みちのくの山野草

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賢治関連七不思議(おかしいと思わないのだろうか、#2)

2017-08-12 10:00:00 | 賢治に関する不思議
《驥北の野》(平成29年7月17日撮影)
 〈悪女伝説〉の危うい信憑性 
 巷間、〈高瀬露悪女伝説〉なるものが流布しているわけだが、この伝説はある程度調べてみれば信憑性の薄いことが容易に判る。
 それはまず、賢治の主治医だったとも言われているという佐藤隆房が、
 櫻の地人協會の、會員といふ程ではないが準會員といふ所位に、内田康子<*1>さんといふ、たゞ一人の女性がありました。
 内田さんは、村の小學校の先生でしたが、その小學校へ賢治さんが講演に行つたのが緣となつて、だんだん出入りするやうになつたのです。
 來れば、どこの女性でもするやうに、その邊を掃除したり汚れ物を片付けたりしてくれるので、賢治さんも、これは便利と有難がつて、
「この頃美しい會員が來て、いろいろ片付けてくれるのでとても助かるよ。」
 と、集つてくる男の人達にいひました。
           <『宮澤賢治』(佐藤隆房著、冨山房、昭和17年、175p~>
と『宮澤賢治』で述べているからだ。
 次に、宮澤賢治の弟清六も、
 白系ロシア人のパン屋が、花巻にきたことがあります。…(筆者略)…兄の所へいっしょにゆきました。兄はそのとき、二階にいました。…(筆者略)…二階には先客がひとりおりました。その先客は、T<*2>さんという婦人の客でした。そこで四人で、レコードを聞きました。…(筆者略)…。レコードが終ると、Tさんがオルガンをひいて、ロシア人はハミングで讃美歌を歌いました。メロデーとオルガンがよく合うその不思議な調べを兄と私は、じっと聞いていました。
           <『宮沢賢治の肖像』(森荘已池著、津軽書房)236pより>
と追想していて、賢治はある時、下根子桜の宮澤家の別宅に露を招き入れて二人きりで二階にいたと、あるいはまた、
 宮沢清六の話では、この歌は賢治から教わったもの、賢治は高瀬露から教えられたとのこと。
           <『新校本宮澤賢治全集第六巻詩Ⅴ校異篇』225p>
という訳で、賢治は露から歌(讃美歌)を教わっていたということも弟が証言していたことになるからだ。

 そして、露本人はといえば、
君逝きて七度迎ふるこの冬は早池の峯に思ひこそ積め
ポラーノの廣場に咲けるつめくさを早池の峯に吾は求めむ
オツペルに虐げられし象のごと心疲れて山に憩ひぬ
粉々のこの日雪を身に浴びつ君がみ德の香によひて居り
ひたむきに吾のぼり行く山道にしるべとなりて師は存すなり
             〈『イーハトーヴォ第四號』(菊池暁輝編輯、宮澤賢治の會』、昭和15年)より〉
とか、
師の君をしのび來りてこの一日心ゆくまで歌ふ語りぬ
教へ子ら集ひ歌ひ語らへばこの部屋ぬちにみ師を仰ぎぬ
いく度か首をたれて涙ぐみみ師には告げぬ悲しき心
女子のゆくべき道を説きませるみ師の面影忘られなくに
             〈『イーハトーヴォ第十號』(同、昭和15年)より〉
というような、崇敬の念を抱きながら亡き賢治を偲ぶ歌等を折に触れて詠んでいたことを『イーハトーヴォ』によって知ることができる。
 さらにもう一つ大事なことがあり、露は19歳の時に洗礼を受け、遠野に嫁ぐまでの11年間は花巻バプテスト教会に通い、結婚相手は神職であったのだが、夫が亡くなって後の昭和26年に遠野カトリック教会で洗礼を受け直し、50年の長きにわたって信仰生涯を歩み通した(雑賀信行著『宮沢賢治とクリスチャン花巻編』より)という。

 つまり、羅須地人協会にしばしば出入りして賢治を助け、しかも賢治とはある一定期間オープンで親密なよい関係にあり、賢治歿後は師と仰ぎながら偲ぶ歌を折に触れて詠んでいることが公になっていて、しかも長い間クリスチャンであった露が、まさか〈悪女〉であったとは考えにくい。だから常識的に考えれば、巷間流布している〈高瀬露悪女伝説〉は当然あやかしである蓋然性が高いから、この伝説の信憑性が薄いことは容易に導かれる。

 ところが前回引用したように、山下聖美氏や澤村修治氏は、
 感情をむき出しにし、おせっかいと言えるほど積極的に賢治を求めた高瀬露について、賢治研究者や伝記作者たちは手きびしい言及を多く残している。失恋後は賢治の悪口を言って回ったひどい女、ひとり相撲の恋愛を認識できなかったバカ女、感情をあらわにし過ぎた異常者、勘違いおせっかい女……。
とか、
 無邪気なまでに熱情が解放されていた。…(略)…。一日に何度も来ることがあった。露の行動は今風にいえば、ややストーカー性を帯びてきたといってもよい。
とかなり辛辣なことをそれぞれの著書の中で断定的に述べている。

 はてさて、先の清六の証言内容等とは正反対とも言える、露の人格を貶め、尊厳を傷つけているとしか思えないようなこれらの記述の典拠は一体何であろうか(私には全くといっていいほどそれが思い付かないことは拙論「聖女の如き高瀬露」で論じた通りである)。言い換えれば、このお二方ははたしてご自分で裏付けを取ったり、検証をしたりした上で論じられておられるのだろうか。あるいは、例えば、前掲した佐藤隆房や宮澤清六の証言等を調べられたのだろうか。残念ながら、私にはそうとは見えないのでとても不思議だ。それは、人権が尊重される今の時代、そのようなことを為さずしてこのような断定表現して活字にして公にすることは、とりわけ「賢治研究」をする方々がそうすること私には到底考えられないからなおさらにだ。そしてそもそも、研究者として悖る行為だとも私には思えるからである。

〈*1:註〉内田康子とは高瀬露の仮名(かめい)であることが知られている。
〈*2:註〉当時そこに出入りしていてオルガンで讃美歌が弾けるイニシャルTの女性といえば高瀬露がいるし、露以外に当てはまる女性はいない。

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