老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

加太へ  その③  ~淡嶋神社と岬町とっとパーク小島~

2018年10月31日 20時03分58秒 | 旅行/色々な風景
 加太駅に行く前に港の近くにある有名な淡嶋神社に寄り、帰路に大阪府岬町にある岬町とっとパーク小島にも立ち寄りましたので、この2ヶ所の様子を紹介します。

<淡嶋神社>
 全国にある数多くある淡島神社(淡嶋神社)・粟島神社・淡路神社の総本社ですが、毎年3月3日に行われる「雛流し」は有名で関西地区ではTVニュースで放映されます。

 この神社には、私は一度来たことがあるのですが、ツレアイが初めてだと言うので再訪問でした。
 境内には奉納された無数の人形や動物の置物が、種類別に整然と並べられ、その数2万個とも言われており、他では見られない壮観ですが、私は黒髪の日本人形が並んでいる様子だけは生々しすぎでチョット苦手で、写真も撮っていません。

<とっとパーク小島>
 大阪府岬町にある、道の駅と海釣り公園の複合施設で、関西空港の二期工事のための土砂が運搬された後の施設を活用して作られたようです。

 私も初めてきましたが、本当に巨大な海釣り公園で、休憩所には大きな獲物の魚拓が壁一面に飾ってありました。(まさ)

<淡嶋神社>

鳥居

本殿

同上

上には人形、下には動物の置物が整然と並べられています

同上

<とっとパーク小島>

全景

真中の建物は休憩所・売店で魚をイメージしています

道の駅から見る釣り場。本当に広いです

休憩所の建物は魚の頭のイメージです

加太へ  その②  ~めでたい電車~

2018年10月30日 20時07分24秒 | 旅行/色々な風景
友ケ島から加太港に戻り、近くの淡嶋神社に寄りましたが、その後南海電車加太駅にも寄って見ましたので、先にこちらを書き込みます。

南海電車の加太線は、和歌山市の紀ノ川駅から加太駅までを結ぶローカル線ですが、2016年4月から加太を代表する海の幸「鯛」に因んだ名前の観光列車「めでたいでんしゃ」が運行されるようになり、路線の愛称も加太さかな線と変え、人気が出てきました。

(そういえば、和歌山にはネコの駅長さんで有名になったローカル鉄道もありますが、鉄道を大事にする県民性があるのでしょう!)

今年の4月に列車の愛称を公募し、水色の「さち」とピンクの「かい」に決まりましたが、二つを合わせると「海の幸」になり、加太沿線の豊かな海を表しているようです。

発車時刻も調べないままで、“ヒョットシテ見られれば”…という気持で駅にいったのですが、偶々ホームにはピンクの「さち」が停まっており、駅員さんに写真をとりたい旨申し出ると、発車まで3分ほどしかないが、良ければホームに入ってもOKという嬉しい返事を頂き、ツレアイは荷物と共に構外に待たせたまま、カメラを片手にしてホームに飛び込み、車内のあちこちを撮りまくりました。

「さち」の車両・車内、並びに駅の様子は下記の写真の通りですが、優しい駅員さんお陰で思いがけない写真が撮れました。
本当にありがとうございました。
今回は車で加太まで行ったので、この電車には乗りませんでしたが、是非とも一度乗りたいと思っています。

尚、今回撮ったのはピンク色のかわいい「さち」ですが、水色の「かい」の車内はまるで海の中のようだということです。
また、「さち」と「かい」の運転状況は南海電車にご確認いただいた方が間違いないと思います。(まさ)


<列車の外観>

「さち」の顔(正面から)

横顔

ドアの横(外)

<列車の内側>

ドアの周辺

ドア

ドアの横

車内の様子。シートの色もカラフルです

赤いシートも鯛の模様です

吊り輪も魚

<駅の構内・構外>

到着口の看板

出発口の看板

待合室の座布団

さかな線のポスター

駅前にある記念写真用の顔出しパネル

駅ホームも「めでたいでんしゃ」一色です

加太へ  その①  ~友ケ島~ 

2018年10月29日 20時05分51秒 | 旅行/色々な風景
 3~4年前にテニス仲間と和歌山にテニス合宿に出掛け、加太に泊まって美味しい魚を食べたことはあるのですが、目に前にある友ケ島には行く機会がなく、何とか行ってみたいと思っていました。

 砲台跡の建物がそのまま残っており、その様子を見たかったのと、いつも行く淡路島から直ぐ近くに見える友ケ島の様子も知りたかったからで、好天気でしかもツレアイの体調の良さそうな日を選んで、10月25日に決行しました。

 大阪からは、阪和道を利用し、泉南ICからは一般道を走って2時間ほどで、加太の港に到着です。
秋晴れの好天気とあってか、或いは1日に4便しか船便がない為か、既に港には結構沢山の人が並んでいましたが、無事に乗り込み、穏やかな波で船酔いの心配もなく30分ほどで到着。

 友ヶ島(ともがしま)は和歌山市加太に属し、紀淡海峡(友ヶ島水道)に浮かぶ無人島群で、「友ケ島」という名の島はなく、砲台跡などで有名なのは「沖ノ島」という名前の島で、その東には「地ノ島」という同じ位の大きさの島があり、「友ケ島」には地続きの虎島と、島に抱かれたような神島という小さな島があり、この4つを併せて友ケ島と呼び、瀬戸内海国立公園の一部になっています。

 この「沖の島」に砲台が数多く設置されたのはその地理を見れば明らかです。
即ち、紀淡海峡は沖ノ島と地ノ島により、淡路島~由良瀬戸~沖ノ島 ~中ノ瀬戸~地ノ島~加太ノ瀬戸~ 紀伊半島と三分されますが、海峡の幅と水深から見て大きな船舶が航行できるのは由良瀬戸だけで、この海峡を和歌山と淡路島に砲台を配置することでカバーできたのです。
※ 由良瀬戸 は幅4.7kmですが、この内で水深20m以上の大型船の可航幅は2.8kmだそうです。

 小さな島ですが標高120m近い山間部もあり、その頂上近くにも砲台跡があるので、まだ疲れていない内に登り坂が厳しそうな山に登るコースを選びました。
途中の山道は、先日の台風の影響か、道路の土が流され、石や岩が剥き出しの歩きにくい道でしたが息を切らせながら登りました。

 最初に到着したのは、パンフレットなどで有名な第3砲台跡。分厚いレンガ作りの頑丈な建物が印象的でした。ここは建物の中にも入れますが、薄暗いので懐中電灯が必要です。
また、数年前からコスプレ撮影の名所にもなっているようで、この日もアニメキャラクターらしい恰好をした若者が数組来ていました。

 その後、展望台や、灯台、更に第1/2砲台跡などを見ながら島の西半分をゆっくりと回りました。

 途中で持参した弁当を食べたりしたので、帰りの船は予定していたのより一つ遅い船となり、港で1時間ほどの時間つぶしをせざるを得ませんでしたが、好天気に恵まれ、いつもの寺院を中心とした山歩きと違って海の香りを楽しめるハイキングでした。

そ れにしても、由来瀬戸を通る船の多さには改めて驚きましたが、とりわけ私が島に居た3時間程の間に巨大な自動車運搬船を3隻も目にしたことで、自動車産業の巨大さを実感しました。(まさ)


沖ノ島に到着

石ころが剥き出しの山道

第3砲台跡に到着

パンフレットなどで有名なスポットです

第3砲台跡の内部

展望台から見降ろす灯台と向うに見えるのは淡路島(正面が由来、右側が洲本)

第1砲台跡

同上。裏側から

友ケ島灯台

灯台の直ぐ近くにある子午線広場 東経135度線が通っています。

輝く海と釣り舟

第2砲台跡。ここは崩壊が進んでいます

同上。崩れかけた砲台跡

散策道

道傍にはナルトサワギクが目立ちます

海の直ぐ傍を通る所もあります

山間部では大きな倒木もあります

山間部から見降ろす神島。海の色が綺麗でした

巨大な自動車運搬船

加田に帰港。大波止には沢山の釣り人

4年目に向けて

2018年10月28日 20時29分54秒 | 全般
(今日2本目の書き込みですが、これはこのブログ4年目の最初の書き込みにもなります)

 このブログも丸3年が経過し、4年目に入りました。
海援隊の歌だったと思いますが、“思えば遠くに来たもんだ…”という歌詞がありました。
最初は“果してどれ位続けられるか?”という不安で一杯でしたが、“まあ、とに角始めてみようと”いう気持で始めたものが何とか3年も続きました。

 このブログに目を通して下さる方も少しずつ増えていて、それが大きな励みにもなりますが、何しろ原発や現在の政治の在り方等、どうしても書き込まずにおられない状態が平然と続いていることに対する反発がこのブログ継続の大きな要因でしょう。

 そう考えれば、安倍首相に代表される滅茶苦茶な政治は、私だけでなく多くの人にわざと反発感を与えるという点で、元気に生きるためのサプリメント的な有難い反面教師なのかも知れませんね。


 それは兎も角、加齢と共に1年の経過が早く、周りの環境変化も激しくなってきているのを身近に感じるようになりました。
親しかった知人が亡くなったり、或いは自由に外出できない状態になったりして、今まで通りに付き合える知人が段々と少なくなってくるのは寂しい限りです。

 かくいう私も、ツレアイが2年ほど前に初期のアルツハイマーとの診断を受けましたし、私自身も今年春に右膝の半月板を傷めたり白内障の手術を受けたりと、約半年ほどは好きなテニスもできませんでしたが、スポーツジムで足腰の運動を休まなかったおかげか、まだ軽い動きしか出来ませんが漸くテニスにも復帰できるようになりました。

 さて、ツレアイのアルツハイマーですが、この病気は今の所状況を少し緩和する薬はあるものの、症状を改善する薬は出現していません。
少しでも生活に刺激を与えて状況緩和できればと、寺院を主にあちこちと連れ出したりしていますが、やはり病気は進行しつつあり、それと共に私が担当すべき家事の範囲は徐々に増えたり、一人でほっておけなくなり私の行動範囲の制限もできてきました。

 当初は戸惑いもありましたし、ツレアイに少しでも今まで通りの生活を期待して、きつい言葉も出ることが多かったと思いますが、漸く私の方もツレアイの現状を受け入れて向き合う気持が出てきました。

 二人の間には子供もおらず、文字通り老々介護の世界になり不安も一杯ですが、周囲にはこのような家庭環境の人も多く、余り負担に感じないように対応して行く以外にないでしょう。
逆に、ツレアイも今までジムでの運動を続けてきたお陰で、まだ足腰は問題ありませんし、何よりも二人揃って出歩けるだけでも大きな幸せだと思っています。


 そのためにも、私のストレス発散の大事な一要素であるこのブログを何とか続けたいと思っていますので、ブログの対象となる、安倍首相や閣僚・官僚の皆さまの、引き続きの醜態を期待しております。


 話は変わりますが、如何に書き込みたい案件が多くても、ブログを毎日書き込むのは歳老いた身では大変な労力を要します。
通常は、夕食後にウィスキーの水割りを横に置いて気の向くままに下書きし、翌日以降の昼間などに推敲と言えば格好良いのですが、見直すか一部手直ししてアップするという手順の繰り返しです。


 ところで、先日の毎日新聞で(確か23日夕刊の“ワイド”というコラムだったと思います)総合デジタル取材センターの小国さんの面白い記事を目にしました。

 同氏も、記事の書き込みに苦労されているが、お酒が好きな方のように見受けられ、“書く時は飲んで書き、校正は素面(しらふ)で行え”(Write Drunk, Edit Sober)と言う事を書いておられました。

 ミシシッピ州立大学案度の研究では、“酔えば集中力は低下するが、創造的問題解決にはプラスに働く。一つの考えに固執しないなどひらめきが生まれやすくなるのでは…”という説が出てきたようです。

 私自身も、少し酔った状態での書き込みが多いので、ほろ酔いで書いた文(特に原発や政治に関する文)には、余りにも情緒に流された支離滅裂な内容や、攻撃的な内容の文章も多いのは事実で、やはり素面になった状態での見直しが必要なことは再三にわたり経験しています。

 アルコール好きな執筆者の助言を大事にして、出来るだけ冷静な書き込みを続けて行きたいと思いますので、今後とも何分のお付き合いとご指導をお願い致します。(まさ)

大阪の秋深まる

2018年10月28日 19時16分54秒 | 散歩中に見かけた風景
(このブログ3年目の最後の書き込みです)

 今日は淀川河川敷でのテニスに参加。
痛めていた右膝半月板も少し回復しましたが、どうしてもラケットを手にしてコートに入ると無理な動きをしてしまうので、自重しながら最近は今までの4時間もの長時間のフル出場は避けて、練習をメインにして2時間ほどだけ参加させていただいています。

 お陰で、いつもより早めに切り上げるのですが、帰路に堤防を眺めると堤防のあちこちにセイダカアワダチソウ(キク科)が黄色い花で目立っていますし、最近勢力を増したチカラシバ(イネ科)も目立つ存在になりました。

 また、自宅のベランダの手入をしていると、夏場はベランダの片隅にほったらかしにしていた大株のシクラメンの球根から、例年通り冬に向って新しい葉を付け始めていました。
本当に逞しい植物たちです。(まさ)


淀川の堤防で見かけたセイダカアワダチソウと青空

セイダカアワダチソウの向うにはススキが風に揺れていました

チカラシバの群生

自宅でのシクラメンの新葉