みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

釜渕の滝(9/2、残り後編)

2023-09-10 08:00:00 | 賢治関連
《1 ハッカ》(2023年9月2日撮影)

《2 ヌスビトハギ》(2023年9月2日撮影)

《3 オトギリソウ》(2023年9月2日撮影)

《4 オオバコ》(2023年9月2日撮影)

《5 ヒナタイノコズチ》(2023年9月2日撮影)

《6 ムカゴイラクサ》(2023年9月2日撮影)

《7 アカソ?》(2023年9月2日撮影)

《8 カナムグラ》(2023年9月2日撮影)

《9 ヤマジノホトトギス》(2023年9月2日撮影)

《10 マムシグサ》(2023年9月2日撮影)


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 さて、この度の拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』

のタイトルに、なぜ私は「杜撰」を用いたのか。

  それは例えば、『新校本年譜』の大正15年12月2日に次の記載、つまり現在定説になっている次の記載があったからである。…略…
 たしかに、「杜撰だ」。そしてこの件のみならず、『校本宮澤賢治全集』には他にもこのような、典拠などを明示していない場合が他にもあったからである。

と前回述べたが、それは他にも、例えば『校本宮澤賢治全集第十四巻』はこんなことが述べているからである。

 昭和52年に出版された同巻は「補遺」において、
 新発見の書簡252c(その下書群をも含む)とかなり関連があるとみられるので、高瀬あてと推定し、新たに「252a」の番号を与える。〈『校本全集第十四巻』28p〉
と述べて、「新発見」の賢治書簡下書252c等を公表した。そして、
 本文としたものは、内容的に高瀬あてであることが判然としているが、〈同34p〉
と断定し、この「断定」を基にして、従前からその存在が知られていた宛名不明の書簡下書と合わせて約23通を「昭和4年と推定される〔日付不明 高瀬露あて〕書簡下書」として一括りにして公表したのだ。
 ところが、これら一連の書簡下書群の最もベースとなる書簡下書252cについて、同巻は「本文としたものは、内容的に高瀬あてであることが判然としているが」と断定してはいるものの、その典拠を何ら明記していない。ここでもまた杜撰なのだ。その裏付けがあるということも、検証した結果だということもまた付言していない。従って、「内容的に高瀬あてであることが判然としているが」といくら述べられていても、「内容的に」というような漠とした表現では、読者にとっては「客観的に見て判然としていない」ことだけがせいぜい判然としているだけだ。
 にもかかわらず同巻はさらに推定を重ね、しかも一般人である「高瀬露」の実名を顕わに用いて、「推定は困難であるが」と前置きしておきながらも、「この頃の高瀬との書簡の往復をたどると、次のようにでもなろうか」などというような投げやりで、はしなくも、いい加減だという印象を与えるような表現を用いて、「困難」なはずのものにも拘わらず、
⑴、高瀬より来信(高瀬が法華を信仰していること、賢治に会いたいこと、を伝える)         
⑵、本書簡(252a)(法華信仰の貫徹を望むとともに、病気で会えないといい、「一人一人について特別な愛といふやうなものは持ちませんし持ちたくもありません。」として、愛を断念するようほのめかす。ただし、「すっかり治って物もはき〳〵云へるやうになりましたらお目にかゝります。」とも書く)
⑶、高瀬より来信(南部という人の紹介で、高瀬に結婚の話がもちあがっていること、高瀬としてはその相手は必ずしも望ましくないことを述べ、暗に賢治に対する想いが断ちきれないこと、望まぬ相手と結婚するよりは独身でいたいことをも告げる)…筆者略…
⑸、賢治より発信(下書も現存せず。いろいろの理由をあげて、賢治自身が「やくざな者」で高瀬と結婚するには不適格であるとして、求愛を拒む) 
などと、スキャンダラスな表現も用いながら推定した。さらに続けて、⑹、⑺という「推定」も書き連ね、結局延延と推定を繰り返した推定群⑴~⑺を同巻で公表した(『校本全集第十四巻』28p~)。それにしても、筑摩書房ともあろう出版社が、「次のようにでもなろうか」というレベルのものを文字にして公表するなどということは私にはまったく考えられないことである。
 しかも、これらの「推定群⑴~⑺」は、クリスチャンであった高瀬露が信仰を変えて法華信者になってまでして賢治に想いを寄せ、一方賢治はそれを拒むという内容になっている。それ故、この「推定群⑴~⑺」を読んだ人たちは、そこまでもして賢治に取り入ろうとした露はきわめて好ましからざる女性であったという印象を持つであろうことは容易に想像できるので、これらの「推定群」を文字にして公表することは筑摩書房ほどの出版社であれば、きわめて慎重になるはずだ。信仰に関わるし、人権が絡むからであり、世間からの信頼が厚い良心的出版社だからなおのことである。
 それはもちろん、このような「推定群」をそのような出版社が活字にすれば世の常で、出版時点ではあくまでも推定であったはずの〔昭和4年露宛賢治書簡下書〕がいつのまにか断定調の「昭和4年露宛賢治書簡下書」に変身したり、はては「下書」の文言がどこかへ吹っ飛んでしまって「昭和4年露宛賢治書簡」となったりしてしまう虞もあるからである。そして同様に、「推定群⑴~⑺」の内容も、延いては、「露は賢治にとってきわめて好ましからざる女性であった」ということまでもが独り歩きしてしまうこともまた、である。
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