hasyan の 旅の散歩道

元気な間に余暇を通じてドライブなどで得た、行き先々の身近な風景・
神社仏閣・史跡・花の写真などをお伝えします。

坂田金時の墓がある満願寺 2016.03.22

2016年03月25日 20時37分20秒 | 歴史・遺跡・伝説


 所在地    満願寺      兵庫県川西市満願寺町7―1

 川西市の飛び地にある満願寺は、歩いていく場合には急な坂を登っていきます。満願寺は、源氏一門の祈願所とされる由緒ある真言宗の古刹です。

 この寺の「山門」は他の寺では見ることのできない珍しい形をしており明治14年(1881年)に再建されたものといわれています。門の左右に安置されている「木造金剛力士立像(仁王像)」は多田院にあったものを移したといわれており、鎌倉時代末期の作とされ、兵庫県有形文化財に指定されています。

 山門をくぐると、これからの季節は桜が綺麗に咲き、秋は紅葉が綺麗な参道のようで、途中100円の入山料を入れる箱が置いてあるので、入山料を支払い入っていきます。

 広場の右側(東側)に「観音堂」が建てられています。「観音堂」に安置されている「木造千手観世音菩薩立像」は新西国三十三ヶ所の本尊であり、平安時代中期~後期の作とされている。この仏像は秘仏になっており、年一回春の彼岸に開扉されているようです。

 観音堂前の広場の石段を更に上がると正面に見える建物が「金堂」であり、「金堂」には「木造十一面観音菩薩立像」、「木造聖観音菩薩立像」などが安置されているようである。この「木造十一面観音菩薩立像」は平安時代末期、「木造聖観音菩薩立像」は平安時代前期末の作とされており、共に兵庫県有形文化財に指定されている。

 境内には、「三廟」があり、源満仲の子、美女丸、美女丸の身代わりになった幸寿丸、幸寿丸の父親であり源満仲の家臣、藤原仲光の墓であると伝えられているという。この「三廟」(五輪塔群)は室町時代初期~末期に造立されたものと考えられており、川西市文化財に指定されている。

 源家の七塔といわれる供養等があります、源国房、光国、明国、仲政、国直、行国、国基(頼光-頼国系統)が祀られています。

 満願寺にある九重石塔は、源氏一族の法尼妙阿が亡き父の供養に1293年に造立したと刻銘があり、技法の優れた鎌倉時代の代表的な層塔とされている。 法尼妙阿の夫・足利家氏は、鎌倉時代中期の武将で斯波氏(家氏が陸奥の斯波郡を領したことに由来)の祖であることから斯波家氏とも云われます。

 境内東側の奥まった木立の中に「坂田金時の墓」があります。金太郎にはいくつも伝説が存在する人物で、 天暦10年(956年)5月に誕生したといわれ、成長した金太郎は足柄山で熊と相撲をとり、母に孝行する元気で優しい子供に育ち、天延4年3月21日(976年4月28日)、足柄峠にさしかかった源頼光と出会い、その力量を認められて家来となる。名前も坂田金時(きんとき)と改名 し、京にのぼって頼光四天王の一人となりました。現在北九州市へ向かう途中、作州路美作(みまさか)勝田壮(現 在の岡山県勝央町)にて重い熱病にかかり死去。享年55だったといわれます。
 次回をお楽しみに では またね


最新の画像もっと見る

コメントを投稿