林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

あかぎれ

2013-11-29 | 林住期

また、あかぎれの季節がやってきた。

毎晩寝る前に、ユースキンAをせっせと指先に練りこんでいても、爪の先の皮膚がパックリ割れてくる。
きっと身体の芯から、アブラが抜けてきたんだろうね。

そういえば、靴下を3、4日履いていても足が匂わなくなって久しい。これは鼻づまりの所為ではないと思う。
別に丁寧に毎晩洗ってるわけじゃないのに、足が乾いている。

脛が干し柿のように粉を吹いてきた。

あと一月もすれば、踵が鏡餅のようになるはずだ。

人間、百近くまで生きてると、だんだんミイラになるようである。
南無阿弥陀仏。

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ノヴェンバー・ステップス

2013-11-28 | 歌の翼に

 

ノヴェンバー・ステップス故・武満徹が、世界的な名声を得るきっかけになった曲だそうだ。
初演は小澤征爾指揮、ニューヨークフィルであった。
邦楽器である尺八と琵琶を洋楽、それも現代音楽に使った画期的な名曲だそうだが、そうかなぁ.........。

初演前に、軽井沢の武満山荘で実施した合宿は、若かった武満徹・小澤征爾ほかの意気込みが物凄かったそうだ。
また名曲とも聞いていたのでCDを買い、期待に耳を穿って聴いてみれば、こはイカニ!

November Steps

なんじゃこりゃ、でしたね。つまらん、実につまらん。
石段は一番上か下に上がったり下りたりするものだけど、途中で立ち止まってる。
そんなにいい曲かなぁ。
いいっていう人、もしかして裸の王様の親戚なんじゃないのかい?

 

ただし、武満は相当なメロディメーカーである。あのおでこには名旋律がぎっしり詰まっていたのだ。
例えば「死んだ男の残したものは」です。
どうもきな臭い今日この頃。
対照的な二人の反戦歌を聴き較べてくださいね。

長谷川きよし 石川セリ

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平林寺のバカチョン

2013-11-27 | 風に吹かれて

武蔵野の名刹「平林寺」は秋たけなわ。紅葉はちょうど見頃を迎えたところだった。
会社の発展でちりじりになっていた同僚と40年ぶりに再会。
その後バブルと共に会社がちりじりになり、同僚は首都圏に戻り交際が復活。平林寺へ紅葉狩りに行ったのである。

平日にもかかわらず、広大な境内はじじばばで賑わっていた。
35年ぶりの平林寺だが、木立が深くなっただけ。江戸風の少し野暮な大伽藍は何も変わっていないようだった。
凄い人出にもかかわらず臨時の土産物売場も、お札お守りの授受所すらなく、凛とした佇まいの禅寺である。

撮影は自由だが三脚や一脚は禁止。そういう大袈裟な仕掛けを所持しない森生にも、いい写真が撮れそうだった。
しかし、有難いけれどいささか困った事態が発生したのである。

それはね、一緒に行った三爺の一人が、カメキチになっていたのである。
腰を痛めて今は足を洗っていても、昔とった杵柄。森生に対する注文と指示が、あれこれとありがたくも煩いのだ。
もう一人のデジカメじぃが松平信綱公墓前まで迷子になったのは、敵前逃亡してたのかもしれないね。

絞り、シャーッター速度、ASA、なんとか補正ときて、望遠レンズは必携などと、もう勘弁してくれぇ。
何枚でも撮りまくり、まぁ良く撮れたものだけを残し、パソコンであれやこれやと大小微調整し、というのは邪道の由。
本来は、自分が使ってたフィルム式アナログカメラこそあらまほしい、とか。

以前、何冊か入門書を読み、「写真は一にも二にも構図が大切」とだけ覚えていて、

  構図がよけりゃ、そんな細かいことはどうでもいいよ。

  おぅ、そんならもっとこっちに寄れ、も少し背伸びして俯瞰しろ、しゃがんで下からだ。

と親切の大安売り。いやはや参ったね。

そして更にのたまわく。

事前に何をどう撮るかを決めておき、現場では慎重に構えてシャッターを押すこと。行き当たりばったりはダメ。
晴より曇、光は真上真正面より斜光がいい。石仏には水をかけることだ。

  えっ!? それってヤラセじゃないの?
  それだったら明日また来なくちゃいけないじゃんか。あしたは耳鼻咽喉科に予約してんだよ。

  初心者は風景の全体を写すけど、いい作品にするコツは風景の部分を強調して撮ることさ。

  だったら近場の飯能の能仁寺で写して、新座の平林寺で撮りましたよ、と偽装してもいいのかねぇ。
  もういいからこのカメラ、あんたに任せるよ、いいとこ撮っといておくれ。

  さっきもいったけど、フィルム式カメラでないといい写真は撮れないぜ。
  デジカメなんか使ったことないわい。

などと、にこにことしながらごたごたが続いた。
結果、折角の撮影日和だったのに、あんまり数は撮れず、平林寺らしくない写真となりにけり。

・ 見渡せばじじばばもみじばかりなり 平林禅寺の秋のひと時 ・
                                     .......... 森生

 

結局、この日はすっかり調子が狂ってしまい、元の全自動に設定を戻すのにひと苦労しました。
また今度、高尾山へ行くまでには、使用説明書をよく読んどくね。

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落ち葉

2013-11-26 | 庭いじり

もみじの赤い葉は風に乗りひらひらと舞い落ちる。
銀杏は黄色い葉をはらはらと振り落とす。
欅は無数の小さな葉を音も無くあたり一面に撒き散らす。

ところがこの紫木蓮ときたらどうだ。
大型の葉っぱをガサリバサリと落下させ、行く秋の風情もへったくれもない。

散らばると後の掃除が大変なので、葉が落ちる前に、一枚ずつもぎ取りごみ袋に直行させている。
これが万札なら、と考えながら。

紫木蓮は花だって花びらがベロ~ンとして、名前は尼さんのようだがふしだらである。
ひとり親方としては、引っ越して直ぐ、狭い庭に植えたのは失敗だった。
この頃、切り倒そうとしても、親方一人では手に負えない。

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あと一月あまり

2013-11-25 | 林住期

無茶苦茶に忙しなかった11月もあと少しで終わる。
まだ、毎日が日曜画家の作品展と遅れ遅れの紅葉狩りが未消化だけれど、OB会の引継ぎは済み、受け持ち分の勧誘も終わった。
後はのほほんと暮らせばいいと思っていたら、そうは問屋が卸さない。

パソコンの状態が非常に悪いんですね。「応答なし」が頻発する。
それに晴天続きで毎日出歩き、林住記を更新する暇がなかなか捻り出せない。
また、医者巡りで身体も少々お疲れ気味だわ。

そういうわけで、ブログの毎日更新がいささか負担になってきた。
原稿料を頂けるわけじゃないし、何もそんなに努力する必要はあるまい。
大体、そんなに期待されてないもんね。分かってますよ。ふんっ。

更新が途切れたら、パソコンが壊れたか、やんなっちゃったか、ぶっ倒れたか、ですからね。
ま、それも自然の成り行き。神様仏様の思し召し次第。

それでは、今日はこれでお終い。
作品展へ行ってきます。

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けんちん汁の会

2013-11-23 | 林住期

まだのどかな栗坪の里にある先生のお宅で、この秋もまたけんちん汁を囲む会があった。
先生宅のけんちん汁は、どこよりも美味いのである。

集まるのはいつもの三爺だ。
独特の存在感があったあんちく氏。今年は少ししんみりし、背中が丸くなったようだ。
あんちく氏が最長老で、先生がいちばん若いだなんて、今日初めて知った。

森生は、日曜日に出かけた育樹祭で、耐え難きを耐え抜いたことを報告。
最長老のあんちく氏は、「我慢は禁物、遠出には尿漏れパンツが必需品」だそうだ。

嗚呼、とうとうその時が来たのかなぁ。

このごろ、じじぃが集まると医者の噂になりやすい。
森生は、「最近通い始めた診療所のナースさんが、頗る付きのス・テ・キ」とつい喋ってしまった。

あんちく氏は、「愛染かつら級かぇ?」と念を押す。古いなぁ......。
そうして、「ようし、俺も診察してもらおう」と。
少し背筋が伸びて、目つきが輝いてきた。



帰り道は一旦山裾に入り、どれみふぁ橋から巾着田を経由し、坂の町の猫額亭に。
日は既に傾きかけていた。

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即答力

2013-11-22 | 床屋放談

書籍の通販業者から「即答力」という本を薦めるメールが来た。

「即答力があれば、チャンスを逃さず、世界に羽ばたける」そうだ。
へー、そうかね?とひねくれじじぃは考える。

安倍晋三総理は、打てば響くように、ペラペラと即答する。
あの即答力、信用できますか? 出まかせ、その場しのぎじゃないだろうか。

若田光一宇宙飛行士も即答する。滑舌はアナウンサー以上であり、世界どころか宇宙に飛び出した。
この眩しい人にかかると、何もかもが上手くゆきそうだ。

じじぃは、何から何まで即答できる人は、好きじゃないね。

 

それでも即答したい方は、こちらをどうぞ▼

http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000032996691&Mail_id=2003&Action_id=121&Sza_id=A0

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冬を迎える

2013-11-21 | 高麗便り

 

よく晴れた日は、近所を歩くことにしている。

せせこましい団地から続く野道の先の、空は高く、住民が借りている菜園は、庭の何倍も広い。

畑は冬越しの準備を終えたところ。

 

掘り返した土は、団地内の礫混じりの痩せた土と違い、ほっこり肥えている。

その畑にまた家が建つ。住民が減るというのに勿体ないことだ。

日和田山や高指山は、ようやく秋の衣装をまとい始めた。

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耐え難きを耐え

2013-11-20 | 風に吹かれて

「第37回全国育樹祭」は、申し込んだ時に想像した触れ合いなんぞは全く無く、長~い式典だけだった。
着席以後、プロローグ、式典ほか音曲、緑の少年団活動発表大会などで、途中休憩無しの3時間の長さだった。
こんなに辛かった講演会や演奏会を体験したことがない。

皇太子殿下のお言葉や埼玉県知事の挨拶はともかく、農水大臣、参院議長、県議会議長、熊谷市長、山形県知事。
ぐっと下がって、どこぞの正副理事長、課長なんぞの言葉、挨拶、宣言、激励は一本に集約して欲しかった。

だって、どれもこれもがワンパターン、かつご尤もで、聞いててじりじりしたよ。

間に挟んだ簡易ミュージカルや、クラシック歌手の独唱は埼玉県出身者にまとめたが、ダサイタマの極みだった。
子どもたちの活動発表も、原稿に大人の手がタップリ入った優等生の作文で、可愛げがまるでなかった。

ところで、森生の膀胱は年々縮小しており、括約筋(というのかな)の力も弱ってきている。
外は小春日和でも、広いドーム内は冷気が足元から這い上がり、縁台のような特製の椅子は硬く、冷たかった。
だから退屈な式典では、どう努力しても音入れを思い出すのであった。

バスの中では県職員から、「催しても決して立ち上がるな、挙手して警備員の誘導を待て」と厳重に指示されていた。
そのため、式典開始後2時間を過ぎると、かなり差し迫った状況に追い込まれていたのである。

これは森生だけではなかったようだ。
殿下が1時間でご退席したとたん、一般参加者の凡そ半数近くが一斉に立ち上がった。
そして無断で場外にある仮設便所にまっしぐらだ。結果、苦悶の行列は場内にまで長~く伸びたのであった。

それから後、一般席は滅茶苦茶にだらけてしまい式次第は無視。てんでに談笑を始めた。

皇太子殿下をお見送りした(と思われる)県知事閣下は、こういう情況を目撃しなかっただろうね。
5700人も全国から集め、徹底した警備のため事件や事故は多分無く、式は予定を10分超過しただけだ。
あの暗い目で、「本県の育樹祭は稀に見る大成功だぞ、うふふ」と思ったに違いない。

しかし、式典に参加した多くのじじばばは、絶え難き尿意を、耐えに耐えていたのである。

ただ、舞台背後に並んだ特別席は、よく見えなかったが終始乱れなかった(ようだ)。
あれは事前に県が支給したおむつを穿かされてたか、前の日から水絶ちの行に入ってたんだろうよ。
いやいや、尿瓶が配られていたかもね。

硬く冷たい縁台のような椅子の上で、ふくら雀のように並んで食した弁当は、松花堂弁当風で、味はそれなり。
食材はすべて埼玉県どこそこ産と表示していたけれど、大丈夫かなぁ。

そのほかお土産は以下のとおり。

記念品(県内産檜間伐材製ペン立て)・寄居町産手づくりブルーベリージャムとエキナセア飴(ハーブ飴)。
布製トートバッグ・ビニール製雨合羽・紙製日の丸手旗。

県農林部森づくり課作さいたまの森林と林業・育樹祭プログラム・式典組曲歌詞。次回山形県育樹祭予告。
埼玉県「彩の国おでかけMAP」。るるぶ特別編集「熊谷グルメ」・「寄居ようこそ」。

IDカード、リストバンド・禁止事項入り持ち込み品用透明ビニール袋等々で、相撲茶屋風だった。
投げ飛ばせる座布団が付いてたら、もっと良かった。

なお往復のバス代と弁当代を含め、参加費は3000円でした。ふぅ。

 

入場後の5時間弱、囚われ人だったわれらじじばばは、午後2時にようやく退場を許された。
秋の関東平野を南下するバスの旅は愉しかった。もちろん途中の高坂PAで、音入れ休憩がありました。

終点の団地では、世話役さんの夫人が暖かいお茶などを用意していて下さった。
世話役ご夫妻と、添乗員を勤めた県職員のお二人に感謝。

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川の秋を探しに

2013-11-19 | 高麗便り

 

川にも秋が来ているはず、と高麗川沿いの小道を歩いた。

 

あいあい橋、どれみふぁ橋から鹿台橋下の堰堤へ。

 

県道を横切ると、日和田山の南麓の日向和田だ。水面は日陰になる。

 

川原の砂州に、不漁を嘆く元運転手じぃがいた。座ったままなので腰痛がぶり返したそうだ。

 

初対面だったが気が合い、べらんめい調で町医者をこき下ろし、愉快で有益だった。

 

日陰の淵で、文句も言わず漁をする水鳥は、鴨かもね。

 

高麗橋で日が翳ってきた。横手渓谷はまたの日にします。

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徹底警備

2013-11-18 | 風に吹かれて

第37回全国育樹祭に行ってきた。(植樹祭じゃありませんよ)

申込む時は、全国の森林に携わる人々が触れ合う愉しい集いを想像し、ホイホイ申し込んで「しまった!」だった。
育樹祭が近付くにつれ、徹底的な厳戒態勢が布かれていることが、徐々に露わになったのである。

当日は朝4時に起床(!)。大型バスが待っている隣の団地に駆けつけた。
バスに乗る前に、案内状と運転免許証を提示し、A5版大の首から提げる「IDカード」を受け取りやっとバスに乗れた。
数週間前には生年月日を世話役さんに申告させられていたのである。

バスに乗る際に、手提げ紙袋を手渡された。お土産(!)やら雨合羽、飴玉、懐炉、その他諸々が入っていた。

車中では、会場での禁止事項をルル説明され、ルンルン気分に水。

 ・交付したIDカードを必ず首からぶら下げておくこと。
 
・IDカードのポケットに、写真を表にした運転免許証と宛名が読めるように折った案内状を入れておくこと。
 ・リュックサックやハンドバッグ、傘などは持ち込み禁止。余分なものはバスに残しておくこと。
 ・小銭やカメラ、腕時計など金属製品は、紙袋に入っていた禁止事項明記済み透明ビニール袋に入れること。
 ・行動は全て乗車バス単位の団体行動とし、単独で行動してはならぬ。
 ・会場に入った後、式典が終わる迄の4時間余りと、帰りのバスに乗る2時迄の6時間は会場から出てはならぬ。
 ・式典中に尿意を催しても決して立ち上がらず、手を挙げて、警備員の誘導に従い仮設便所に向かうこと。

会場の「くまがやドーム」には大型バスが70台以上も集結したらしい。到着順序まで指定していたようだ。
降車場に着いてから、ドーム敷地入口の第一関門に到達するまで、何と30分もかかった。
ここで1回目の荷物検査。

ドーム入口の第二関門では金属探知機で身体を調べ、カメラは足元を撮影し爆弾でないことを確認させられた。
更に、入院患者が足首に着けるような、紙製の「リストバンド」を渡され、手首に装着するよう指示された。
ここで、じじばばはすっかり囚人気分だわさ。

巨大ドーム会場には説明書によると、全国から5700人も集まったそうだ。だが全く混雑していない。
広い特設舞台は遥か遠く、200人は並んだ特別招待者は芥子粒のようだった。

2~300人はいた吹奏楽団と合唱団も特別誂えの白い制服が目立ったが、表情は遠くて全く見えなかった。
2階席や背後に特設した報道席には大型カメラがバズーカ砲のように林立し、ものものしい雰囲気を醸し出した。

参加者は、式典を盛り上げる役目の小学生2~300人以外は全員が50代後半以上で、青壮年は皆無である。
地方の参加者は全員が黒紺背広にネクタイ姿。われわれ近隣市町村からの参加者とは心掛けが違うようだった。

式典開始前、その後始まる長丁場に備えて、参加者は仮設便所に殺到。
徹底した警戒態勢を布いたはずなのに、ここの警備は全く無し。だがそこはじじぃだ。寿司詰めの行列は粛々延々。
一人当たり利用時間はチョロチョロと長く、後ろから丸見え。
水洗の水はとうに底をついていた。

定刻に皇太子殿下がご入場。座ったままで支給された紙の日の丸を打ち振り、バサバサ音がドームに満ちた。
吹奏楽団の伴奏で国歌斉唱。ここだけは硬い長椅子からの起立を指示されて、ほっ。
当然、直接にはご尊顔は見えず、舞台正面の巨大動画画面を経由して、やっと殿下を拝むことができた。

見えなかったけれど、殿下は広大な舞台正面に、1時間、ぽつんとお一人だったようだ。
ああいう配置は珍しい。埼玉県知事・熊谷市長・議員・農水大臣等が周りを固め、身を挺してお守りすべきだった。
あれでは万々が一、不心得モノが狙撃した場合どうなるか、畏れ多くも想像するだに恐ろしかった。

なお、ここでお断りしておきますが。
若い現場係員(県庁職員らしい)はこれらの厳重な警備体制を恐縮していたようで、応対は親切丁寧だった。

そりゃそうさ。ここに来た人は、夫々の縁故で参加し、テロリストとは全く無縁の善良な市民のはずだもの。
しかし、育樹祭を企画した埼玉県の奥の院にいる優秀な官僚には、それが分かっていないようだ。
そこがわれらじじばばには遺憾であった。

この記事、明後日の「耐え難きを耐え」に続きます。

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秋の里歩き

2013-11-16 | 高麗便り

 

夜来の雨が上がり、清々しい朝が来た。



お手本みたいな日本晴れ。ホンモノの秋。

こんな日に、家の中で燻ってはいられない。



久し振りに、秋の高麗の里を歩いてきた。

 定点観測点としての鹿台橋から始まり、清流の谷戸、高岡橋、栗坪など。

 

真冬の寒さに散り始めた木、色付いた木、まだ緑の木。秋はまだら模様だった。

里の柿は豊作に見えたけど、とほほ。

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演奏会へどうぞ

2013-11-15 | 林住期

行きつけの床屋のお孫さんが、来春、大学を卒業する。
在学中
最後の演奏会があり、お孫さんはソロ演奏を披露するそうだ。

へー、そんなに上手くなったんだ! 青年を坊やの頃から知っている森生も、感無量である。

で、お祖父さんと美人ママがどっさり無料入場券を下さった。
ここで、大勢の友人を総動員しなければじじぃが廃る、とばかりにあちこち電話したけど、昼間はちっとも出んわ。
どこもかしこも留守ばっかりだ。

夜になってようやく繋がり、「無料だけどもさぁ」と薦めてみても、み~んな先約、野暮用、病院予約がある。
まして、「奥さんもどうぞ」なんて言おうものなら、「夫婦別行動が家庭平和の基本」だとさ。

これが大学吹奏楽団の学生諸君でなく、島倉千代子だったら、も少し入場希望者が増えるだろうに......。
あるいは、小澤征爾や年末恒例の第九だったらよかったのかもしれないね。

でもね、小澤が所沢で棒を振るずがないや。
第九は、所沢偏屈じぃが合唱団の一人として出演するよ。

 

そういうわけで。
12月1日(日)、午後1時半開場、「東京国際大学吹奏楽団第25回定期演奏会」は、席がまだ余っております。
それでこれまでは所沢市内と近所の友人知人に声をかけてきたけど、少し広域から集客することにした。

ほらね、保谷偏屈先輩が引っ掛かった。奥さまは当然別行動だけどね。
当日は航空公園駅で待ち合わせ、欅並木を歩いて「信玄」へ行き、美味い蕎麦と天麩羅を食す。
その後、落葉が舞い散る公園をゆるゆると通り抜け、会場に行く運びとなった。

あ、そうそう、まだ数枚残ってるよ。

本番は上の写真より楽団員が増え、もっと豪勢になるはずです。

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また歯を抜くか

2013-11-14 | 病院巡り

4、5日前から小鼻の下にしこりができていた。美顔ならいいが鼻癌かもしれなかった。
副鼻腔炎の治療をしてもらっている耳鼻科の先生に「全然よくなりません、それどころか」と苦情を言うつもりだった。

だが、歯医者に行く日になって、歯茎が腫れてきた。鼻癌ではなく、3年振りの歯周炎だ。
先生に「入歯の微調整で嵌めるのは楽になったけど外すのが大変になったからだ」とイヤミを言うつもりだった。

おっ母さん先生は、「口を開けてごらん、ほ~ら、この歯のせいだよ、早く抜かなくちゃぁね」と断言。
更に「ねっ、こんなにぐらぐらしてる、割れてるので簡単に抜けるわよ、こんな歯」と迫ってきた。

この奥歯は度々歯茎を腫らしたので、3年前、別の歯医者が抜くところだった。
しかし、飲んでいた心臓の薬のために出血が止まらない恐れがあり、抜かなかった歯だ。
代わりにガリガリと口内大工事をやり、歯茎から出ている部分だけを切り落として、残った根の部分である。

その薬、プラビックスとバイアスピリンは今でも飲んでいる。さあ、どうしようか。

「今日はこれから会合があるから」と、とりあえず逃げてきた。
でも、もう限界が来ていることは分かってる。

次から次へと不具合が起きる秋の夕暮れ。
..... いや晩年かな?

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