唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第二能変 所依門 (135) 開導依 その(40) 護法の正義を述べる(14) 

2011-07-21 21:18:08 | 心の構造について

 「自下は第四に後に起こるときには、他に由るべしと云う難なり。」(『述記』)

 (その四は、前六識が生滅した後に生起する時には異類の他識を開導依になるはずであるという批判に答える。)

 「問う、五位の無心より出る時の如きは、六は七・八先より有るに由るが故に生ず、何ぞ第六いい七・八を以て依と為さざるや。」(『述記』)

 護法に対する問いが出されます。『三十頌』第十六頌・「意識常現起 除生無想天 及無心二定 睡眠與悶絶」と。五位無心の時は意識は消滅しているわけですが、その時にも第七識・第八識は意識の底で活動し続けているのです。そして五位無心から出る時は、また第六意識が生起し活動すのです。そしたら再び活動する第六意識は何を開導依とするのか。一旦消滅した第六意識を開導依にすることは出来ないはずであるので、意識の底で活動をし続けていた第七識・第八識を開導依としているはずである。にもかかわらず、異類の識を開導依とすること、即ち第六識が第七識・第八識を以て開導依と認めないのか、という疑問です。これに答えるのが自下の科段になります。)

 「無心の睡眠と悶絶との等き位には、意識断じぬと雖も、而も後に起こる時の彼の開導依は、即ち前の自類なり。」(『論』第四・二十五左)

 (無心の睡眠と悶絶などの位には意識は断絶するといっても、後に第六識が再び起こる時の第六識の開導依は断絶する前の第六識(自類)である。)

 護法の回答は前滅の第六識が再び生起する第六識の開導依となる、という。

 「述して曰く、彼の位は断じぬと雖も而も後に起こる時の彼の開導依は、唯已前に初に定に入らむとせし時の自類を以てのみ依と為す。『対法』第五に説くが如し。」(『述記』第五本・十七左)

 「論に無心等位と云うより即前自類と云うに至るは、『対法』も此れに同じ。彼の論の第五を按ずるに、等無間縁というは、謂はく中に間隔無きこと無間に等しきが故にといへり。・・・是の故に一相続の中に於て、前心を後心に望むるに、中間に余の心の隔つこと無きが故に是れ等無間縁なりと云へり。・・・」(『演秘』第四末・七右)

 『対法論』第五 - 『雑集論』巻第五(大正31・714b)

 これは、一刹那前の前滅の第六識が後念の開導依となるのと同じことで、意識が消滅し、再び五位無心より出定する時には前滅の第六識が開導依となるのである、と。即ち前の自類を以て開導依となる、というのが護法の開導依説であり、これが正義でああるわけです。