林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

耳を澄ませて

2012-12-31 | 林住期

  

 

(おせち写真掲載予定場所)

 

 

朝からず~っと待っている。
立て付けが悪くなった門扉を、開けたままにして待っている。
午後6時になった。あたりは真っ暗だ。玄関の明かりは点けたままにして待っている。

横浜の高島屋からおせちが、大晦日に届くはずなのだ。
横浜だから中華おせちかもな。

喧しいだけの紅白歌合戦なんかは見ない。あんなもの見ていたら、ピン・ポ~ンが聞こえない。
電池は残ってるのに小さく「ポン」としか鳴らないようだ。
耳が悪くなったのではなく、どこか接触が悪いのだろう。

耳を澄ませて、ヤキモキしながら、宅急便の車が猫額亭の前に停まるのを待っている。
おせちは、お正月は、明日は、来るのだろうか。

本年はこれにてお終いにさせて頂きます。
到着する予定のおせち料理の写真は、新年のご挨拶に載せますね。
それでは皆さま、よいお年を。

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J-プランツだとさ

2012-12-31 | 重箱の隅

国営放送の長寿番組「趣味の園芸」を見なくなった。

出演者の服装が気に入らない。
土いじりをするのに軍手を嵌める。

昔からあるお馴染みの草花を、矢鱈にカタカナ語に言い換える。

見なくなった理由はその他いろいろあるが、いちいち並べていると来年になるので止める。

日曜(昨日)の朝、たまたま趣味の園芸にチャンネルを回したら、正月の寄せ植えをやっていた。
出演した講師は、素手で土を弄っていた。感心感心。

だが冬だと言うのに薄着の女子局アナ。
寄せ植えに使った南天・千両・万両・藪柑子・万年青・苔などを「J-プランツ」と言うのである。

字幕もそうなっていたから、「J-プランツ」はNHK公認の園芸用語なのだろう。

NHKは菓子のことを「スウィーツ」というようになった。
和菓子はもうじき「J-スウィーツ」に、蕎麦饂飩は「J-パスタ」か「J-ヌードル」とするに違いない。

その他いろいろあるが、キリがないので止める。



ご同輩へ。デタラメNHKに受信料を払うのは止めようね。
晋ちゃんへ。原発でなく日本語を取りもどしておくれ。

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入歯を外す

2012-12-30 | 病院巡り

我が家で飯を食うときには、入歯を外すことにしている。
食後、ずるずると反芻する楽しみが減るけれど、入歯がないほうが食いやすいのだ。

がやがや話をしたい、喧々諤々とギロンしたいというときにも、入歯を外す。
さしすせそ、たちつてと、ちゃちゅちょが発音しにくく、軽度の脳梗塞かと憐れまれたくないからだ。

高麗の里を呑気に散歩する時も、入歯を外す。
入れ歯が邪魔して、浮き浮きと口笛が吹けないからね。

今度の入歯には21万円も投資した。金属を使わない新機軸の入歯である。
しかし入歯は靴と同様に、材質や値段じゃないことを学んだ。

パノラマレントゲンという優れた装置が開発されたのに、何故歯型取りが旧態依然なのだろうか。
粘土を口に突っ込むという乱暴な方法を改めて、レントゲンに連動する3D映像方式で型をとればいいのにな。

今年は家具修理と、入歯の新調と、ガス給湯器の交換で、見事な赤字になった。
医療費控除申告をしても、年金から天引きされている所得税住民税はお役人が見れば蚊の涙。
従って差し引き還付金見通しは蚊の涙以上にはならない。

今年は命より大切な預金残高を大きく減らしてしまった。
アベノミクス・インフレを前にして、厚生年金だけが頼りの老後が不安である。

愚痴になってしまった。入歯を嵌め直します。

大分以前のことですが、売れっ子評論家・内田樹先生が「朝日新聞・朝日求人」で語った(4月15日)▼

 入歯が合わない人は、何度作り変えても、いくら調整しても合わない。
 多少の不具合はへいちゃらな人にだけ、入歯は合うのである。
 これは結婚や、就職と同じである。現実を涼しく受け入れよ。

これは酷い誤解である。入歯に悩むヒトに対するサベツでさえある。
ハゲに対するリーブ21社長や、再生可能エネルギーに対する経団連会長と同じく、誤った主張である。

先生はお若いので経験がないのかもしれないけれど、入歯は合わない場合は合わないのである。

朝食後、歯を念入りに磨き、入歯を嵌める時、ああきょうも鬱陶しい一日が始まるなぁ、と覚悟するのである。
孫悟空は頭に金鈷を嵌められた。場所こそ違え、同病相哀れむのである。

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多病息災

2012-12-29 | 病院巡り

  レントゲン写真では血管が細いようです。
  症状を聞いていると、狭心症の疑いがあります。
  直ぐ精密検査をしましょう。 

ということが10日前にあり、明日から年末休暇に入る日に、5時間も拘束されて心臓の検査をした。
昼食前と2時間後と2回受けた「IR検査」はいい気分で眠りそうだった。独逸シーメンス社製ベッドは優れものだ。
しかしルームランナーの上で、走りながら血圧と心電図を測定する「負荷心筋検査」は、かなり苦しかった。

負荷心筋検査は鼻歌で始まり次第に速度を速くする。その内ベルトコンベアを急角度にし速度を更に上げる。
対策として手摺に掴まり体重を軽くすると、もう一人の検査官が「ハイッ直立してっ」と叱咤する。おのれ、このぉぉ。
歩幅が小さくなり、カラダが後ろに持っていかれそうだ。ガンバル必要はないのにガンバル損な性分です。

あれは多峰主山に走って登るようなものですな。日常ではあんな状況はあり得ず、無意味な検査だ。
しかるに検査官は「まだ続けられますか」と挑発。「られ」とは可能性を問うたのか敬語なのか、ハッキリせよ。
「金メダルくれるならばねっ」と言い返してやるのが精一杯だった。
 

モニター画面に現れる血圧はらくに200を超えた。心電図はどれもが森生の美しい心模様を反映していると思った。
しかし検査官の一人が、「ああこりゃ狭心症だ」と呟いた。残る二人は頷き合ってるらしく、否定しなかった。

えーっ!休み明けに主治医が診断する手筈になっているけど、もう分かっちゃったのかよ。

 

先生方はパソコンに熱中し患者の顔を見たくなさそうなので言わないが、不具合は少なくとも10箇所以上はある。
上から、脳神経、黄班、内耳、歯茎、喉、右肩、両手小指、大腸、腰、前立腺、肛門、膝、左足甲骨、爪・・・・。

百近くにもなれば、このくらいの不具合は当たり前と思うから黙っている。機械で探せばまだあるはずだ。

まぁいいや。「一病息災」というくらいだから、多病だったら超息災だろうさ。
それに心臓病なら長患いせずピンピンコロリと逝ける。こいつは暮から縁起がいいわい。

来年といってもしあさってだ。先ずは断捨離断捨離。

この記事は過去記事(12月12日)「お医者さまでも」から続くものです。

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寒い山道

2012-12-28 | 病院巡り

底冷えする日が続きます。もう勘弁して欲しい。年明けは大丈夫だろうか。
2階で終日、日向ぼっこをしていればラクチンだが、生憎森生はそれほど恵まれた身分ではない。

先ず、今月は目の検査をする月である。また、錠剤はあと数日分しかない。
しかも右目を開けると黒円が、閉じれば白円が視野の真ん中に映り、少し大きく、まん丸に成長したような気がする。

やはり飯能駅のそばにある眼科に行かねばなるまいが、なにしろ寒い。
交通費節約ために山を越えて歩いて行けば、寒対策、足腰鍛錬、暇潰しができるし、ブログネタが落ちてるかも。

山道は頬を射す北風が物凄く、木々を揺さぶり、小枝がばらばらと落ちてくる。くわばらばら、だ。
風が強い日は頭上注意である
頭上に注意をすれば足元が留守になり、山道は思いのほか危険なのだ。

日陰の山道は冷蔵庫だった。カラダが芯から冷えてくる。股引だけでは足らず、腹巻と襟巻きが必要だ。
西武電車なら170円。国際興業バスなら230円で済む。暖かい電車かバスにするべきだった。

山から飯能の町外れに出た。畑は凍り付いていて、時々見かけたおじぃさんは今日もいなかった。
春先から畑作業を卒業して、地面を耕さずに済む芝桜を植え始めた。おじいさんはきっと花咲爺さんになったのだ。

古い町の中を縦横に通る狭い路地にも誰もいなかった。傾きかけた家に、人がいる気配はなかった。
中を覗くのは怪しいことだが、洗濯物もないので痴漢や泥棒に間違われる心配はない。

 

小一時間後、辿り着いた眼科医院は超満員だ。町中のご老人が避寒に来ているようだった。
これ幸いとばかりに辛い検査は来年にして、薬だけ貰ってきた。

 

結局、拾えたネタはこの程度でした。
頭、冷えてます

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年賀葉書

2012-12-27 | 林住期

じいさんは夜なべして、年賀葉書が出来上がっただよ。

定年前は、会社を辞めたら毎日が日曜日だから、12月20日頃には楽々投函しているはずだった。
それがどうしたことか、だらけた日常では当たり前か、やっと今朝、投函し終えた。

去年、一度も会わなかったのに、「旧年中は大変お世話になりました」と印刷した人にはもう出さない。
全部印刷で、添え書きが一行もない面倒臭がり屋にも出さない。

森生が出したのに返事を寄越さなかったつれない人や、1月5日過ぎて届いたお義理な人にも、もう出さない。
今年しょっちゅう会っていた人にも出さない。

年末に喪中葉書をくれた人には当然出さないが、昨年くれた人は今年の名簿に無いので、今年は出せない。
ヤな人にはとっくに出さなくなっている。

そういうことを毎年繰り返していたら、年賀葉書はめでたく激減した。

それでも惰性で、まだ少し遣り取りしているけれど、いつまで続くことやら、ふぅ。
年々お互いに影が薄くなってきて、嬉しいような哀しいような..........。

写真は郵貯銀行の「定額貯金」広告から。

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稔典俳句4 叩かれる快感

2012-12-26 | 拍手

隠居大学天野祐吉学長曰く。

  俳句を難しく考えることはない。一種の言葉遊びです。
  おカネもかからない。いつでもどこでも、一人でも、言葉を捻っていればいい。
  隠居の遊びとしてすごくいいですね。

この発言に対して坪内稔典宗匠。

  そのとおりだけれど、一人でも楽しめるというのは間違いです。
  一人っきりで俳句を作る人は上達しない。
  
自分を読者にして、そこで完結してしまうから。
  自分の言葉が読み手にどう受け取られるかを知ることが言葉のワザを磨く近道にです。
  句会に参加しましょう。

森生は句会をたった一度見たことがある。
あれは半世紀も前、神奈川県大磯町にある「鴫立庵」だった。
もの寂びた庵に、皺くちゃのじじばばが車座になり、深刻な便秘づらを並べていた。

あの時は若気の至り。バカバカしいと思った。
だから句会がどう運営されるかを百近くなるまで知らなかった。

句会では、自作をその場で参加者に評価される、とか。
原則、句会では作者名を隠す。
参加者はめいめいがいいと思う句を選び批評しあい、最後に作者名を明かす。
だから稔典宗匠であっても、いまだに滅茶苦茶に言われることが多いのだそうだ。

  批評されるのが恥ずかしい人は、句会に入れないので上達しません。
  慣れてきて、他人に色々言われるのが快感になればしめたもの。
  3回に1回くらいはパッと一位になる時がある。

  俳句は作って、見せて、なんぼです。
  ゼヒ沢山捻って、どんどん他人に見せて下さいね。

な~るほど、句会がだんだん分かってきた。
だけどブログとは全然違いますね。

この林住記を書いて書いて書きまくって、どんどん他人に見てもらいたい。
しかしあまり見てくれないし、批評もしてくれない。
褒めて下さるお人はカイムだぁ

よーし、まだ後期高齢者になったばかりだ。
そろそろカラダが動かなくなるだろう。
末期高嶺者になる頃には、俳句に乗り換えるつもりです。

 

 

 

 

 

 

坪内稔典宗匠と広告評論家・天野祐吉隠居大学学長との対談は、朝日新聞刊「隠居大学」に載っております。
他に横尾忠則・外山滋比古・赤瀬川原平・谷川俊太郎・安野光雅など錚々たるご隠居が、学長と対談。

ご隠居さんたちの話を笑ったり感動したり呆れたりしながら、ご隠居への道を探して下さいね。

なお、過去記事「隠居大学」で、この本を紹介しております。
ご隠居見習いのご同輩にお薦めします。

この本はガンにめげずに、俳句を作っている友人に進呈するつもりでした。
ですが、読み返すうちに惜しくなり、愛蔵するつもりです。

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稔典俳句3 呆ける

2012-12-25 | 拍手

  鐘つけば銀杏散るなり建長寺 (夏目漱石)

  柿くへば鐘がなるなり法隆寺 (正岡子規)

坪内稔典宗匠によると、法隆寺より鎌倉の建長寺が2ヶ月ほど前に出来たそうです。
これ、マジメな話です。
子規と漱石は、一緒に寄席に行くくらい親しかった。

っていうことは子規は親友・漱石の句を盗作したってということ? 
こりゃぁえらいことになった。

閑話休題(それはさておき).......。

  菜の花や月は東に日は西に (与謝蕪村)

俳句を面白くするには、組み合わせ(取り合わせ)の手法で創ること、だそうです。
取り合わせは耄碌したときの現象に非常に近い。耄碌すると言葉が短くなり文脈を失う。
まさに俳句の世界だ。

ボケ防止に俳句を始めるのは間違い。
言葉でボケることこそ生き生きした取り合わせの秘訣です、と。

そして俳句には無責任で主体性のない人が向いている。
自分の言いたいことを俳句に入れてはダメ。
自分の言葉を他人がどう読んでくれるかに欲求や興味がゆくほうがいい。

意見や意思を表現したければ最後に七・七がある和歌に行けばいい。

 

  稔典宗匠はあんぱんが大好きで、この30年、朝食はあんぱんと決めている。
  あんこは粒餡が好み、とか。これ、森生と同じ。
  和歌は漉し餡で俳句は粒餡。
  俳人では芭蕉、蕪村は漉し餡派。だからつまらない。一茶は粒餡派の由。


  俳句は食物や昆虫を詠み込む。
  けれども高尚を気取る和歌は、こういったものをこれまで相手にしなかった。

  俳句には日常茶飯事を積極的に取り込もう、と。

稔典宗匠の「名句」は【こちら】をご覧下さいね。
前の頁に載せた句は、ここから気に入った句を選びました。
ご同輩は如何でせうか?

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稔典俳句2 言葉遊び

2012-12-24 | 拍手

俳句は俳諧から生まれた。「俳」も「諧」も、戯れとか冗談という意味があるそうだ。
稔典宗匠は「だからマジメになってはいけないんですよ」と。
隠居大学学長天野祐吉さんも大賛成だ。

正岡子規までは、俳句は結構面白いものだった。

  いなご焼くじじの話やうそだらけ (子規)

  暇人や蚊が出た出たと触れ歩く (一茶)

例えば、秀吉の秘書官だった松永貞徳が句会から帰ろうとした。
宿の亭主から「この柿で一句作らなけりゃ帰しませんよ」と言われた。
まず「かきくけこ」と詠み周囲を驚かせて、「くはではいかで」と続け、

  柿喰けこ喰わでは如何で発ちつてと

あの頃、いろはは確かにあっただろう。
だが、あいうえおかきくけこの五十音表もあったのだろうか.....。
それはさておきマジメは棚上げ。

  俳句は言葉遊びというかトンチに近いもの、言葉のゲームです。
  芸術だぁ、なんて堅苦しいことを持ち出さないこと。
  そしてゲームにはルールという制約がある。
  五・七・五という制約があるからいいんであって、

    あるけばかっこういそげばかっこう (山頭火)

  など山頭火にはリズム感があるからいい。
  でも、自由律俳句はあまり評価できません。

と稔典宗匠は仰る。



ここで森生も言わせて頂きますが、字余り字足らずもダメですね。
座りが悪くて落ち着きません。
但し、宗匠の仰るとおり山頭火や、放哉は別ですね。

因みに、以下は坪内稔典宗匠の代表作だそうです。

  せりなずなごぎょうはこべら母縮む

  会うたびに無口になる父鯖を裂く

  晩夏晩年角川文庫蠅叩き

  春の風ルンルンけんけんあんぽんたん

  春風の大阪湾に足垂らす

  日本の春はあけぼの犬の糞

  水中の河馬が燃えます牡丹雪

何じゃこれ、って感じですね。
しかし何度も読むうちに、烏賊の塩辛みたいにいい味が滲み出てきます。
これならできる、と僭越ながら森生も一句。

  冬の河馬パリジェンヌにはヒポポタン 

  お粗末                            

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稔典俳句1 甘納豆

2012-12-23 | 拍手

天野祐吉対談集「隠居大学」で、坪内稔典という愉快な俳人を知りました。
先ず、その坪内稔典宗匠30代後半の代表作、だそうです。

  三月の甘納豆のうふふふふ 

締切が迫っているのにどうしても句が浮かばない。
机の上をふと見たら甘納豆があり、思いついた句で、

  二月には甘納豆と坂下る 

の次にできた。
そうしたら三月の甘納豆の方がが大評判になり。そして毀誉褒貶。
「それなら」とちょっと欲が出て、一年間のを甘納豆で連作した。

  一月の甘納豆はやせてます 

  四月には死んだまねする甘納豆 

  五月来て困ってしまう甘納豆 

  甘納豆六月ごろはごろついて 

  腰を病む甘納豆も七月も 

  八月の嘘と親しむ甘納豆 

  ほろほろと生きる九月の甘納豆 

  十月の男女はみんな甘納豆 

  河馬を呼ぶ十一月の甘納豆

  十二月どうするどうする甘納豆 

稔典宗匠は十二月を気に入っているが、結局三月しか話題にならなかった由。
ただこの後、年中、甘納豆業界から甘納豆が到来。ヨーグルトに混ぜるレシピを開発。
甘納豆業界から「希望の星」と絶賛された

宗匠は河馬界の星でもある。
還暦記念に全国河馬行脚をし「カバに会う...日本全国河馬巡り」なる句集も出した。

  桜散るあなたも河馬になりなさい

甘納豆は中年の自分を甘納豆に託し、河馬は人生に挫折した人を励ますつもりの由。
但し「俳句なんかどう解釈したって構わんもんです」と言って憚らない稔典宗匠である。

  たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ

は宗匠ご自身がどう解釈したらいいか分からない。で、意味を質問されるのが辛い。
でも小学校でこの句を紹介すると、子どもたちがたちまちにこやかになる。
それでいいんです、と。

ね、稔典宗匠っておもしろいでしょ?
このあとが続きますが、記事が長くなるので明日から3日間、小出しにしますね。

  

   以下はおまけです。  

   うふふを発表した頃、娘さんは小学5年生だった。
   俳句の時間に「お父さんは俳句作ってんの」とこの句を見せた。
   同級生たちは「この俳句は良くない、こうすれば」と改作したそうだ。

      三月のひな人形のうふふふふ  

   娘さんはこの句を携え、意気揚々と帰ってきた。

   甘納豆の写真はこちらさまの商品です。

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落葉

2012-12-22 | 林住期

 

     ・ 落葉掃き元の木阿弥きりもなし 
                         ..........桑原敏枝

     ・ 落葉燃すわが鬱屈を火種とし 
                         ..........田中藤穂

     ・ ともかくも掃く今日までの落葉かな
                         ..........稲畑汀子

     ・ 落葉掃き今日はきれいに隣まで
                         ..........塚村素代

     ・ 掃き寄せし落葉巻上げつむじ風
                         ..........中井久子

     ・ 落葉みな大判小判狐狸の里
                         ..........村越化石

     ・ 面白きことなく散りし落葉かな
                         ..........早崎泰江

     ・ この坂を越えて又坂落葉坂
                         ..........北島上巳

いずれの句も「季語別俳句歳時記」から選び出した好きな句です。
ここだけの話、ブログネタが枯渇した時、大いにお世話になっているHPであります。

きょうも苦悶の末「落葉」という季語から好きな句を選んでいると......。
いやはや6頁を過ぎてもまだ終わらない。
結局14頁もあり、頁当り130~40句も載せている。
挙句の果てに130×14≒2000句も読んだことになりました。ふぅ。

正直言って8頁を過ぎると「早く終わらないかなぁ」なんて思った。
落葉にはもうウンザリさせられました。
でも森生はガンバッタ。ムキになりました。

続いては集中力が甚だしく落ちた中で選んだ9頁以降の3句です。

     ・ 地に還る旅の落葉のうらおもて
                         ..........武井哲

     ・ 里山の落葉時雨や母見舞ふ
                         ..........府川房江

     ・ 過ぎし日を集むるやうに落葉掃く
                         ..........市村健夫

本来なら好きな順とか、滑稽句哀愁句るんるん句などに分類し、並べ変えるところ。たが、いかんせん多過ぎた。
それで落葉のように、何の工夫も主張もないままメモした順に羅列しました。

ご同輩は如何でせうか。お暇でしたら、「季語別俳句歳時記」さんをどうぞ。
なお「落葉」は止めといたほうがいいですよ。
例えば「木枯らし こがらし 凩 」などが無難か、と。

 

今日は安直に記事が1本できるはずでしたが、そういうわけでかなり梃子摺りました。
こんなことなら自分で一句捻ったほうがましだったかも。

さはさりながら林住期はせわしない。ましてや師走だ。
俳句は遊行期、つまり末期高嶺者になったときの手遊びにしようかと思います。

差し当たり坪内稔典宗匠の俳句上達法を記録しておきます。
「隠居大学」から抜粋しました。

明日から4回に分けて、それをご報告します。
(ご迷惑おかけします

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冬の光

2012-12-21 | 高麗便り

冬至。強い北風が止み、山伝いに飯能へ行くにはいい日である。弱い光が斜めに入り、暗かった山道が明るくなった。

木の根が這う急坂を喘ぎながら登っても、汗をかかない。だが、喉はからから。口から心臓が飛び出しそうだった。

多峰主山の上ではじじぃサミットの時間だ。政権交代についてギロンが尽きず、山頂で日が暮れるので不参加にした。

尾根道をのんびり歩く森生を、追い抜いたおじぃがいた。いくら日が短いとはいえ、用もないのにご苦労なことだ。

林が少し開けたところに丸太の椅子があり、一休み。弱い日差しでも背中が温まり、生き返るようだった。

長く急な下り坂の途中で脇道に折れ、落葉の道をしばらく進むと、蝮が棲むといわれる湿地帯になる。

谷津田を復元しているボランティア諸氏も、この寒さでは冬休みの模様である。

 今年は冬が駆け足でやって来た。日陰にある水溜りに氷がはっていた。

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河豚

2012-12-20 | 林住期

河豚尽くしの会は病欠1、野暮欠1、忘れていて大遅刻1。参加者は6人で例年より少なかった。
昨年のように大人数になると会話に疲れる。小人数の集まりはしっぽりと落ち着いてよろし。

掘り炬燵式座席は、お互い、着席するまでが一仕事だった。
いちいち段取りを考えながらカラダを動かさないと、大変なことになるんですね。


森生は田舎の貧乏人なので知らないが、みんなの東京の盛り場と隠れ里事情に詳しいこと、驚くばかり。
蕎麦にしても、鰻にしても、牛舌にしても、珈琲にしても、すべて老舗か有名店である。
本当に度々行ってるなら、世の中お終い近くなっても不公平ではあるまいか。
やはり維新より革命が待たれる。森生は内心、虎河豚になった。

箱河豚に似ている幹事君はハラ具合が悪く、旺盛な食欲を自制してくれたお陰で、去年より多くの河豚が口に入った。
この街の名士としての顔が効いたのだろ。「会費は随分安い」と河豚慣れたみんなは言っていたが、そうかなぁ........。
見栄の張りっこでなければいいんですがね、ふんっ。

宴は西武線と中央線沿線に住む同期入社仲間だけが集まったので、11月の同期会より大分遅く、9時にお開き。
次回は浅草か柴又で「どぜう」にしやう、と談合成立。
果たして実行できるだろうか。

   

   石神井公園駅前で新センセイが当選お礼の辻立ちをしていた。
   河豚幹事君走り寄って、「やあやあやぁ、おめでとうっ」と激しく握手。
   縁も所縁もない森生も脇からおずおずと手を出したら、暖かい両手で握手してくれ、感謝感激雨冷たい。

   まだ大臣には早い所為か事務所を留守にして、氷雨降る夜の巷に出張る自民クンは偉いね。
   わが選挙区で当選したのっぺり自民クンとは心掛けが違う。キミはきっと出世すると思う。
   しかし戦争と飢餓を知らない若センセイに河豚はまだ早い。ほっけの塩焼きくらいがいいと思うよ。

   われら先輩のために、しっかり勉強してちょうだいね。

                                悲しいかな、写真はイメージであります。

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終着駅

2012-12-19 | 歌の翼に

落葉の舞い散るこの団地(まち)は 哀しいじじぃの吹きだまり

だから今日もひとり 明日もひとり 吸殻(たばこ)を捨てにくる

                 真冬にハゲでは冷たかろう 煩いおばばは重たかろう

                 だから今日もひとり 明日もひとり 家(うち)から逃げてくる

一度離したら二度とつかめない 愛という名の暖かい家庭(すみか)の鍵は

冷たい木枯らし吹く度に よく似たじじぃがやってくる

 そして今日も一人 犬に引かれ ばばから逃げてくる


寒い日は、おばばに聞こえないように、小声で歌いましょうね。あの奥村チヨさんとご一緒に▼

                                                      「 終 着 駅 」

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夕食難民

2012-12-18 | 風に吹かれて

「霧の音」が終わり、次の「山椒太夫」に心を残し、同じビルのビッグ・カメラを見物。大変な人混みで不景気はウソだ。掛け時計をじっくり探したが、電波時計ばかりだ。山の陰にある猫額亭では、受信せず動かないんだな。

ハラが減った。三菱一号館中庭で深呼吸をし、電飾が輝く仲通を経由して丸ビルへ。
うへっ、食堂街はどこもかしこも満席だよ。

東京駅から八重洲口地下街、大丸12階を彷徨う。飯能銀座の数倍の値段でも満席だった。これでもデフレ? 
クリスマスケーキのようなドームに食らいつくか。

ふんっ、ステーションホテルではゼイタク・ディナー中だわ。嗚呼、マッチ売りのじじぃになった気分だぜ。
こんなことなら消費税を30%に上げてもいいよ、晋ちゃん。

 

結局地下鉄で池袋東武12階へ。ハゲ天の「天麩羅スタンダード定食1575円」で妥協。美味しんみり。
何故か池袋は、サイタマ県民がホッとする街なのね。

 

飯能駅に辿り着いたのは深夜だった。家は更に遠く、秩父へ行く西武電車を待ってたら凍えてしまう。
改札を出て、まだ開いていたミスドでドーナツ3個300円。夜食にする。

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