市ヶ尾に新作アート

2021-09-30 00:00:43 | 市ヶ尾彫刻プロムナード
横浜市青葉区は芸術の町を標榜している。(また文学の町をも目指している。文学というのは区内に限りなく透明に近い作家が在住しているかららしい)

急行電車の止まらない市ヶ尾駅と青葉区役所周辺に11のアート作品を設置し、『市ヶ尾彫刻プロムナード』と命名している。

作品には名前がつき、青葉区となんらかの関係があるアーティストが多い。

違う目的でその近くに行ったのだが、青葉区役所に隣接している公会堂(現在は、ワクチン接種会場)の壁面に、新たなアートを見つけた。



その辺に生えている雑草で作られているらしい。作家名不祥、作品名不明である。雑草を使うというのは少し難しいだろう。どんどん伸びるし、隣の雑草に侵入してしまうし、形を整えようにも抜けにくいのもある。


ところで、雑草と言えば、映画『翔んで埼玉』の中で、主人公の二階堂ふみが埼玉県人に、「その辺のくさでも食っておけ」と扇動した。

横浜市青葉区も雑草では埼玉に引けを取らないだろう。鶴見川の河川沿いには雑草が生い茂っている。青葉区ではなく青草区の方がいい。青葉区という区名は仙台市にもあるし、むしろそちらの方が有名だろうから『草』に改名した方がいいだろうか。

市ヶ尾彫刻プロムナード『ユニコーンのいるバードテーブル』

2020-09-27 00:00:10 | 市ヶ尾彫刻プロムナード
市ヶ尾彫刻プロムナード第11回は、『ユニコーンのいるバードテーブル』。市ヶ尾第三公園内にある。

中野滋、宮内淳吉、平井一嘉の三氏による共作。中野氏と宮内氏は当プロムナードの他の作品も手掛けられている。


本作は、構造上は何かの鉢を持った女性の頭の上に大きな盆が乗っていて、そこに鳥が集まって水を飲むのか穀物や害虫を食べに来るのか、いわゆるバードテーブルになっている。

あたまの上に鳥が集まるのはなんとなく気持ちが悪いかもしれない。カラスやアオサギやハヤブサなんかがきたら怖すぎる。


そして、謎の生物であるユニコーン。バードテーブルのすぐ上に隠れている。鳥をねらっているのだろうか。逆にカラスの餌になりそうでもある。このプロムナードには、ユニコーンが他にもいる。『魚風景』という作品には、ここのユニコーンと同じ種類の生物がいるし、『きら星からにばる』のユニコーンは馬サイズだ。


そして、タイル張りの小屋の頂上には、猫の仲間の一頭が見下ろしている。鳥やユニコーンを狙っているのかもしれない。

そして、この女性が持っている鉢のような容器には、ローマ字が刻まれている。撮影した時には気付かなかったが、本稿を書いている時に気がついて、画像拡大してみた。


ローマ字では「KOI NO SUGATA YA HA」。

さらに漢字も見える。「恋 姿 花」。大いに気になる。

その場で気付いたら、鉢の裏も撮影していたのだが、検索していると、最初に出てくるのは、美空ひばりのシングル曲(「花の恋姿」)。ダウンロードすると262円かかる。それから「大友花恋の○○姿」というのがある。○○のところに「水着」とか「男装」とか入れるわけだ。

ということで、あきらめかけていたところ、うっすらと手掛かりがあった。「人は人を恋の姿や花に鳥」というタイトルのブログがあることがわかる。そのままだ。

そして、その俳句のようなものを調べると、やっとの思いで、ある句に行き着いた。
「人は人を恋の姿やはなに鳥 其角」。はな=花だろう。

其角(きかく)は榎本其角。芭蕉の弟子で蕉門四哲の中でも最も冴えた句人だ。生前に、自分の代表作1004作を選んで、五元集と名付けていた。その中の一句である。

意味は今一つしっくりとは判らない。恋をしている人の対人関係は、花に集まる鳥のようだというのだろうか。花に集まる鳥はハチドリしかいないし、花に群がる虫に鳥は群がるわけだ。バードテーブルに集まる鳥を狙うユニコーンとかそのユニコーンを狙う猫、ということかな。そんな不気味なテーマの彫像を公園内に置くとも思えないし。

芭蕉の人気に比べ其角の人気は百分の一ほどだろうが、この際、読んでみると、俳諧の中から「軽み」を追求した芭蕉に対し、其角は「諧謔」の方を追及したとも考えられる。


一応、横浜市青葉区の公認した「彫刻プロムナード」はこれまでの11作で終了。あとは総集編だけである。

区内には、他にも町中に多くの彫刻があると、つけ加えておく。

市ヶ尾彫刻プロムナード『イチガオ・スウィング』

2020-09-06 00:00:08 | 市ヶ尾彫刻プロムナード
市ヶ尾彫刻プロムナード第10回は、『イチガオ・スウィング』。市ヶ尾第三公園内にある。

黒川晃彦氏の作。平成3年に、この公園の一角に設置された。コロナ禍の中でも、隣に座ってもOKだ。たぶんうつらないだろう。サックスを代わりに吹いたりしたらいけない。



お題は「イチガオ・スウィング」だが、ジャズメンの感じが今一つなのは、座っているからだろう。立ち上がって、両足を踏ん張り、少しガニまたにして頬を膨らませた方がいいかもしれない。ディメリットは、立像にすると、台風でも倒れないように大きな台座が必要になり、必然的に高い場所で見下ろすようなことになる。「伝説のサックス奏者Xの像」になってしまう。そうでなくても貧富の差が大きな町なので・・


そう、一見して貧者のジャズマンといった感じだ。体型はでっぷりだが「金持ちにデブなし」という格言がある。肌の色はよくわからないが、白くはなさそうだ。といって、ホームレスのような服装だと、以前の大阪市の駅のようにベンチが彼らの公認ベッドになってしまう。

カメラのアングルで大公園のように見えるかもしれないが、小さな公園で周りはマンションが群立している。平成3年の頃はのんびりした公園だったのだろうと推測。


そして黒川氏の経歴は歴とした野外彫刻の大家で特に野外音楽家の像を中心課題とされている。横浜市内にもいくつかの像が立っているようだ。箱根の彫刻の森美術館など多数の美術館に収蔵(おそらくは展示)されている。

作品とは直接関係ないかもしれないが、略歴を読んでいて、ちょっと気が付いたことだが1946年生まれで芸大卒業後、美大の先生を続けているようなのだが、創形美大非常勤講師→多摩美大非常勤講師→トキワ松女子短大非常勤講師→多摩美大客員教授→多摩美大教授ということだが、美術界では、非常勤講師→客員教授→教授というようなこともあるのだろうかと思った。

市ヶ尾彫刻プロムナード『きら星からにばる』

2020-08-30 00:00:54 | 市ヶ尾彫刻プロムナード
市ヶ尾彫刻プロムナード第9回は、『きら星からにばる(ASTRAL CARNIVAL)』。市ヶ尾第三公園内にある。中野滋作。中野氏は、青葉区総合庁舎敷地内のプロムナード第5回『緑の朝』という女性裸像も手掛けている。『緑の朝』は、このプロムナード作品中、最も古く昭和61年に近くの場所に置かれたが、この『きら星からにばる』は平成3年に設置されている。



少年が馬にまたがって手放し乗馬で楽器を演奏しながら上を向いているように見える。

よく見ると馬ではない。耳が垂れている。さらに額に角が生えている。では何という動物だろう。一角獣ならユニコーンだ。これを動物主体の視線で見ると、どうみても馬のように見える。馬の写真でもモデルに一角獣を創ったのかもしれない。想像の動物だから、何に似ていても非難はされないはずだ。馬、いや一角獣の表情は、迷惑そうな顔だ。いつも同じ曲を聴いていて飽き飽きなのだろうか。



そして少年は、上空をながめて星の光に合わせて天体ショーを楽しむのだが、この公園の周囲はマンションが林立している。少年の視線の先にはマンションのある一室がある。そこの家の子かもしれない。「早く家に戻りなさい」と怒られているような表情だ。

ところで、ネット上で調べていると、1995年9月から1年間、東京の中央区にある日清製油(当時の社名)の本社ビルの前庭に「きら星からにばる」が置かれていたようだ。市ヶ尾に設置されたのは平成3年(1991年)なので、二つ目の「きら星からにばる」があることになる。ブロンズ像にはよくある話だ。どこにあるのだろうか。

市ヶ尾彫刻プロムナード『アリア』

2020-06-07 00:00:07 | 市ヶ尾彫刻プロムナード
市ヶ尾彫刻プロムナード第8回は、『アリア』。日高頼子製作。



解説があり、『大自然への感謝』『人類の平和』『明日への活力』の祈りを込めて詠唱する姿だそうだ、

特に、オペラの中で抒情詩を歌い上げるスタイル。個人的な推測では欧州では一般的だった「吟遊詩人」と歌劇が合体したものといえるだろうか。

コロナ禍の中で、youtubeなどでミュージシャンが盛り上げソングをやっているのとつながる。ただ、この彫刻が置かれたのが平成3年(1991年)。まだ欧州の一角では戦火が消えていなかったし、普賢岳爆発とか自然現象はおかしくなってきていたし、バブルははじけたのにジュリアナ東京オープンの年。おかしなことばかり起き始めた頃だ。

彫刻家の日高頼子さん。二科会の重鎮だそうで、作品は全国の街角に置かれている。だいたい市ヶ尾の『アリア』と同じように、人間の体の各部をディフォルメして創っている。顔はどうも女性のようだが、全体の体系はギリシア戦士のようにたくましい。



とはいえギリシア神話によれば、元々、創造主は人間を全部男にしてしまったのだが、もっと罪深い存在にするために、男の数と同じ人数の女を創作したそうなので、男と女の形が似ているのも無理からないところだ。

なお、日高頼子さんのご主人も二科会メンバーの彫刻家だそうで、夫妻展を何回か行っているそうだ。絵画というのは壁に掛ければジャマにはならないが、彫刻はそうもいかない。家の中に飾るのは、なかなか日本の住宅事情では難しい。かといって庭に彫像を置いている家もあまりみない(というか見たことがない)。石灯篭や庭石を置くより趣味がいいと思うのだが。(一体を購入すると、白い木の箱に寝かされて家に届くのだろうか)

市ヶ尾彫刻プロムナード『FRIENDS』

2020-05-31 00:00:02 | 市ヶ尾彫刻プロムナード
市ヶ尾彫刻プロムナード第7回は、『FRIENDS』。JUN HONMA作。青葉区役所の前にある。

平成7年に青葉区総合庁舎竣工の時から置かれたそうだ。素材は金属でアルミのダイキャストのようにも見えるし、違う金属かもしれない。ユーモラスにも見える人間型の生物の足元に、おそらく海生生物が並べられ、さらにネコ型のプレートにFRIENDSという文字が入っている。

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人間と猫と魚。

自然との共生ということだろうか。

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アーティストのJUN HONMA氏だが、なかなかわからなかったのだが、1967年に多摩美を卒業された方のようだ。最近の消息はわからないが、10年ほど前の記事を参考にすると、祖父が黒田清輝の弟子ということで、そういう関係の中で美術を目指し美大に進学。ウォホールやキース・へリングを目指して立体デザインを専攻したところ鍛金の世界に入ったそうだ。

一方で、作品には「こども心」を大切にし、こどもにもわかる芸術の制作に務めているそうだ。区役所の前の作品も、その「こども心」の延長なのだろう。

近況がわからないのが、1967年生まれであれば今年で53歳。目指した芸術家のウォホールもキース・へリングも長命ではなかった(58歳と32歳)。金属を使うのは大変かもしれないが頑張ってほしいものだ。

(なお、調べていると、知らなかったのだが山梨県小淵沢市に中村キース・へリング美術館があるそうだ。山梨には大村美術館もあるし、医学関係で蓄財された方の美術館が多いのだろうか。)

ところで、JUN HONMAを探している時に、もっとも大量に情報があったのが高円寺にある「PATISSIER JUN HONMA 高円寺アトリエ」。アトリエではなくケーキ店である。東京、フランス、ベルギーで修業した本間純氏の有名ケーキ店で、2013年4月には毎朝の番組「ZIP」でゲストの安倍晋三総理への手土産にシュークリームが選ばれたそうだ。就任間もない時で多忙と言うことで番組では食せず、手土産になったそうだ。

立体的な芸術的ケーキが売りらしく、てっきり彫刻の技術をケーキに活かしたのかと思ったのだが別人。ケーキ店の方の話だが、高円寺と吉祥寺に二店舗あって総理手土産は吉祥寺店からだったようだが、昨年末に閉店。今は高円寺店だけのようだ。

この高円寺店だが、居抜き開店の時に、曰く因縁があったという記事も目にしたのだが、真偽不明のため、深入りしない。

市ヶ尾彫刻プロムナード『田園ふあんたじい』

2020-05-24 00:00:27 | 市ヶ尾彫刻プロムナード
市ヶ尾彫刻プロムナードの第6回目は、宮内淳吉氏と関孝行氏の合作になる『田園ふあんたじい』。区役所の裏口に並んでいる(駅に近いのが裏口であるので事実上は表口と言ってもいい)。合作というのも珍しいが、市ヶ尾の彫刻プラムナードには全11作あるのだが、宮内氏は本作の他、第11作にも名前をつらねている。関孝行氏は、第一作の『本を読むネコ』につぐ二作目。今回もネコである(たぶん)。




そして初登場の宮内淳吉氏だが、フレスコモザイクの第一人者ということ。(小さなタイルを貼るということ)。

『田園ふあんたじい』は三作の連作だが、中央の巨大な石の本はタイルが張られているので宮内氏の作だろう。背表紙には「DENEN FANTASY」と縦書きに入っている。気になったのは、「ファンタジー」ではなく、「ふあんたじい」というタイトル。特に「あ」の字が大きい。「ふあん」という意味なのだろうか。



「田園」というのは東急田園都市線を意識したのだろうが、なんとなく「都会のはずれ」という場所だったのだが、最近は「田園そのもの」になってしまい、アーバン感がなくなってきて少し心配である。ビリー・ジョエルではなくジョン・デンバーが似合う町(村?)。



そして右側の伏せた猫だが、猫の部分が関氏作で台座の部分が宮内氏作だろうか。市ヶ尾は猫の似合う町なのかな。そういえば、猫関係でいずれ散策してみたい場所が下北沢(もちろん行ったことはずいぶんあるのだが)。シモキタに住んでいた詩人の萩原朔太郎の代表作『猫町』にちなんでいる。文学者多数が居住していた世田谷に対抗して、市ヶ尾のある横浜市青葉区を代表する作家が村上龍だ。地元のテニスクラブをモデルに書かれた『テニスボーイの憂鬱』という名作がある。



そして、問題作が、何かご機嫌な耳のない動物像。これも合作なのかな(よくわからない)。上の方の動物はなんなのだろう。田園に棲む耳や手足のない動物といえば、あれしかいない。

つまり、『へび』。

へびがゴキゲン顔なのはどういう時なのか。おそらくご馳走にありついて満腹になった時だろう。何を食べたのだろう。鳥か魚かウサギか人間か。それこそ、「ファンタジー」ではなく「ふあんたじい」の持つ浮遊感の源泉なのだろう。

市ヶ尾彫刻プロムナード『緑の朝(あした)』

2020-05-17 00:00:03 | 市ヶ尾彫刻プロムナード
市ヶ尾彫刻プロムナードの第5回目は、中野滋作『緑の朝』。区政20周年の花壇の中に立つブロンズ像だ。実は、このプロムナードの中では、もっとも普通の彫刻といっていい。普通過ぎるぐらいだ。等身大にかなり近いサイズだ。



といって、彫刻家が普通の人であるとは限らないので、少しだけ情報を調べてみたのだが、・・

中野滋という名前で活躍している芸術家は二人いることがわかった。

実は、当初は勘違いをしていて、1967年生まれの中野滋さんのことをブロンズ像の製作者と思っていた。理科大の建築学部を卒業後、まもなくイラストや紙製品を中心に前衛的な絵画を造られている。立体的な作品もあるので、ある時、彫刻に手を伸ばしたのかと思っていた。

しかし、そのうち、違和感が出てきて調べ直すと、1951年生まれの芸大卒の彫刻家の中野滋さんという方がいることがわかった。彫刻一筋の方で、横浜美術大学の教授(学長補佐)で彫刻を教えているようだ。こちらの方で間違いないだろう。

そう、ブロンズ像というのは、作るのが大がかりなので、簡単に余芸で作れるようなものではないわけだ。

それで作品の方だが、『緑の朝』となっている。この『朝』だが、「あした」と読むようだ。ということは、モーニングという意味なのか、トゥモローという意味なのか。

これも「朝」という字の意味を調べてみると、主に三つあることがわかった。
1つ目は、文字通り一日の初めである。反対語は「夕」。説明は要らないだろう。2つ目は「天子が政を行う場所」という意味。「朝廷」とか「清朝」とか。反対語は「野」。三つ目は「朝鮮の略語」。反対語は「韓」だろうか。いや同義語かな。反対語は「日」かもしれない。

で、これでは「朝(あした)」の説明にならないが、「朝」と書いて「あした」と読む場合は、あしたのあさ、という意味だそうだ。

この彫像の美形のモデルだが、よく見ても年齢不詳である。もっとも、多くのすぐれた裸体彫刻は男女を問わず年齢不詳で、見る側の心理状態で若く見えたり熟年に見えたりする。といって、「あしたのあさ」というようなタイトルは若い人にしか使わないはず。未来のない人には使わない。禁断の女子高生?そういえば、青葉区は誕生した当時は若い人の区だったのだが、居住者の年齢は上がり、めでたいことに男女とも全国長寿ランキングのトップを争っている。ブロンズ像はいつまでも若いままだ。右手に持っているのはオリーブの枝に見える。

市ヶ尾彫刻プロムナード『このまちはぼくたちのもの』

2020-03-17 00:00:43 | 市ヶ尾彫刻プロムナード
市ヶ尾彫刻プロムナードの中で最も体積が大きいのが『このまちはぼくたちのもの』。渡辺豊重氏による1995年の作。なにか小学生の作品のようだが、渡辺氏64歳の時の作品。

ある意味、スペインの画家、ジョアン・ミロのような感覚が伝わってくるが、それが渡辺氏の作風である。

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上段の三つは人間の心の中の気持ち(喜びとか驚きとか戸惑いとか)を表し、下段の三つは人間の関係性を表しているようなことだろうか。時代的にしかたがないが、ミロは戦争とか絶望とかそういう人間と社会というような関係性に傾いているように思える。

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そして渡辺豊重氏の旺盛な制作意欲を語るために少し説明すると、1931年に東京に生まれている。終戦は14歳の年だ。そして彼は、23歳の時は川崎の自動車工場で働いていたそうだ。そして働きながらも絵を描き続けていた。そのため、いくつかの賞を受けながら職を転々とすることになる。

そして48歳の時についにパリに行き、抽象絵画に磨きをかけることになる。そして帰国後1990年に意を決し、住み慣れた川崎を後にし、栃木県の馬頭町に移住し、多くの作品を創りだしている。

彼によれば、人間にとって一番大切なのは人間。どうやってこの時代を生きてきたのか。そういうものを絵画を通して記録するのが画家の仕事、ということだそうだ。

そして大震災のあと、毎年のように展覧会を開いているようで、2018年の秋の個展までは追いかけることができた。2019年の展覧会を見つけることができないのが、少し心配である。渡辺豊重氏は今年89歳になる。(ミロは90歳だった)

市ヶ尾彫刻プロムナード『塔』

2020-03-16 00:00:51 | 市ヶ尾彫刻プロムナード
市が尾駅から江田駅方向に2分ほど歩くと市ヶ尾駅前公園があり、ブロンズの塔がある。

ここで、塔の話の前に、なぜ「市が尾」駅の前に「市ヶ尾」駅前公園があるのかという謎がある。また、隣の駅の「江田」駅だが、このあたりの地名は「荏田」であり、江田という地名はない。だいたいの理由は知っているのだが、少し疑問があるので。このプロムナードシリーズが終わるまでには、なんとか・・

アーティストは伊勢克也さんという方で、こちらも東京芸大の卒業生で現在は女子美の先生をされている。自然や風景、人工物などの形からイメージを拡げた作品が多いようだ。



作品をネット上で調べると、やや平面的な作品が多く、代表作にはミニチュアサイズの「家」がある。数センチのサイズの家を並べて家並みを表現したりする。垂直に上に伸びる本作は異色だ。

金属製なので不安定でも崩れたりはしないが、東京駅にあったビアレストランでオニオンリングタワーを注文した時に、テーブルに運ばれてきた搭状に積み上げられたオニオンリングを思い出してしまった。



そして、塔の上にある物体を、拡大してみると、その頂にあるのは、どうも人間の様だ。手が見えないがコートのポケットに手を入れているのだろう。どうみても自ら塔から飛び降りそうに見える。駅の近くにこういう刺激的な像を建ててもいいのだろうか。

『自然と人間の共同作業で作り上げられた美しい建築物へのオマージュを込めて・・・。』というのが副題だそうだ。文字通りに理解するとバベルの塔になるが、人が上に乗っているのは想像なのだろうか。

市ヶ尾彫刻プロムナード『本を読むネコ』

2020-03-15 00:00:33 | 市ヶ尾彫刻プロムナード
COVID-19の流行のせいで、ほとんどの美術館・博物館はクローズ状態。安全なのは屋外だけということで、ブログを書くにも苦労する。そこで思いついたのが、近隣の町である『市ヶ尾』にある『彫刻プロムナード』。資料によれば11の彫刻が、東急田園都市線の市が尾駅の周辺にあるようだ。

2019年6月16日『市ヶ尾おさかな広場の奇怪』の中で、そのうち一つの彫刻を取り上げているのだが、海外の有名彫刻家ということで、色々と情報を集めて書くことができたのだが、どうもすべてが有名な方というわけでもないような気もする。さらに不幸にして亡くなられている場合もあるかもしれない。何も調べていないので、実際には書けないかもしれないが、とりあえず青葉区(横浜市)のお散歩マップに記されている順に沿って書き始めてみる。

まず、駅の改札を出て北側、国道246側にあるのが、『本を読むネコ』。関孝行さんの作品。猫があぐらをかいて、電話帳サイズの厚い本を読んでいる。夏目漱石の飼い猫は自叙伝を書いたらしいので、本を読むネコぐらいでは驚かないが、何を読んでいるのだろう。どうも本には魚の絵が描かれている。料理の本かな。



ところが、実は、陽当たりが良すぎるために、うたたねしているわけだ。目を閉じているように見える。青葉区は、「文化的な街」と自画自賛していて、読書や花を植えることを推奨している。区の公会堂で地元在住の元作家である村上龍氏の講演会を開いたりしている。読書を作品にするとは高尚ということかな。

ところで、彫刻作家の関孝行氏のこと。60歳位の方のようだ。東京芸大を卒業する時に各学科の首席の方の作品を表彰して大学が買い取るサロン・ド・プランタン賞を受賞している。2007年頃のデータでは、すみだトリフォニー、青山の子供の国、日光杉並木公園、アメ横、新宿ゴールデン街、大阪千日前にも作品があるそうだ。

2000年頃のインタビューの中で、「何百年も何千年も経ったとき、土の中に埋まっていた作品が発掘されるなんてロマンチックでいいね」ということを語られている。土から発掘されるためには、駅が土に埋もれるような大事件が起きることを意味するわけで、あまりロマンチックではないような気がする。

そして2018年には千葉県長柄町の古民家ギャラリーで展覧会が開かれているのだが、だからといって生存証明にはならない。回顧展というのもある。色々な角度でネット上で調べると、市ヶ尾からそう遠くない場所にある横浜美術大学の学校紹介のHPの中に、講師として関孝行さんの名前があることがわかりほっとした。この駅前の石像が横浜美術大学との縁を持ったのだろうか。

市ヶ尾おさかな広場の奇怪

2019-06-16 00:00:20 | 市ヶ尾彫刻プロムナード
東急田園都市線の市ヶ尾周辺の観光地を調べていたら、「市ヶ尾おさかな広場」という場所があるらしい。どうも、それ以上のことはネット上で調べても納得できないようなことが多い。一足伸ばして探しに行く。

市ヶ尾駅から国道246号線の上に架かる大歩道橋を渡り北方向に進むと、なぜかボクシングジムがあり、その裏に有名な「ふくろうカフェ」がある。さらに進むと「市ヶ尾おさかな広場」という交差点がある。




事前調査では青葉区の区役所が整備されるときに、同時に設置されたということなので、区役所の駐車場あたりに彫刻があるのではと思って向きを変えて歩き始めると、けっこう距離がある。なにかおかしいと、スマホのナビで確認すると、さきほどの「おさかな広場」交差点のそばのようだ。つまり前を通り過ぎていることがわかる。半信半疑で戻ると交差点のそばに小さな区画があって、広場風になっている。といって、公園的ではない。地面はコンクリートだし、敷地は傾いているし。後で調べると、156㎡(47坪)。あまり広くない家が一軒建つスペースといった感じだ。



よく見ると、広場の中央ではなく端の方に中空の魚の彫刻がある。かなり妙な彫刻だ。頭と尻尾があって、途中がない。頭部は鯉に似ているが、ひげがない。さらに、その彫刻の数メートルの場所にある壁に小さくくり抜いた四角い穴があり、約10センチほどの小動物のブロンズ像がある。ほとんど見過ごしそうなサイズだ。この動物が奇怪で、一角獣。色はともかく実在の動物なのか架空の動物なのか、どちらとも言い切れない。ネズミサイズだ。おさかなだけの広場ではないわけだ。魚とは造形がまるで違う。同一人の手とは思えない。




ということで、後日じっくりと調べると、この奇妙な広場を調べた先人が何人かいることがわかってきた。しかし、真実にたどり着いた方はいないようだ。なにしろ役所仕事で担当者は、今はかなり退職しているようだし、そもそも奇妙すぎて謎が多すぎる。

まず、東急線の駅から5分ほどの土地だから、坪130万円としても6000万円を超える。さらに公園としては狭すぎるし、コンクリ床は暑いし転べばケガをする。彫刻は移動すればいいのだから、ここに広場がなぜあるのだろう。元々、市有地になったのは、何か特別の事情があるのだろうか(事件地とか?)。


先人たちの調べた内容に*印として若干情報を追加してまとめると、

1. 彫刻家は、フランス人のフランソワ=クザヴィエ・ラランヌ氏(*男性)で2008年に亡くなられている。

2. 彫刻のタイトルは、“Poisson-Paysage”「魚風景」。(一角獣は不明)

3. 元々(1991年以前)は、別の場所(*市ヶ尾駅から西にある鶴見川に近い場所で県税事務所と税務署の間と思われる)にあった緑区北支所(当時は青葉区はなく緑区の一部だった)の駐車場内にあった。

4. 1991年に、『市ヶ尾彫刻のプロムナード』として、青葉区の新区役所の近くに7つの彫刻を配置することで街づくりの一つの目玉にした。(*その後、彫刻は11体に増えている)

先人は区役所に問い合わせたものの、当時の人もいないし、資料もない(区がなかったので当然)とのこと。彫刻家もいまはいない。

ということで、そこから先を少し調べてみることにした。といっても土地を調べるとたぶん数百円かかりそうだし、それでわかった試しもないので、彫刻家について。特にフランス人ということで、少し閃くものがあった。

まず、ラランヌ氏はある程度有名な彫刻家だった。日本ではアサヒビールの大山崎山荘美術館の庭に二匹の羊の像がある。生年は1927年、没年は2008年81歳ということだろうか。奥様(クロード・ラランヌ)も芸術家で、夫妻で制作した作品とラランヌ氏だけが制作した作品がある(相続税対策かもしれないが)。「魚」のそばの「小動物」は女性的な作品と言えなくもないので本当は共作かもしれないが、調べようもない。奥様は大きな彫刻だけではなく、ディオールのジュエリーデザインも手掛けている。

このラランヌ氏に大きな影響を与えた彫刻界の大御所が、コンスタンティン・ブランクーシ。ルーマニア生まれで、パリで活躍し、多くの芸術家に影響を与えた。フランス領のアフリカで人間の原始的な芸術を吸収し、西洋芸術と融合させた。絵画の世界で印象派の後に登場した様々な流れの中のいくつかにはアフリカの影響があるのだがルーツはブランクーシでもある。また、日米の対立の中で揺れ動く青春を過ごしたイサム・ノグチが彫刻の世界で活躍できたのも、ブランクーシの下で働いて学んだからだ。

といって、ブランクーシは1876年生まれ、イサム・ノグチは1904年生まれ、ラランヌ氏は1927年生まれ。上下51歳の差である。方や世界最高峰、方や新人。

実は、ラランヌ氏はブランクーシの隣地に住んだそうで、ブランクーシ邸にやってくる人脈とわたりをつけたようだ。あるいはブランクーシ氏が面倒な仕事を回したのかもしれない。




そして、思うのだが、あの魚の顔だが鯉に似ていると感じたのだが、アフリカの大河を泳ぐ魚をイメージしているような気がする。しかも、元々設置されたのが鶴見川のそばということだが、鶴見川には大型の鯉がたくさん泳いでいるわけだ。ラランヌ氏は来日して現場を確認したのかもしれない。鯉のモデルとしてアフリカの川魚を使ったのではないだろうか。もちろん、鶴見川の鯉にあるヒゲは、見てみないふりをしたのだろう。作りにくいと思う。

ところで、



個人的には、おさかなよりも一角獣の方が好きだ。