ラッシーママのひとりごと

仕事を辞め好きな事に一日を費やしている主婦です。

何時まで続くか楽しみです!

2024年09月18日 | 日記
もう9月の中旬も過ぎたというのに、今年の暑さは異常です。
東京では今日(18日)最も遅い猛暑日、82年振りの記録更新したそうで夜でも未だクーラーを点けて寝てるほど
朝晩は爽やかな風が吹きますが、日中の暑さは何時まで続くのでしょうね、もうウンザリしてます


近所に住んでるKさんと12日(木)カラオケに行って来ました。
Kさんご夫婦で映画を観に行った時に、同じビル内にカラオケ店があったので
Kさんが「私1人で歌うから一緒に行って」と、ご主人にお願いしたけど断られたと話しを聴いたので
それなら我が家と一緒に行きましょうと、日にちを決めたのです。


ラッシーパパのカラオケ好きは、私が何度もブログに書いてるので皆さんご存知だと思いますが
相手をしてくれる方なら男女を問わず誰でも大歓迎ですから、ラッシーパパの喜ぶ事。
1時間半をKさんとラッシーパパが交互に歌って、私は専ら食べる一方です。








カラオケ後、Kさんのご主人が在宅なので、我が家でお茶しましょうとKさんが誘ってくれたのです。
私は以前にお邪魔した時にご主人がいらして、わざわざ美味しいコーヒーを淹れて下さり一緒にお喋りしてるのでご主人をよく知ってるのですが
寡黙の方ですが、一緒にいても気を使うこと無く居心地がいいのです。
Kさんも私も、よく友達を自宅に誘いますが、主人が居ようが居まいが全く気にしない所が同じなのです。
以前から、Kさん宅は窓が大きくて素敵な部屋なのよと私が話をした時に、ラッシーパパが部屋を観たいなぁと言ってたのです。
遠慮せずにお邪魔しました。


台風10号が来る前に2種類のブドウを全部採ったので、その時に味見程度ですが2種類のブドウを1房づつKさん宅に持って行ってあげ
美味しいブドウだったとお礼のメールを頂いてましたので、今回もブドウ2種類をお持ちしました。
今回もご主人が美味しいコーヒーを淹れてくれたのです。


 


Kさんのご主人とラッシーパパ、誰がいらしても嫌がらずに歓待してくれるのですが、大きな違いがあるのです。
Kさんのご主人はシャイで寡黙、ラッシーパパは人間好きでお喋り、私はお喋りより寡黙の方が絶対に好きですね。
楽しくお茶して、帰りにKさんからミカンを戴いてきた。


 


帰って来てからラッシーパパ、Kさん宅に連れて行ってくれてありがとうと喜んでました。




昨日(17日)田舎の土地に除草剤を撒きに行って来ました。
毎年8月中に行ってるのですが、今年は8月中は行きはぐってしまい今月になったのです。
私は一緒に行ってもラッシーパパが作業をやってる間は、クーラーの効いた車の中に居るだけなのですが
ラッシーパパの両親の墓参りも兼ねてです。





朝7時半ごろ八王子の家を出て中央高速に乗れば9時には着きますね、途中のコンビニで朝食用のお弁当を買って
畑でお弁当を食べラッシーパパ、9時過ぎから13時頃まで、アイス用ポットに沢山の氷とペットボトルを持ち
途中休みながら冷たい水をガブガブ飲んでましたが、相当疲れた様子でした。
広い畑には背の高い草が生い茂り、段差があるのを気がつかずに足を滑らして転んでしまったらしいが
立ち上がるのに時間が掛かり、自分でもビックリしたそうですが骨折でもしなくて良かったと思いましたね。
その後、すぐ近くのお寺に寄ってお参りして来ました。


 


使わない筋肉を使った為か、夜中に足が何度も攣って痛いと起きて足のふくらはぎを摩ってました。
そこでラッシーパパが思ったのには、普段は殆ど動かないので運動をしようと思ったそうですが
わざわざ散歩に行くような運動ではなくて、家の中で出来るものは雑巾がけをやるそうで
今日は台所をの床を濡れた雑巾で拭いてくれてましたが、その雑巾が真っ黒には驚きでした。
私も気にはなってるのですが、私の手首が曲がらないので雑巾がけが一番苦手なのです。
そこで名前は分からないのですが、棒状の先にクイックルウエットワイパーので拭いてるのですが・・・
ラッシーパパが毎日の雑巾がけを日課に取り入れたそうで、今日の題名になりました。





大正琴は新しい楽譜を貰いました、「芭蕉布」沖縄民謡だそうです。









コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊東の家を、手放す事にしました!

2024年09月10日 | 伊東の家
9月の半ばになるのに、風は爽やかですが陽射しは未だ暑いですね。
いい加減、涼しくなって欲しいものです。
夏の伊東の家の畑は、1ヵ月も放っておくと雑草が伸びて思わずため息が出てしまう程なので
夏の間は1ヶ月を空けずに行くようにしてるので、今回も楽でした。








伊東の家に6日(金)~8日(日)行って来ましたが、今回は雑草取りの他に大きな理由がありました。
伊東の家を買ってから18年、我が夫婦の年齢を考えたら事故を起こすのが一番怖く
そろそろ手放そうと考えていましたが、踏ん切りがつかなかったのですが
何時も親しくして頂き、何かと面倒を見てくれてたYさんが家庭の事情で引っ越す事になったのです。
越すと言っても近くなのですが、それを聴いたら、今迄も伊東の家に来てYさんとは会わない時もあるのですが
Yさんが居るというだけで安心だったのですが、居なくなると思うと寂しくって
それなら、この際、我が家も売りに出そうと決めました。


Yさんから不動産屋さんを紹介して貰い、不動産屋さんに伊東の家に来て貰い大まかな話しをしました。
その時に、八王子の家の庭で採れたブドウを食べて貰ったのですが
「本当に庭で採れたブドウですか?」と驚き、美味しいとビックリしてました。
不動産屋さんが美味しいと言ってくれた時、私は「ねぇ、美味しいでしょう」と喜んでしまった。
不動産屋さんが家の査定を出す為に、伊東の家を、あちこち細かく調べてました。
建築年数が55年経ってるそうで、家屋の価値は全く0で土地100坪の値段だけになるとの事ですが
我が家が買った時も、私は庭が気に入って買ったので、家屋はボロボロで土地代だけでしたが
家屋の殆どをリフオームして現在まで使ってました。


不動産屋さんが言うには、55年経ってるとは思えないほど家屋がしっかりしてて
材料も相当良いのを使ってるし、リフオームして奇麗に使ってますねと驚き
未だ、このまま充分住めますと言ってくれました。
この家ですが、最初は日本航空のパイロットの方、次は何店舗も美容院を経営してた方
そして我が家が買ったので、我が家は3代目になります。
2代目の美容院経営の方は、この家を社員さん達の保養所として利用してたらしく
家財全てを置いていってくれたので、布団などは6組もあり助かりました。


今回、不動産屋さんに、我が家も家財全てを置いていきたいと話しをしたのです。
そんな事で何気なく、普段は上下の段だけしか使ってない箪笥の中段を開けたら
その当時に置いていった「ねまきと伴天」が出てきました。
未だ開封もされてなく捨てるには勿体ないので、八王子の家の近くの老人ホームでも持って行ってみようと思ってます。







伊東の家に行ってる間に「日本人に救われたユダヤ人の手記」と云う本を読んだけれど
ナチの人達に限らず人間って、ここまで残酷になれるのだろうか?
余りに簡単に人の命を奪う事に何の感情も持たず、それも国同士の戦争ならば分かりますが
只ユダヤ人だから殺すという行為に、ナチスだけでなく他の殆どの国が拒否したのですが
日本だけはドイツとの同盟国ではあっても、人道上とは別だと沢山の人が手を差し伸べてるのです。
日本人って凄い、日本に生まれて幸せと何度も思わされました。


 






コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブドウを全部、採りました!

2024年09月05日 | ブドウ
今回の台風10号は、超大型台風が来るとの予報で緊張しましたが
あっちだこっちだと方向が日に寄って変わり、振り回された台風でしたが
急に消滅と、よく分からない台風でしたが、こちら関東では、たいした被害無く過ぎましたが
被害に遭われたお宅は、一刻も早く日常に戻れますように祈っております。


食べ頃になってた2種類のブドウ、台風が関東地方にも来そうだったので
ブドウ棚に生ってたブドウを、全部切り落としました。
全部と言っても2種類とも10房位ですが、去年よりも粒も房も立派に育ち
自分で言うのも何ですが、失敗しながら育て方が上手くなり勉強した甲斐がありました。
写真よりも2種類のブドウ粒は、かなり大きいです。














ここまで大きくするには、かなりの時間を掛け、病気と虫害の消毒を何度もして
ブドウの花が咲き出し満開になった時から3日間の間に、種無しにする為にジベレリンという
植物ホルモンによる処理によって種無しブドウが出来るそうです。
ジベレリン処理は2回行いますが、2回目の処理は1回目の処理日から10日~15日目に行います。
1度目は種なしにするため、そして2度目は果粒を肥大化させる為です。
2度目の処理をしないと果粒が成長しないため、手間がかかりますが
この作業は種なしぶどうには欠かせない作業のようです。
私はネットの動画で、プロのブドウ農家さんがやる事を真似てます。
今回、シャインマスカット1房を見逃してジベレリン処理を全くして無い房を見つけました。
その結果、ジベレリン処理をしてないシャインマスカットの粒は1センチ位で
房が殆ど大きくなってません、これだけの相違があるのが分かります。





↑の写真の右ですが、ジベレリン処理をしなかった場合は、実は固くて色も黄緑ですが
左のジベレリン処理を2回行った方は粒も大きく、実は透き通ってますね。
私も偶々、ジベレリン処理をしてなかった房を見つけ、今回はっきりと分かった次第です。
そして台風が何処かに行ってしまった後に、ブドウ棚のビニールを剥しました。







今月1回目の手芸、わたすげさんは「ワンピースとブラウス」を2枚づつ作り
Kさんはブラウスが1枚完成しました。
二人とも洋服作りに嵌ってしまい、わたすげさんは妹さん用のブラウス
Kさんは柄違いで、もう1枚ブラウスを作るそうです。








リーダーは頼まれたとかで、飽きもせずにパッチワークでマットを作ってます。





お菓子作りが得意なAさんは可愛いリンゴが出来ました。





そしてお茶の時間になりました。
今回もAさん、得意なパウンドケーキを焼いてきてくれました。
私は、我が家で採れた2種類のブドウを、味見程度ですが食べて貰いました。
皆さん、甘くて美味しいと凄く喜んでくれて、私も「美味しいでしょ」と自慢してしまった。
わたすげさんとKさんは、私が作ったブドウをご主人に食べさせたいと半分持ち帰った。





真夏の庭は花達も暑さでグッタリしてますが、やっと花達も元気を取り戻しつつあるようです。
アジサイと云えば6月に咲きますが、我が家の鉢植えのアジサイ(月うさぎ)は今頃になって咲いてます。


 


そして元気に咲き出したのがタマスダレです。







今日(6日)~8日(日)まで伊東の家に行って来ますので、コメントの返事が遅れる事をお許し下さい。








コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

姉宅にブドウを持って行った!

2024年08月26日 | 日記
台風10号が近づいてるようで、これからの進路が気になります。
気象庁の予報では、8月27日から28日ごろにかけて関東から四国に上陸するとみられてるようで
たいした被害が出ない事を願っています。


今月2度目の手芸の会では、わたすげさんはワンピースを、Kさんはブラウスを作ってます。
私はと言えば、「チェニック」と「みいやんさん人形」の大物二点を作った後は暫くは作品を作る気が起きないので
「梅の花」を沢山作っておけば、いざ吊るし飾りを纏める時が楽なのです。


わたすげさんがワンピースを作ったのですが、とても素敵ですね
縫い方が簡単で着やすそうなので、もう1着を別の柄で作ってます。


 


リーダーはパッチワークで、体操の寝転んだ時に使うマットを作ったそうです。





私の作品ですと言うような物ではないですが、暫くは梅の花を作ろうと思ってます。


 




92歳の東京の姉、元気ですが耳が遠くて電話では会話が通じないので
3年前から今頃の時期になると、我が家で採れたブドウを持って元気な顔を見に行ってるのです。
お陰様にてブドウ2種類も形は悪いですが立派にでき、幾つも実が付いてない1房づつを残して
去年は12房しか生らなかった食べ頃のピオーネの方が、何かの獣に半分近くを食べられてしまったので
今年は、2種類とも15房づつ出来たので袋掛けした上から、更に網のネットで覆いました。
幾つも実が付いてない1粒を食べてみて、甘くて美味しくなったので
24日(土)ブドウを持って遊びに行って来ました


姉宅に行ったら娘(姪)が来ており、私達が行くのを待ってたようです。
娘(姪)は姉宅の近くに住んでいて、姉が92歳と年を摂ったのもあって
最近では息子(甥)と娘(姪)が頻繁に訪れてるようで、幸せな姉だと思います。
姪は用事があると、私達と30分間くらい話しをした後に帰って行きましたが
我が家で持って行ったブドウを、1粒づつ味見してましたが甘くて美味しいとビックリしてました。
そして半分以上を貰って帰って行きました。





姉は家の中では動くのに困る事は無く、昼食の支度をして待ってくれてました。
長く歩く事が出来ないと言ってますが、最近の私がそうなので、よく分かります。
ですが姉は我が家に88歳まで、お土産用の重たい荷物を持って電車で来てたのですから凄いです。





姉の元気な顔を見てお喋りして2時間程で帰ってきました、お土産を戴いてね。








大正琴の新しい楽譜を貰いました。
「恋のバカンス」です、懐かしい曲です。







約6000人のユダヤ難民の命を救った外交官の杉原千畝さん、「六千人の命のビザ」の本を読んで
日本人で他にも沢山の方々がユダヤ難民を助けてるのですが、杉原千畝さんが書いたビザは日本が通り道であって
長くても10日位の滞在期間しか無かったそうで、その間に行き先が決まってる人は問題ないのですが
行き先が未だ決まってない人達は、本国に強制送還されてしまえば死が待ってるのです。
そんなユダヤ難民たちの窮地を救ったのが小辻節三さんです。
次々と神戸に辿り着くユダヤ難民たちの窓口になり、日本政府と様々な形で交渉して
見事にビザの延長をして、全員を送り届けたそうです。
小辻節三さんは亡くなられて、ご本人が希望したイスラエルの墓地に埋葬されたそうです。
そして彼の名前も、ユダヤ難民を助けた人々の名前を刻んだ「ゴールデン・ブック」の碑に
名前が載ってるそうです。



 


私がビックリしたのは、この本を書いたのは俳優の「山田純大」で杉良太郎の息子です。
この方が何故、このような本を書いたのか?
杉原千畝さんがビザを書いたユダヤ難民たちのその後は、どうなったのだろう?と気になっていたそうで
山田純大氏が小辻節三さんの存在に気づいたのは、「命のビザ」の本を読んで疑問を持ち
小辻節三さんについて調べてみたいと思ったそうで、読んでみて、詳細に調べたと感心しました。








コメント (13)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

樋口季一郎さん!

2024年08月21日 | 日記
八月後半になり未だ暑い日が続いてますが、午後になると爽やかな風が吹き出し秋の気配が感じられるようになってきましたね。
私は、外交官でユダヤ人を6000人も助けたという杉原千畝さんの奥様が書かれた「六千人の命のビザ」の本を読んでから
ネットで杉原千畝さんの事を調べている内に、ユダヤ難民を助けた人が他にもいて、その方の名は樋口季一郎さんという軍人さんでした。
その事は前回の私のブログ記事で書いてますが、今回は樋口希一郎さんの「アッツ島とキスカ島の戦い」です。





昭和17年6月に、米国領のアスカ島とキスカ島を日本軍が占領した。
約1年後にアッツ島2638名守備隊全員玉砕・キスカ島5183名守備隊、全員救出
この両島の運命を分けた事に、樋口希一郎さんが大いに関わっているのです。


樋口希一郎は大本営に対し、アッツ島・キスカ島から早期撤退を申し出ていたが
大本営は増強を支持し、アッツ島に向かう山崎大佐に樋口季一郎は
「アッツ島に事あらば万全を尽くして兵員兵備の増強増援を行ってみせる」と約束した。
ところが色々な事情でアッツ島放棄と決定となり、アッツ島2638名は見殺しになったのです。
樋口季一郎は自分の力が足りなかったと号泣したそうですが、アッツ島放棄と決めるにあたり
キスカ島5183名は全員助けるのを条件に承諾したそうです。


何かと陸軍と海軍は仲が悪かったそうですが、キスカ島の守備隊の半々づつが陸軍と海軍の兵士だったそうで
此処で陸軍と海軍の気持ちが一致して、奇跡に近い撤収が出来たようですが
キスカ島から日本軍守備隊撤収作戦を成功させた指揮官が木村昌福で
収容部隊を指揮した木村指揮官がキスカ島を包囲していた連合国軍に気づかれることなく
無傷で5000名以上の日本守備隊撤収を成功させたそうです。
キスカ島撤収は木村昌福指揮官ですが、樋口季一郎がアッツ島玉砕でキスカ島全員を助けると約束が無ければ
キスカ島全員を助けるのは、現実的には難しかったと思います。
のちに米軍からは「パーフェクト・ゲーム」と称賛されたそうです。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする