奉行所の内部がどうなっているかは、このような復元施設がないとなかなかわからないもので、案内の方のガイドを聞きながら内部を見て歩きました。
玄関を入ると廊下があってその両側に細かく部屋が分かれています。
それぞれが奉行所役人の詰所であったり役所であったりします。
佐渡奉行の場合、その下に組頭がいて、その下に広間役がいました。
組頭は2人、広間役は7~8人ほど。
組織図によれば、この組頭と広間役が上級役人で、その広間役が各役の下級役人たちを統括していました。
各役とは、地方(じかた)役・町方役・公事方(くじかた)役・書(かき)役・定勘定方役・手形改役・筋金所役・山方役。
「筋金所役」や「山方役」があるのが金銀山を支配する佐渡奉行所らしいところ。
役人としては、それぞれに定役・与力・同心・使役などがいて、またほかに牢守や水主(かこ)などもいました。
廊下の両側にはそれぞれの詰所や役所があり、その広さはそれぞれ八畳ほどで、細かく区切られています。
町方番所は町年寄詰所と隣り合っています。
町方の支配は、町方役のもと町年寄たちによって担われていたことがわかります。
白洲は手前と奥に二つありました。
奥の白洲は公事方役所と御裁許所につながっており、御裁許所で奉行立会いのもと公事方役人により裁許が言い渡されました。
白洲はこうなっているのか、とその構造がここでよくわかりました。
大広間は、ここに広間役がいて各役を集めていろいろと差図(さしず)をするところ。上段の間には奉行が座ったものと思われます。
大広間は30畳ほどの広さ。
ここに奉行所の全役人が揃うこともあったのでしょう。
この御役所の奥に御陣屋があり、この2つの建物は廊下でつながっていました。
御陣屋は奉行が居住する空間でした。
またこの御役所の東側には向御陣屋というものもあったようです。
復元された現在の奉行所の敷地にはかなりの空き空間がありますが、かつては御陣屋や向御陣屋などかなり建物が密集していたことがわかりました。
次回が最終回