京都三条・先斗町を歩く

2007-07-21 00:00:52 | 市民A
956e1c93.jpg神戸から京都までは、通常は「新快速」というグリーン車のついていない快速に乗る。しかし、神戸から京都に行こうとした日に限り、人身事故でJRが不通。しかたなく、「三宮」から阪急で「十三」へ。そして「十三」で乗換え、「河原町」へ(十三は「じゅうそう」と読み、13とは読まない)。まったく、予想外の展開になる。

ところが、街は祇園祭りのさなかで、歩道は大混雑。向きを変えるのも難しい。人並みの少ない路地に入ると、そこは「先斗町(ぽんとちょう)」だった。日本ではめずらしい「パ行で始まる地名だ」。ここが、今まで、文字としてのみ認識していた祇園の花街なのだが・・

確か、細い道に面して奥長の建物が並んでいて、地元の名士と若い芸妓との非合法的擬似恋愛行為が行われるところではなかったのだろうか。そういう「元花街」は、50年前の売春防止法のあと、業態転換を繰り返し、直近では、風営法という売春解禁法の店に宗旨替えしたはずなのだろうか。

956e1c93.jpgところが、細い道をいくら歩いても、両側は料理店ばかりが店を競っている。道幅は約一間(約2メートル)か。乗用車は入れないから、どんな関西系大会社の社長でも少しは歩かなければならない。それっぽい店があるかと思ったが、置屋が一つとちょっと離れたところに華やかなホテルが見えただけだ。会員制のクラブもあるが、そういう閉鎖社会のクラブに入るのが素晴らしいのかどうか、よくわからない。ミクシィが好きな人と嫌いな人がいるようなものか。

先斗町が東京の吉原のようにならなかったのは、京都が文教都市だったからなのか、既に京都郊外に雄琴温泉という巨大ピンク産業があるからなのかは、判然としない。案外、この一見、紳士気取りな町の会員制クラブで水割り一杯飲んだ後、バックドアをあけると奥に青畳の部屋があったりするのではないだろうか。


ところで、この狭い道で、仮に男女で歩いていて、雨が降ってくると、「一本の傘におさまるしかないなあ」とか考えていたら、急に雨粒が落ちてきた。どうも最近、思ったことが、そのまま現実化してしまうことが多く、困っているのだが、たいていは、嫌なことばかりが起きるものだ。


956e1c93.jpgそして、京都は歴史の街である。ただし、明治元年をもって、京都の歴史は終わり、観光都市の道をまっしぐらである。歴史が何重にも積み重なった町並みで、「ここは、何があった場所」とか考えてもしょうがないのだが、三条河原のそばに「豊臣秀次の墓」があった。おそらく、ここの河原で、豊臣秀吉による弟秀次一家皆殺しという虐殺が行われたのだろう。

そういえば、昨日、神戸で、知人と手抜きマンションの話をした時に「姉歯」という符号が出てきたが、彼の本名は姉歯秀次だった。彼の場合、本人は生き延び、妻は亡くなった。

鴨川は前日通過した台風4号の影響で、轟々轟々と濁流が流れていた。

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