崋山が生田万と別れて上尾宿を出ようとしたところ、従僕の弥助が足を痛めて一歩も歩くことができない状態になり、やむなく弥助に持たせていた行李(こうり)と笈(おい)を連れの高木梧庵と交互に担いで行くことになりました。しかしその荷物が肩のあたりに食い込んで痛くなり、崋山自身も一歩も踏み出せないような状態になる。そのよう状況であるのに雨は降ってくるし夜が更けて行く手も見分けがたい状態となる。かろうじて桶川宿に着いたのは夜戌(いぬ)の時ほど(午後8時頃)のことでした。桶川宿で人足を借りて行李を持たせることにして出立。人の往来はなく、雨はいよいよ激しくなる。人家で蓑と笠を借り歩いていくものの疲労は極度に達する。ようやく鴻巣宿の「穀屋次郎兵衛かた」に到着したのは夜の10時過ぎのことであったと思われる。板橋宿の茶店で落ち合う約束であった岩本家の使用人吉兵衛がすでに到着していて、崋山が旅籠に到着したことを知って驚いて出迎えます。崋山は直ちに酒を命じますが、酒の肴が良くなかったので卵を5つ購入して食べました。一日50kmほどの行程は、崋山であってもやはり相当にこたえたことがわかります。上尾宿で、「疲れてしまったからここで泊まる」と言って崋山の誘いを断った生田万は、賢明であったと言うべきでしょう。可哀そうなのは、重い行李と笈を背負って、足の痛いのを我慢しつつ、必死に崋山や梧庵のあとを上尾宿まで付いてきた従僕の弥助でした。 . . . 本文を読む
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