前回の更新から半年近く流れてしまいました。
今年こそは定期的に・・・という思いはあっても実行するのは本当に難しいものです。これからも、不定期にぼちぼち頑張って行こうと思います。
さて、写真は棕櫚の葉で編んだ十字架です。主イエス・キリストの十字架での苦難と栄光の復活のしるしとして先日の礼拝においでになった方々へ配布されたものです。
棕櫚の葉の十字架には個人的な思い出があります。
二十歳の頃、大学の海外研修旅行に参加する機会がありました。
産まれて初めて降り立った異国はトルコ。バスに乗り、とても長い距離を走ったと感じたのですが、それでもパウロの旅した一部分をたどったにすぎません。現代とは全く違う環境の中で、自分の足で歩きイエス・キリストの出来事を宣べ伝えたパウロのすごさに感動したものです。そして、あこがれのエルサレムへと足を踏み入れた瞬間、期待と現実のあまりのギャップに落胆したことも今となってはいい思い出です。
学生の特権として旅行団本体が帰国した後に3~4日のエクストラプログラムがありました。ちょうど受難週の始まり、枝の主日の日曜日が入っていたのでエルサレム旧市街にあるルーテル教会の英語礼拝へ参加しました。すると、受付で出席者に配られたのが棕櫚の葉で編んだ十字架でした。
礼拝前にはその日の礼拝奉仕者たちが、子どもたちの先導でプロセッション(礼拝堂へ入堂する行進)を行い、子どもたちの手にしている棕櫚の葉が大きく振られていました。そして、礼拝後に「午後からオリーブ山から旧市街に向かって世界各国の人々が棕櫚の葉を持って行進するイベントがある」と聞き、仲間たちと急きょ参加することになりました。
昼食を済ませて集合場所に行くと、実に多様な人々が自分の服や葉のついた枝を持って讃美歌を歌っています。さながら、あの聖書の場面そのもののように。子ろばに乗った主イエスこそいませんでしたが、その日の午後は私たちも日本語で讃美歌を歌い、棕櫚の葉をかざしながらエルサレムへと進みました。
復活祭まで滞在できなかったことは残念でしたが、この思い出は主イエス・キリストの十字架の道行きを覚えるとき、私自身も「ホサナ」と叫びまた「十字架に付けよ」と叫んだ群衆の一人であることを思い出させてくれます。
主のご復活を祝う備えとして、あと数日を心静かに過ごしたいと願います。
あなたの上に主の恵みと祝福が豊かにありますように。
二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ホサナ。主の名によって来られる方に、/祝福があるように。我らの父ダビデの来るべき国に、/祝福があるように。いと高きところにホサナ。」マルコによる福音書/ 11章7~10節 (聖書 新共同訳 日本聖書協会)