hasyan の 旅の散歩道

元気な間に余暇を通じてドライブなどで得た、行き先々の身近な風景・
神社仏閣・史跡・花の写真などをお伝えします。

清水寺と八坂の塔 2016.12.28

2016年12月31日 21時15分07秒 | 神社・寺院


   所在地    清水寺    京都市東山区清水1丁目

 東山五条交差点から五条坂を通り清水寺へ

 車と人の多くが行き交う細い道を歩きます。平日というのに多くの観光客が特に中国の観光客の人の声が聞こえ、店も人でいっぱいです。

 和服の人も多く見られ、これも海外の観光客がレンタルで借りて着ているようです。

 清水寺の正門で、幅約10メートル、奥行き約5メートル、棟高約14メートルの、室町時代再建当時の特徴を示す堂々たる楼門です。その後ろに三重塔としては日本最大級の高さ約31メートルの塔は、清水寺、京都東山のシンボルとして、古くから国内外に広く宣伝されています。

 仁王門近くから京都の市街地を見ると薄曇、遠くには、京都のシンボル京都タワーが見えます。

 清水寺は度々行っているので、八坂通りにある八坂の塔を見に

 以前来た時は、電柱と電線があり、景観を少し損なっていましたが、今は景観も改善されたようです。

 八坂通はその名の通り、東山のシンボルで五重塔「八坂の塔」に至る参道で、大和大路通から産寧坂・二寧坂に至る約830mのゆるやかな坂の道です。この八坂の塔は八坂神社とは関係が無く、法観寺(ほうかんじ)という禅寺の境内に建つ塔です。

 八坂神社と清水寺の中間に位置しており、「八坂の塔」という呼称で余りにも有名ですが、石畳の参道の正面に建つ八坂の塔を見ながら坂道を下ります。
 次回をお楽しみに では またね
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豊国神社と耳塚  2016.12.28

2016年12月31日 20時12分48秒 | 神社・寺院


  所在地    豊国神社     京都市東山区大和大路茶屋町530

 秀吉が亡くなった翌年の1599年(慶長4年)、彼はその遺言により東山の阿弥陀ヶ峰の山頂に葬られました。その中腹に秀吉を神様として祀る神社が創建されたのが、豊国神社の始まりで、後陽成天皇から「豊国大明神」の神号を賜り、盛大な鎮座祭も行われたのだそうで、お参りしていきましょう。

 1598年に63歳で亡くなった豊臣秀吉は後陽成天皇より正一位の神階と豊国大明神の神号を賜り、遺骸は遺命により阿弥陀ヶ峰の中腹に葬られました。また、その麓には廟社が造営され、その偉観は豊国祭礼図屏風にも描かれており壮観を極めました。しかし豊臣氏の滅亡後、その廟社は徳川幕府により取り壊され、豊臣秀吉の御霊は新日吉神社に移されました。その後(1880年)この地に社殿が再建され別格官幣社として復興されました。

 唐門は、これぞ豊国神社のシンボル・正面で参拝客を出迎えてくれる唐門。西本願寺・大徳寺の門と並び、国宝三唐門に数えられる見事な門は桃山時代の作という貴重なものです。かつては秀吉の居城のひとつ・伏見城の城門だったと伝えられています。伏見城が廃された後は二条城に移され、さらに南禅寺の塔頭・金地院へ、そして明治に入ってから豊国神社に移築されたのでした。

 年の瀬がせまり絵馬も飾られ新年の年を迎える時で一部ではあわただしく人々が動いています。

 豊国神社の前方にある、この塚は、16世紀末、天下を統一した豊臣秀吉がさらに大陸にも支配の手をのばそうとして、朝鮮半島に侵攻したいわゆる文禄・慶長の役(朝鮮史では、壬辰・丁酉の倭乱、1592~1598年)にかかる遺跡である。秀吉輩下の武将は、古来一般の戦功のしるしである首級の代わりに、朝鮮軍民男女の鼻や耳をそぎ、塩漬にして日本へ持ち帰った。それらは秀吉の命によりこの地に埋められ、供養の儀がもたれたという。これが伝えられる「耳塚(鼻塚)」のはじまりです。
 次回をお楽しみに では またね

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西教寺と明智光秀 2016.12.28

2016年12月31日 17時18分07秒 | 神社・寺院


  所在地    西教寺     滋賀県大津市坂本5丁目13―1

 滋賀県大津市の天台真盛宗総本山 西教寺は聖徳太子が恩師である高麗の僧慧慈、慧聡のために創建されたと伝えられています。その後、久しく荒廃していましたが、慈恵大師良源上人が復興、念仏の道場としました。

 桜に木が植わる参道を歩き、西教寺は、天台宗総本山の延暦寺、天台寺門宗総本山の園城寺(三井寺)と並ぶ、天台系仏教の一派である天台真盛宗の総本山として、400か寺以上の末寺を有します。

 本尊は阿弥陀如来。開基(創立者)は聖徳太子とする伝承もあるが判然とせず、室町時代、中興の祖であり天台真盛宗の宗祖である真盛が入寺してから栄えました。大師殿の正面にあり、東面して建つ1間1戸の四脚門で、両側に折曲がりの築地塀が延びています。屋根は檜皮葺で、入母屋造・前後軒唐破風付。組物は三斗組と簡素ですが、虹梁上に配された龍や獅子など多彩な彫刻、彫物欄間や板欄間、精緻な飾金具など、華やかな造形です。

 ここの西教寺も坂本周辺と同じく穴太衆という石工集団の里でもあって、加工しない自然石を上手に組み合わせて美しい石積みを見ることができます。

 本堂(重要文化財、江戸時代)
総欅入母屋造。江戸時代 元文4年(1739)に上棟落成。用材は紀州徳川家からの寄進、正面の欄間(十六羅漢)や須弥壇はすべて欅の素木造で江戸初期の特色を表す豪華な装飾が施されています。ご本尊は、重要文化財の丈六の阿弥陀如来(平安時代・定朝様式)が安置されています。

 元亀2年(1571)織田信長の比叡山焼き討ちの際、当寺も災禍を被りました。その直後に築かれた坂本城の城主となったのが明智光秀でした。光秀は西教寺の檀徒となり、復興に大きく力を注ぎました。総門は坂本城城門を移築したもので、鐘楼堂の鐘は陣鐘です。天正10年にこの世を去った光秀は6年前に亡くなった内室熙子や一族の墓とともに祠られています。

 光秀と煕子の結婚は天文14(1545)年頃と言われています。結婚前に煕子は疱瘡に罹り、顔に痘痕が残ってしまいます。煕子の実家・妻木家は、代わりに妹を嫁がせようとしますが、光秀はそれを拒みました。「容貌は変わりやすいもの。だが、心の美しさは決して変わらぬ」と語り、煕子との結婚を願ったそうです。光秀の煕子への愛を感じますね。

 真盛上人廟は西教寺では一番高いところにある建物でした。左手に名号石が建立されていて、その後に放生池があって、御廟への石段に向かう石橋が架かっています。少し急な一直線の石段を上って行く必要がありますが、疲れたので今回は階段を上がるのやめました。

 西教寺の勅使門は参道を突き当たりにあります。天皇の使者を迎えた門で、どっしりとした風格のある門です。
  次回をお楽しみに では またね

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平安京の表鬼門の日吉大社 2016.12.28

2016年12月30日 19時31分38秒 | 神社・寺院


  所在地    日吉大社    滋賀県大津市坂本5丁目1―1

 日吉大社には東本宮と西本宮がありますが、東本宮から入ります。本当はどちらから入るのが正解かな~ 前には重厚な楼門があり入ってみます。楼門とは、二階造(づくり)の門で、屋根が二階の部分だけにしかなく、一階の上に縁がある形式をいいます。
  参拝料 ¥300

 本殿・拝殿:国指定重要文化財
正面には東本宮拝殿(重文)があり、左側に樹下宮本殿(重文)、右側に樹下宮拝殿(重文)が配置されています。本殿は1595年の造営で、で三間社流造。本殿内ご神座の真下に霊泉の井戸があり、以前はご神水を採っていました。

 楼門を入った右には、雌梛(めなぎ)は男性が女性の幸せを、雄梛(おなぎ)は女性が男性の幸せを祈る木とされています。

 東本宮の楼門を出て右へ木が茂る道を西本宮方面へ

 途中に白山宮が祭神は、菊理姫神[くくりひめのかみ]で、平安時代に加賀国一宮「白山比神社」[しらやまひめじんじゃ]から勧請されたそうです。菊理姫神は、日本書紀の一書では、イザナミの死後にイザナギが黄泉の国へ行った場面で登場する正体不明の神様です。この本殿は、三間社流造[さんげんしゃながれづくり]、桧皮葺[ひわだぶき]の建物で、三間・二間が身舎[もや]、その前方一間通しの廂[ひさし]が前室となっています。

 ここから望むと、西本宮の隣に宇佐宮と白山宮があり、ひとつの境内にあるようにも思えます。西本宮・東本宮・宇佐宮を「日吉三聖」と呼ばれ、「宇佐宮」は本宮に次いで重要な宮のようです。そのためか火を使い食事を司る社で、竈殿社(かまでんしゃ)はこの三社のみに設けられています。

 西本宮の楼門の横には沢山の柿の実がなり、ちょっとした雪化粧です。

 この神社が位置するのは、比叡山の東側に当たり、創建は、崇神天皇7年と、なんと2100年ほど前というのですから、気が遠くなるほど昔のこと。東京の山王神社、日枝神社、京都の日吉神社など、全国3800以上の総本宮です。平安遷都では、都の北東に位置することから、鬼門を守る神社として崇敬されることに

 現在の西本宮本殿(国宝)は、天正14年(1586)に建てられたもので、慶長2年(1597)に改造されており、「日吉造」という特殊な構造で 「日吉造」は、聖帝造ともいい、全国では日吉大社だけに見られるもので、それは、三間・二間の身舎の前面、 両側面の三方に廂がめぐらされた形で、側面や背面にその特徴を見せ、また、正面には、一間の向拝と浜床をつけ、 縁高欄がまわりをめぐり また、その床下にはかつて仏事を営んだ「下殿」と呼ばれる部屋があります。 御祭神は大己貴神です。

 日吉大社の参拝を終えて山王鳥居をくぐり、大宮橋に来ました。東本宮の参道入口の「二宮橋」と、この西本宮参道入口にある「大宮橋」「走井橋」を合わせて「日吉三橋」と呼ぶようです。

 西本宮の参道入口にやって来ました。境内を約700mほど歩いたかな~
 次回をお楽しみに では またね
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日吉東照宮 2016.12.28

2016年12月30日 09時33分58秒 | 神社・寺院


  所在地   日吉東照宮    滋賀県大津市坂本4丁目2―12

 日吉東照宮の正面の階段の数はとても多く段差が高いため、上るのに息が切れそうです。気をつけて上がってくださいね。

  透塀(すきべい)がめぐらされた唐門(からもん)をくぐると、日光東照宮に劣らず素晴らしい社殿が眼前に迫ります。前方が拝殿、後方が本殿で2つの建物を石の間がつなぐという、いわゆる権現造といわれる構造をとり、いずれも総黒漆塗り・極彩色の豪華な社殿は目を見はるばかりです。

 今日は水曜日、平日の月~木曜日はご社殿・唐門を閉門していますので入れませんでしたが、透塀越しに見える拝殿で、日光東照宮に劣らず素晴らしい社殿が眼前に迫ります。

 日吉東照宮の境内からは、遠くは数時間前に降り積もった雪が御在所山付近の山に薄化粧して琵琶湖近辺は真っ白に綺麗です。

 社殿は前方の拝殿、後方の本殿、その間をつなぐ石の間からなる権現造りです。石の間は数段低く造られ、祭典者が祭神に対して背を向けても非礼にならないよう配慮された造り方だといわれています。

 日吉東照宮は徳川家康を祀る東照宮の一つで徳川家康の死後、南光坊天海が建てた東照宮のうちのひとつです。1623年に創建されたと言われており、明治時代以降は日吉大社の末社となっています。
 次回をお楽しみに では またね
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冬化粧の慈眼堂 2016.12.28

2016年12月29日 16時25分36秒 | 神社・寺院


  所在地    慈眼堂     滋賀県大津市坂本4丁目6―33

 滋賀院門跡の裏手にひっそりと鎮まる慈眼堂で、慈眼は南光坊・天海僧正に諡られた称号で、お堂は僧正の廟所です。ここは無料です。

 ここは暴れん坊将軍 II 「わらべ地蔵の子守唄」では、汐路章演じる地回りが立てこもる寺子屋、同じく II の「疑惑を呼んだ小さな命!」では、「上様の子」を身籠った大奥の中﨟の恋人が隠れるお堂。「吉宗婚約、五郎左は家出!?」では、珍しく上様と相愛になる娘が、加納じいとともに監禁されてしまう飛鳥山の荒れ寺。いずれも殺陣はお堂前で行われ、灯籠群の間を行き交っての立ち回りをしたところです。

 雪化粧の御廟は方形のお堂で、てっぺんに宝珠が乗り堂前にはまっすぐ石畳が伸びていて、両脇に大きな笠が特徴の灯籠が並び、足もとには厚く苔が敷き詰められています。慈眼とは慈眼大師のことで、慈眼大師とは南光坊天海のことで、江戸幕府を開いた徳川家康の側近として活躍した人のことで。 実は南光坊天海は明智光秀だった…みたいな浪漫溢れる説があったりする人で。 そんな南光坊天海の廟所であります

 徳川家康・秀忠・家光の3代につかえて、比叡山延暦寺を復興した、慈眼大師南光坊天海大僧正の廟所、慈眼堂の横には、桓武天皇・紫式部等の供養塔が並んでいます。

 大きな桓武天皇の供養塔の他に後陽成天皇、後水尾天皇、徳川家康、紫式部、和泉式部、新田義貞の供養塔や、歴代天台座主のお墓もあり、また 徳川家の菩提寺となった 江戸の寛永寺を開いたのもこの天海僧正です。かなりの長寿で、亡くなったのは寛永20(1643)年です。生年がわかっていないので、性格な歳はわかりませんが、「108歳だった」とされることが多 いようです。

 墓所の一段上には、十三体の阿弥陀仏が鎮座しています。これは六角承禎が母の故郷に奉じた48体のみで、仏の一部が鵜川からここへ移されたもので、十三石仏の名で親しまれています。
 次回をお楽しみに では またね

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穴太衆積みの石垣 2016.12.28

2016年12月28日 20時37分26秒 | 歴史・遺跡・伝説


  所在地   穴太積みの石垣     滋賀県大津市坂本4~5丁目

 京阪電車・坂本駅から日吉大社・日吉東照宮へ向かう日吉馬場の通りを歩くと随所に穴太衆積みの石垣があります。

 穴太衆は、近江の比叡山山麓にある穴太(穴太ノ里[あのうのさと]などとも俗称。現在の滋賀県大津市坂本穴太。延暦寺と日吉大社の門前町・坂本の近郊)の出身で、古墳築造などを行っていた石工の末裔であるという。寺院の石工を任されていたが、高い技術を買われて、安土城の石垣を施工したことで、織田信長や豊臣秀吉らによって城郭の石垣構築にも携わるようになりました。

 穴太(あのう)と読みますが、滋賀県大津市の坂本付近にある穴太の石工集団が積んだ石垣のことを言います。自然の石の形をそのまま活かして積む技法です。「坂本」を歩くと、あちこちで穴太積みの石垣を見ることができます。坂本の町並を美しくしているのは、まさにこの石垣の力強い美しさだと思いますよね~

 坂本の隣り町の穴太一帯にある花崗岩の自然石を使った乱積みから発展した積み方で穴太衆による石垣は堅固なもので院や坊などに使われて苔が生えた石垣と沿道の木々が静かな坂本の第一印象がいいものです。

 穴太積みされた石垣がある片側の道には、日吉大社方面から流れる綺麗な水が坂本の町並を美しくしているのかな~。

 里坊や神社、古い民家などの石垣には「穴太衆積み」(あのうしゅうづみ)と呼ばれる石積みが多くみられ、門前町、坂本の風情ある美しい景観を作り出すのに大きな役割を果たしています。

 戦国時代には、 織田信長が比叡山延暦寺を焼き討ちにした際、その石垣の堅牢さに驚き、坂本・穴太・ 滋賀里あたりに住んでいた石工職人たちを集めて安土城を築城したほどで、 職人たちはそれ以後「穴太衆」と呼ばれ、 大阪城や江戸城などの築城も手がけて全国的に知れ渡る存在になりました。
 次回をお楽しみに では またね
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明石海峡大橋のイルミネーション 2016.12.25

2016年12月26日 20時32分51秒 | 公園・名所・名勝


  所在地   舞子公園    神戸市垂水区東舞子町

 クリスマスシーズンですので、JR舞子公園を降りて舞子公園へ、どのようなライトアップを見せてくれるのでしょうかと、やって来ました。

 日が沈みかけ、神戸市と淡路島を結ぶ、世界最長の吊り橋である明石海峡大橋は圧倒的なスケールで、平日は毎時0分には虹色の、毎時30分には宝石色のパターンに5分間変化するようで楽しみです。

 大分、周辺が暗くなってきました。3991mの世界一長い吊り橋で、季節や神戸市のイベントに合わせて何十種類ものパターンがあるそうです。

 明石海峡大橋のイルミネーションが23日から25日まで、クリスマスの特別パターンになり、全長3911メートルの橋に、カラフルな色を次々と浮かび上がらせてくれます。「孫文記念館」も ライトアップで綺麗です。

 明石海峡大橋は通称パールブリッジとも呼ばれており、夜になると橋のいたるところが宝石をイメージした明かりを放ちます。また毎時0分にはレインボーに、毎時30分には季節ごとのカラーに5分程度明かりの色が変わります。

 世界で初めて色を自在に演出できるケーブル照明を設置。照明によるケーブル曲線美を表現できるようにしたイルミネーションを毎日行っていて、28パターンものライトアップがあり、季節や行事、時間などによって様々な彩りを見せてくれます。

 橋の全景が望める神戸市垂水区の海岸からは、色鮮やかな照明が海面に映り、その写真を撮りたかってですが短時間では撮れませんでした。

 明石海峡大橋のライトアップは、周辺の景観や航行安全対策等に配慮されたRGBイルミネーションが使われ、美しい光を放っています。

 クリスマスの時期ということで、舞子公園内は、いたるところにイルミネーションが輝き綺麗ですし沢山の家族ずれが来ています。

 舞子公園とJR舞子公園駅をつなぐ陸橋から国道2号線を見ると家路を急ぐ車が沢山往来しています。
 次回をお楽しみに では またね
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猪名川の静思館 2016.12.10

2016年12月15日 08時24分46秒 | 歴史・遺跡・伝説


  所在地   静思館    兵庫県川辺郡猪名川町上野字町廻22

 猪名川町役場の南側に隣接してたたずむ茅葺屋根の家「静思館」は。猪名川町で最も大きい民家の一つとされている「旧冨田家住宅」を、昭和58年に町が買い取り、文化の向上に役立てる目的で一般に公開しているものです。  
    入館・駐車場は無料で隣の猪名川町役場の駐車場も利用が可能です。

 正面の長屋門の 雨落(あまおち)は「貴船石」という貴重なものです。門の敷居をはずすと、人力車や車が入れるようになっています。すごいですね~。

 表門を入ると広い中庭の奥に土間の玄関があり、6~10畳の和室が7室と離れの内庭に面して茶室も設けられています。内部には当時の面影を伝える家具類や道具類がそのまま残されており、訪れる人の郷愁を誘います。

 長屋門を入った左側には道具部屋と炭部屋があり、台所の向かいに作られている。木瓜型の窓が美しい。その奥は味噌部屋で、板戸は弁柄塗りです。手前の奥には、氷 室(ひむろ)があり、冷蔵庫のなかった時代、食物などの保冷に使った所です。

 静思館という名前は、来館者に憩いと静思の場としていただくにふさわしい、緑と清い空気に恵まれた自然環境にある建物であることから名付けられたものです。こんな所に素晴らしい建物があり知りませんでした。

 この書斎蔵は、立派なもので 畳の下に厚さ1cmの鉄板を敷き、地下室を火床として利用していた。 部屋の暖房に朝鮮式の床下暖房「オンドル」が使われていました。

 土間には、大きなかまどがありますが、昼食時は大変な賑わいだったのでしょうね、当時の使用人の数は、男性が12名、女性が3〜5名いたということです。

 内部に入るとヨーロッパ文化にも精通しているひとが造った建物で、装飾のようなものはほとんどなく構造や建具が和風建築のシンプルなデザインで作られています。洋式のテーブルやいすも自然に溶け込んでいて、ほんとうにセンスのいい建物ですね。

 冨田氏が全国各地から良材を集め、江戸時代の豪農の屋敷を模したもので、町が文化施設としてよみがえらせたもので、四季折々の豊かな里山の風景に、すっぽりと抱かれたような茅葺の家「静思館」は庭もきれいですね。

 「旧冨田家住宅」は資産家として知られた冨田熊作氏(故人)が約2,500㎡の敷地に昭和7年から3年の歳月をかけて当時の金額で10万余りという莫大な資金とをかけ建てた(昭和7年の国家予算は約204万7千円)和風建築物です。茅葺き、総檜造りの母屋と四つの土蔵など、建築面積535.1㎡の広壮な屋敷です。

 静思館を入った番小屋の奥には綺麗なモミジが紅葉していいですね~。また 猪名川に立ち寄ったときは是非行きたいです。
 次回をお楽しみに では またね

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猪名川ふるさと館 2016.12.10

2016年12月14日 09時32分26秒 | 公園・名所・名勝


  所在地    ふるさと館    兵庫県川辺郡猪名川町木津字八十19-2

 「猪名川町立ふるさと館」は、町の歴史や文化財、民俗芸能関連の資料、また猪名川町の人びとが暮らしの中で、昭和の中ごろまで実際に使用した生活用具や農具 などを展示しています。

 建物の周りにも、町内で実際に使われていた農作業用の道具や生活道具展示されています。

 、館内に入ると民芸や伝統工芸品、歴史資料などが多数展示され 和室に置かれた道具類は,懐かしさを感じるね。

 実際に町内で使われていた生活用具を各種展示し また 農業に使われていた器具や道具も展示され懐かしい道具があり生活が思い出します。

 館内の奥には、木喰仏に関する資料や木喰上人(神通光明木喰明満仙人)の真筆(上人自身の筆跡)もご覧いただけますよ、興味深いですね。

 懐かしい沢山の生活道具やかまどを見ると、 昔、見たことのある品物があります。

 敷地内には、緑あふれる芝生広場や、小さなお子さまも人工水路で遊ぶこともでき、夏には家族連れで賑わうようです。

 このように「ふるさと館」の裏にある広い芝生公園では、すぐそばを猪名川が流れていて昆虫、小魚などの生き物やどんぐりなど四季折々の自然を満喫して楽しむことができます。

 芝生広場(親水公園)は、猪名川の本流に沿って整備され秋は紅葉や銀杏が色ずき、四季折々の季節が楽しませてくれるところです。
     無料   入館・駐車場(39台)
 次回をお楽しみに では またね 
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猪名川の八坂神社と天澤寺 2016.12.10

2016年12月13日 08時41分52秒 | 神社・寺院


  所在地    八坂神社・天澤寺   兵庫県川辺郡猪名川町木津字寺垣内8

 県道12号線の脇にも、大きな案内板があります。車は100mほど先の「ふるさと館」に止めて

 八坂神社の鳥居は神明造で立派で、この先の長床の下を通って、境内へまいります。時期的に紅葉の時期には終わりでしたが、シーズンには綺麗でしょうね。

 この上の建物は、江戸末期の造営と推定される。間口12.15メートル、奥行き3.9メートル。長床中央に直径2.66メートルの廻り舞台があり、農村歌舞伎特有の独楽回し式で、町内の長床で回り舞台が現存するのはここだけでこの下を潜ります。

 由緒・・・
応永十一年(1404年)、播磨国広峰山牛頭天王(現、姫路市、広峯神社)を勧請し鎮守社としたのが始まりと伝えられています。明治維新の廃仏毀釈によって鎮守社、牛頭天王社は独立し、現在の八坂神社と改称されました。

 八坂神社の左隣には天沢寺が位置します。

 このお寺は、応永十一年(1404)には真言宗を浄土宗に改めたそうですね。石段を上がっていきます。

 天平二年(730年)東大寺の大仏建立などにつくした行基が楊津院建立したと伝えられています。楊津院は、行基が近畿一円に建立したとされる四十九院の一つであり、その後身が天澤寺と伝えられています。

 境内の石灯籠には応永10年(1403)銘が入っています。この時期の石灯籠としては、 県下でも稀な例であるため兵庫県指定文化財になっています。  総高:1.86m
 次回をお楽しみに では またね

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多田銀銅山 2016.12.10

2016年12月12日 09時25分00秒 | 歴史・遺跡・伝説


  所在地   多田銀銅山     兵庫県川辺郡猪名川町銀山字長家前4-1

 多田銀銅山悠久の館は、北摂の山並みに広がる多田銀銅山の中心として栄えた銀山地区(旧銀山町)の歴史を紹介する施設です。館内には多田銀銅山に関わる絵図や古文書、鉱石・鉱山道具などの資料を展示しており、休憩の場としてもお使いいただける交流スペースで無料です。

 多田銀山周辺はかなり栄え、芝居小屋や遊郭などの娯楽施設があるほどの規模だったようですが、今は、静まり返った集落のようです。

 少し歩くと代官所の門(広芝邸) は、銀山の中心街の本町通りにあります。明治の初めに銀山役所を廃止した際、門だけが広芝邸の門として移築されました。当初の門は馬に乗ったまま通れるほど高いものであったと伝えられていますが、移築の際低くされました。 広芝は、銀山に古くからある地名でもあり、秀吉時代広芝陣屋として重要な役割も担いました。

 金山彦神社は鉱山の神様であり、金銀財宝守護、鎮火、防火の神としても知られていて、金山彦神社の鳥居をくぐると右手に石を積み上げた石垣があり、上部が平地となっており、赤く焼けた土が露出しています。崖の突端には石垣が築かれていて、「平炉跡」の案内標識が立っています。

 炭坑夫が山に入る前にここの神社で安全を祈願したのでしょうね。

 「銀山町山神宮由来記」には、大同2年(807)、氏神(大山咋命)山神社として建立され、天禄2年(971)に鉱山師・金瀬五郎により、社殿が御修造されたと記録されています。 寛政年間の鉱山繁盛期には、男御輿、女御輿が造作されました。現在では女御輿が一基残っているのみです。

 山地の中に生える常緑低木の「アオキ」が間歩(まぶ)の周辺に密生していたところから、「青木間歩」と名付けられたと言われているところがあります。

 この坑道が、青木間歩の入口で入抗無料です。左の階段を上がると「手掘の旧抗道跡」へ

  昭和38年、日本鉱業によって開坑されました。坑口は大きく、大人二人が並んで歩ける程です。平成12年、町によって整備され、体験入坑できる唯一の間歩です。 機械掘りで、全長52メートル。坑内の天井の一部に鉱脈を見ることができます。

 こn抗道の、年代は特定できないようで鉱脈に沿ってノミやタガネを使って掘った手掘り跡です。

 川沿いまで降りてきて左へ進むと「坑道を掘って出た地下水を手動でバケツリレー、滑車などを使って水を”水抜き通風穴”から流していた」と云われています水抜通風穴跡のようです。こちらの穴が水を抜くための穴だったんでしょうね。

 しばらく歩くと、今から約7,000万年前、鉱脈を含む地下の地層は長い年月の間に盛り上がり山となりますが、その後、山の頂が浸食作用によって削られ、鉱脈が地表に現れたものがあります。

 秀吉時代に開坑された間歩で、銀・銅が豊富に採掘され、大坂城の台所(財政)を賄うほどだったことから「台所間歩」という名がついたということです。

 秀吉の採掘時期(天正〜慶長期)の代表的な間歩です。 瓢箪にはじまり瓢箪に終わるといっても過言ではない大富鉱の銀鉱です。 秀吉の馬印の千成瓢箪を間歩の入口に立てることを許されたことから、「瓢箪間歩」と呼ばれるようになったということです。
  悠久の館から瓢箪間歩まで散策する。片道1.5キロぐらいあるでしょう。
 次回をお楽しみに では またね
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屏風岩 2016.12.10

2016年12月11日 11時32分56秒 | 滝・渓谷・山


  所在地    屏風岩    兵庫県川辺郡猪名川町北田原

 「道の駅いながわ」に車を止めて、ここから5分ぐらいのところに屏風岩がありますので歩いていきます

 北摂第一の名勝といわれ、その形が屏風を立てた姿に似ているところから名前がつきました。岩の高さ約30m、幅約100mに及びます。

 江戸時代の観光ガイドブックである『摂津名所図会』には「北摂第一の名勝地」とうたわれています。 橋の上から、春の桜,夏の蛍、秋の紅葉、冬の雪景色と、四季折々の自然豊かな景観が楽しめますが、歩道がないので気をつけて見ないとね~。

 猪名川渓谷自然公園の清流に高さ30m、幅100mにおよぶ岸壁が、屏風のようにそそり立ちみごとな景観をつくり出している奇石です。日没後のライトアップ(不定期)が幻想的な雰囲気を醸し出します。

 湛水域が映し込む木々、瀬を噛む荒瀬などみごとな景観で、景観を売り物にした旅館が対岸に建ち、夜間ライトアップなども行われているようで、綺麗な景観ですね。
 次回をお楽しみに では またね
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民話のくわばらくわばら欣勝寺 2016.12.10

2016年12月10日 21時55分57秒 | 歴史・遺跡・伝説


 所在地    欣勝寺     兵庫県三田市桑原866

 欣勝寺(きんしょうじ)は、三田市南部、武庫川(むこがわ)左(東)岸の桑原にあって、国道176号線からは東に400mほど離れた緑の丘陵に包まれている日当たりの良い丘陵にあり、その間の細い道を上ると欣勝寺の門が見えてきます。

 天禄年間(970-973)に清和天皇より分かれた源満仲の開基を伝える真言宗の道場で桑原山欣浄寺と称された古刹でした。その後、安貞2年(1228)曹洞宗の開祖道元禅師が28歳のとき留学から戻り、保養のため有馬温泉に入湯した際に、桑原の地に立ち寄りました。この寺の山が宋の不老山に似ていることから太宋山欣勝寺と命名し、曹洞宗に改宗されました。

 こちらは曹洞宗太宋山欣勝寺は、 最近本堂を建て替えられたのか綺麗になってます。 雷除けのお寺で桑原村のこちらお寺に雷の子供が井戸に落ちて、助けたことにより雷が落ちないという逸話となったようです

 この古井戸に落ちた、いたずらばかりする雷の子をこらしめるために古井戸にふたをしました。雷の子は「桑原へは二度と雷を落とさないから助けてくれ」と言ったので、住職が二度とこの土地に落ちないことを約束させて助けてやったそうです。雷が落ちないように、我が身に不吉なことが起こらないように「くわばら くわばら・・・」と唱えるようになりました。

 井戸のそばには、雷井戸と刻まれた石碑の足元には、可愛らしい小さな雷の人形があり何だか物言いをしているような姿が、

 昔、空の上では雷様の親子が、雨を降らせてやろうと太鼓をたたいていました。あわてものの雷の子が、欣勝寺の古井戸に落ちてしまい、 どうしても外へ出られないので、「助けてくれ一!」と大声で叫んだ。 和尚さんは、井戸にふたをしてこらしめ、 雷の子は、「助けておくれ。桑原へは二度と雷を落とさない。」と言ったので、和尚さんは助けました。 雷の子は帰って親に、一部始終を話した。雷の親は、和尚さんにたいへん感謝し、雷たちを集めて、「これから欣勝寺や桑原には絶対に落としてはならないぞ。」ときつく戒めたという話です。
 次回をお楽しみに では またね
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晩秋の箕面公園 2016.12.07

2016年12月08日 14時32分30秒 | 公園・名所・名勝


  所在地   箕面公園    大阪市箕面市箕面1-18

 駅を出たら北に向かって行くとお土産物屋さんなどが立ち並ぶ通りを進みます。あとは箕面川に沿って、滝まで散歩をお楽しみながら歩きます。

 「大江戸温泉物語」経営する箕面温泉スパーガーデンの建物が、大阪平野を一望する絶景の宿で、天然温泉と江戸情緒を味わえる高原リゾート箕面観光ホテルです。

 春は山を彩るヤマザクラやイロハモミジ、夏は谷間を飾るシダ類、秋は見事な紅葉、冬は赤く色づくアオキの実など四季折々のすてきな出会いがあります。

 紅葉の最盛期は過ぎましたが、それでも まだまだ紅葉が楽しまれます。

 公園の入り口から渓流に沿って約2,4kmの「みのお大滝」につながる道は「滝道(たきみち)」と呼ばれ、箕面公園随一の景勝「みのお大滝(箕面滝)」まで整備されています。

 滝道に並ぶ土産物屋では、もみじの葉を1枚1枚丁寧に揚げた美味しい「かりんと」ようなお菓子が売られています。

 箕面川の川面に紅葉した木々の葉が映り川のせせらぎを聞きながら一息です。

 紅い橋の欄干の向こうには、「宝くじ」の起源である、発祥の寺で日本最古の弁財天として有名な瀧安寺があります。

 箕面川の渓谷には、多くの淵があり目を楽しませてくれます。

 淵を背景に、大きな「きのこ」を見つけましたので、ちょうと写真を撮って見ました。

 公園の入り口から渓流に沿って約2,4km歩いて滝に、日本の滝100選のひとつで高さ33mの滝の周辺一帯は明治の森箕面国定公園に指定されていて春は新緑が美しく、秋の紅葉ともに綺麗ですが落葉が目立ちます。

 古くは修験道の道場であった。「箕面」の名は木々の間から流れ落ちる姿が蓑に似ていることから付けられたとか、周辺に「尾」のつく地名が多いことから水尾から転じたとも言われています。

 帰りは、途中から箕面川の反対の山沿いを歩き、紅葉した落葉のジュウタンの上を歩くのも また いいものです。

 箕面の滝へ行くときに見た紅葉と また 山沿いを歩きながら見る景観も綺麗です。

 周辺の山にはニホンザルが頻繁に出現しますが、1頭も合うこともなく まだまだ 綺麗な紅葉を見ながら阪急箕面駅へ
 次回をお楽しみに では またね
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