みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

外臺に堤防を築かない訳が解った

2017-05-28 10:00:00 | 「賢治研究」の更なる発展のために
 先に私は
   (この度の外臺における「大規模圃場整備」において、外臺側に)堤防を築かぬままに「大規模圃場整備」をしている理由が解った。
と述べたところだが、そのことについて今回は報告したい。
 まずはそのために、外臺の河岸段丘からその工事現場を俯瞰してみる。 
《1 》(平成29年5月23日撮影)

《2 》(平成29年5月23日撮影)

《3 》(平成29年5月23日撮影)

大規模であることが一目瞭然であり、たしかに「すげぇな」と思わせられる。
 しかし、よくよく見てみるとこの中にはまだ
《4 林檎園》(平成29年5月23日撮影)

がそのままの状態で残っている。それはなぜか。地元の農家の人と出会っていろいろとお話しをお伺いでき、その理由等を教えてもらった。
 この林檎園は矮化栽培によるものであり、折角ここまで育ててきた林檎の木を切り倒すのは忍びないと経営者は考えているからのようだ。
 そもそも外臺のこの辺りは、賢治が生きていた頃は桑畑であった。ところが昭和農業恐慌で養蚕も立ちゆかなくなってしまったので、昭和14~5年頃に田圃にした。しかし、この一帯の土地は肥沃だが、もともと農業用水が不足だったので北上川からの揚水も考えたが上手くいかなかった。そこである時から地下水を汲み上げて用水にしたならばそれが上手くいって稲作も順調だった。
 ところが、減反政策が導入されてからというものは、この辺りの田圃がその対象となって稲作は再び頓挫。やむを得ず転作がなされて最近では多くが畑になってしまったりしていた
と。そこで私は直感した、もしかすると林檎園の持ち主はこの「大規模圃場整備」の思惑を見抜いていて、「強い農業」の悲しい結末を予測しているのではなかろうかと。

 そもそも以前から特に腑に落ちない点があった。それは、この度の「大規模圃場整備」において、当然然るべき大堤防が併せて築かれるものと私は思っていたのだが、肝心の堤防が築かれることはないというからだ。しかも、当該土地改良区の係の人はしれっとして
  この一帯は平成19年に洪水で冠水したが、もしそのようなことがあっても、お米は24時間以内の冠水であれば収量に対する影響がないから大丈夫です。
と嘯く。農家の人の気持ちなど全く無視しているようにしか私には聞こえない。
 ちなみに『Yahoo !地図 Japan』から引用させてもらえば(Yahoo ! Japan さんどうぞお赦しを)この一帯の俯瞰写真は以下のとおり。
【花巻市外臺一帯俯瞰写真】

 そしてこの写真からお判りのように、北上川の東岸に沿って堤防が築かれている。同じく西側にも下根子桜の高台の部分までは立派な堤防が築かれている。ならばなぜ、折角立派な圃場に整備するというのであれば、東岸と同じように西岸(つまり外臺側の岸)にも立派な堤防を造らないのか。私は不思議で不思議でならなかった。

 それがこの度、前掲の「地元の農家の人」から、
   ここ外臺は遊水地なのです。
ということを教えてもらって愕然とするとともに、一方で腑に落ちた。だから、土地改良区ではここに堤防を築くつもりなど毛頭なく、「稲は冠水しても24時間以内であればたいしたことはない」などと担当者は平然と宣っていたのだ、この人は始めっから遊水地であるということを織り込んで喋っていたのだ、という論理だけは私にも理解出来た。そして、あまりにも外臺の農家の人達のことを軽んじているこの「大規模圃場整備」に対して、私は次第に怒りが沸々と湧いてきた。堤防を築かない訳は外臺は遊水地だからであり、またここでも、農家の人達だけが犠牲にされているのだ。そして一方では、すぐ隣ではたわわに実った広大な田圃が刈り取りもされず放置されているというあり得ない状態がここ二年ほど繰り返されている。

 私は独りごちた、
 つい先だって、さも得意げに「外臺の夢」などと大々的にぶち上げた人がいたようだが、はたして彼はこれらのことに関してよく見聞きし、分かっていたのだろうか。賢治はこの人を何と見ていたのだろうか。そして、賢治はこの「大規模圃場整備」の実態を嘆き、将来を危ぶみ、何が「夢」だ!とおそらく言い放つだろう。
と。

 その河岸段丘の縁には
《5 アヤメ》(平成29年5月23日撮影)

《6 》(平成29年5月23日撮影)

《7 ミズキ》(平成29年5月23日撮影)

《8 フジ》(平成29年5月23日撮影)

《9 オニグルミ》(平成29年5月23日撮影)

などの花が咲いていた。

 しかし外臺のあの見事な合歓の大木は、もうこれからは私の眼裏においてしか花咲くことはない。

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