京都 洛北の時計師 修理日記

時計修理工房「ヌーベル・パスティーシュ」京都の洛北に展開する時計修理物語。
夜久野高原で営業再開しました。

時計師の京都時間「京の左時間」

2019-04-30 09:30:07 | 時計修理

4月30日平成最期の日。
平成最期を飾るCartierの写真。
平成で一番売り上げが伸びたのがカルティエ、ブルガリ、Hermèsのトップブランド達でしょう。
おかげさまで工房へ修理依頼が多いのもこのモデルたち。感謝です。

何となく京都はお正月気分が続いています。北山おろしの突風が吹き荒れて風上からゴミ箱やらコロコロと転がって来る。
こんなお年越気分に多い電池交換で忙しい。
お昼時間もまともに取れないのでコンビニでおにぎりを買って工房入りしました。

何となく令和時代の歓迎ムードが恐ろしい。高揚感から失望に変わるのが眼に見えています。
令和時代は後期高齢者時代。老齢人口が爆発的に増える事が予測できる。
原発施設から出てくる放射性廃棄物など処理と高齢者問題が様々な事故、事件が噴き出してくるでしょう。
クルマがないと通院、買い物で生活できない地域で認知症による事故、火災など直近の課題でしょう。

以前岡山のコンサートホールで音楽関係者らしい高齢の男性が通路で頻繁に唾を吐いていた。
コンサートでこの老人を見かけるとうんざりしたものでした。その取り巻きの関係者は知らん顔。
地方都市の老害風景でした。
そのうちクラッシックコンサートは幼児と高齢者は入場できなくなるのでしょう。
今まではレアケースとして容認されたことも被害が拡大すると規制が強化される。
これがまともな老人社会に迷惑をかけるのだ。

平成時代の置き土産では政治家、官僚に勇気が無くなったのも現実だ。
安倍政権中、日本政府の不正統計を海外に周知されてしまいました。
令和時代は数字で何を言っても世界中に信用してもらえなるでしょう。

「勇気を無くすとすべてを失う」不利な統計結果を公表する勇気を失った日本。
忖度で正しい意見を封じる勇気を無くした日本。
来年のオリンピックも各競技の判定にクレームだらけになりそうです。

平成時代に大きく変わったのが医療業界がサービス業に突入したことでしょう。
私の母親が入院していた長崎・島原半島は高齢化比率日本トップクラスの地域です。
ここではグループホーム乱立の結果、価格訴求が始まっていました。また介護士などのレベルが高いことにおどろいた。
月額10万円未満で快適なホーム生活が用意されています。
長崎と京都の接客を比較すると料金、サービスが格段の差がある。
京都市内では昭和時代からの殿様商売が続いています。1時間以上患者を待たせて平気。

私自身の最期の予定も安楽死ツアーから島原半島へグループホーム入りへ傾いてきた。
ちなみに母親が入居していたグループホーム「あさひが森」。
スタッフは従来の福祉という言葉を見直すほど親切な高度な介護レベルでした。
ここの人たち全員時計販売店で接客させたら売上倍増だ!そう思う。
島原半島では平均的な対応だという。
入居者は有明海を見ながらお天気のいい日は庭に出られる。
周辺は畑なのでのんびりとチェロを弾ける広場があるし隣に幼稚園も併設されているので子供たちと一緒に生活できる環境でした。
ギャンブル依存症で苦しんだ母親の最期は幸せだったと思う。

京都の平成時代。
京都の学生は受難の時代。まともな就職先も見つからないのに嘘ばっかりの就職率統計だけは高止まり。
そのために地元の両親からぼんくら呼ばわりされたと言う。
京都の非正規雇用率が国内トップなのは使い捨て学生が山ほど多いことにある。
自殺率も京都は常にワーストクラス。

それなのに通学費用は高く公共機関はお粗末です
せめて230円の料金を100円値下げしてもいいのではないか?度々出てくる意見は常に無視される。
 地方から京都へ進学する学生たちは昔から京都市からありがたい食い物にされてきた。
タダ同然で働かせて、市バスでは苦痛の通学、通勤のままほったらかされいます。

令和もこのような伝統?社会が続きます。
今日は平成最期の日。
明日からは令和。明後日も令和。昭和生まれの私は時代遅れになってきたのでしょうね~。
六時30分まで受け付け、7時まで営業、お待ちしております。










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時計師の京都時間「京の昭和時間」

2019-04-29 09:33:23 | 時計修理

4月29日昭和の日。
写真はランセル・クオーツ。
昭和時代一世風靡したブランド・ウオッチ。
初めてブランド・ウオッチを買ったのがこれ。生産後30年以上経ってもこの通り稼働中。

昨日NHKで能「砧」のフランス公演を観た。
「砧」は平安時代の「木綿のハンカチーフ」のような物語。
旦那が京都に行って3年、残された九州博多で一人待つ女性。嫉妬に疲れてとうとう待ちくたびれて亡くなってしまう。
フランス人が好みそうなお話です。

昭和48年、急行雲仙号長崎から京都駅へ固い座席に11時間の果てにたどりついた私の昭和時代。
今ではフランクフルトのフライト時間で京都に着く。
当時付き合っていた女性との遠距離恋愛はやはり無理でしたね~。
やはり結果は逆「木綿のハンカチ」の悲しいお話になった。
本来はこの男性がフラれるパターンが圧倒的に多いと思う。まわりを見てもそう思う。
「砧」を観ながら世の中のこの諸行無常の序破急をフランス人の知人に教えてあげようと思う。

私は今年で西陣から下京区に移って三年目。
平安時代は上京と下京だけでした。文化も言葉も二つに分かれています。
私は学生時代から上京文化にどっぷりつかっているので今宮神社のやすらい祭り、御所の葵祭は自分のお祭り。
対して下京の「祇園祭」には疎遠感でお手伝い感覚がある。
西陣に住んでいた学生時代のころから今宮神社はホーム。祇園祭はアウェイでした。
その私が今では下京の民になっています。
嫁さんはもともと実家は下京区なので華やかな地元に戻って生き生きとしています。

私はとうとうアルプスの少女のオヤジ版「ハイジ~さん」になった。ハイ爺~と書く。
最近、西陣へ戻りたい西陣マルシェの鯖寿司が食べたい、居酒屋「神馬」のお酒が飲みたい、堀川病院へ行きたいと泣く。

そんなころ昨日は「you raise me up」で涙が突然流れて不覚にも泣いてしまう。
歌の通り西陣の皆さんに支えてもらって10年生きてこられた。強くなった。
名古屋から京都にもどったころ一般の都市なら収入は転職時の年収から半分の八掛になる。
ところが京都は仕事がないので半分の半分に落ちる。
1千万円の年収が講師業では250万に落ちた。情けなくて私のプライドがどん底に落ちた。
京都へUターン希望のみなさんはご注意、覚悟くだされ~!それでも帰ってきてよかったと思う。

今日は昭和の日。
当時の立命館大学の貧乏学生達は入学費の費用、生活費も地元からの仕送りもなく現地調達が多かった。授業料も国立大学とほぼ同じ。
「安かろう 悪かろう」大学!同志社の友人が言う。
それが今の平成時代はなんということでしょう!授業料が同志社並に上がっても学生は減ることがないではないか!
母校の島原高校から立命館に進学した人は昔と同じ二人もいるではないか?
(島原高校は国立大学専門授業カリなので私立に進学すると落ちこぼれと言われる。)

それぞれ「you raise me up」に涙する日。
誰かに支えられて生きているのじゃ~。
今日も休めず営業の貧乏時計師でごじゃ~る~。お待ちしております。














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時計師の京都時間「京の現金時間」

2019-04-28 09:08:53 | 時計修理

4月28日日曜日。
工房は大型連休中は休まず営業しています。
別に苦痛ではない。
現役時代は大型連休中に目立つスーツ姿で日本中走り回っていました。
交通渋滞で運送便が止まるので予約品を仙台から小倉まで新幹線で運ぶのが嫌でしょうがない時代もありました。
それに比べると今で天国だ。

写真の賀茂川沿いをノンビリ歩いてやってきました。
来月に迫った5月15日の「葵祭」には斎王代が巡幸するので見物客でいっぱいになります。
今日は賀茂川を走るイベントがあるようで係の人がテントの組み立てを頑張っていました。絶好のジョギング日和になりました。

平成時代時計業界ではマラソン競技での計測機器が大きく変わりました。
ストップウオッチからコンピューターのチップになる。
 大きくかわったのが待ち合わせシーンで時計が不要になったことでしょう。
そもそも待ち合わせ自体が無くなった。

目覚まし時計も売れなくなったし、日本人の遅刻が当たり前のように容認される。
ゆとり世代のおかげで上司は怒らなくなりました。
昭和時代の新人世代の私。
月に3回遅刻するとクビでした。今では「体調が悪い」と携帯で報告するだけ。
新人の女子社員の中には社長へ直接報告する人もいた。どうして社長の携帯番号を知っていたのかは謎!

職場まで走ってたどり着ける風景が見られなくなる。
また反対に仕事の内容に秒単位の正確さが要求されるようになりました。
したがってx最近は電池交換後には秒針まで合わせています。
銀行では金庫を開ける時間に秒単位の仕事が要求されるようになったそうです。違う時間に作動したら警報が鳴るという。
電波時計はこんな時代の必須アイテムとして定着した。

安倍総理が着けているセイコーの時計がメディアで露出すると困る。売れなくなるそうです。
そういうと門川京都市長の着物姿の映像をみて今日の外出はキモノはやめてスーツにしましょうかね~!と思う。
 時代劇で宿場の客引きに見える。今では中国人観光客の呼び込み屋さんだ。
こんな現象を見ると政治家のイメージが急降下したのも平成時代の特徴でしょう。
嘘がまかり通った平成時代、嘘をつくと舌を抜かれる地獄の閻魔様のイメージが限りなく低下中です。怖くないのだ。

平成時代の初めメーカーから時計量販店へ出向した頃の悲劇のおはなし。
転籍したとたんにクルマのローンが通らないのでビックリした。クレジットカードも作れないのは会社の信用がないのだ。
昭和の終わりに出現したビックカメラ、ヨドバシカメラなどの量販店はすぐに潰れるという金融業界の判断でした。

当時ローンを断わられたオリックスは今でも嫌い。球団も水族館も嫌い、レンタカーなどトヨタだけでよい。
オリックスが悪いわけではないのだが嫌な時代を思い出す。
量販店の仕事をしてるだけで子供が学校でいじめに遭う。先生の態度もメーカー時代の対応とははっきり違う。
親の仕事に軽重があるのが日本の教育界だと思い知らされました。
アメックス、ダイナースのカードは捨てた。会社が変わっただけで審査が通らないのでは二度と作らない。

京都へ戻った当時の貧民時代よりも量販店に移籍した頃のほうが生きずらかった。
 競合店だった時計屋さんから工具、材料を無償で頂いた。またお客様からも貴重な時計を寄贈してくれた。
「本物の眼」を持ってくれるのだと自信が出る。ひたすら感謝でした。
京都人は冷たい性格と言われるがやはり人を見るのだ。
冷たい扱いをされる度に自分の性格や癖を見直すことになります。

居酒屋のお銚子は二本まで、割烹の滞在時間は90分、料亭なら二時間までだ。
京都で一番美味しいものはエビスビールの一杯目!ただしこれをお店では言ってはいけない。

時計師は爪の間に黒い油汚れはつきもので風呂に入ってもとれない。
お店や茶席へ入るとこれを気にするが京都の人は見て見ないふりをしてくれる。
家内制手工業の京都なので「仕事に軽重はない」のがありがたい。
今日も休まず営業!
6時半まで受け付け7時まで営業しています。















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時計師の京都時間「京の嫌われ者」

2019-04-27 09:33:34 | 時計修理

4月27日土曜日。大型連休の初日は北山おろしで始まりました。
賀茂川沿いを歩いていると小雨混じりの突風が襲ってきました。
何となくお正月気分!早く炬燵に入って暖まりたい。
今日の寒波は京都では嫌われもの。
コンビニでは9時前なのにお弁当が並並んでいない、しかたなくダイエーへ行くが店内はガラガラ。寒いと客足が止まる。
今日の売上はあきらめましょう。

「ついこの前ここで電池交換したのにもう止まった!」
工房へ入って来るなりお婆さんが顔を真っ赤にして怒っている。
裏ブタを開けて日付けを確認すると1年前の四月に交換している。普通は二年持つキャリバーなので微妙なところでしょう。

それにしてもこのお婆さんにとって「ついこの前」が1年前の感覚なのだ。それに電池交換で頂いた費用は1000円。
それほど怒られることを私がしたのか?ちょっと悲しくなります。
ちなみにでガソリンスタンドガソリンを入れて数キロ走ったところで止まったらガソリンを入れたお店にクレームを言う人はいない。
時計屋はなんと悲しい職業なのでしょうか?
お客さんに裏蓋の日付けを見せても謝罪はない。怒られ損なのだ。

背景には「時間」が嫌われもなのだ。あっと言う間におばあさんになってしまった。わたしゃ~浦島太郎か!
時間を計る時計は動いて当たり前でそれが突然止まってしまうと気分が悪い。
またそのクレームを軽くあしらわれると余計に怒りが湧いてくる。
時折来店する認知症のお年寄りにとって1年前でもつい最近、40年前の購入でもつい「先日」のビックリ話になる。
私とお巡りさんはオロオロするだけなのだ。

 京都では特に時間は嫌われ者です。茶道教室には時計はない。
茶懐石の楽しい2時間はあっという間に過ぎる。
初心者にとって正座時間は拷問のように進まないし残り時間が解からないのも苦痛の一つ。

京都で時間が早いのが京都大丸さん。ここの時計コーナーを見てると嫁さんとの待ち合わせにいつも遅れる。
楽しい食事時間なら新福菜館の並は数秒で完食してしまう時間感覚です。本当にあっと言う間。

拷問時間なら京都の歯科病院が一番でしょう。延々と痛いのが続きます。
また、満員の市バス46系統・佛教大学行の通勤時間40分も相当つらい。

写真はショパール。
時計屋の電池交換依頼では嫌がられるモデルの一つです。
何が嫌いかと言うとやっと電池交換が終わって数か月後。電池交換したのに時計が遅れるというクレームが来る。
「この機械は遅れるように作られていますよ~!」と事前に伝えてもクレームがくる。

電池交換の依頼で裏蓋を開けて電池の電圧を計ると1,5ボルト以上あるので悲しく元通りに戻す。
1円にもならない20分間。
ユーザーから見ると時計が遅れがちなので故障と勘違いされるのだ。
工房でもウラブタにあるくぼみを押して針が動く場合電池交換の依頼はお断りしています。

今日から大型連休の始まり。
この時期のお客様には時計初心者が多い。私のクドクド、だらだらの説明にしびれを切らす人が多い。
それでも我慢して聞いてほしいことは山ほどあるのですよ~。
大型連休は休めず営業します。お越しくだされ~。








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時計師の京都時間「京の鎖国時間」

2019-04-26 11:02:38 | 時計修理

4月26日金曜日。変なお天気。
3月から始まった閑散期に対応した通院も今日で終わり。
白内障術の眼科やら腱鞘炎の外科、はたまたアレルギー耳鼻咽喉科、歯科医院と掛持ちしました。
3、4月のビックリするほどの観光災害に毎年のように悔し涙に掻き暮れていました。
そこでこの閑散期に病気と言う病気をすべて治そうと企画した。
予算は10万円。

中年オヤジが60歳過ぎると仲間内に自慢できる病気が無くなる。また病院でもゴキブリ並みに嫌われる存在なのだ。
病気で元気!なかなか死なない。
そこでオヤジ大嫌い!の娘二人を育てた経験でひたすらペコペコ我慢の通院の日々を送った。
歯科、内科は職場近く、眼科は自宅近くに通うのが良いのが分かった。

内科は工房の近くの梅原医院の梅原先生がいるので安心です。雨オトコの私には奇跡に近い存在です。
母親が存命の頃長崎のグループホームへ向かうたびにインフルエンザの検診をやってもらいました。
 母親が昨年亡くなったのでその為の通院は免除。
夜行バスに乗る前のテストだった通院がなくなってちょっと寂しくなりました。

朝から銀行まわり四条烏丸周辺は外人だらけ!邪魔でしょうがない。
私の音楽仲間は最近京都を避ける傾向がある。そもそも京都の宿がとれないのはこの人たちのせいだ。

心配なのが外人観光客が持ち込む感染症だ。
以前工房を開業した際にアルバイトで旅館の風呂洗いをやっていました。
愛用のピンセット1本だけ持って京都へたどり着いたこともあって日中の講師だけでは資金不足でした。
その後京都の時計屋さんの皆さんから工具を譲ってもらいながら少しずつ修理範囲を増やした。

風呂洗いの仕事を始めたとたん風邪のような発熱と気管支炎に悩まされる。
出張でヨーロッパや国内の安宿を長期滞在で渡り歩いた頃の症状と同じでした。

発熱が収まらないので堀川病院で抗生物質の薬をもらったとたん治った。手足の虫刺されが原因だったそうです。
また衣類についたノミ・ダニを自宅に持ち帰ってしまい嫁さんからひどく怒られた。
 仕事場では防虫スプレーを欠かせなくなる。
ホテルでもさすがに客層の変化で客室の衛生環境に敏感になったのが21世紀の始まりのころでした。
間もなく大型連休!
出来るなら京都だけ鎖国したいね~。

京の七口。荒神口、鞍馬口などに関所を建てて時計と防虫スプレーを持っている人だけに入京許可をだす!
「時計」も持たずに京都観光しようなどふてぶてしい。
「お休みの日は時計を外して~」などとアホなコピーを信用したばかりに飛行機に乗り遅れた友人がいた。

防虫スプレーと時計を持っていない人は京都入りしないほうがいいと思う。
特に岡崎方面ではやぶ蚊も出るころです。

工房は10連休のようなヒマな開店休業の10連勤!毎正時に閑古鳥が鳴いていますよ~。
のんびりとお越しくださいね~。
ゴキブリ並みの生命力を回復したオヤジがお持ちしております。










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