こころの窓

こころの窓を開いて、深呼吸。 日常生活で感じたこと、考えたこと。 しばらくは、不定期更新です。

気持ちを新たに

2016年04月03日 | インポート

この時期、毎年のように「今年こそは定期更新」とつぶやいていますが、約一年ぶりの更新です。

先週は、神戸で全国のteens世代の子どもたち約100名と35名のスタッフでキャンプでした。

今年で第23回を数えるこのキャンプ。残念ながらキャンパーとして参加した経験はないのですが、なんだかんだと間もありながら、20年近く関わらせていただいています。

初めの頃は「とにかく若者たちが集う場所を!」ということで集まってワイワイ楽しむことがメインでした。それが、回数と経験を重ねていくうちに、内容も運営もずいぶんと整ってきました。

その中でも、キャンプを卒業した青年たちがstaffとして活躍してくれることを頼もしく思います。

今後のことを考えるとまだまだ課題は沢山ありますが、最終日のキャンパーたちの素敵な表情を見ていると、こういう場があることが大切なのだなぁとしみじみ感じられます。

一人一人に働きかけてくださる聖霊の存在を嬉しく感じた三日間。

気持ちを新たに、日々の生活も感謝を忘れずに過ごしたいと思いました。


春の風景

2015年04月23日 | 随想

今年は春の訪れが早く、札幌でも桜の開花宣言がありました。

教会の庭にもチューリップや水仙、ムスカリなどが一斉に咲き誇っています。

そんな陽気に誘われて、久しぶりにドライブに行ってきました。

目的地は札幌近郊の水芭蕉群生地。家から近いこともあり、いつか行けるだろう・・・と思っているうちに何年も過ぎてしましました。

見ごろとなった水芭蕉の歓迎を受け、木道を歩いていくと小鳥たちのさえずりや悠々と飛んでいる鳶の姿も見られました。

ただ、残念だったのは河口近くの岸辺にはたくさんのゴミが・・・。

 

美しい命の輝きの中で、私たち人間の愚かさや罪深さをあらためて知らされたような気がしました。

教会の周囲にも雪解けと同時にいろいろなものが出てきています。また、ごみ収集日の前後には散乱したゴミも見られます。まずは、自分の身近なところからできるだけ気を付けていこう・・・ひそかに心に誓ったのでありました。

 

《御名の栄光をほめ歌え。栄光に賛美を添えよ》(詩編66編2節「聖書 新共同訳」日本聖書協会より)

 


十字架

2015年04月02日 | 随想

前回の更新から半年近く流れてしまいました。

今年こそは定期的に・・・という思いはあっても実行するのは本当に難しいものです。これからも、不定期にぼちぼち頑張って行こうと思います。

さて、写真は棕櫚の葉で編んだ十字架です。主イエス・キリストの十字架での苦難と栄光の復活のしるしとして先日の礼拝においでになった方々へ配布されたものです。

棕櫚の葉の十字架には個人的な思い出があります。

二十歳の頃、大学の海外研修旅行に参加する機会がありました。

産まれて初めて降り立った異国はトルコ。バスに乗り、とても長い距離を走ったと感じたのですが、それでもパウロの旅した一部分をたどったにすぎません。現代とは全く違う環境の中で、自分の足で歩きイエス・キリストの出来事を宣べ伝えたパウロのすごさに感動したものです。そして、あこがれのエルサレムへと足を踏み入れた瞬間、期待と現実のあまりのギャップに落胆したことも今となってはいい思い出です。

学生の特権として旅行団本体が帰国した後に3~4日のエクストラプログラムがありました。ちょうど受難週の始まり、枝の主日の日曜日が入っていたのでエルサレム旧市街にあるルーテル教会の英語礼拝へ参加しました。すると、受付で出席者に配られたのが棕櫚の葉で編んだ十字架でした。

礼拝前にはその日の礼拝奉仕者たちが、子どもたちの先導でプロセッション(礼拝堂へ入堂する行進)を行い、子どもたちの手にしている棕櫚の葉が大きく振られていました。そして、礼拝後に「午後からオリーブ山から旧市街に向かって世界各国の人々が棕櫚の葉を持って行進するイベントがある」と聞き、仲間たちと急きょ参加することになりました。

昼食を済ませて集合場所に行くと、実に多様な人々が自分の服や葉のついた枝を持って讃美歌を歌っています。さながら、あの聖書の場面そのもののように。子ろばに乗った主イエスこそいませんでしたが、その日の午後は私たちも日本語で讃美歌を歌い、棕櫚の葉をかざしながらエルサレムへと進みました。

復活祭まで滞在できなかったことは残念でしたが、この思い出は主イエス・キリストの十字架の道行きを覚えるとき、私自身も「ホサナ」と叫びまた「十字架に付けよ」と叫んだ群衆の一人であることを思い出させてくれます。

主のご復活を祝う備えとして、あと数日を心静かに過ごしたいと願います。

あなたの上に主の恵みと祝福が豊かにありますように。

二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ホサナ。主の名によって来られる方に、/祝福があるように。我らの父ダビデの来るべき国に、/祝福があるように。いと高きところにホサナ。」マルコによる福音書/ 11章7~10節 (聖書 新共同訳 日本聖書協会)

 

 


秋の思い出

2014年10月08日 | インポート

あっという間に10月になり、我が家ではとうとうストーブに火を入れることになりました。もう少し我慢しようと思っていたのですが、同居している二匹の猫の訴えに負けてしまったのです。というのも彼女たち、人間の年齢に換算すれば立派な後期高齢者。来春には16歳と15歳になります。

さて、タイトルの「秋の思い出」なのですが、9月に行われた幼稚園の二つの行事について書かせていただきます。

一つ目は「芋ほり遠足」

子どもたちにとって、大好きなお母さんやお父さんと一緒に何かのイベントを行うということは本当に嬉しいことのようで、いつも以上に輝かしい表情に溢れていました。

残念ながら畑のお芋はいつもよりも小さくて、沢山の収穫を期待していたお家の方々にとっては物足りなさも残ったかもしれません。でも同行させていただいた私にとって、お芋よりも何よりも、子どもたちとお家の方が笑顔いっぱいで過ごしておられた姿が大収穫のように感じられました。

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二つ目は「運動会」です。

今年は祝日開催だったので、私も久しぶりに参加させていただきました。

小学校のグラウンドをお借りしての運動会。幼稚園の教職員はもとより、担当のお父さん、お母さん方が朝早くから準備をしてくださいました。

すっきりとした秋晴れの下、子どもたちは一生懸命取り組んできたダンスやかけっこを本当によく頑張ってくれました。

個人的には、4月に入園したばかりの年少さんたちが、ちゃんと列に並んだり、園児席に座っている様子を見るだけで、目じりが下がりしわが増えそうになってしまいました。また、年長さんにとってはすべての行事が「幼稚園最後の思い出」となるので、彼らの雄姿をしっかりと心に刻みました。

入園前の小さなお友だちや卒園したお兄さん、お姉さん、お友だちも沢山来てくれました。

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この先も幼稚園では沢山の行事があります。

一つ一つの歩みを神さまが豊かに導いてくださいますように!

 《あなたの出で立つのも帰るのも、主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。》詩編/ 121編 8節 (日本聖書協会 聖書 新共同訳より)


メールで問い合わせてくださったあなたへ

2014年09月04日 | インポート

今日は、メールでお問い合わせくださった方へお返事を書かせていただきます。

※こちらのメールソフトの関係かその方がご自身のメールアドレスを記載されるのをお忘れになったのか、原因がわからないのでお許しください。

初めて教会においでになろうとしているあなたへ

教会の礼拝にはクリスチャンの方もそうでない方もご参加いただけます。

どうぞ、安心してお出かけください。

 

新札幌の礼拝堂では、9月と10月の第一日曜日の礼拝に牧師はおりませんが、教会員が礼拝を守っています。

礼拝で使用する聖書や讃美歌、式文などは教会に備え付けてあります。

小さなお子さんも、もちろん歓迎いたします。

新札幌の礼拝堂には、小さな家族である伴侶動物(犬)を連れてこられる方もおられます(この賢い犬は礼拝中は集会室で大人しく待ってくれています)。

初めての時は緊張されるかもしれませんが、遠慮なく近くにいる人に声をおかけください。

貴女のおいでを心からお待ちしています。