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ありがたいひととき

今日は二十四日でお地蔵様の日なのでいつもより30分早く起きてランニングをしてから近くのお地蔵様のお堂に参拝しました。

今の時期は6時半頃までは暗く見上げると星が見えます。そして結構寒いです。空を見上げながら変な動きをする光はないか確かめます。
UFOが見える淡い期待をいだくのですがまるっきり微動だにしません。でももし将来この星を眺めながら寝れるような天窓がある家に住めたらとふと思ってしまいました。

昔の人は夜になれば電気がなかった為にテレビなどの娯楽はなく、灯りを保つための油ももったいないとやみくもに遅くまでは起きていなっかったはずです。でも満月の明かりや星の明かりが煌々と照る日には夜空を眺めながら感慨深く思っていたのではないでしょうか。
宇宙のことなどはほとんど解明されていない時代でもあの星はとても遠くにあって私達の生活になんらかの影響をおよぼしているのではないか。太陽のように強く照らせなくても月の光、星々の小さな光の瞬きが有り難く愛おしいなんて。

人間の感性は文明の発達にかならずしも比例しないのかもしれません。絵画や彫刻などの美術、また音楽や建築、文学などの世界も現代人がどうしても追いつけていないものが人類の歴史には沢山あります。そこには単なる作品ではなく霊的な感応という見えない技術が含まれているからです。感応することによりまるで満月を遮る雲が取り払われて宇宙のエネルギーのそのままを手に入れることができたのです。

現代人がお金を出してどんな優れた技術のもりこまれた機器をつかったとしても手に入れることができないもの。人工知能による高度な発達をもってしてもたどり着けないもの。それが宇宙エネルギーとの感応なのです。

UFOがなくても観想することにより宇宙の果てまで私達は心を飛ばすことができます。また魂の次元も私達の心の在り方しだいでどんどんと上の世界に上がっていくことが出来るのです。

話が少し大きくなってしまったのでもとに戻しますが私にとって朝は一日の大半が盛り込まれています。まだ太陽が上がらない薄暗い朝、皆が起きだすその時間は自分の進むべき羅針盤を確かめられるありがたいひとときなのです。

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