鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

山梨県立博物館・企画展「甲斐道をゆく」について 最終回

2009-11-03 06:38:09 | Weblog
山本周五郎(本名清水三十六〔さとむ〕)は、明治36年(1903年)の6月22日、山梨県北都留郡初狩村で、父逸太郎、母とくの長男として生まれました。明治40年(1907年)夏、大雨による山津波で、初狩村は壊滅的被害を受け、祖父伊三郎、祖母さく、叔父粂太郎、叔母せきの4人を失いました。三十六(周五郎)の一家は、大月駅前に住んでいたため難を逃れ、この後、東京へ出てそこに住むことになりました(『曲軒・山本周五郎の世界』による)。この明治40年の大水害は、台風襲来に伴う豪雨によるもので、この豪雨は同年8月22日から26日にかけて降り続けました。この豪雨により山梨県下各地において大水害が発生。北都留郡の大原村では718ミリを記録し、県下でも最多の降雨量の地域となり、多大な被害をもたらしたという。『北都留郡誌』によれば、初狩村では、24日午後2時頃に富士沢滝の前が崩壊して家屋が17軒倒壊し、埋没死亡者が7人。同日午後3時頃、唐沢山が大崩壊し、同4時半頃、25日午前7時頃、相次いで発生した大崩壊により倒壊家屋28戸、埋没死亡者11人。下初狩寒場沢では25日午前6時半頃より同8時20分にわたり前後3回の大崩壊が発生し、倒壊家屋52戸、埋没死亡者26人。また立河原付近では河川氾濫のため民家37戸が流失しました。この埋没死亡者の中に、山本周五郎の祖父母と叔父叔母の4人が含まれているに違いない。東山梨郡春日居村字小松では笛吹川の堤防が十三間(約24m)にわたって決壊。金川および鵜飼川が氾濫して石和町に奔流し、同町の大部分は床上浸水し、道路の水深は4尺(約1mへ20cm)に及びました。笛吹川に架かっていた甲運橋は24日の正午、増水により流失。東山梨・東八代両郡では流失家屋は2068戸、死者は108人を数えました。まさに未曾有の大水害であったのです。山梨県立博物館の常設展では、この明治40年夏に山梨県を襲った大水害のことが詳しく紹介されていました。 . . . 本文を読む