鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

相模原市の障害者施設の殺傷事件について-その9

2016-08-20 11:21:34 | Weblog
『朝日新聞』(8月15日)や『讀賣新聞』(8月16日)によると、容疑者は会話が可能かどうかなど障害の程度を確認しながら、話せない重度の入所者を狙って襲撃したといいます。重度の入所者の中でも会話による意思疎通ができるかどうかが、容疑者にとって襲う(殺害する)かどうかの判断の基準であったことを示しています。私は「その2」で、「容疑者が施設の入所者の中でも、意思疎通が出来ないと容疑者のみなした重度の重複障害のある人々」を狙ったとしました。容疑者は話すことができるかどうかを意思疎通ができるかどうかの判断の基準としたわけですが、話せることだけが意思疎通の手段だと容疑者が考えていることに大きな誤りがあります。 . . . 本文を読む

相模原市の障害者施設の殺傷事件について-その8

2016-08-17 17:26:07 | Weblog
私は、障害者施設で働くことになったのが「容疑者の変化の可能性の機会」であった、としました。障害者と日々じかに接する体験を通して、それまでに蓄積された考えや感情がゆさぶられる機会があったはずと思うからです。その体験は、障害者との関わりを通して以外に、職員との交流や会話、あるいはその働く姿を通して、また訪ねて来る家族との交流や会話などを通しての体験も含まれます。容疑者は、そのような体験にどのように向かい合い、そのような体験から何を学んだのでしょうか。特別支援学校(養護学校)には、教職課程をとる大学生たちが毎年数多く介護体験にやってきます。彼らの多くは、障害のある児童生徒たちとうまく関われるか当初は不安に感じ、また自分たちの通ってきた学校とは違って特別支援学校の教職員の多さにびっくりしますが、わずか二日間の体験でも、障害のある児童生徒が日々生き生きと学校生活を送っていることや、また教職員が多数であることの必要性を感じ取って、介護体験を終えていきます。 . . . 本文を読む

相模原市の障害者施設の殺傷事件について-その7

2016-08-16 09:43:32 | Weblog
この事件の容疑者は、幼少時から障害者施設のある地域に住み、幼少時からの生活空間の中に、その施設があたりまえの「風景」として入っていました。友人との交遊や、学校の行き帰り、買い物などにおいて、施設は常に視界の中に入り、散歩に出かける入所者やそれに付き添う職員たちの姿とも接することがあったでしょう。その世界の中で、容疑者はやがてある考えや感情を蓄積していき、ナチス・ヒトラー的な「優生思想」に何らかの形で接して(蓄積された考えや感情を正当化する根拠を得る)、あの事件を起こすことを思いついたのですが、思いついたことを実行するには、普通に考えてみても、相当な“飛躍”が必要であり、行動(大量殺人)へと突き起こす強い衝動なりエネルギーを必要とするはずです。「優生思想」に共鳴したからといって、誰もがあのような事件を引き起こすわけではないからです。その「強い衝動やエネルギー」は、どこから、何をきっかけに出てきたのか、それが私の知りたいところです。 . . . 本文を読む

相模原市の障害者施設の殺傷事件について-その5

2016-08-14 08:15:41 | Weblog
『人種主義国家ドイツ 1933-45』によれば、ヒトラーは1929年8月5日の「二ュルンベルク党大会」において、すでに以下のような演説をしていました。「もし、ドイツ人が毎年百万の子供を獲得し、七〇~八〇万の最も弱い者をかたづけていくなら、それは真のドイツの強化をもたらすであろう。」 この「かたづけていく」という語は、同書によれば、「殺す」という語の婉曲語でした。 . . . 本文を読む

相模原市の障害者施設の殺傷事件について-その4

2016-08-13 08:21:55 | Weblog
ナチス・ヒトラー政権による、「優生思想」に基づいた障害者などの大量殺人とはどういうものだったのでしょうか。ユダヤ人の大量虐殺(ホロコースト)はよく知られていることですが、ドイツ国内の障害者などの大量殺人についてはあまりよく知られていないことです。 . . . 本文を読む

相模原市の障害者施設の殺傷事件について-その3

2016-08-12 18:32:40 | Weblog
相模原市の障碍者施設殺傷事件の容疑者が、緊急措置入院中、病院スタッフに「ヒトラーの思想が2週間前に降りてきた」と話していたことから、容疑者は何らかの形でナチス・ヒトラーの「優生思想」に基づく大量殺害について知っていたことは確かなことだと思われますが、「2週間前」と言えば2月初旬のことであり、その頃にどういう形でナチス・ヒトラーの思想に触れたのか、今のところ詳しいことはわかりません。 . . . 本文を読む

相模原市の障害者施設の殺傷事件について-その2

2016-08-11 16:54:48 | Weblog
相模原の障害者施設殺傷事件の容疑者は、今年2月14日に衆議院議長公邸に手紙を持参し、障害者の大量殺人を予告するような内容をその手紙に記していました(公邸職員に手渡したのは翌15日)。「作戦内容」もその中に記しており、事件後の結果から見れば、ほぼその内容に沿った犯罪を実行したことになります。警備警戒体制が手薄な深夜の時間帯を狙ったこと、職員は狙わなかったこと、重度の重複障害の入所者を襲ったこと、結束バンドを使用していること、当直の職員から電子鍵を奪って次々と部屋を移動していったこと、刃物を5本も用意していたことなど、かなり緻密な計画性のもとに実行したことになります。 . . . 本文を読む

相模原市の障害者施設の殺傷事件について-その1

2016-08-10 11:21:54 | Weblog
半月前の7月26日の未明に事件は起こりました。その日の朝、私はいつものようにブログを投稿し、家の付近をウォーキングして帰宅し、庭の菜園できゅうりやミニトマトを採ったり、ジョウロで水を撒いていたりしていlる時に、いきなりガラス戸を開けた妻から事件のことを知りました。テレビで報道しているところだということでした。施設で「15人が殺されたらしい」(後に増えて19人になった)というその内容と人数の多さに驚愕しました。「とんでもないことが起きた」という身震いするような感情と、「まさか、嘘だろう」という信じられない気持ちが交錯しました。その後、事件の詳細が徐々に判明し、テレビのニュースや新聞などの報道で事件についてのさまざまなコメントが示されました。私はこの事件に大変な不気味さを感じるのですが、なぜそれほどまでに不気味な気分を感じるのか、そのところを深く掘り下げて自分なりの解釈なり整理をしていかないと、極端な言い方かも知れませんが先へ進めないような気分になったことは確かなことです。 . . . 本文を読む