京都 洛北の時計師 修理日記

時計修理工房「ヌーベル・パスティーシュ」京都の洛北に展開する時計修理物語。
夜久野高原で営業再開しました。

時計師の京都時間「京の恨み時間」

2018-06-22 09:22:07 | 時計修理

6月22日金曜日。
24日の日曜日「上賀茂神社・手作り市」の日。天気予報は曇りのち晴れ。
かなりの人出が見込めるので早めにお出かけください。
目指す物が買えなかったらら来月まで持ち越しになる。食い物の恨みは怖い!およそ一か月続きます。

北野天満宮、白峯神宮、御霊神社のキーワードは恨み。
特に御霊神社は明治維新まで皇室は皇子が生まれるたびに参詣し由緒あるお宮です。
応仁の乱もここから始まる。霊気を感じる畏れ多いパワースポットです。
気の弱い人は毎月18日に開催されるごりょうさんのさえずり市がお勧め。人込みにまぎれて参拝します。
普段はひっそりとした境内は静かなので目立ちすぎる。

京都市内では今年明治維新150年のイベントが開催されています。
ちょっと引いてうかうかと喜べない気分だと仲間の京都人が言う。
その後の戊辰戦争での会津や長岡の皆さんの恨みを想う。徳川家ゆかりの人が多い静岡の苦労もわかる。

徳川家が京都からいなくなったのはいいが翌年には皇室が拉致され京都から連れ去られた。
それ以降衰退した京都の150年の恨みは深い。
長州、薩摩の独断は今では信じられない暴挙でしょう。
皇室のごりょうさんへのお参りも途絶えた。若い人にとって伏見桃山御霊、山科御陵は駅名だけの記号のようなもの。皇室のどなたかのお墓だと認識されない。
「かえせ~もどせ~!」の京都市民の深い恨みがある。

私のご先祖が代々西国の京都駐在所勤務だったことから皇室が江戸へ移った後はただのおいてきぼりの一般市民。
学校の教師や囲碁の塾などで食いつないでいたようです。祖父の代に職場への予算配分の関係で満州へ引っ越したのが不幸の始まり。
満州へ移住する人の数で予算が下りた時代です。
結果、当地で生き残ったのが父親と祖母だけが帰国できた。
そんな訳で歴代の生活を伝える書物はもとより写真までもすべて消えた。

「タラレバ」でもし明治時代から皇室が京都へそのまま残っていたとすると文化・宗教の中心はそのまま京都に残された。
皇室を利用した思想操作もなく政財界や軍部による日米戦争も起きなかった。
広島・長崎への原爆投下もなかった。
「歴史は繰り返す」
最近加計学園、森友、アメフト、レスリングなど怪しげな人たちが前面に出てきた。
加計学園は政治家が絡んだ贈収賄事件だ。森友は皇室を利用した詐欺事件。あと二つは旧日本軍の特攻隊「進め一億火の玉だ~!」を思い出す。

せめて京都の明治維新150年イベントには犠牲になられた人たちの供養も同時にやってほしものです。
故郷の長崎では維新後喜んでカミングアウトしたキリスト教信者が弾圧された記憶も消されそうです。
約200名のクリスチャンが家屋財産を没収され島根や四国地方へ強制移住させられ現地でひどい差別に遭い亡くなった。
また、岩手県岡都南村の人達の開拓時の不幸は殺戮にあったのが会津ばかりではないと解かる。

二条城前のカンバン大政奉還150年を見る。その後の出来事を想うとやりきれない思いがします。
せめて京都だけは勝った側より負けた側に愛情といたわりがほしいね~。

京都は不況の真っただ中、北区のスーパーや飲食店の閉店が目立ってきました。
つらい時間がまだまだ続きそうです。頑張って耐え抜いていきましょう。

ネット販売で写真のような中国モノの地雷を踏んでしまった恨みは残るね~!
今日は18時55分までの営業です。おはやめにお越しください。





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