鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2010.冬の取材旅行「銚子~牛堀~関宿・境」最終回

2011-01-24 06:01:11 | Weblog
 手元の関東道路地図を見てみると、このあたりの千葉県と茨城県および埼玉県の県境は、旧権現堂川(かつての利根川本流)と逆川、そして江戸川に沿っていることがわかります。逆川は、江戸川が利根川(常陸川)とつなげられたため、その蛇行して利根川へと続いていた流れはほぼ消滅し、江戸川と利根川の分岐点は、千葉県と茨城県の県境よりも利根川および江戸川のやや上流に位置しています。県境は関宿城博物館の裏手を利根川へと延び、境大橋と江戸川の分岐点の間の中ほどで、利根川の中央を下流に向かって延びています。この利根川へとぶつかる県境の線は、かつての逆川の流路を示しています。かつての関宿城本丸はその逆川を背にして建っていたというから、本丸も含めて関宿城一帯は、延長された江戸川やその河原、また堤防や畑などに変わってしまったということになります。境町はかつては利根川(常陸川)を挟んで関宿城下の一部でしたが、今は利根川中央の県境によって、対岸の千葉県野田市関宿とは隔てられ、茨城県猿島郡境町となっています。一方、関宿城下から江戸川の渡しを渡ったところにあった関宿関所やその界隈の家並みのあたりは、埼玉県幸手市西関宿という地名となっています。また関宿水閘門や関東最大級のこぶしの木のあるあたりは、茨城県猿島郡五霞町山王となっています。「道の駅ごか」は、その五霞町にありました。かつてこの五霞町は、常陸川(現利根川)と権現堂川(旧利根川本流)、そして逆川(さかさがわ)にまわりを囲まれた土地であり、洪水の被害をしばしば受けてきた地域であったという。権現堂川は、西関宿の手前で締め切られているから、厳密に言うとこれは川ではなく貯水池のようなものに変わっています。日光東往還は、関宿関所→江戸川の渡し→東棒出し横→関宿江戸町→常陸川(利根川)の渡し[境の渡し]→境河岸→境町というルートで北に向かって延びていましたが、そのルートも地図上で、ところどころ断絶しているけれどもたどることができます。関宿の河岸や関所については、関宿城博物館が年末で閉まっていたということもあって、今回の取材旅行では詳しく調べることができませんでした。また機会を作って、関宿城博物館を訪れてみたいと考えています。 . . . 本文を読む