林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

実在 出雲王朝と神々

2009-09-30 | 拍手

 

藝術新潮10月号の「古代出雲王朝」特集は推理小説のように面白い。

知らなかったが、近年まで、

  出雲王朝は大和の神話を出雲に仮託したものであり実在しなかった、

というのが常識だった由。
ところが近年、考古学上の大発見(▼)が続いた。
哲学者の梅原猛先生が、事実の探求に乗り出したのである。

結論は、

  出雲王朝も神さまたちも実在した」

である。

先生は出雲のほか播磨や淡路島を歩き、新発見の遺跡や遺物に接し、
神話由来各神社の、神さまの子孫(!)である宮司さんたちと会話し、推理した。

歴史学者は慎重過ぎてツマラナイ御託ばかり並べる。
しかし先生は哲学者だから、足りないところは大胆な推理で時空を軽く超え結論を出す。

例えば昔聞いたヤマタノオロチの神話は、

  スサノオが河口が幾つにも分岐した斐伊川の治水に成功した話、

だった。
川に酒を飲ませるなんてヘンだった。しかし先生によると、

  越王朝から派遣されていた暴虐な支配者たちを酒に酔わせて一挙に粛清し、
  植民地だった出雲を解放し、出雲王朝を開いた、

ということになる。
酒の説明が付いて、分り易いでしょ?

スサノオから6代目、兄たちに冷遇されていたオオクニヌシノミコトの大成功と、
子どもたちの相続争いと、大和王朝に併呑されてゆく推理も面白い。

6代目がスサノオの娘と駆け落ちするのが不自然ですが、詳細は読んで下さいね。

また出雲大社の超高層社殿建築は、

  大和王朝がオオクニヌシの祟りを封じ込める狙いがあった、

とか、宮司の千家は今も「出雲国造(くにのみやつこ)」を公認されている、という実話が愉快である。
(余談ですが、司馬遼太郎によると、千家は天皇家よりも由緒正しい家柄、と言っていた)

八重垣神社の佐草敏邦宮司▲
スサノオとキシナダヒメの子アオハタサクサヒコから、何と89代目とか!

更にこういった事実を隠蔽し、歴史を改ざんした張本人は

  近衛・九条・西園寺家などの遠祖、藤原不比等だ、

と断定しています。

しかし、何よりも気に入ったところは、梅原先生の謙虚な姿勢です。はじめに、

  近年の考古学的大発見は、出雲には壮大な神話を裏付ける遺跡が無い、
  という常識を粉砕した。
  私も出雲神話は作り話と思っていたが、学問的良心に基づき考え直したい。

と、あちこち歩いた結果、神話は事実で神さまは実在した、との推論に達し、最後に、

  私が30年前に出版した「神々の流竄」は間違いだった。大変恥ずかしい。
  オオクニヌシノミコトには全く申し訳ないことをした。

  出雲大社で心からお詫びして、改めてミコトの人生を顕彰する書物を書きます。
  とお誓いした。

好きですねぇ、大先生のこういう潔さ。
約70頁で写真が多い特集を読むのは、ブログを書いてるよりずっと面白かった。
この林住記なんかを読むより、ずっとタメになります。 

ただ、すこしアラを探すと.....。
普通こういう読み物は記紀の原文を参考に載せたり、神さまの名前を漢字で書く。
しかしこの特集では原文は無く、名前は片仮名にしてくれた。
でも、神さまの名前はまだ長過ぎるし、途中で名前が変わり、ごちゃごちゃする。
その辺を工夫改善してくれれば、日本神話はもっと楽しめるのですが.....。

▼考古学上の大発見とは、
荒神谷遺跡加茂岩倉遺跡四隅突出型墳丘墓出雲大社巨大柱根等のことです。


本町通り「絹甚」

2009-09-29 | 風に吹かれて

飯能市は空襲されなかった古い町なのに、商店街に、おや!、というものが無い。
「町中水族館」と自称する金魚の水槽を各商店に置いてあるが、あんなもの.......。

でも、本町通りにある「絹甚」が僅かに異彩を放っている。「絹甚」は近頃、時々内部を見学できるようになった。川越に見劣りするのは致し方の無いことですが。

絹甚は雨戸に特徴があるのに、公開するようになってから、片付けてしまったようだ。
非公開の日は、雨戸を立てておいたらどうだろうか。

飯能の本町通りは、対抗車が少なく右折し易い。
昔は立ち並んでいた商店は櫛の歯のように抜けて、今は寂しい「本町」通りである。

能仁寺や天覧山・多峰主山へは、本町通りよりも狭い路地を歩く方をお勧めします。
昭和始めの風格がある邸や、いい味を出しているうらぶれた家が並んでいます。

雨戸のある写真は、改修前の07年4月に撮影しました。


来る者 去る者

2009-09-29 | お節介

舞ちゃんの山野草観察会は2時半に終わった。
引き返して撮り損なった花を撮るつもりでいたが、説明と相談がある、と言われて、みんなと事務所へ行った。公園幹部氏たちに会えるのは滅多に無いことだ。

相談は、春先に実施したアンケートで、ボランティア会員から更衣室・シャワー・休憩談話室の設置を求める意見があり、公園はどう対応するか、だった。

森生は、そんなものは要らない派です。
だいたい欲しがる人ほど長続きせず、6月の蒸暑さや藪蚊にネを上げ、夏以降、名ばかり会員になる。

汗まみれの作業服では東武電車に乗れないとか、冬は寒いので室内で弁当を食いたいとか、ゆっくり会話を楽しみたいとか、ボランティアではなくまるでお客様である。
ボランティアをレジャーと勘違いしている人が多いようだ。

長く続けている仲間たちは、そんなもの別に要らないけどねぇ、という意見である。
アンケート結果では、要らない派は44%で欲しい派は42%だった由。
10年前には、こんな贅沢な要求は考えてもみなかった。それだけ豊かになり、日本人がヤワになったんだろう、と考えるのは大袈裟か。

幹部氏の提案は、公園の奥にある閉鎖した売店を更衣室に改装する、シャワーは職員用の壊れていない3台を使って貰う、と姑息な提案。
そんなお手軽なもので欲しい派が満足するはずが無い。
そんな狭いところじゃ身体がぶつかり合う.....、乾いた服に着替えても出口まで歩けばまた大汗だ....、職員用シャワーじゃ気兼ねして使いにくい.....、と注文が付いた。

ボランティア作業は義務ではないのだから、キツイならもっとラクなところを探せばいい。汗が嫌なら冬だけ参加し、寒ければ作業をするか厚着をすればいい。
作業をしてやっているのだから何かサービスしろ、と言うのは心得違いだ。
公園側も、来るものは拒まず、去る者は追わず、でいいのではないか。

それにしても役所から短期出向している幹部氏、たまには現場に顔出さないとね。
アンケートは設問の仕方によって、結果は随分違ってくる。
説明会の意見は、見栄や建前や弁舌巧みな人の勢いに左右される。
舞ちゃんやオーロラ青年など、現場の意見を丁寧に聞いてるのだろうか。


舞ちゃんの山野草観察会

2009-09-28 | お節介

森林公園がボランティア会員のために「秋の山野草観察会」を開いてくれた。

例年は外部講師や植物園長やオーロラ君など、男どもが案内人をやってくれるが、今日は公園勤務の舞ちゃんだ。彼女はじじばばのアイドルである。
舞ちゃん、普段は間伐や草刈を指揮し奮闘しているけれど、今日が案内人初体験。
じじばばに取り囲まれて、緊張していた。



やけに詳しい爺様が何かと先回りして、始めのうちはやり難そうだったが、爺様、直ぐに草臥れて、やがて無口に。ま、疲れもあったろうが、舞ちゃんはよく勉強している上に、初々しいく、意外に捌けてもいて、爺様も安心納得したみたいだ。



森生も蔭ながらホッとし、嬉しかったよ。
説明は前もって準備したパネルを見せたりして、分り易かった。
舞ちゃんの健気さには、ウチの嫁に......、と思ったじじばばも多かったはずだ。



いろいろ詳しく教えてくれたのに、持って行ったデジカメが阿呆で、マクロに切り替えても、肝心の花はボンヤリ背景クッキリ、とはどういうわけ?
説明書を詳しく読めば分るかもしれないが、そんな時間はありまっせん。



青い毒草トリカブトや、濃い赤紫色の関西産センブリなど、せっかく写したのに使い物にならぬ。埼玉県指定絶滅危惧種の......なんだっけ?、は小さ過ぎて腹這いにならないと写せない。代わりに樹木ですがゴンズイの実とナントカの実です


写真は、人物が写っている3枚を除き上から、
吾亦紅
有香(優雅)菊・女郎花・男郎花
藤袴・杜鵑(白花と普通花)・南蛮煙管
野原薊・鵯花・吾亦紅
ごんずい・(忘れたので調べてみますが、知ってる方、教えて下さいませ)。

盛りを過ぎたり、開花前のものもあります。
「舞ちゃん」は仮名です。この記事、不連続で続きますね。


真っ赤なポルシェ?

2009-09-26 | 歌の翼に

鄙では見たことがない凄いスポーツカーが停まっていた。
実物にお目にかかったのは初めてで、ワォ!だった。

既に若くない持ち主は、百円ショップの軒先で、得意そうに坐っていた。
通りかかる人たちが、車の中を覗いても、写真を撮っても、嬉しそうだった。
だから、車体の反対側に指紋を付けてやった。

  「営業に行くと、儲かってるようだからもっと値引きしてくれ、と言われてね」
  「運転し難いけど、それが面白いんだよ」
  「道が悪いと、腹、擦っちゃって」

誰にも気さくに答えてくれた。
暫くして奥方が百円ショップから出てきた。レジ袋には百円グッズが一杯入っていて、仕舞う場所に困っていた。.......お宅も、ちょっと覗いてみたいね。

そうだ、この前乗せてもらった濃紺のオープンカーのおじぃさんに写真見せてやろう。
口惜しがるぞぉ

ついでに百恵さんの「プレイバックPartⅡ」を聞かせてやるべぇ。

ところでこの車、ポルシェだろうか? フェラーリかもな。いやランボルギーニかな。
なにしろこれまでご縁がございませんでね。


この頃ちょっとヘンよ

2009-09-25 | 歌の翼に

山口さんちのツトム君 この頃ちょっとヘンよ どうしたのかなぁ.........

......なんて歌ってる場合じゃないのだ。
肝心の森生クンが、このごろとってもヘンで、どうしたのかな?

 ・いつも疲れ気味で、昼間でも急に眠くなる。
 ・歩くのがおそくなり、おばぁさんにまで追い越される。
 ・頭が重く、身体がダルイ。...........これは20年も前からだが。
 ・咽喉がシバシバ痛む。
 ・背中と肩がパンパンに凝り、首が固まり、目薬が注せない。

原因は睡眠不足、と考え、何年振りかで10時に就寝した。
夜中に起きたのは小用で2回。
5時半に目醒め6時に起床。
6時半にテレビ体操をし割合スッキリしたが、血圧が3ヶ月振りの140台。

朝食後、古靴の踵を玄関で確めていたら、よろめき、上がり框に尻餅の不思議。

午後、また眠かったけれど、山を越えてまるひろ百貨店を見に行った。
広くなっただけで、無料休憩用の椅子も、飯能駅行きシャトルバスも見つからなかった。

夜、空缶出しの時、門前の段差に躓いて、ガッチャーンガラガラと激しく転倒。
左腕手首から肘まで、見事な擦過傷ができ、左手首がみるみるうちに腫れ上がった。
風呂へは挙手したまま入り、山越えの汗は流せずじまい。

で、10時就寝のはずが、諸手当てで11時近くに。
昨夜は傷が痛み、時々目が醒め、手首には添え木を付けた感じである。
5時半には目覚めていたが、7時半にようやく起床。
血圧はまたもや140台である。

腫れた左手首は動く。12年前の骨折経験から、痛みは骨折ではない。
擦過傷と打撲傷の痛みであると判断はしたが........。
医者へ行くのは明日まで考えよう。

このごろとってもヘンよ、どうしたのかなぁ..........。
児玉清先輩の後を追い、いよいよサルコペニアのようでもある。

歌でも歌ってるしか、仕方がないのだろさ。
あ~ぁ

固まってきた傷跡は、腕に現われたお岩さんのようで.......


薄の穂

2009-09-24 | 遠い雲

小学生の頃、薄の穂を一束集めるように先生から命じられた。
兵隊さんの蒲団の中に入れて綿の代用品にする、とのことだった。
小学生の手の届くところは、全て畑になり、薄の穂を一束集めるのは大変だった。
本当に蒲団綿にするのか、と思った。

その頃、校庭には薩摩芋や玉蜀黍が植えられた。
小学生も先生たちの作業を手伝わされたが、収穫物の分配は無かった。
先生はズルイ、と思った。

戦争に負けたら、鬼畜米英、と言っていた校長先生が、素晴らしいアメリカ、と言い始めた。あの信用出来ない校長先生の名前は今でも覚えている。
エライ人の言うことを信用しないのは、その頃の影響だろう。

今、近所に薄は幾らでもある。
巾着田へ行く道端では売っていた。
風に靡いていた薄の穂が、綿のようになってきた。
今年の秋は早足のようだ。

薄の穂を蒲団綿に代用したことがあるか、検索したがネットには無い。
蒲(がま)の穂を蒲団の綿にしたことはあるようだ。それで、布団を「蒲団」とも書くらしい。
飛行機を飛ばすために、ガソリンの代わりに松の根を使う、と聞いたことも覚えている。


駅前混雑

2009-09-23 | 高麗便り




団地住民が、いくらお願いしても停めてくれなかった特急が、停車する。
西武高麗駅の混雑も今日でお終い。

巾着田の彼岸花は盛りを過ぎ、明日からはぐんと寂しくなる。
プラットホームには白鶺鴒が、またやって来るだろう。

高麗の郷の本当の良さは、これから始まります。


写真は9月22日午後に撮影しました。


威風堂々

2009-09-23 | あらら!


隣町の飯能で、豪勢な車庫を発見した。
樹皮を剥いた後、手斧(ちょうな・ちょんな)で削った太い材木を使っている。
法隆寺と同じ加工法であり、単純な構造ながら、威風堂々である。

飯能は材木の町、ということになっている。
江戸から明治にかけて、「西川材」という銘柄で江戸に出荷していたそうだ。
郊外の名栗や吾野地区には製材工場が、まだあちこちにある。

ハイキングコースの杉檜林は、植えたままで荒廃している場所ばかりだが、お祖父さんがが手入れして立派に育った木々が、どこかの奥山で健在なのだろう。


欲しい自転車

2009-09-23 | 林住期

折り畳める自転車が欲しい。

移住民のわが町は、坂道ばかりなので普通の自転車は無理だ。
原住民の平坦な町まで車で行き、折畳自転車に乗り換える。
そうすれば、「林住記」の取材が相当ラクになる、という腹心算なのだ。

天覧・多峰主山の登山口に自転車が置いてあった。
ここからほんの少し坂を下りたら、平らな飯能の町なかである。

折畳自転車ではないが、手前の自転車が気に入った。
3台もあるんだから、1台くらい当分お借りしても差し支えはないんじゃないか。

どうも近頃、他人さまが羨ましく、他人さまの持ち物が欲しい。

自転車は「ダメ!ダメ!」、と手で合図している。
日陰は長く、危ない秋の日だった。


もう森へなんか行かない

2009-09-22 | 歌の翼に

物憂いとき、「もう森へなんか行かない」を思い出し、節だけを口ずさむ。
フランス語の意味なんか分からないが。

以前、町工場で働いていたとき、秋田の山奥から出稼ぎに来ていたお父さんが、手続もしないで辞めて、田舎に帰ってしまった。
放って置くわけにもゆかず、秋田に電話したら、お母さんが出た。

森生の話は伝わってるようだが、お母さんの話はサッパリだった。
でも、その話し声は、まるでフランス語のように綺麗だった。

歌っているフランソワーズ・アルディはファッションモデルと聞いていた。
呟くように歌うフランソワーズの歌声は、まるで秋田のお母さんのようだった。
秋田には美人が多い、とか。
フランスの森はともかく、秋田は行ってみたいところだ。

もう森へなんか行かない