経典の次は論書を引用して第八識の倶有依には五色根も有ることを証明する。その (1)
「瑜伽に亦説かく、眼等の六識は、各別の依あるが故に、有色根身を執受すること能わざるべしという。」(『論』第四・十九右)
(『瑜伽論』巻第五十一に亦説かれている。「眼等の六識は各別の依なる故に」有色根身を執受することが出来ない、と。)
論書を引いて自説を証明しているのですが、本文にある『瑜伽論』は『述記』によりますと、「瑜伽の八の証の中、五十一・・・八の証の中の第一の執受なり。五の因あるが中の第四の因なり。」と記述されており、『瑜伽論』巻第五十一に説かれる第八識の存在証明(八種の相に由って阿頼耶識決定して是れあるを証す。)をする八証の第一(阿頼耶識を離れては依止執受することは道理に応ぜず。)の五因の内の第四因(六識身は各別の所依の根によりて転ず、彼彼の所依の根に於て彼彼の識転ずる時、即ち彼の所依の根にまさに執受あるべく余の根には執受無きことは道理に応ぜず。設い執受すと許すも亦理に応ぜず、識遠離するが故なり、是れ第四因なり。)の文の取意ということになります。
第八識の存在証明は『論』に十理証を以て説かれていますが、その中、第四理証の有執受法の「有色根身は是れ有執受なりと云う。若しこの第八識無くば彼の能執受は有るべからざるが故に。謂く五色根と及び彼の依処との唯現在世なるは是れ有執受なり。彼は定んで能執受の心有るに由る。」と第六理証の生死証の「諸の有情類の受生し命終するは必ず散と心とに住して無心と定とには非ずと云う。若しこの識無くは生し死する時の心有るべからざるが故に。」の理に由って五色根が第八識の倶有依であることを証明しています。
『瑜伽論』巻第五十一の第四因の文面は「六識は各々の別々の依によって生起し活動している。識固有の依に依ってそれぞれの識が転じている。即ち彼の識の所依の根に執受があり他の根には執受がないことは道理にかなわない。たとえ執受があったとしても理にかなわない。何故なら根と識とは離れているからである。」と。六識は各々の別々の依に依って転じるので、執受の働きがなく、第八識のみが執受の働きがあることを論証している。 (明日につづく)