老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

なにか不気味さを感じませんか?

2020年10月31日 20時12分35秒 | 政治・経済・環境・核兵器など

 管政権の発足後1ヶ月が経過しましたが、何か危険な雰囲気と不気味さを感じています。

 秋田県出身で夜間大学で勉学した苦労人で、政治も市会議員からからのたたき上げということで、期待を持って迎えたマスコミも多かったですが、果してそうだったでしょうか?

 “秋田県出身の苦労人”という言葉で、何となく“素朴で市民感情が判る人”というようなイメージを受けますが、彼は約7年にも亘る不毛な安倍政権を官房長官として中心になって支えてきた(或いは主導してきた?)立役者であり、就任時にも「安倍政権の継承」を宣言した人なので、私としては何の期待もしていませんでした。

 それどころか、今、想像以上に何か不気味さを感じています。
官房長官時代からもそうでしたが、不都合な質問には「関係ない」或いは「問題ない」とか「お答えを差し控える」いう一言で片づけてしまい、全く説明をしようとはしません。

 また、問題の学術会議の任命拒否についても、「多様性が大事」などと訳の判らない言葉でごまかして、理由の説明など全くする気が伺えません。
「多様性が大事」なら、自分と意見の合わない立場の人の存在を認めるのが本当の筋でしょうに・・・

 前安倍首相の場合は、育ちの良さ(?)の関係か、国民が望まないことを主張する場合には多少の“気遅れ”或いは“ためらい”というような感じを何となく受けたのですが、管首相の場合は全くこのような甘さはなく、常に笑顔のない冷酷な顔つきのままです。


 このままだと、民主主義とは多数決なりと、自民党一強を利用して、問答無用とばかりに極めて冷静にしかも実務的な手腕で全体主義への足固めをしかねないでしょう。
そして、それをアシストするのは、忖度にまみれた官僚と、現在バイアスで自己の経済的利益にしか関心のない国民でしょう。



 そんな時に、先日の新聞で作家の保坂正康氏の「政府の暴走に危機感」というインタビュー記事が掲載されていて、その中でドイツの牧師で反ナチス運動の指導者だったマルティン・ニーメラーの言葉を紹介されていて、非常に興味深く読みました。
この「マルティン・ニーメラーの言葉」については全く初めて聞きましたので、念のためにWIKIPEDIAなどでチェックしてみると下記のような事が判りました。


 マルティン・ニーメラー(1892~1984年)は、ドイツのルター派牧師で、反ナチ運動組織告白教会の指導者だった人ですが、彼の詩なるものが有名になっています。

 しかし、ニーメラー財団は“ニーメラー自身は原稿の無いスピーチの中で成立してきた言い回しで詩として発表されたものではないとしており、厳密な意味でのオリジナルは存在していない”としています。


 ミルトン・マイヤー(1908~1986)の著書『彼らは自由だと思っていた』(1995、英語版)において、ドイツ人の教授から聞いた話としてニーメラーの行動について以下のように記しているのが「詩」として引用されているらしいので、この『彼らは自由だと思っていた』より紹介させて頂きます。

ニーメラー牧師は何千人もの人々の前に、彼自身のことを(あまりにも謙虚に)こう語った。

“ナチスが共産主義者を攻撃した。彼はやや不安になったが、彼は共産主義者ではなかったので、何もしなかった。
そして彼らは社会主義者を攻撃した。彼は不安だったが、社会主義者ではなかったので何もしなかった。
それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、となり、彼はそのたびに不安になったが、やはり何もしなかった。
そして彼らは教会を攻撃した。
だから彼は何かを行なった。しかし、それは遅過ぎた。“



 尚、今日は10月最後の日ですが、前にもふれたように、今月2度目の満月でした。
今日は雲もなく、先程クッキリとした満月を見ることができました。(まさ)




栗名月

2020年10月30日 19時12分56秒 | 自宅の様子(ベランダ/室内園芸)

 昨夜は栗名月でした。
栗名月とは中秋の名月(旧暦の8月15日、今年は10月1日でした)から約1ヶ月後の満月の直前、十三夜(旧暦9月13日)の夜の月を指します。

 昔から、中秋の名月の次にキレイな月が見られるのがこの栗名月とされています。
一説には平安時代の宮中の行事で、この時期に月見の宴を催したことから始まったともいわれていますが、旧暦の8月15日頃はまだ季節の移り変わりの時期で、天候が不安定なので、天候の安定するこの時期の観月を愉しんだのかも知れませんね。

 それにしても、中秋の名月は満月で、この栗名月は満月ではなく少しだけ欠けた月ですが、この少し欠けた月が、趣きがあっていいとされたのかもしれません。

 中秋の名月(十五夜)がよく「芋名月」と呼ばれるのに対し、十三夜は「栗名月」と呼ばれますし、また別名として「豆名月」「裏名月」「後の月(あとのつき)」とも呼ばれるようです。

 この時期は色々な農産物の収穫時期なので、栗や豆がたくさん収穫できたことを祝い、感謝するために月見の宴をしたのでしょう。

 生憎と大阪では雲の多い天気でしたが、8時ごろに何とか雲の合間から見えました。
直ぐ近くに火星も見えたのですが、私のカメラでは撮影できませんでした。

 31日には今月2回目の満月が見られたら・・・(まさ)


言葉の語源など その(51)  ~天王山~

2020年10月29日 19時40分03秒 | 面白い言葉や語源など

 天王山(てんのうざん)は、京都府乙訓郡大山崎町の山で、西側の山腹に摂津国(現在の大阪府)と山城国(現在の京都府)の国境が有りました。

 京都盆地の西辺となる西山山系の南端に位置し、東の男山とのあいだで地峡を形成していて、この地峡には、桂川・宇治川・木津川が合流して淀川となる川の流れに沿って、右岸にJR京都線(東海道本線)、東海道新幹線、阪急京都線、国道171号(旧西国街道)が、左岸に京阪本線、旧国道1号(現・府道13号京都守口線、旧京街道)と、かつて水上交通路であった川筋をふくめて、近畿最大の大動脈である京阪間のほぼすべての交通路が含まれています。

 1982年(天正10年)、織田信長を討った明智光秀とその仇討ちを果たそうと「中国大返し」をした羽柴秀吉がこの地で戦った山崎の戦いでは、交通の要衝であったこの山をどちらが支配するかが勝敗の決める鍵となったことから、「天王山」は“重大な分かれ目、分岐点”に意味で用いられるようになりました。(実際には主戦場は天王山麓の大山崎東方の湿地帯であり、天王山に対する争奪戦は行われていないようです)

 現在では「天下分け目の天王山」という言葉で表現されるています。

 そういえば、大阪の訳の判らない「都構想」賛否投票や、アメリカの大統領選挙など、天王山の戦いが控えています。(まさ)

 




鹿肉カレー 

2020年10月28日 19時55分11秒 | 食べ物

(今日2本目の書き込みです)

 昨日、テニス仲間より鹿肉を頂きました。

 鹿肉は過去に何度も食べていますが、やはりカレーが一番相性が良いようで、昨日からコトコトと煮込んでいたので、今日の夕食は他に少しのサラダと干物を焼くだけで完了。

 想像以上に柔らかい出来上がりで、豪華な夕食となりました。腹一杯!!


 また、今晩は生憎の曇り空ですが、昨夜は月齢10.3のお月さんがクッキリと見えていましたので、その写真も紹介しておきます。(まさ)


鹿肉カレー

昨夜のお月さん


藤田邸跡公園の秋を訪ねて

2020年10月28日 19時30分11秒 | 散歩中に見かけた風景

 ここの所好天気が続いており、今朝もベランダから見ると団地内のアメリカヤマボウシの葉もすっかり色づいており、久しぶりに大川沿いから藤田邸跡公園に出かけることにしました。

 団地内のカリンの実はすっかり大きくなり、黄色みが増していました。
また大川沿いの池では、初めてオモダカに気づきましたが、公園前の池のハスはすっかり色あせていました。

 

 藤田邸跡公園内では、クロガネモチやモッコクの実が色づくと共に、マユミの実も熟して割れ始めていました。また、マユミの葉にはカメムシが群れていましたが、細かい種類などは判りません。

 その他、ニシキギも徐々に色付き始めていて、秋の深まりを感じました。


 また、公園に隣接して立っていた藤田美術館が現在改修中です。
今までは古い蔵を改造した美術館で、千利休使用の茶器などにマッチした素敵な美術館だったのですが、すっかりモダンな建物が殆ど出来上がっています。

 再開は来年4月ということですが、今までは塀で仕切られていた庭園が藤田邸公園と一体化するようで、すでに藤田邸跡公園の方からも眺められるようになっています。(まさ)


ベランダから見るアメリカヤマボウシの紅葉

同上

カリンの実

オモダカ(オモダカ科)

同上

ハス

クロガネモチの実

モッコクの実

マユミの実

同上

マユミの葉に群がるカメムシ

ニシキギの紅葉

同上

新築された美術館

庭園の塔

新築された茶室?

庭園の灯篭も少し移動されたように思います