鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

渡辺崋山『参海雑志』の旅-佐久島~藤川宿~吉田宿-その13

2015-06-22 05:31:49 | Weblog
西尾城下に崋山一行は宿泊したらしい、という推測を私はしています。その推測から考えると、芸妓3人を描いた絵は西尾城下の旅籠での情景であるということになります。つまり崋山一行は旅籠に芸妓3人を呼んで宴会をし、その時に興に乗って芸妓を描いたものであり、この絵は西尾城下の旅籠で描かれたもの、ということになります。その当否はさておいて、八ツ面山あたりから東海道藤川宿を経て吉田宿(現豊橋市)に至るまでに、崋山は風景画を5図描いています。第1図は、左手前に道がカーブしながら奥へと延び、集落へと入っています。その集落の背後から右側にかけて樹木の繁った丘陵が連なっています。第2図は、真ん中に人家があり、その人家の連なりが右端奥へと続いています。その集落の入口には両側に石垣を伴った木戸のようなものがあります。第3図は、上に「長沢」・「萩」と記され、手前の小山のてっぺんに四角い石碑のようなものがあり、その小山の右手下に街道とその街道両側に連なる人家が描かれています。お堂や高札のような施設も描かれています。第4図は、「本宮山」・「小吉田」と記されています。北方向に見える「本宮山」を描いたもの。左下の人家があるところに「小吉田」と記されています。第5図は、川に架かる長い橋と、その手前(左側)の人家の集まりとお寺のような建物を描いたもの。それぞれ道筋のどこからの風景を描いたものなのかが考察の対象となります。 . . . 本文を読む