4月30日㈪大安。
昭和時代の記念日振替休日。
以前、チェロの演奏会前、カラオケ屋さんに仲間と本番前の練習で利用した。
レンタルスタジオより安くてありがたい。どこの都市でもすぐに見つかるのがいい。
調弦している間、仲間が待ちくたびれて「ひょっこりひょうたん島」を歌い出す。
チェロ弦が長いので調弦に時間がかかるのだ。
結果、演奏会は大失敗。
あしたのジョー、巨人の星など昭和時代の二拍子に入り浸ってしまいクラッシックのリズム感が壊れた!
それ以来カラオケ施設での楽器の練習では歌は禁止!
それにしてもケペル先生、ドン・ガバチョ、ダンディーおじさんなどご存命なら後期高齢者の仲間入りでしょう?
「昭和は遠くなりにけり」
20センチに10センチローソク灯していけますかぁ~立派に行って戻れます♪
今ではローソクが社会から消えた。
けんぱた、エスの字、飛び馬、飛び馬から進化したけり馬、五寸釘で世界一周。ビー玉やら遊んでいると周辺を自慢気に自転車の車輪と一緒に走り回っている子供、空き缶に紐をくっつけてカポカポ歩く子供があふれていた長崎高島炭鉱。
時折、覚せい剤中毒のラリッているオヤジが飛び出してくる。
一斉に遊んでいる子供たちが蜘蛛の子を散らすように逃げだす。
せっかく油をしみこませて最強レベルまで仕上げたメンコもどさくさにまぎれて消えた想い出がある。
炭鉱町でなぜか子供たちが一番早く薬中オヤジが見分けるのが特徴です。
こいつが出てくると小さな子を大きな子が抱えてワ~っと逃げる。
夕方子供たちが集団で銭湯に行くのだがこいつが出てくるとパニックになる。
泣いて動けない子供もいる。こんな時に一度戻って抱えて来た高学年の男の子はヒーローでした。
私も助けられたことがある。あのお兄ちゃんはお元気でしょうかね~?
側溝はまだコンクリートのふたではなく木の板。逢魔が刻なのでこれに良くはまってころぶ。
人気の市場までの道はまだ泥道で舗装されていない。駄菓子屋までハッカ飴、五輪玉を買いに走ると泥が背中まではねてマックロになる。
母親は洗濯板で衣類を洗う。洗濯機はまだ高級官舎でしか見られない。
「赤胴鈴之助」「チロリン村とクルミの木」は背おられていた姉の背中越しに見た。
市場の1軒のお店で石鹸の宣伝用にゾウさんがシャボン玉を飛ばしているからくりオモチャが私のお気に入り。
飽きることなく見とれていました。
当時花王石鹸ですら子供には手が出ない高額な商品でした。
テレビやラジオのスピーカーからとった磁石、ボンボン時計から歯車、折りたたみ式ナイフの肥後守は子供たち憧れの宝物。
遠足は炭鉱町から船で都会へ行く。戦時中活躍したと言われた「夕顔丸」という今にも沈みそうな鉄のぼろ船に乗って行く。
塗装が剥げて赤茶けた船でした。こいつが戦争に行くほどだから負けて当たり前だと思う。
教室に一人いる金持の子供はピアノ、次はバイオリン、多くの子供たちはリコーダーを兄弟で「もやい」だ!
継ぎだらけのズボンに兄のおさがりランニングシャツ一枚だけでリーコーダーを吹いていました。
どうせこの子供はベトナム戦争に借りだされて死ぬ運命だと大人たちが話していた昭和時代。
そんなちょっと前に子供だったのに今では数十万円のチェロやバイオリンの演奏会をやっている。モーツアルト・ティベルトメント、ベートーベン・チェロソナタ3番をこなすのだから人生は面白い。
間違ってもあの昭和時代には戻りたくはない!
未だに包丁を持って飛び出してくる覚せい剤中毒のおじさんの夢を見る。
覚せい剤は昭和時代戦後の一時期まで合法薬物だったことを今の子供たちは知らない。
ゴミ捨て場には使用済みガラスのアンプルを潰して遊んだ。いつの日か立派な大人になってやると思っていました。
今朝は昭和の日。振替休日。
「ひょこりひょうたん島」を歌いながら工房に着いた。
立派な大人になったのでしょうか?