分前後の場所に日本最古の名湯がこんこんと湧く。六甲の自然に囲まれた温泉街は、狭い坂道が入り組み風情たっぷりの「関西の奥座敷」。「日本書紀」にも記載が残る古湯です。

 中央には湯けむりに見立てた滝が、右手には有馬温泉を愛した太閤秀吉の像(新谷英子 作)が有馬川をはさんで、ねね像と向かい合っております。湯けむり広場の中のかっぱの像「友情」は平成5年、札幌市定山渓温泉から提携20年を記念して贈られたものです。

 駅前から有馬川にかかる太閤橋は温泉街の入口にあり、赤い格子の太閤橋は、夜はライトアップされて温泉街を幻想的に見せてくれる。太閤橋とねね橋の間は有馬川に降りていくことができるようになっており、親水公園と呼ばれています。

 袂石の由来は、
ある時、松永城主が葦毛の馬に乗り、重藤の弓と白羽の弓と白羽の矢を持って、鷹狩をしていると、湯泉神社の祭神である熊野久須美命(くまのくすみのみこと)が狩場を通られました。松永城主は怪しく思って祭神様を射ようとしました。すると、祭神様は袂(たもと)から小石を取り出して、松永城主に向かって投げつけました。この小石が年月を経て大きくなり、袂から投げられたので、「袂石(たもといし)」とか、「礫石(つぶていし)」と言われるようになりました。

 杖捨橋を渡った横に道しるべが、瑞宝寺・宝塚・有馬の表示が

 有馬温泉街は坂道が多く、年を老いた人は、「あ、あ、疲れた。ここまでくれば、有馬の湯は目の前です。あとは坂を下るだけだから杖はもういらないだろう。」と言ってこの先にある杖捨橋に杖を置いたそうですが、

 「こぶし道」を歩いていると紅葉も始まり大きな「イチョウ」の木も黄葉が始まっています。

 温泉街に入ると「娯楽泉源」があります。案内板によると「 赤泉(赤湯)には、塩分と鉄分が多く含まれ、特に塩分濃度が日本一の温泉として有名です。」とあります。泉質は金泉(含鉄・ナトリウム-塩化物強塩高温泉)。湯温は97℃で、効能は切り傷、火傷、皮膚病、胃腸病などの効能があるようです。

 ここ「銀の湯」は、2001年9月にオープンした有馬の外湯「銀の湯」で、無色透明の炭酸泉とラジウム泉を源泉とし、大浴場は秀吉が入ったといわれる岩風呂をイメージして作られています。

 ここ御所泉源は、案内板によると「 赤泉(赤湯)には、塩分と鉄分が多く含まれ、特に塩分濃度が日本一の温泉として有名です。」とあります。泉質は金泉(含鉄・ナトリウム-塩化物強塩高温泉)。湯温は97℃で、効能は切り傷、火傷、皮膚病、胃腸病などの効能があるようです。

 温泉街には、興味のある町屋が建ち並ぶなか、懐かしいポストが点在しています。そんな温泉情緒あふれる温泉街散策もいいものです。

 ここ「金の湯」は、2002年12月にオープンした有馬の外湯で、「金の湯」は、透明な源泉が鉄分を多く含んでおり、空気に触れると酸化して赤褐色になります。また海水の3倍の塩分を含んでいます。金の湯の外には太閤泉が引かれた太閤の足湯と太閤の飲泉所もあります。

 有馬温泉の湯本坂は、昔ながらの温泉街の風情が漂います。名前の通り細い坂道になっているのもいい雰囲気です。趣のある建物が多く、有馬名物炭酸煎餅店や人形筆のお店・松茸昆布・飲食店が建ち並んでいます。

  有馬温泉に深い関係のある行基が開祖であると言われる由緒あるお寺で、4本の立派な枝垂桜があり糸桜と呼ばれ、樹齢260年の古木です。 有馬善福寺の糸桜の見頃は、4月中旬頃までで、秋には山門までの木が黄葉して綺麗です。今は紅葉が始まったばかりのようで、
 次回をお楽しみに  では またね











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有馬温泉・温泉寺  2013.11.06

2013年11月08日 17時38分02秒 | 神社・寺院


  所在地   温泉寺     神戸市北区有馬町1643

 神戸電鉄有馬温泉駅から徒歩10分のところにある。立派な本堂と大きな薬師如来像は必見のお寺で、この参道を上ったところにあります。

 参道を上がった右に有馬の氏神・温泉守護神として崇められている湯泉神社があります。草創期の祭神は、有馬温泉を発見したと伝えられる大己貴命 (大黒さま) と少彦名命 (医薬の神) です。歴史は古く、日本書記 (720年)に舒明天皇・孝徳天皇などの参拝が記されております。

 温泉寺の鐘楼は阪神大震災の被害を受け、2009年に修復されました。大晦日には観光客も除夜の鐘をつけるようです。

 境内には、紅葉が綺麗で、有馬温泉寺は、薬師如来のお導きで有馬温泉を訪れた僧・行基によって724年(神亀元年)開基したと伝えられる黄檗宗の古刹で、温泉寺は有馬温泉の歴史とともに盛衰を同じくしています。本堂には重要文化財の薬師如来と十二神将像が安置されています。

 温泉寺は、かつては本堂薬師堂を中心に湯泉神社(湯山三所権現)や別当権現坊などがある大きなお寺でしたが、幾度もの火災に遭いさらに明治の廃仏毀釈によって次第に衰退してきました。
毎年1月2日には、温泉寺に祀られている行基菩薩像と仁西上人像を神輿に乗せて、有馬の温泉街を練り歩く新年の行事「入初式」が行われています。

 中央のピカピカ光っている方がこちらのご本尊・薬師如来さまです。身の丈が一丈六尺あるそうで、一丈六尺と言えば、おおよそ5m近くある計算になりますが、しかし、どう見てもそんなにあるようには見えません。未だこの薬師如来さまの立ち姿を見た者はおりませんので、なんと言ってもこちらの如来さまは坐像ですからね、立ち姿の身の丈かな?

 縁の下に紙で出来たドラゴンが?

 極楽寺の創建は推古天皇2年(594)、聖徳太子によって開かれたのが始まりと伝えられています。当初は杖捨橋の東側付近にありましたが荒廃し、建久2年(1191)に仁西上人が再興、現在地に移されました。再興当時は温泉寺の1坊でしたが法然上人が説法を行うなど寺運が隆盛し念仏道場として信仰されました。現在の本堂は安永2年(1773)の火災で焼失後、天明2年(1782)に再建されたもので、境内は豊臣秀吉が築造した「湯山御殿」だったと推定されています

 温泉寺の北東に隣接している念仏寺は、岌誉上人の開基で1532年に創建されました。本尊は快慶の作と伝わる阿弥陀如来立像で、当初は谷之町にありましたが、約400年前に現在地に移っており、太閤秀吉・北政所の別邸跡と言われる見晴らしの良い、有馬でも一等地の高台にあります。徳川家康の檀那寺である大樹寺が浄土宗であったので、同じ宗派の念仏寺に特別な配慮があったものと言われています。現存の本堂は1712年の建立で、有馬温泉では最古の建造物です。この寺の石垣も有馬一古いと言われており、見事な石材が使われています。
 次回をお楽しみに  では またね
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有馬鼓ヶ滝  2013.11.06

2013年11月07日 21時28分30秒 | 滝・渓谷・山


  所在地   鼓ヶ滝   神戸市北区有馬町鼓ヶ滝公園

 瑞宝寺公園から「杖捨橋」へ、昔、有馬温泉へ杖をついて来湯した湯治客は有馬に来ると 見る見る元気になり、帰りには杖がいらない位に元気になったそうです。有馬温泉にある六甲川にかかる「杖捨橋」の名前の由来ともなっています。[杖に感謝しながら捨ててください。]

 「杖捨橋」から「こぶし道」を歩き、「六甲・有馬ロープウェイー」の有馬温泉駅の下を抜けるともうすぐです。

 「鼓ヶ滝公園」に入ってきました。

 瑞宝寺公園とともに名勝の地として知られる鼓ヶ滝公園は、温泉街から離れた森の中に上下2段に分かれた滝がある静かな公園です。8mの高さから豪快に流れ落ちる滝の音が、岩と滝の間にある空洞にこだましてポン!ポン!と鼓の音のように聴こえることからこの名がついたようです

 有馬から六甲山に向かう登山道には有馬四十八滝があり、冬には六甲山の樹氷と、アイスガーデンと呼ばれる有馬四十八滝の氷滝など、四季を通じて見所がいっぱいあります。

 「清響万古 湧白雲」が、滝壷のそばには、有馬温泉の自然景観の守りを祈念してこのような碑石が建てられています。

 鼓ヶ滝公園の通路が一部、がけ崩れのために閉鎖されています。ちょっと覗くと川の山沿いが、土砂崩れがあって危険だからその周辺だけ立ち入り禁止になっています。

 鼓ケ滝公園には、紅葉で有名な瑞宝寺公園に負けないくらい、綺麗な紅葉の大木がたくさんありますが、紅葉の見頃はまだ早いようです

 帰り道、後ろを振り向くと山の中腹付近が土砂崩れこの土が鼓ヶ滝公園に落ちてきたんですね。

 温泉街に戻る、途中の橋付近の紅葉が橋とマッチして美しいです。

 道から下に流れる川を覗くと川原を背景に紅葉が綺麗です。この後温泉街に
 次回をお楽しみに  では またね 
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