鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2011.冬の取材旅行 「外川・松岸・波崎・高田・犬吠埼」 その2

2012-01-17 05:23:44 | Weblog
それぞれの「御穀宿(おんこくやど)」が関係した東北諸藩とは、仙台・米沢・磐城平・棚倉・常陸笠間・相馬中村の六藩。仙台・米沢・相馬中村の各藩は藩の蔵屋敷を持ち、笠間・棚倉・磐城平の各藩は、「御穀宿」の蔵を借り上げて使用していました。行方屋大里家は、磐城平・棚倉両藩の「御穀宿」であったから、自家の蔵を両藩に貸し出していたということになる。行方屋の蔵がどこにあったかは分からないが、おそらく利根川岸のかつての「納屋場」あたりにあったのでないか。「気仙問屋(けせんとんや)」というのは、東北地方の廻米を除いた商荷物(主に海産物)を扱う問屋。松前藩や水戸藩などの国産物も扱いました。廻船は下りには日用品や雑貨類を江戸で「下り荷」として積み込みました。「仲買」は、「穀屋仲間」とも言い、廻米や商荷物などの払い下げ(余分なもの)があった時にその売買を行っていた商人。荒野村には、それらの「御穀宿」「気仙問屋」「仲買」が特に集中していたばかりか、大手の醤油醸造業者も集中しており、行方屋大里庄次郎家の近隣には、道沿いに、広屋(濱口)儀兵衛〔ヤマサ〕、広屋(古田)庄右衛門〔ジガミサ〕、広屋(岩崎)重治郎〔ヤマジュウ〕などの大店があり、この通明神町(とおりみょうじんちょう)は醤油の香りが一日中漂っているような界隈でもあったと思われます。 . . . 本文を読む