まやの部屋

過ぎていく一瞬 
心に浮かんだことや気になることを書きとめる日記

アンコール遺跡

2011-11-12 17:15:40 | 旅行

今、読み返してみると、肝心のアンコールワットの写真が少ないことに気付いたので、今日は数枚写真を載せます。

アンコールワット遺跡群は、12世紀前半ごろに立てられたそうです。その頃日本は平安時代から鎌倉時代で、保元平治の乱があったころ。ヨーロッパは十字軍の遠征、中国では南北宋の時代だそうです。(ウィキペディアで調べました

こんなに大きな寺院を建設したのに、15世紀にプノンペンに首都を移すとその後しばらく忘れ去られたそうな。でも、17世紀にすでに日本人が訪れて、柱に落書きしていったのが残っているから、日本人も昔から遠くへ行ったのですね。

19世紀にここを訪れたフランス人が、西欧に広く知らせて、有名になったそうです。その後、仏領になってから、フランスが修復を始めたとか。何とも皮肉な話です。その後内戦でクメール・ルージュによって、かなりひどく破壊されてしまった。1992年にアンコール遺跡として世界遺産として登録された時は、まだ内戦が収まっていなかったとか。だから修復作業もついこの間始まったばかりなのですね。

今、ネットで調べているうちに思い出してきました。このあたりはベトナム戦争の影響をひどく受けて、その後もポルポト政権などがいつも内戦をしていたとおぼろげながら覚えています。そして、国連がシアヌークさんを国王とする国に制定したということ。その時に活躍したのが明石さん。そうだったのですね。

アジアの国であり、第二次世界大戦の時には驚くべきことに日本がカンボジアを5年ほど占領 していたからでしょうか。その後もかなり深く関与している様子。何も知らずにホイホイと観光旅行に行って、日本語を学ぶ人の多さに驚いたのは無知も甚だしいかも。

ホテルのロビーにシアヌークさんの大きな肖像画が掲げてあったので、帰り際にガイドさんにそのことに少し触れたら、大変そっけない返事だったので、慌てて話題を変えたのですが、きっと今でも微妙な問題なんですね。内戦の時に知識人と呼ばれる職業の人がほとんど虐殺されたそうで、指導者もいないのでしょうか。

 

アンコール・トムの門

 

有名なバイヨンの顔 とても穏やかできれいなお顔 これは四面に彫ってある このような塔がたくさんあります

 

こんな具合にたくさん… 

 

タプロムと言う遺跡 ガジュマロの根が遺跡にからみついて、非常に大きく成長したもの いずれ根の下の遺跡は崩れてしまう

上の根を建物の反対側から見たもの 屋根の上から木が生えているのがわかる