みちのくの山野草

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松田甚次郞没後80年記念「愛郷・愛土」展

2023-12-12 12:00:00 | 賢治関連
 今、花巻の『なはんプラザ』3階の展示コーナーでは、『新庄ふるさと歴史センター企画展・花巻市出張展示 松田甚次郞没後80年記念「愛郷・愛土」展』が開かれている(11月13日~12月16日)。私はとても嬉しくなる。

《1 松田甚次郞とは、もちろん賢治から『小作人たれ/農村劇をやれ』と強く「訓へ」られたたあの人物である》(2023年12月7日撮影)


《2 大ベストセラー『土に叫ぶ』の著者であり、ロングセラー『宮澤賢治名作選』の編者でもある》(2023年12月7日撮影)


 松田甚次郞は賢治のいわば恩人である。それは、生前それほどは知られていなかった賢治と賢治作品を全国的に初めて知らしめたのが甚次郞だからだ。そしてまた、それは山形新庄出身の甚次郞が亡くなった時に、遠く離れた岩手の花巻で追悼式が行われたことが雄弁に物語っている。松田甚次郎が花巻の人たちから当時如何に感謝され、慕われていたかが容易に窺える。ところが、戦後松田甚次郞の貢献はすっかり忘れ去られてしまっていた。
 それが最近やっと、近江正人氏等の尽力によって、平成31年1月27日に花巻市市民会館で公演『土に叫ぶ人 松田甚次郎 ~宮沢賢治を生きる~ 作・演出 近江正人』が行われ、少しずつだが松田甚次郞の再評価がなされている。

 さて、甚次郞は賢治精神を実践した人という見方がなされているが、実は賢治の稲作法と松田甚次郞のそれは真逆だということを私は改めて確信した。
 そもそも賢治は稲作の実体験が乏しかったので、賢治の稲作法は、当時次第に普及し始めていた「化学肥料(金肥)」に対応して品種改良された陸羽1322号を推奨するものだったから、約6割もあった小作や自小作農にはふさわしいものではなかった。彼等は貧しかったので金肥を購う金銭的な余裕はなかったからだ。しかも、羅須地人協会時代の賢治は自分自身では米を一粒も育てなかったこともあり、賢治はおそらくそこまでは思いが至らなかったであろうことが懸念される。

 一方で、甚次郞は実際に小作人となってからどうしたかをおしえてくれるのが次の展示だ。
《3 「自給肥料を増産し金肥を全廃」》(2023年12月7日撮影)


自給肥料を増産し金肥を全廃
甚次郞は、文無しの小作人が百姓として立ち上がるにはまず土を肥やし、一歩でも自給自足の生活に近づけること以外には途はないとし、差しあたり金肥を全廃し、自給肥料の増産に全力を注ぐことを大前提とした。
新庄町の親戚や知人に願い汲んだ下肥を完熟させるために、藁や落葉、新庄町を流れる仲野川から引き上げた古俵、藁、縄くず、野菜くず等の芥類を積み重ねて発酵させ、切り返しにあたっては、木炭や石灰を加えた。こうすると、春まではすっかり完全な堆肥となった。
雪と寒気の中、川に入って芥を拾い集め、山奥からは落葉を集め、汲み集めた下肥を積み重ねてできた完熟堆肥は、小作電を肥やし、甚次郞の心を潤すに十分であった。
これを6反歩の小作田に試した結果、全くの金肥なしで平年作よりも2俵の増収を得た。次の年は干ばつほ被害にあったが、それでも平年作にこぎつけ、さらに翌年は5俵の増収になっていった。
…投稿者略…
また、甚次郞は製材所に山積みされている鋸屑に注目し、焼酎粕を混合して堆積させ、良好な堆肥を生み出すことに成功した。かくして鋸屑の堆肥化に力を入れること4年、年8,000キロの堆肥が作り出された。
〝貧農なるが故に、自作小作農なるが故に、工夫に工夫をこらす〟甚次郞の、あらゆる物を活用し、工夫するという方法はこうして定着していった。

 賢治の稲作法は当時の最先端を行くものだったようだが、お金が掛かるものであったし、当時は大島丈志氏によれば、下掲のように米価が年々下落していった、
【岩手県の米穀収穫高と米価の変動】

             〈『宮沢賢治の農業と文学』(大島丈志著、蒼丘書林)218p〉
から、貧しい農家にはなおさらにふさわしくなかったのだ。ところが、甚次郞はそのことに冷静に対応した現実的な稲作法であった、と言えよう。また、甚次郞の稲作法は今でいえばいわゆる「持続可能な稲作法」であり、一周回ってみれば甚次郞のそれの方が時代を先取りしていたとも言えそうだ。

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 ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているという。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。
 おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。
 一方で、私は自分の研究結果には多少自信がないわけでもない。それは、石井洋二郎氏が鳴らす、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という警鐘、つまり研究の基本を常に心掛けているつもりだからである。そしてまたそれは自恃ともなっている。
 そして実際、従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと言われそうな私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、なおさらにである。

【新刊案内】
 そのようなことも訴えたいと願って著したのが『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))

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            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813
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