鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

取材旅行の再開に向けて

2011-04-29 07:30:54 | Weblog
自分にとって身近な人が亡くなるということは、長く生きていると何度か経験します。特に若くしてその人が亡くなった時、また自分よりずっと若い人が亡くなった時、その人が身近な人であればあるほど、その人に対して自分が供養するということはどういうことなのか、どういうことをすることがその人の供養につながることなのか、といったことを考えます。お通夜やお葬式に参列し、故人の遺影を見、焼香をする時、そして帰る時、さらに帰ってから、そういったことを真剣に考える時が、私にも今まで何度かありました。どう生きていくのが、その人の供養につながるのか。どう生きていくことが、人生を若くして途中で閉じなければならなかったその人の、無念な気持ちに答えることなのか。今回の東日本大震災では、多数の死者や行方不明者が発生しました。本日の新聞では、死者は1万4575名、行方不明は1万1324名(4月28日午後4時、警察庁まとめ)となっています。合計は2万5899名。確認された数が2万5899名ということだから、実際はそれをさらに上回る数であるに違いない。そのうちの多数を占める高齢者の方の死亡・行方不明ももちろん痛ましいことであるけれども、これから長い将来があったはずの若い人たちの死亡・行方不明が、さらに痛ましい。私にとっては、今まで若くして亡くなった身近な人たちの死と、その大震災による多数の人たちの死(行方不明者も含めて)とが、思いの上でつながり重なりました。その人たちを供養するということはどういうことか、どういうことが供養につながるのか、どういう生き方がその人たちへの供養につながるのか、そういったことを改めて考えさせられました。 . . . 本文を読む
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エネルギー多消費型経済社会の危うさについて

2011-04-18 04:45:08 | Weblog
「オール電化」の家と「茅葺き屋根」の家は、きわめて対極的な位置にあるものであるということを見てきました。「オール電化」とは、「エネルギー多消費型経済社会」の象徴と言えるし、「茅葺き屋根」の家は、「持続可能な低経済成長型社会」の象徴とも言える。ではGDP(国内総生産)至上主義のエネルギー多消費型社会がいつ生まれたかと考えると、それはイギリスから始まった「産業革命」からであると、私は考えます。産業革命による大量生産大量消費のあり方は、世界各地へと広がり、いわゆる「先進国」を生み出しました。日本もその一つとなりました。日本の産業革命は日清・日露戦争前後から進展し、日本を含めた「先進国」(「文明国」)の帝国主義は、第一次世界大戦や第二次世界大戦などの世界大戦を生み出しました。そこで、大量生産大量消費という「エネルギー多消費型経済社会」の反省が見られるどころか、さらにその大量生産大量消費の社会のあり方は突き進み、たとえば日本の場合、朝鮮戦争特需と日米安保に守られて、戦後のいわゆる「高度経済成長」「日本列島改造」が急速な勢いで進んでいきました。その「高度経済成長」にともなう大量のエネルギーを支えたのが、電力であり、特に原子力エネルギー(原発)であったのです。一方、その産業革命の進展、「エネルギー多消費型経済社会」のますますの進展により、とくに戦後、日本の景観から急速な勢いで駆逐されていったのが、茅葺き屋根の民家でした。しかし原発の「安全神話」の上に成り立っていた「エネルギー多消費型経済社会」が、いかに脆(もろ)いものであり、またいびつなものであったかということを、今回の未曾有の東日本大震災は、私たちに痛切に感じさせるものでした。 . . . 本文を読む
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東日本大震災発生から一ヶ月に寄せて 最終回

2011-04-16 06:54:41 | Weblog
茅葺き屋根の古民家の地域からの消滅は、激しい時代の趨勢によるものであり、それはいたしかたのないものだと先に記しました。今、茅葺き屋根の民家を新築したり、あるいは茅葺き屋根を新しく葺き替えたり(もちろん茅で)しようものなら、それはよほど金持ちの酔狂だと言われても仕方のないことです。その屋根の広さにもよりますが、古くなった茅葺き屋根を新しく葺き替えようとしたら、最低でも2千万円ほどはかかるのではないか。2千万円もの大金をかけなければ屋根を葺き替えられないのであれば、密閉性が高く、個別の部屋に分かれ、火事や地震にも強く、そして2千万円前後の予算の範囲におさまるような新建材の家を建てる方が、より合理的だということになる。かつては村共同の茅場があって、人々は村の共同作業として、葺き替えの順番にあたった家の屋根の葺き替えに多数参画したわけで、屋根の葺き替えにそれほど多くのお金がかかったわけではありませんが、現在は、その茅場もなくなり、共同に屋根葺きに参画することもなくなり、専門の茅葺き職人もいたって少なくなったことにより、茅葺き屋根の葺き替えはとても高くつくものになってしまったのです。古民家が残っていても、トタン屋根などで屋根が覆われてしまっているのが多い理由は、そのためです。 . . . 本文を読む
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東日本大震災発生から一ヶ月に寄せて その4

2011-04-14 05:55:55 | Weblog
4月初旬の土曜日、川崎市の生田緑地にある「川崎市立日本民家園」を久しぶりに訪れました。初めて民家園に行った時の新鮮な感動をもう一度味わいたいと思ったからです。あの時の感動は何だったのか、ということをあらためて考えてみたいと思いました。あの生田緑地の斜面に展開する景観は、茅葺き屋根の民家を中心に、古民家が神奈川県内や関東地方、さらに東北地方や中部地方などからも集められたことによって造られた景観であり、その地域の生活や文化、そして当然のこととしてそこに住んでいた人たちからは切り離されたものですが、しかし、それにも関わらず景観としての美しさがあるのは、それらの古民家には歴史の記憶が濃密に蓄積されており、しかも囲炉裏の火が焚かれたり、屋根の茅が葺き替えられたり、ぬか袋で床が磨かれたり、ボランティアの人々たちによって来訪者に古民家のことが詳しく解説されたりしていることによるのかも知れない。あそこにある茅葺き民家群は、もしあそこに移築復元されていなければ、それぞれのもとあった地域において間もなく朽ち果ててしまっていたに違いないものです。山梨県を歩いても、また長野県を歩いても、地元神奈川県を歩いても、地域に茅葺き屋根のままの民家はほとんど見当たらなくなっており、あっても屋根がトタンで覆われていたり、人が住まなくなってまさに朽ち果てようとしている場合が多いのです。この茅葺き屋根の民家の消滅していった戦後の高度経済成長期は、実は住まいの電化が急速に進んでいった時期であり、その住まいの到達点の一つは「オール電化」でした。住まいの電化が、茅葺き屋根の民家を不便なものとし、新建材の密閉性の高い家が茅葺き民家を駆逐していったのです。「オール電化」の家と、茅葺き屋根の民家は、そう考えると対極的な位置にあるものと言えるかも知れません。 . . . 本文を読む
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東日本大震災発生から一ヶ月に寄せて その3

2011-04-13 05:22:13 | Weblog
そして4月12日午後7時現在において警察庁がまとめた死者数は1万3232人、行方不明者は1万4554人、避難者は14万1343人(4月13日の新聞朝刊)。3月12日の正午過ぎに「死者300名超」であったものが、死者が1万3232人となり、3月12日の正午前に「死者行方不明者1400人超」であったものが、死者行方不明者を合わせると、2万7786人になったのです。確認された死者数が「300超」であり、それからどんどん確認されていって1万3232人になったということであり、行方不明者も同様であったということですが、最初の、あれだけの大地震と大津波であったのに、避難がすみやかに行われたことで、幸いなことに犠牲者は少なかったんだという思い込みは、日が重なるにつれ覆されていきました。テレビ映像に写された陸地を覆う大津波や瓦礫の流れの中に、老若男女、多数の尊い命が含まれていたはずであることを認識せざるをえませんでした。 . . . 本文を読む
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東日本大震災発生から一ヶ月に寄せて その2

2011-04-12 05:56:11 | Weblog
先月の3月12日以来、今まで早朝にブログの原稿をまとめていた時間は、新聞の地震や原発に関する記事に目を通す時間になりました。私の取材ノートは、その新聞記事やテレビ報道の、特に死者行方不明者の数を追うものとなりました。3月12日の11時45分の時点で、死者行方不明者は1400人超というものでした。この大地震が、明治からの観測史上最大であり、関東大震災よりマグニチュードが大きいものであるということ、また原発(福島第一原発、福島第二原発)の放射能漏れの問題についての報道に接したのも、その頃でした。その日の12時16分の報道では、死者は300人超とされ、その10分過ぎには400人超となりました。そしてその日の夜8時過ぎには死者は840人となり、死者数はどんどん増えていきました。しかし、死者・行方不明者の数がそのようなものでなかったことは、この1ヶ月間で、私たちがよく知ることになったことでした。 . . . 本文を読む
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東日本大震災発生から一ヶ月に寄せて その1

2011-04-11 04:21:40 | Weblog
先月の11日14時46分に、私の職場でも大地震が発生しました。いきなりの停電とともに大きな揺れが始まり、それは今までこの神奈川県内では経験したことのない大きく長い揺れでした。いったんは床に身を潜め、それから退避し、全員の安全の確認の後、停電で途中まで真っ暗な道を車を走らせ、帰宅したのは19:00頃でした。それまでに携帯のCメールで家族の無事を知り、またこの大地震の震源地が宮城県の太平洋沖であり、大津波が三陸海岸を中心とした太平洋岸に押し寄せているらしいことをラジオ情報などで知りましたが、具体的なことは停電ということもあり、ほとんどわかりませんでした。ただこの神奈川県でこのような経験したことのない大きな揺れであるということは、震源地に近い宮城県など東北地方では、どれほどの揺れであり、また津波はどれほどのものが発生しているだろうかという危惧ばかりは、帰宅するまでにどんどんと大きくなっていきました。 . . . 本文を読む
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