老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

謝ったら死ぬ病 

2018年06月01日 20時38分10秒 | その他
 最近、我が国には「謝ったら死ぬ病」という病気が流行っているようです。

 何でも、“自分の非を認めず、普通なら謝る場面なのに決して頭を下げない”症状のようで、当初は政界に発生したのが、官僚にも広がって猛威をふるい、最近は一部スポーツ界にも蔓延しているようです。

 5月30日の毎日新聞ではこの病気に掛り易い原因として、竹中功氏や名越康文氏の意見を紹介されています。要約すると

・人は誰でも自分がやってきたことは人一倍評価したい気持があり、“これだけ自分は頑張ってきたのに…”というような気持があるが、この自己愛が余りに強いと、この自己愛が傷つくのを避けたがるために、謝ることを潔しとしない。

・謝罪するためには、「自分が悪い」ということを受け入れない限り実行できないが、これらの人は“自分が悪い事をしていない”と信じ切っている。(まさ注:或いは信じたいと思っている)

・更に、窮地に立った場合にも、自己愛の強い人は視界が曇って正常な判断が出来なくなり、適切な助言者がいなければ判断能力を無くしてしまう。(まさ注:そもそも世間の正常な価値判断基準等が全く判っていない)

という状況の様ですが、私なりに更に付け加えると

・この「謝ったら死ぬ病」が重症の人は、余りにも強すぎる自己愛の悪影響の為か、自分達は選良で大きな権限を与えられていると錯覚すると共に、都合が悪くなると、まるで水戸黄門の印籠のように「真摯」・「丁寧」とか「美しい日本」とか言う言葉を、その意味も判らないままに頻繁に使うようです。

 この「謝ったら死ぬ病」が重症の人は、周囲がどう言おうとも回復の道は無いようですが、厄介なのは最近の「謝ったら死ぬ病」がこの国の政治の根源に関わる分野まで蔓延していることで、国家の基盤である主権者が国民であることを無視することが堂々と通用していることです。

 従って、この病気に対しては根本的な対策が必要なのですが、この対策を講じようとする人たちに、「謝らせないと死ぬ病」に掛っているという非難が浴びせられたり、また「謝ったら死ぬ病」をサポートする「たかが森カケ病」という強力な補強栄養剤が開発されるなど、この病気の重症患者をを何とか長生きさせることに必死な人々もいます。

 この、「謝らない」「謝らせる」という不毛の争いに終止符を打つ為には、重症の「謝ったら死ぬ病」に掛っている人が辞任せざるをえないように、次回の選挙で国民が意思表示をせざるを得ないでしょう。(まさ)