管政権の発足後1ヶ月が経過しましたが、何か危険な雰囲気と不気味さを感じています。
秋田県出身で夜間大学で勉学した苦労人で、政治も市会議員からからのたたき上げということで、期待を持って迎えたマスコミも多かったですが、果してそうだったでしょうか?
“秋田県出身の苦労人”という言葉で、何となく“素朴で市民感情が判る人”というようなイメージを受けますが、彼は約7年にも亘る不毛な安倍政権を官房長官として中心になって支えてきた(或いは主導してきた?)立役者であり、就任時にも「安倍政権の継承」を宣言した人なので、私としては何の期待もしていませんでした。
それどころか、今、想像以上に何か不気味さを感じています。
官房長官時代からもそうでしたが、不都合な質問には「関係ない」或いは「問題ない」とか「お答えを差し控える」いう一言で片づけてしまい、全く説明をしようとはしません。
また、問題の学術会議の任命拒否についても、「多様性が大事」などと訳の判らない言葉でごまかして、理由の説明など全くする気が伺えません。
「多様性が大事」なら、自分と意見の合わない立場の人の存在を認めるのが本当の筋でしょうに・・・
前安倍首相の場合は、育ちの良さ(?)の関係か、国民が望まないことを主張する場合には多少の“気遅れ”或いは“ためらい”というような感じを何となく受けたのですが、管首相の場合は全くこのような甘さはなく、常に笑顔のない冷酷な顔つきのままです。
このままだと、民主主義とは多数決なりと、自民党一強を利用して、問答無用とばかりに極めて冷静にしかも実務的な手腕で全体主義への足固めをしかねないでしょう。
そして、それをアシストするのは、忖度にまみれた官僚と、現在バイアスで自己の経済的利益にしか関心のない国民でしょう。
そんな時に、先日の新聞で作家の保坂正康氏の「政府の暴走に危機感」というインタビュー記事が掲載されていて、その中でドイツの牧師で反ナチス運動の指導者だったマルティン・ニーメラーの言葉を紹介されていて、非常に興味深く読みました。
この「マルティン・ニーメラーの言葉」については全く初めて聞きましたので、念のためにWIKIPEDIAなどでチェックしてみると下記のような事が判りました。
マルティン・ニーメラー(1892~1984年)は、ドイツのルター派牧師で、反ナチ運動組織告白教会の指導者だった人ですが、彼の詩なるものが有名になっています。
しかし、ニーメラー財団は“ニーメラー自身は原稿の無いスピーチの中で成立してきた言い回しで詩として発表されたものではないとしており、厳密な意味でのオリジナルは存在していない”としています。
ミルトン・マイヤー(1908~1986)の著書『彼らは自由だと思っていた』(1995、英語版)において、ドイツ人の教授から聞いた話としてニーメラーの行動について以下のように記しているのが「詩」として引用されているらしいので、この『彼らは自由だと思っていた』より紹介させて頂きます。
ニーメラー牧師は何千人もの人々の前に、彼自身のことを(あまりにも謙虚に)こう語った。
“ナチスが共産主義者を攻撃した。彼はやや不安になったが、彼は共産主義者ではなかったので、何もしなかった。
そして彼らは社会主義者を攻撃した。彼は不安だったが、社会主義者ではなかったので何もしなかった。
それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、となり、彼はそのたびに不安になったが、やはり何もしなかった。
そして彼らは教会を攻撃した。
だから彼は何かを行なった。しかし、それは遅過ぎた。“
尚、今日は10月最後の日ですが、前にもふれたように、今月2度目の満月でした。
今日は雲もなく、先程クッキリとした満月を見ることができました。(まさ)