老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

紅葉の西京都と箕面  その④ ~勝尾寺(かつおうじ)~ 

2018年11月30日 19時17分46秒 | 旅行/色々な風景
 亀岡の穴太寺を拝観した後、箕面市にある勝尾寺に向かいました。
経路はナビ任せにしましたので、今まで通った事のない高槻や茨木市の山中の道経由となり、途中ではすれちがうのに難儀するような個所もありましたが、何とか無事に到着しました。

 この勝尾寺(かつおうじ)は、高野山真言宗の寺院で、山号は応頂山といい、西国三十三所の第23番札所です。開山は開成(かいじょう)で、寺号は「かつおじ」「かちおじ」などとも読まれます。

 歴史があるだけに、この寺院の経緯などは非常に複雑です。
少し長くなりますが下記します。(WIKIPEDIAなどを参照しました)

・草創については、奈良時代の神亀4年(727年)、 藤原致房の子の善仲、善算の兄弟はこの地に草庵を築き、仏道修行に励んでいた。それから約40年後の天平神護元年(765年)に光仁天皇の皇子である開成が2人に師事して仏門に入った。宝亀8年(777年)、開成は念願であった大般若経600巻の書写を終え、勝尾寺の前身である弥勒寺を創建したとされています。

・平安時代以降、山岳信仰の拠点として栄え、天皇などの参詣も多かった。
元慶4年(880年)に当時の住職行巡が清和天皇の病気平癒の祈祷を行い、「勝王寺」の寺号を賜るが、「王に勝つ」という意味の寺号は畏れ多いとして勝尾寺に差し控えたという
以来、「勝運の寺」として広く信仰され、古くは源氏、足利氏ら歴代の将軍や武将達が勝運を祈り、こぞって参拝を重ねてきた歴史があります。

・元暦元年(1184年)には治承・寿永の乱(源平合戦)の一ノ谷の戦いのあおりで焼失するも、文治4年(1188年)に源頼朝の命により再建された。

・鎌倉期には、讃岐国流罪から戻った法然上人が当寺に四年間止住されて念仏三味に入られたが、この時善導大師の夢のお告げにより、法然上人は浄土宗本基の戒を授かられたとされています。


 現在では、1,300年間連綿と受け継がれてきた歴史がある勝尾寺の運気を掴み取ろうという願いで「人生のあらゆる場面に勝つ寺」として受験・厄除け・病気・スポーツ・商売・選挙・芸事など色々な願い事で全国各地より訪れる参拝者が後を絶たないようです。

 更に2013年にマウンテンバイクのダウンヒルレースを開催したりと、イベントへの志向もあるようですが、大阪中心部から近くで、色彩豊かで、しかもミストなどを利用した演出などもあり、インバウンドの参拝も多い様で、この日も沢山のインバウンドの姿がありました。
参拝を終えて帰路に着くころには寺院への狭い山道は、駐車場待ちの車が長い行列を作っており、境内への入場にも列ができるような状態になっていました。

 近いとはいえ、4か寺を回るという強行軍でしたが、天候に恵まれ、丁度見頃の紅葉を堪能した1日でした。(まさ)


勝尾寺の寺碑。(寺名の字の中にもダルマが置かれています)

山門

ミストによる演出の、弁天池と橋

宝物館

参道横にある燈篭の列

勝ちダルマの奉納棚

本堂への道

鎮守堂 あちこちに勝ちダルマが並べられています

開山堂 同じように勝ちダルマが一杯です

並べられている勝ちダルマ

本堂

同上
 
至る所にダルマが置かれています

本堂近くにある石塔

二階堂(法然上人五番霊場)

高台から見降ろした境内の様子

ドウダンツツジの紅葉

ドウダンツツジとオカメナンテンの紅葉



道路横のモミジ

同上

紅葉の西京都と箕面  その③ ~穴太寺(あなおじ)~

2018年11月29日 19時58分37秒 | 旅行/色々な風景
 京都市内の十輪寺を出た後は、9号線を利用して亀岡に…
亀岡市の中心部に近い所に目指す穴太寺があり、直ぐに到着しました。

 穴太寺(「あなおじ」或いは「あなおうじ」「あのうじ」)は、亀岡市にある天台宗の寺院で、山号を菩提山(ぼだいさん)と称し、西国三十三所第21番札所となっています。

 縁起によれば、慶雲2年(705年)、文武天皇の勅願により大伴古麻呂が開創したとされていますが、「身代わり観音」の伝説で知られ、この伝説が『今昔物語集』に取り上げられていることから、平安時代末期には観音霊場として当寺が知られていたようです。

 本堂の脇壇に鎌倉時代の作とされる木彫釈迦涅槃像が安置され、体の部分をさわると参拝者の病気がよくなると伝わるとされています。 また書院の庭もそれ程大きくはないのですが、静かに落ち着いた庭です。
インバウンドは見掛けませんでしたが、多くの参拝者がおられました。(まさ)


仁王門

多宝塔

三十三所観音寺

本堂

書院入口

書院より見える本堂の屋根と多宝塔

本堂へは書院から渡り廊下を利用して行きます

本堂から見た渡り廊下

本堂内にある釈迦如来大涅槃像

庭園と多宝塔

静かな庭園

境内のモミジ

同上 アップ

紅葉の西京都と箕面  その② ~十輪寺(別名:業平寺)~

2018年11月28日 20時06分28秒 | 旅行/色々な風景
 善峯寺の拝観を済ませた後、直ぐ近くにある十輪寺(じゅうりんじ)に立ち寄りました。

 この十輪寺は京都市西京区大原野小塩町にある天台宗の寺院山号は小塩山(おしおざん)と言います。
創建年代等については不詳ですが、嘉祥3年(850年)に文徳天皇の皇后藤原明子が安産を祈願した寺と伝えられています。
その後応仁の乱などにより寺運が衰えたが、寛文年間(1661年~1673年)花山院定好によって再建されたようです。

 また、平安時代を代表する歌人である在原業平が晩年この寺に隠棲したと伝えられ、その為「業平寺(なりひらでら)」とも称され、現在でもここには在原業平のお墓とされる「宝篋印塔」がありますし、業平ゆかりのある史跡と桜が残っています。

 その史跡の一つが塩竈(しおがま)跡です。
塩竈と聞いて、てっきり海水を炊きしめて塩を作るのだと思い、この海から遠く離れた山の中でと不思議に思っていましたが、そうではなく平安時代の貴族には「塩焼」と呼ばれ、塩を焼いてその煙を楽しむ風習があったようです。また、この寺院がある地名の「小塩」はこの塩焼きに由来するようです。

 この寺院の本堂の屋根は、鳳輦形(ほうれんがた)と呼ばれる、お神輿の屋根を模った変った形をしています。

 更に、本堂・高廊下・茶室・業平御殿に囲まれた三方普感の庭と呼ばれる中庭は、小さな庭園ですが、三つの見方「立って見る」「座って見る」「寝て見る」で、感じ方が変わることで有名な庭園で、またこの庭には樹齢約200年といわれる枝垂れ桜(通称:なりひら桜)もあります。

 こじんまりした寺院ですが、この時期でも参拝者は少なくて、落ち着いて楽しめる隠れ家や的な寺院です。

 善峯寺近くで見かけた風景と併せてお知らせします。(まさ)


山門

庭園への入口

庭園と本堂。本堂の屋根が鳳輦形(ほうれんがた)です。

鐘楼とモミジ

庭園のモミジ

同上

高廊下と庭園

庭園

業平御殿から見た高廊下。右側になりひら桜があります

三方普感の庭(http://jpmanual.com/jurinjiより)

在原業平のお墓とされる「宝篋印塔」。非常に小さなお墓です

塩竈

モミジと業平御殿の屋根

庭園で見つけた四季咲きの桜

善峯寺の近くで見かけた、大きな木彫りの仏像

この直ぐ近くで見掛けた、美しい竹垣

紅葉の西京都と箕面  その① ~善峯寺(よしみねでら)~

2018年11月27日 20時18分08秒 | 旅行/色々な風景
 今年は紅葉が早いと報じられていましたが、実際には例年と同じ位のペースで、10月31日の高野山以降はモミジの綺麗な紅葉にはお目にかかっていませんでした。

 今年から取り組んでいる西国33ケ所観音霊場巡りも後少しを残すだけになっていますので、紅葉も期待して11月24日に出掛けました。

 丁度3連休の真ん中の日とあって、紅葉の名所は大混雑が予想されるので、京都のモミジの名所は避けて、先ず京都市西京区にある善峯寺に行き、近くの十輪寺に寄った後、亀岡市にある穴太寺を経て、箕面市の勝尾寺を訪ねるというコースを選びました。

 期待通りに、丁度紅葉が見頃でしたし、大きな混雑にも出会わずに無事に予定通りに回ることが出来ましたが、経路の順に写真などを紹介します。


 混雑を避けるために7時過ぎに家を出て、高速道路を通らずに下道だけというコース選定でしたが、これが大成功。9時過ぎには第1目標の善峯寺に到着。

 早すぎるかもと思ったものの、駐車場は早くも沢山の車が停まっていましたが、まず目に入ったのが周囲の山々の見事な紅葉で、赤・黄色・オレンジなど色々な色が混じり合って、“錦秋”と言う言葉を思い出しました。

 善峯寺(よしみねでら)は京都市西京区大原野にある天台宗系単立寺院(善峰観音宗)で、山号は西山といい、西国三十三所第20番札所になっています。

 寺伝によれば、長元2年(1029年)源算が創建したとされていますが、長元7年(1034年)には後一条天皇から「良峯寺」の寺号を賜り、鎌倉時代初期には慈円が住したことがあり、このころ後鳥羽上皇直筆の寺額を賜ったことによって寺号が善峯寺と改められたようです。

 その後、応仁の乱に巻き込まれて伽藍が消失したが、江戸時代になってから桂昌院の寄進によって再興されて、現在のような寺院になったようです。

 この寺院では、色々な建築物とともに、天然記念物に指定されている「遊龍の松」も有名です。
 この松は、樹齢約600年の五葉松で、幹が横に這うように伸びていることからこの名が付けられた。全長50数メートルもあったが、松食い虫の被害により平成6年(1994年)に10メートルあまり切断されたということですが、他では見られない見事な松の木です。

 また、境内各所から京都市街、比叡山を一望できることでも有名ですが、丁度見頃の紅葉越しに見る風景は格別でした。(まさ)


一の橋・ここから参道が始まります

駐車場から見る錦秋の山

東門

山門

境内の紅葉

同上

多宝塔と紅葉

遊龍の松

同上の幹。太い幹が真横に伸びています

同上と多宝塔

護摩堂

幸福地蔵。高台に置かれています

境内の紅葉

本堂

同上

薬師堂に到る石段と白壁の路

境内の紅葉

高台から見る境内の様子。幸福地蔵と開山堂

薬師堂

市内と比叡山

境内から市内と東山

蓮華寿院旧跡庭

同上にある石仏

この人はどうにかならないのか? 

2018年11月26日 19時14分19秒 | 政治・経済・環境・核兵器など
(昨日に引き続いて、馬鹿馬鹿しい政治家の話題です)

 どうにかならんですか?この人。
「指させば怒られる」といえばお分かり頂けると思いますが、そうです“この人”とは我が国の財務大臣でしかも副総理さんです。

 吉田茂元首相の孫で、皇室に繋がったり、安倍首相とも姻戚関係になる華麗な家系を誇られ、ご本人も留学や海外勤務の経験を積まれており、更にオリンピッククレー射撃の日本代表というスポーツマンで、おまけにクリスチャンと言うのですが、どうもそのようには見えませんね。

 ヤクザ・ルックを真似ているのか、面白い恰好で、しかも常に半身に構えた格好で、兎に角言っていることが“でたらめ”というか、支離滅裂です。

 かっては、歯に衣(きぬ)着せぬ物言いを「麻生節」などと持ち上げてきた人も多いようですが、流石に最近は自民党内からも懸念の声が噴き出し始めたようです。

 それはそうでしょう、その発言は、“人生の機微に触れる”というようなものではなく、世間の常識から大きく外れた独断と偏見に満ちて、しかも他者を見下した上から目線のものが多いのです。

 記憶に残っている、最近の発言としては、森友学園への国有地売却問題を巡っての辞任を余儀なくされた佐川元理財局長擁護姿勢の一連の不可解な発言だけでなく、
 
◆「新聞読まない人は全部自民党支持だ」
(そういえば、かって「愛読書は漫画」とか言われ様な記憶もありますね…)
 
◆「(政治は)結果が大事だ。何百万人殺しちゃったヒトラーは,やっぱりいくら動機が正しくてもだめなんだ」
 
◆憲法改正論に関して、「(ナチス政権の)手口を学んだらどうか」
   
◆「セクハラ罪はない」
    
◆(さすがに、直接に自分の意見としてはまずいと思われたのか、少し手法を変えて、)
不摂生の結果、病気になった人への医療費支出を疑問視する立場で、「飲み倒して運動も全然しない(で病気になった)人の医療費を、健康に努力している俺が払うのはあほらしくてやってられんと言っていた先輩がいた。良いことを言うなと思った」


 まあ、こんな調子ですが、先日報じられた10月23日の河野外務大臣の激励会での、「(河野氏が)政治家として今後伸びるのに何が欠けているかと言えば、間違いなく一般的な常識だ」という発言にはズッコケましたね。
まさに、「あんただけには言われたくない」という気持だったでしょう。


 更に追い打ちを掛けて、自己の無知さと常識の無さを曝け出したのが、11月17日の福岡市内での街頭演説で、東大卒の北橋健治北九州市長を「人の税金を使って学校に行った」と批判した発言でした。

 ご自身は、国立ではなく学習院大学卒ですが、まさか私学には税金からの助成金など無いとお思いなのでしょうか?

 財務大臣としては、税金が正しく使われているかを気にされるのは結構なことなのですが、国会議員も官僚も税金から給料や種々の経費が出ているのですし、更に言えば財務大臣の最大の担当事項は国家財政の健全化がだと思うのですが、この分野で成果挙げられているような事は殆ど聞きませんね。(まさ)