非国民通信

ノーモア・コイズミ

こうのとりのゆりかご

2007-06-17 22:23:05 | ニュース

赤ちゃんポストに3人目 新たに1人預けられる(共同通信)

 運用開始から1カ月あまりで2人の乳幼児を受け入れた慈恵病院(熊本市)の「赤ちゃんポスト」に今月15日、新たに赤ちゃん1人が預けられたことが17日、分かった。預けられたことが明らかになった乳幼児は3人目。ポストをめぐっては「命を救う最後の手段」「子捨てを助長する」と賛否が分かれているが、短期間に相次いで赤ちゃんが預けられたことで設置の是非に関する議論が活発化しそうだ。

 正式名称の「こうのとりのゆりかご」がさっぱり普及していない「赤ちゃんポスト」ですが、今月12日と、それから引用記事にある15日、相次いで乳児が預けられたとのことです。これで合計3人になるとのことですが、皆様はどのような感想をお持ちでしょうか。私としては運営初日に3歳児が預けられて以来、今までずっと利用者がいなかったことに驚きました。

 育てられないなら産むべきではない、という意見が最も多いようなのですが、その辺は他人事だから言えることです。高みに立って説教するのは誰にでも出来ますが、実際に自分でやってみて初めて、思っていたよりもずっと大変だということに気づくものです。自分を育てるのに両親がどれだけ大変な思いをしてきたか、自らが親になって初めて気づいた人も多いのではないでしょうか。まぁ、その辺は独り者の私が言っても説得力はありませんけれど。

 なにはともあれ、人生には良いときもあれば悪いときもあります。最初は頑張って子供を育てるつもりでも、いざ実際に子育てを始めると、これは無理だと挫折することもあるでしょう。あるいは当初は子育ての準備万端だったはずが、失業や疾病、その他諸々の問題に巻き込まれて状況的に子育てが不可能になるケースもあります。そんな状況のために、最後のセーフティネットは当然あってしかるべきではないでしょうか。

 一部の反共主義者が語るところによると、共産主義の元では妻さえもが共有されるそうです。よくそんなことを考えついたものだと感心しないでもありませんが、史実を見回すと古代スパルタでは妻の共有があったようで、全くの独創というわけでもないのかもしれません。そこで妻の共有云々はさておくにしても、では子供はどうでしょうか? 子供の共有?

 日頃から行き過ぎた個人主義の弊害云々などと語る人ほど、こと責任に関しては個人に担わせたがるものでして、子育てもそんなものなのかもしれません。「公益及び公の秩序」などと語るのであれば、もう少し「公」なるものが責任を負うべきであり、個人の価値を否定するのであれば個人に責任を押しつけるのも慎むべきだと思われるのですが、実際のところはどうでしょう。子供がしっかり育たなければ親の責任、安易に育てる側を追い詰めていないでしょうか。「公」なるものを重視するならなおさらのこと、社会全体でリスクを分散しながら育てること、ただ親の子として育てるのではなく、共同体の子として育児の責任を分け合う発想も必要です。「アンタの子なんだから、アンタが育てなさい」ではなく「我々の」子だという意識があっても良いのではないでしょうか。この生きづらい世の中で、子を持つ親だけに負担を強いていては、その負担に耐えきれなくなる人が後を絶たないでしょう。

 

 ←何か感じていただけましたら是非


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