愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

からだの初期化を試みよう 43 アローン操体法 余話-3 運動と認知能-8

2016-08-02 11:17:15 | 認知能
これまで学習に関わる脳内での過程・動き(分子機構)について見てきました。いよいよこれらの動きに運動がどのように関わっていくのかを見ていきます。

本論に入る前に、初めて出る新用語について簡単に解説しておきます。

・IGF-1 (インスリン様成長因子):
筋肉が働くのに必要なエネルギーは、筋細胞内にブドウ糖を取り込んで代謝することにより供給されます。インスリンは、この細胞内へのウドウ糖取り込みを促進するホルモンです。IGF-1は、分子構造上およびその働きもインスリンに似ていて、ブドウ糖の細胞内取り込みを促進する働きをします。脳の唯一のエネルギー源は、ブドウ糖ですから、脳にとっても重要な物質です。肝臓で生成されて、血液中に出てきます。
・VEGF (血管内皮成長因子):
組織で虚血など酸素や栄養を必要とする環境変化が起こった時に生成される成長因子です。脳で新しく神経ネットワークが形成されると、血液の供給が必要となります。VEGFは、血管新生を促進し、新ニューロンへ酸素や栄養を供給するよう環境を整えます。
・FGF-2 (塩基性線維芽細胞成長因子):
繊維芽細胞ばかりでなく、神経細胞や血管内皮細胞などの成長を促す因子で、血管新生の促進や損傷の治癒に関与している。

これらの3因子は、いずれもポリペプチド性のホルモンの一種です。BDNF (脳由来神経栄養因子)と同様、ミツバチの仲間と考えてよく、運動と学習・記憶(認知能)との関わりで、BDNFと緊密な連携プレイをします。

・血液脳関門:
体組織の毛細血管と違って、脳や脊髄の毛細血管では、血管壁の内皮細胞同志の間で細胞膜が癒着していて細胞間に隙間がなく、血液と脳組織との間で自由に物質の交通ができないようになっています。また内皮細胞自身も、体組織の場合とは異なっていて、血液中の物質を細胞内に取り込む性質(’飲作用’と言われている)に制限があります。つまり脳内に物を取り込むに当たってかなり高い選択性を示し、細菌や有害物質が脳内に入り込まないよう、脳を保護する仕組みが備わっています。その性質は‘血液脳関門’と呼ばれています。
・長期増強:
ニューロン同志がつながっているシナプスでの信号伝達に関わる専門用語です。実験的にシナプス前のニューロンを数秒間高頻度で電気刺激すると、その後長時間にわたってシナプス後のニューロンの興奮性が高まる現象が見られます。シナプスの伝達効率が高まっているのです。特に学習・記憶と関連のある海馬でその傾向が強く、数週間以上も持続することから‘長期増強’と名付けられています。記憶形成に関わるシナプス機構の一つであろうとして、大きな研究テーマの一つとなっています。

本論に戻って、認知機能と運動の関りを示唆した最初の知見は、1990年前後に得られたカール・コットマン(当時、カリフォルニア大、アーヴィン校、脳老化・認知症研究所 所長)という研究者の次のような臨床知見です。

彼は、老後も健全な精神状態を維持している人に何か共通点はないかと、長期間にわたって調べました。その結果、認知機能の低下がもっとも少なかった人には、共通点として次の三つの要因が認められた。教育、自己効力感(ある行動や課題を達成できるという信念や自信)、そして運動でした。

その中で、前の二者はよしとして、運動が挙げられたのは意外なことであり、運動は、“何らかの形で脳に働きかけているのではないか”と、コットマンは興味をそそられた。

その頃、脳内でBDNFの発見がなされています。そこでコットマンは直ちに、マウスに回し車を用いた運動をさせて、脳内のBDNFを測定する実験を行っています。その結果、運動により脳内、特に海馬でBDNFが増加することが確認されたのです。

すなわち、学習のプロセスで重要な働きをする分子BDNFの脳内での生成が運動によって刺激されることを実験的に証明して、運動と認知機能が生物学的に結びついていることを明らかにしたわけです。以後、多くの研究がなされてきて、今日では運動と認知能の関りについて‘物質’の動きで説明できるようになってきました。

IGF-1、VEGFおよびFGF-2は、運動により血液中で高まることが明らかにされています。これらの因子は、血液脳関門を通過して脳内に達し、BDNFと協力して学習に関わる分子機構を活性化させることが、最近明らかになってきました。それらの連携プレイの模様は次のようです。

運動で増加したBDNFは、すでに詳細を述べてきたように、ニューロン・シナプスの形成を促進し、ネットワーク作りを進める。他の3因子は、次のようにBDNFの働きを側面から補佐していく。

IGF-1は、脳の唯一のエネルギー源であるブドウ糖の神経細胞内への取り込みを促進して、細胞活動に必要なエネルギー産生を確保している。そればかりでなく、ニューロンを活性化して神経伝達物質の産生を刺激し、またBDNF受容体の生成を促して、ニューロンの結びつきを強くして、記憶を確実なものにしている。

新しくできたニューロン・ネットワークに酸素その他の栄養物質を送るには新しい血管が必要になります。そこでVEGFは毛細血管の新生を促し、栄養物供給を助けるようにする。さらに、血液脳関門の透過性を変えて、他の因子の脳内への供給を増しているのではないかとも考えられています。

FGF-2も、ニューロンや血管の新生を促す作用を持っています。さらに脳ではニューロンの長期増強に重要な働きをしていることも示唆されている。

以上、概略を述べましたが、運動という体性の物理的な動きが、いろいろな働きを持つミツバチの生成を促し、それらの連携によって、いかに学習、認知能の向上に関わっていくか、ブラックボックスの中身の一部がようやく解ってきたように思えます。

ところで、運動が学習向上に関わっていることは明らかになりました。しかし「運動する」こと、すなわち「頭がよくなる」ことを意味するのではなく、両者は別次元の話であることを忘れてはならないでしょう。この点、今一度原点に返って考えてみます。

運動に続いて、脳内では一連の分子機構が発動されてニューロンの新生、さらにシナプス形成が始まります。運動を何度も繰り返し行うことによりニューロン・シナプス形成はさらに進み、三次元の神経ネットワークが完成されます。この段階では、この神経ネットワークは、実施中の運動をスムースに行うための神経ネットワークと考えて良いでしょう。

運動後に学習を行うならば、運動で形成された神経ネットワークは、この学習にも利用されるということです。この原理は、シカゴのネーパーヴィル高校での、「0時限」運動に続く「一時限」での読解力向上の授業で実証されました。

「運動する」ことは、
・成長因子の生成を増すことによりニューロン・シナプス形成を促進する環境を整える、とともに、
・運動のための既存ネットワークの一部を利用することができるため、学習のための神経ネットワーク形成が容易となる。

すなわち、運動は、学習能力を高める素地を用意しているに過ぎないと考えるべきでしょう。

運動後にしばらく時間をおいて学習するというスケジュールばかりでなく、運動しつつ、並行して学習を行うこともまた同様に有効の様です。

いずれにせよ、運動、学習ともに繰り返し行うことが重要です。途中で中止するならば、形成されつつある、あるいは完成されたそれぞれのネットワークは、徐々に消滅していく運命をたどることになります。筋肉の場合と同様、「使え、さもなくば衰える」ということが言えます。

最後に、注意すべきことは、激しい運動は却って学習能力を阻害するという研究結果もあります。適度の運動を心がけることが大事でしょう。

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