鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2011.冬の取材旅行 銚子海岸遊覧 その1

2012-01-09 07:33:16 | Weblog
「銚子の磯めぐり」のお決まりコースというものは、当時、あったのだろうか。参考になるのは宮負定雄(やすお)の『下総名勝図絵』と、赤松宗旦の『利根川図志』。『下総名勝図絵』は天保年間(1830~1843)頃に描かれたものであり、『利根川図志』は、弘化2年(1845年)に刊行されているから、崋山が銚子を訪れた文政8年(1825年)よりも後のものですが、この両書を併せ読んでみると、お決まりコースというものがあったことがわかります。それは次の通り。飯沼観音→和田不動→川口明神→川口→千人塚→夫婦ヶ鼻→黒生(くろはえ)の浦→大墳→霧ヶ浜→犬吠埼胎内巡り→砥石山→仏が浦→長崎鼻→外川の浦→犬若島→名洗の浜→不動尊(不動山)。宮負定雄は、川口から小畑の古池までを「磯めぐりの見所といふなり」と記しています。さらに足を延ばせば、上永井村の通連房という浜や、下永井村の妙見宮からの眺めもすばらしいものだと記しています。赤松宗旦の場合は、飯沼観音前からのコースを「銚子浜磯巡の図」で描いており、名洗の浜で「磯めぐり」のコースは終わるとしており、一般的には、川口から右回り(時計回り)に海岸を名洗の浜まで歩き、そこから丘陵を越えて銚子へ戻ってくるのが定番コースであったことがわかります。大体一日コースであり、途中、名勝地にある茶屋などで休憩や昼食を摂りながらの日帰りの「磯めぐり」であったと思われます。 . . . 本文を読む